Ⅰ・来訪者4
* * *
タオの館を抱く禁断の森。好んでこの森に足を踏み入れる者は少ない。
リオンはラピちゃんを数匹連れて、秋の味覚を穫りに森へと入った。まるで巨大な風景画のような見事な紅葉。足を踏み出す度に歌う落ち葉。空から眺める森も美しいが、こうして中を歩くのも楽しいものだ。
ピーピーというラピちゃん達の楽しげな鳴き声が、秋の大気に幾重にもこだましている。見ると、落ち葉の海を無邪気に泳ぐ兎達の姿。あまりの可愛さに顔がほころんでくる。
――…視線を感じた。
表情を引き締め、視線を感じる先――空を仰ぎ見る。
木々の紅葉から覗く薄い水色の空。そこに浮かんでいる小柄な人影。子供…少女だろうか? 森の明暗に慣れた目ではよくわからない。
訝しげに見上げていると、視線の主が口元を歪めた…気がした。――次の瞬間。
「…ッ!」
それは一瞬の出来事。空の人物が魔力を凝縮させた衝撃波を撃ち放った。リオンがとっさに張った結界に阻まれて霧散し、その衝撃で周囲の木々が数本なぎ倒される。
地に伏せる事で衝撃を軽減させた兎達が、リオンを守るように立ち上がり、毛を逆立てて空へと威嚇をし始めた。だが、ひ弱なラピちゃん達を巻き込むわけにはいかない。
ラピちゃん達の制止の叫びを風にかき消し、リオンは素早く空へと昇る。
「おいッ、いきなりなんだよッ!? 危ねーだろーがッ…!」
開口一番で怒鳴り散らしたリオンだったが――、相手を見て目を見開く。
…やはり、少女だ。歳は十四ほど。白い肌に金髪が映える。リオンを睨みつけているが、全体的にはまだ幼さを感じる。
しかし、リオンが驚いたのはその翼だ。付け根と先端の羽根は黒だが、大部分の羽根は白い。バハールドートの魔族が持つ翼は黒一色、イシュヴァの天使が持つ翼は白一色。二色が混ざった翼など見た事がない。
つまり、この娘が例の――。
リオンを睨む娘の顔に、僅かな驚きの色が浮かんだ。
「二対…、大天使…?」
その呟きに、リオンは困惑して眉根を寄せる。
この娘が夜魔の女が言っていた、リオンを捜していたという異界の悪魔だろう。もちろん面識などないし、自分を捜していた理由など知る由もない。しかも、娘はリオンが大天使である事さえ知らなかったようだ。何故自分を捜していたのだろう?
娘は雑念を払うように頭を振り、再びリオンを睨みつける。
「…バハールドートに棲みついているイシュヴァの天使、ってアンタ?」
初対面の相手を、アンタ…。リオンはムッとしつつ、そうだ、と告げる。
「なら、案内しなさい」
「…は? 案内って、何処へ?」
「へぇ? 天使のクセにとぼけるんだ? 頭おかしいんじゃない?」
「…」
この娘が、タオ以上のわがままかつ自己中心的な思考の持ち主だとは理解した。眉をひくつかせ、リオンはため息をつく。
「まず、お前さんが何処の誰なのか。それと、何の目的で俺を攻撃したのかを説明しろよ」
「必要ない。アンタの役目は、ただアタシを案内するだけ」
「…」
リオンは、落ちつけ俺…、と自分をなだめる。
「あのな、勘違いしているぞ。お前さんを案内するような場所なんて、俺は知らない」
「アタシに会わせる気はないんだ?」
「は? いや、だから…」
「アンタの御託はどうでもいい…!」
「お、おいッ! 待っ…!」
問答無用で放たれた魔弾。リオンはすかさず自分の魔力と相殺させたが、娘は立て続けに放ってくる。下手に避けると、森のラピちゃん達に当たりかねない。リオンは舌打ちし、放たれたそれら全てを上空へと受け流していく。
