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Ⅰ・来訪者1

 秋の澄んだ空気が本当に心地良い。吹き抜けた風に落ち葉が鳴り、何だかくすぐったい気持ちになる。

 リオンは無意識に顔をほころばせ、空に向かって深呼吸をした。だが予想以上に乾燥していた空気にむせてしまう。やれやれと自嘲し、周囲を見回す。

 広いバルコニーに所狭しと並べられた本、本、本…。そして、虫干しを終えた本と、これから虫干しを行う本とを、バケツリレーで入れ替えていく兎達。

 書庫の蔵書は天文学的な数であるが、衣食住をほぼ書庫で済ませる館の主には本は命。従って、書庫内全ての本を定期的に虫干しするのは当たり前。小間使ラピちゃん達を総動員させ、数日間に渡って行われる大仕事だ。

「そのくせ、本人は手伝わないんだよなぁ…」

 灰色のラピちゃんが重い本に潰されてもがいている。苦笑混じりに本を除けて助けてやり、リオンは腰をトントンと叩きながら耳をすませてみた。

 兎達の鳴き声や物音の向こうから聞こえてくるのは、乱暴に弾かれるピアノの旋律。奏者は書物が虫に喰われるのは嫌なくせに、虫干し作業のために書庫内をかき回されるのも嫌だという、とてつもなくわがままなあの魔族である。

「書庫以外にいりゃあいいのに…」

 彼とて書庫の中だけで生きているわけではない。自室でふて寝をするもよし、空の散歩へ出るもよし。だけど、イヤ。どこにも行きたくないし書庫から動きたくないけれど気に入らない。そして、ピアノに八つ当たり。…もはや子供の駄々である。かつてリオンは、バハールドートの民の行動は子供の欲求だ、と感じたものだが…、今改めてそう強く思う。

 攻撃的に弾かれているのは、指が引きつりそうなほどに高速の即興曲。鍵盤を叩き割りかねない演奏。ピアノが可哀想だ…、などと思っていた矢先。

「あ、へマった」

 荒ぶる波のごとき勢いで流れていた演奏が引っかかり、一時停止した。苛立っているためとはいえ、あの彼が失敗をするとは珍しい。

 ――刹那。

「ッ!」

 ビシッ…! とその場に満ちた圧倒的な威圧感。ラピちゃん達が一斉に硬直し、バサバサと本を落としていく。それはリオンも例外ではなく、その一瞬に魂が縮み込むような感覚を感じた。

「あいつ、何をムキになっているんだよ…!」

 ドッと噴き出した冷や汗を乱暴に拭い、リオンは早足で館内へと入った。未だに動けなくなっているラピちゃん達があちらこちらで転がっているが、それら全てを助け起こす余裕まではリオンにもない。

 書庫の扉にたどり着いた。中からは先ほど以上に乱暴な演奏が聞こえると同時に、息が詰まるほどの威圧感を感じる。ままよと扉を開け、そのままズンズンと突き進む。

 部分的に本棚がスッキリとした書庫。その中で、肌がビリビリする程の殺気を放ちながら猛演奏する魔族の姿。――やはり、と。リオンは口元をヒクヒクさせる。

 惜しみなく魔力をみなぎらせている彼。その髪は普段の短髪ではなく、長髪。目つきや顔立ち、肌の質さえも違って見える。

 魔力を抑制していない――…本来の姿。

 しかしリオンは臆せずに近寄ると、なんとその頭を軽く叩いた。途端に殺気を帯びた目で、キッ! と睨まれたが、リオンは怯まずに再度叩く。

「タオ! お前な、いい加減にしろよ!? ラピちゃん達がビビって死にかけてるぞ!」

 耳元で喚かれ、タオはようやく鍵盤から手を離した。不機嫌極まりない目つきでリオンを一瞥し、両手でその美しい黒髪をグシャグシャに乱す。その仕草は、普段の不良。あの滅茶苦茶な演奏によほどの体力を使ったのか、呆れた事に肩で呼吸をしている。

 リオンはやれやれとため息をつき、やっと解放されたピアノに視線を移す。あの乱暴な演奏によく耐えたものだ。魔力で補強をしていなければ、今頃は大破していたに違いない…。

