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Ⅲ・夢の罪3

     * * *


 漆黒の魔族は、ついてこい、と素っ気なくリオンを誘い、秋晴れの高い空へと舞い上がる。

 翼ある者をいかなる時でも平等に受け入れてくれる空。タオとの飛翔はいつも純粋な心地よさをもたらすが…、今はそれを楽しむ気にはなれない。タオの後ろ姿に強い疲労と迷いを感じるためか。

 と――、タオがふいに森へと降りた。怪訝に思いつつ後を追うと、短く息を呑む女の悲鳴。

「性懲りなくうろつきやがって。よほど命が惜しくないらしいな」

「な…、なによッ! アンタの家からは離れているでしょ!?」

「残念だったな。この森全てが、俺の縄張りだ」

「はぁ!? どれだけ欲張りなのよアンタ!」

 タオに手首を掴みあげられているのは…、あの混血の娘だ。二対の翼を持つ魔族に拘束されているにも関わらず、相変わらずの高飛車な態度。さすがは混血の民の王の娘なだけはある。

 タオはジロリと一瞥し、乱暴に娘を開放した。娘はかなりよろけたが、しっかりと地面を踏みしめて転びはしなかった。タオを強く睨み付けている。

「アンタ達、なんなの? 目障りなのよ!」

「貴様こそが目障りだな。この俺が森をうろつく貴様に気付かないと? 片腹痛いわ」

「アンタには関係ない! アタシの邪魔をする気ッ?」

「俺は貴様の行動になど興味はない。貴様に用があるのは、この駄天使だ」

「…へっ? 俺っ?」

 いきなり話を振られ、つい上擦った声が出た。

「お…おいタオッ、どういうつもりだよっ?」

「小娘に訊きたい事があんだろーが。ほれほれ、さっさと訊け」

「…。目が笑ってるぞ、お前…」

 タオには意地悪な笑みを向けられ、混血の娘には怪訝な目を向けられ――…、リオンは疲れた心境でため息をつく。

 まったく…、タオの考えはいつも難解だ。娘との会話から何かを得させようとしているのだろうが…。

 娘が尊大に髪を掻きあげて鼻を鳴らした。

「ようやく案内する気になったわけ? アタシも捜し疲れたのよねぇ。さぁ、さっさと案内しなさい」

「…。一体どこへ行きたいんだよ?」

「知らないわよ」

 込み上げる怒りをなだめてのリオンの問いに、混血の娘はさも当然のように言い放った。

 唖然としたリオンは、開いた口が塞がらない。

「なら、何がしたいんだよ?」

「なんでアンタなんかに説明しなきゃならないの? 馬鹿らしい」

「…。いくらお人好しの大天使でもなぁ、我慢の限界ってモンがあるんだぞッ!」

 ついにキレた大天使が可笑しいのか、魔族の嘲笑がケラケラと響いた。すかさず放った眼光に不味いと感じたのか、タオは肩を竦めて、くわばらくわばら…、と明後日の方向を向く。

 娘の方はといえば、懲りない様子で憮然とした面持ちだ。ツン、と顔を背けている。

「ったく…。なぁタオ、混血の民は全員こんな性格なのか? この民と喧嘩別れしたご先祖様達の気持ちもわかる気がする」

「は? 馬ッ鹿じゃないの? アンタ達『異端者』にケチつけられるだなんて、アタシの高貴な血が穢れるわ」

「最近のパンダ女なら少しはマシになったらしいが、まぁよく似た母子だぜ。しかもコイツは末っ子で唯一の姫、蝶よ花よと育てられた結果がコレだろ」

「かか様を侮辱するヤツは許さないわよ!?」

「おお、そのミヨは知ってんのか? 貴様がバハールドートに渡った事を」

「かか様の御名を軽々しく口にしないで!」

 からかいがいのある玩具を前に、タオは歯止めがきかないらしい。リオンとしては、このどうしようもない両者をこのまま放ってしまいたい気分だったが…、それでは何も先には進まないので、仕方なく間に入る。

「お前さん、王の娘なんだろ? その姫君が何故一人でこの異界へ?」

 大天使から、姫君、と呼ばれて気分が良くなったのか。娘が誇らしげに胸を張った。

「アタシは次の王になるの。かか様みたいな素敵な女王にね!」

「おっ、なんだなんだ? 急に血生臭い話題になったな。兄貴共はどうするんだ?」

 手頃な倒木に腰掛けたタオが、漆黒の瞳を嬉々と残虐に輝かせている。

「兄様達は無能よ、無能! あんなボンクラ達、王の器じゃない…! だからアタシは御自ら、この薄汚い世界にわざわざ渡ったの!」

 薄汚い…、と憮然と呟いたのは、タオではなくリオンだった。タオは気にも止めていないらしい。

「お前さんが女王になるために、何故バハールドートに来る必要が?」

「…アンタ、本ッ当に知らないの? 『異端者』って、みーんなこんななの? 白い翼で平和主義で馬鹿だなんて、まるで鳩じゃない」

「………」

 確かに…、と思う。イシュヴァの民は、何もかも知らな過ぎる。天使達はのほほんと日々を過ごし、古の伝承は次代の大天使長へと受け継がれているだけ。何も知らなかった、という点では、大天使の自分も普通の天使達と変わりはない…。

 そう考えていくうちに――、ふと疑問が思い浮かんだ。シロンは今回の件に関して、本当に何も知らないのだろうか…?

