Ⅳ・無辜の灰3
――…真っ暗だ…。
目を開けようとしたリオンは、自分がすでに目を開けていた事実に瞬く。手を掴んだままのタオさえ見えない。
闇に閉ざされた、世界…。
「…タ、タオ。何も見えないんだけど…」
タオの手をクイクイと引いて訴えると、呆れた声が返ってきた。
「私の羽根を意識しろ、と言っただろうが」
「…え? この闇、幻なのか?」
胸の羽根を意識し、そのチカラと呼応すると、ゆっくりと視界が色彩を帯びてきた。怪訝そうな友の顔。どんよりと歪んだ空間の流れ。
何度か瞬いて周囲を見回すと――…、巨大な異形の顔が突然、ぬんっ! と迫ってきた。
「のわっ!?」
驚いて思わずタオに飛びつくが、迫り来る顔に肩が当たった――はずだった。しかし、衝撃も痛みもない。顔が去った方向を見るが、そこにも何もない。
呆然としていると、タオが呆れ果てた様子でリオンを引き剥がす。
「離れるな、とは言ったが、くっつくんじゃねぇよ。忙しないガキだな」
「だ…だってッ、今の――!
――…今のも、幻?」
「何を見やがった?」
「か…顔?」
「……かお?」
「………。はぁ〜…」
これではタオの羽根に意識を集中し続けねば、満足に身動きがとれない…。
途方に暮れるリオンを、漆黒の魔族は淡々と見下ろす。
「貴様、自分の状況をわかっているか?」
「わかってる…。わかっているさ…。自分の非力さを痛いほど実感し――…いったぁッ!」
ガスッ! と脳天を鎌の柄で一撃され、その痛みで目に涙が浮かんだ。突然の暴挙に、胸ぐらを掴む勢いで怒鳴る。
「いきなり何をするんだよッ!?」
「少しは正気に戻ったか?」
「…へっ?」
タオがジロリと一瞥する。
「貴様、この場の瘴気に飲まれかけていたぞ。
――おい、言っている傍から堕ちるな」
「いてッ!」
落ち込むリオンを許さないタオの追撃。痛む頭皮を指の腹で撫でながら、もう少し方法があるだろうが…、と恨めしい思いでタオを見上げると、彼もまた恨めしげな目でリオンを蔑視していた。
「貴様は大天使だろうが。私にばかり頼るな」
「どーすりゃいいんだよッ?」
「破邪の矢を放てる貴様が寝ぼけた台詞を言うな」
「だって方法がわからな――…って、やめろやめろやめろーッ!」
痺れを切らしたタオが鎌を振り上げ、一閃した。とっさに交わしたリオンの頭上で軌跡が唸り、斬られた数本の髪がパラパラと落ちる。
「一度マジギレしな。本能が貴様に教えるだろうよ」
「む――…無茶言うなぁぁぁァァッ!!」
リオンは肺の奥底から絶叫した。
「魔王の鎌だぞ!? かすっただけでも魂をもっていかれるだろーがッ! だいたいお前はいつもいつも俺を駄天使だのガキだの見下していやがるくせに、こんな場面で大天使大天使言いやがるんじゃねーよッ! どーせ俺はガキで落ち込みやすくて大した事が出来ない非力な駄天使ですよーだッ! その駄天使がお前と同等な対応が出来るはずがねぇだろーがッ!!」
「出来たじゃねーか」
「………へ?」
タオの苦笑に改めて自分を見ると、破邪の白き波動が自分の体を覆っている。
キョトンとしたまま周囲を見回すと――、そこはどす黒い曇天の地。枯れ果てた地面の草花。どんよりと淀んだ不快な風が頬を撫でていく。――先程まで何かに覆われたかのように鈍っていた感覚という感覚が研ぎ澄まされているのを感じる。
再びタオを見る。彼は、眩しい…、とぼやいて視線を逸らす。
「上等だな。俺クラスが相手にならなければ、生きて帰れるだろーよ」
「…おい待て。タオみたいなのが出てくるのか?」
「当たり前だろうが」
何を当然、という顔にリオンは愕然とする。確かに…、タオを手負いにするなど、同等のチカラでなければ不可能だろうが…。
「…」
心をなだめて空間の質を探る。自分とタオ以外に生者の気配はない。
しかし――…無数に蠢く有象無象の魂の気配…!
「…あ、あの、一体なんですか? このうようよしている亡者的な何かの数々は…」
「亡者、か。かもな」
行くぞ、と翼を翻したタオを慌てて追う。…飛び行く先に凄まじい邪気を感じるが、もう泣き言は言えない。
リオンは自棄の心境で破邪の弓を手にした。せめてもの心の慰めに。