 そそくさと鍵盤を閉めていると、威圧感を緩めたタオは無言で立ち去ってしまった。後を追うと、いつものソファでふんぞり返って水を飲んでいる。

「お前な、少しは妥協ってのをしろよ。小さな子供じゃあるまいし」

「ガキの分際で、俺様にケチつけんのか?」

「ガキ言うな」

 口調も言葉も目つきも不良のそれだが、依然タオは長髪の姿。何気なくたたまれた翼まで優雅で気品を感じさせる。

 ダメージから復活したラピちゃん達が、再び本を抱えての出入りを繰り返し始めた。

「本、大事なんだろ? それなら妥協しろよ。楽しみにしていた本を開いたら虫が喰っていた、だなんて嫌だろ?」

「天才の俺様はな、さっき良い事を思いついた」

「はぁ?」

「書庫内の虫という虫をだな、こう…全て死滅させるような術か何かを開発して――」

「…誰がするんだよ、それ?」

「んー…、貴様、か?」

 なんでだよ、とリオンは苦笑する。

「本は乾燥した空気に晒してやるのが一番だ。お前だって、その方が気持ちいいだろ?」

「フン…」

 漆黒の魔族はつまらなさそうに鼻を鳴らし、ソファに深々と身を沈めた。目を伏せ、腕を組んだまま動かなくなる。タオがソファで一眠りする際の姿勢だ。リオンはやれやれとため息をつく。

 モヒカンとオレンジ色の二羽のラピちゃんが茶を持ってきてくれた。主人の様子をチラチラと窺いつつ手早く茶を淹れ、言葉通りに脱兎のごとく退散していく。触らぬ神に何とやら、不機嫌な主人を刺激しないようにと必死らしい。

 柑橘の茶葉を使った良い香り。湯気を吹き飛ばして口に含むと広がる爽やかな甘味。ささやかな幸福感に笑みを浮かべ、リオンはちびちびと茶を啜る。

「――リオン」

 しばらくした後、唐突にタオが話し掛けてきた。ん? と気のない返事を返しつつ見るが、彼は変わらぬ姿勢で目も閉じたままだ。

「貴様、ひと月ほどイシュヴァに帰れ」

「…はぁ? 突然なんだよ?」

 顔をしかめてタオを観察していると、彼はゆっくりと目を開けた。

「明日は満月だ」

「そうだな。それで?」

「貴様がいると厄介だ」

「なんでだよ?」

 リオンは仏頂面のタオをジロリと見る。

 この世界バハールドートの月は、相反する満ち欠けをする一対の月。片方の月が新月となった時に片方の月が満月となり、その大きさも帯びる魔力も倍となる。強大となった月の魔力は、悪魔達の気分と魔力を高揚させるだけでなく、別世界と通じる《道》を生じる場合がある。大抵の《道》は人界と繋がり、時には大量の人間がやってくる。そうして始まるのは、満月に高揚した悪魔達による狩りという名の盛大なる宴。

 満月の夜は危険だとを理解しているリオンは、その晩は決して外を出歩かない。そのためにリオンが満月の晩にトラブルに巻き込まれた事など、これまでに一度もなかった。

「俺は明日の夜も部屋で缶詰めになる。問題ないだろ?」

「明日の場合は違う」

「どういう意味だよ?」

「明日生じる《道》は人界とではなく、余所と繋がるからな」

「よそ?

 …いや、待てよ? お前は明日の《道》が繋がる先がわかるのか? ランダムなんじゃあ…?」

「俺を誰だと思っていやがる。俺だぞ? 敬え」

「…はいはい」

 長髪のタオが余裕の笑みをたたえた顔は反則だ。究極かつ絶対のカリスマ性。大天使の自分ですら魅入られ、惹き込まれてしまう。

 リオンは頭を振り、それで、とタオに訝しげな眼差しを向ける。

「余所ってなんだよ?」

「余所は余所だ。一応言っておくけどな、此処みてぇな平和ボケした魔界はレアだぞ。貴様など一瞬で屠られる」

「…バハールドート以外の、魔界…?」

「なんだ。まさか貴様、魔界は此処だけしか存在しない、などと思うておったのか?」

 昔の口調で怪訝そうに言われ、リオンは、そういうわけじゃないけど…、と目を泳がせる。

「やっぱりその…、アレか? 残虐っていうか、非情というか…」

「ま。貴様が以前に抱いておった此処への先入観に近い」

 大した興味もないように言い、タオは左の肘置きで尊大な頬杖をついた。リオンは絶句する。

「ちょ…っ! 大丈夫なのか? なんつーか、その…、攻めてきたりとか、そういうのは…?」

 満月に見せる姿は悪魔そのものではあるが、イシュヴァにいた頃にリオンが想像していたほどの嗜虐的好戦的な性質は、バハールドートの民にはない。そう思えるのは、この世界が平和であるためだろう。