「おいッ、少しは人の話を聞けッ!」
喚いてみたが、リオンの言など耳に入ってさえいないらしい。それどころか自分の攻撃が通用しない事に苛立ち、魔弾の力と軌道が乱れ始めている。
こうなったら少しお灸を…、と印を結んだその時。
――目の前に、漆黒の二対の翼が割り込んだ。
「タオ…」
背を向けている魔族の名を、リオンは呆然と呟いた。見慣れた短髪の後頭部には寝癖が見えるので、おそらく寝起きなのだろう。背中が、不機嫌極まりない…、と語っている。
突然割って入った魔族の出現に驚いたのか、娘の攻撃がパタリと止んだ。その視線がタオの翼にひき寄せられ、目を大きく見開いて驚いている。
寝癖を気だるげにガシガシと掻いたタオは、とてつもなく面倒そうな目を娘へと向けた。
「…なんだぁ? 俺様のテリトリーで騒ぐ命知らずがいると思ったら、パンダ女んトコの小娘じゃねーか」
「な…」
「森から去れ。俺は女子供でも容赦しねぇぞ。さっさと去らねぇと、首が体からおさらばするぜ?」
「このッ…、アンタ! このアタシにそんな口をきいて、許されると思っているのッ!?」
「貴様こそ――…私を誰だと思うておる?」
タオの声音が深くなった瞬間、その場に満ちた圧倒的な覇気――。そのあまりにも強烈な存在感に、つい形振り構わずひれ伏してしまいそうになる。
ひッ…、と短く息を吸った娘に、タオは顎を、クイ…、と上げて目を眇めた。
「此処では貴様の駄々など通じぬぞ。次に故郷と《道》が生じる時まで、辺境でおとなしくしておるのだな、小娘。
――生きておるうちに《道》が繋がれば、だが」
「な…によ…ッ! 用があるのはアンタじゃなくて、その天使――」
「侵犯者が我が友に狼藉を働いた上、なおも用があるだと? 片腹痛いッ」
放たれた言葉には明らかな殺気。リオンもつい身を竦ませてしまう。
「早々に立ち去れ。私は貴様を殺す事に躊躇などせぬ」
「ア…アタシに怪我させたら、かか様が黙っていないんだから…!」
「ミヨにはとうに言質をとってあるわ。私の機嫌を損ねる阿呆が我が領域を侵犯した場合、たとえそれが誰であろうと――殺しても構わぬ、とな」
…今度こそ、娘の動きが止まった。
「な…なんで…、かか様の御名を――…」
狼狽した瞳に宿る確かな畏怖。己の立場と相手との実力差をようやく実感し、恐れおののいて半歩後退する。
その僅かに空いた間さえ許さず追い詰めるかのように、彼もまた前進し、鋭く睨んだ。
「早々に去れ。これが最後の警告だ。さて――」
「…ッ」
恐怖と悔しさが合わさった表情を浮かべ、娘は素早く翼を翻して飛び去っていく――…。
その黒い点が遥かな空へと完全に消えた後、タオは盛大なため息と共にゆっくりと振り返った。
「…俺は確か、起こしやがったら半殺し、と言ったよな?」
「お…俺はただ、ちょっとキノコを――…。
…いや、悪い。ごめん」
向けられたタオの目には、娘に向けたような殺気や威圧感はない。助けてくれた親友に、リオンは手を合わせて謝った。
詫びるリオンにタオは、フン…、と呆れたように鼻を鳴らし、わざとらしい親愛と蔑視の眼差しを向けている。
「なぁタオ…。今の娘って、夕べの《道》で来た余所者なんじゃ…?」
リオンの問いにタオは、…まぁな、と不愉快に応える。
「よりによって、あの小娘が残っていやがったとは…。面倒臭ぇ…」
「…何者だよ? 俺は被害者だ、知る権利があるだろ」
「んあー、あの小娘はなぁ…」
タオは一度区切り、特大のため息をついた。
「あの小娘は――、余所の王の娘だ」