「…」

 無言の威圧を感じて顔を上げると、呆れた目で自分を睨むタオが見えた。また自己嫌悪に堕ちやがって駄天使め、とでも言いたげな眼光だ。

 リオンは自嘲し、娘と向き直る。

「ごめん。イシュヴァはバハールドートを毛嫌いしてるからさ、この世界について俺は無知で」

「無恥、の間違いだろ」

「お前は黙ってろ、タオ」

「へいへい」

 諫めに、喉をクツクツと鳴らして笑うタオ。そんな自分達を、娘は怪訝な目でジロジロと蔑視している。彼女から見れば、二対の翼を持つ自分達が共にいる事自体が不可解に違いない。

「…まぁいいわ。その鳩みたいな情けない頭でも理解が出来るように説明してあげる」

 尊大に髪を掻きあげた娘が、どこか自慢げで挑発的な笑みを浮かべた。

「この世界にはね、正統なる支配者が在るの。アタシはその支配者に用があるのよ」

「…魔王に?」

 無意識にチラリと観察したが、タオはニヤニヤと笑うだけ。

 娘が猛然と首を横に振る。

「違うわよッ! 『恥ずべき者』の王なんて興味ない!

 アタシが言いたいのは、バハールドートとイシュヴァが同じ世界だった頃の支配者よ」

「創世の戦乱の、前の世界…」

 リオンの小さな呟きに、娘は不満げなため息をつく。

「創世? アンタ達はそんな呼び方をしてるの? くだらない。

 とにかく、アタシはその支配者に会うの。そして、兄様達や馬鹿な連中を黙らせるだけのチカラを手に入れて、アタシは女王になる。

 それがアタシの、実現すべき夢」

「チカラ――…、魔力か? それとも」

「さぁ?」

 すまし顔でサラリと言われ、リオンは、ガクッ…、と脱力した。

「はぁ!? それも知らねーのかよッ?」

「失礼な天使ね! まるでアタシが悪いみたいじゃないッ。不親切な伝承が悪いのよッ!」

「な? 言ったとおりだろ? この連中は、俺らには理解不能な思考回路をしていやがる」

「アンタも本ッ当に失礼なヤツねッ!」

「そう褒めてくれるなよ。くすぐったいじゃねーか」

「変態ッ!」

 怒鳴り散らす娘と対照的に、あぐらの太股をパンパンと叩いて笑い転げるタオ。

 リオンは、コホン、と咳払いをして、娘の注意を自分に向かせる。

「その伝承って?」

「イシュヴァルドートの正統なる支配者から絶大なチカラを得ることが出来る――、そんな話よ」

 ありがちな伝承だな…、とは、さすがにリオンは口に出さなかった。

 娘は自信に満ちた様子で胸を張っている。

「けれど、古の時代の人物だろ? とっくに他界してるんじゃないのか?」

「とことん馬鹿な天使ね。全てを統べる者は神も同然、今も在るに決まっているじゃない」

「…。それもお前さんの勝手な解釈なんじゃあ…?」

「無礼なッ! アタシが言い出したんじゃなくて、昔からそう言われてるのッ!」

 似たようなモンだろ…、という魔族のぼやきは、幸か不幸か娘には聞こえなかったようだ。呆れ果てた様子のタオが、娘に冷ややかな目を向けている。

「バハールドートの連中は、支配者の存在も知らない。だからアタシは、イシュヴァの住人のアンタなら知ってる、と思ったのよ。あーあ、期待して損した」

「じゃあ、お前さんがバハールドート中を荒らし回っている、ってのは…?」

 娘の目がつり上がった。

「アタシは支配者の居場所を捜しているだけよ!? 立ち入り禁止の場所とか、古い遺跡とか――…とにかくッ、それっぽい場所をね!」

「捜し物をするお前さんが結果的に住処や縄張りを荒らして悪魔達がキレた、ってか…」

「――それで」

 腕を組んだタオが、スッ…、と冷徹な目を眇めた。

 その冷たい視線に、リオンは無意識に、ビクッ、としてしまう。

「この森にも捜しに来たわけか、小娘」

「ここは禁断の森と呼ばれているそうね。いかにも怪しいじゃない。もしかしてアンタ、支配者を知っていて、チカラの独り占めをしているんじゃないの?」

 タオを相手に喧嘩を売るようなこの物言い…。リオンはひやひやとしたが、漆黒の魔族は鼻を鳴らして残酷に口元を歪ませるのみ。

「そのような他力本願なチカラ、興味の欠片も抱かぬわ。欲しければ勝手に捜すが良い」

「えっ…?」

 予想外の言葉に娘が驚きの声をあげたが、それはリオンも同じだった。

 そんな両者の様子など無関心な魔族は、不敵な笑みを浮かべたままで静かに目を伏せる。

「ただし、森には手を加えるな。木を一本でも倒してみろ、即座に貴様の首を落としてくれる。私は貴様の母親の報復など一切怖れぬ。この世界で貴様を庇護する存在など皆無と思え、小娘」

「……わ、わかったわよ…」

 この眇めた眼光には、さすがに恐怖を感じたのだろう。娘が悔しげにおずおずと頷いた。





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