 この世界には戦乱がない。各地に君臨する強大な魔族が多少の小競り合いを展開する事もあるが、だからとその火が広範囲に広がる事もない。野心は全くの皆無ではないだろう。だが――、おそらく彼らは魂のレベルで理解しているのだ。城も玉座も存在していなくとも、自分が属するこの世界には正当なる王が在るのだ――、と。

 在るべき地位に在るべき者が在ると知っているからこそ、彼らは、自らが頂点に、と考えつく事がない。そして、護られているという感覚を有しているからこそ、悪魔達は平穏な日々を過ごしているのだ。

 そう――…、彼は護っているのだ。彼自身にはそのつもりがないとしても。彼が在る、ただそれだけでこの世界の平穏は護られる。

 ――そして、それはバハールドート内でしか通用しない。

「明日は危ないのか? 余所の悪魔は危険なのか? なぁ、タオ…」

 無意識に身を乗り出して問うと、漆黒の魔族は面倒そうに眉間にしわを寄せる。

「だから、貴様は帰れ、と言ってるだろうが。扉は今すぐにでも開けてやるから」

「納得できない」

「まさか、バハールドート内全ての生き物を案じていやがるのか? 貴様のその大きな慈悲には、感動を通り越してため息しか出ぬわ」

「タオ」

 諫める強い口調で呼び掛けると、彼は気だるげに一瞥してガシガシと頭を掻く。

「ったく…、すでに厄介だ。悪魔や魔族どもが野垂れ死のうが、お前や俺にゃ関係ねぇだろうが」

「タオ!」

「いいか? 俺にとっての最大の厄介はな、貴様がそうやってしゃしゃり出やがる事だッ!

 安心しろ、侵略戦争の勃発など起こりえん。片腹痛いッ。もしまかり間違ってパンダ女が粉かけてきやがった場合はな、此処の空気を吸わせるより前に、私がこの手で直々に葬ってくれるまで! ええいッ、忌々しい…ッ!!」

「な、なんかあったのかよ? てか、パンダ…?」

「黙れッ!!」

 お前が言い出したんだろうが…、とはさすがに言えなかった。言葉の端々で放たれた、先ほど以上の覇気…。かなりご立腹らしい。

 ご立腹らしいが――…、徐々に腹が立ってきた。

 タオが、とにかく! とリオンを睨む。

「貴様はイシュヴァに帰れ。嫌だというなら、私が貴様を扉の向こうへ放り込んでくれる…!」

「…」

 ――やはり、気に入らない。リオンは一度目を閉じ、静かに口を湿らせる。

 そして、タオをまっすぐと見据えた。

「…イシュヴァに帰れ、と言ったな?」

「そうだ」

「それは脅迫か? 脅迫でなければ――…命令か?」

 低く放たれた言葉に、タオの眉がピクリと動く。

 リオンはタオの目をしっかりと捉えた。

「…俺は今、かなり腹が立っている。お前にも色々あるんだろうし、それで今お前は苛立っているんだろう、ともわかるさ。お前が上から物を言う事には慣れているし、お前の本心じゃない事も俺はわかっている。だけどなぁ――!

 …お前、何様のつもりだ? いつまでもわざとらしくその姿でいやがって、無意識に出たと見せかけてわざと威圧的な口調を使いやがって。俺に威圧感を与える演出をし、俺を追い払おうとしていやがる。これが脅迫や命令でないのなら、なんだ?

 俺はお前の家来でも小間使でもない。俺はお前の親友、だろ? お前が俺を案じてくれている事も、不器用なのもわかっちゃいる。でもな、親友に対して一方的に命令するなッ。いくら俺がお人好しの大天使でもな、ムカつくものはムカつくし、傷つくものは傷つくんだよ…!」

 リオンは押し殺しながらも怒りを露わに拳を震わせた。

 タオは顔をしかめ、バツが悪い顔でプイと横を向く。そして。

「…勝手にしやがれ」

 普段の姿に戻った漆黒の魔族はぼやき、幼子のようにふて寝を始めた。




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