Ⅲ・夢の罪2
* * *
屋根で日向ぼっこを楽しんでいると、館内から複数のラピちゃんの絶叫がこだました。断末魔にも似た仲間の悲鳴に、落ち葉掃除をしていた兎達が、一斉に耳を立てて硬直している。
哀れな兎達を見かねたリオンは軽く羽ばたき、書庫のテラスへと舞い降りた。ピアノ付近ですぐに騒ぎの元凶を発見したが…、目に飛び込んできた光景に思わず吹き出す。
「ちょ…っ、なんだこれっ? 何やってんだよ、タオ」
「んー…」
リオンの呆れた眼差しなど気にせずに、タオは指を顎に当てて深く唸っている。ピアノの椅子の上であぐらを組む主人の前では、直立不動で泣いている四羽のラピちゃん達。
リオンが笑いを吹き出した原因は、この兎達だ。ある兎は赤白の水玉模様、ある兎は見事な蛍光色。またある兎は獣毛ではなく羽根を纏い、ある兎は鱗を纏っている。
…よくよく見ると、右端にもう一羽ラピちゃんがいた。体が絨毯と同じ模様だったので、一目では気が付かなかった。
「衣替えだ、衣替え」
「奇抜過ぎるだろ…。本人達には悪いけど、可愛くない」
「目の毒だな」
「お前の仕業だろうが、他人事みたいに言うな。早く戻してやれよ」
「良い気分転換になるかなぁ、と思ったんだがなぁ…」
タオは癖のある黒髪をガシガシと掻くと、パチン…ッ、と見事に指を鳴らした。瞬時に元の姿へと戻った書庫専属の兎達が、凄まじい勢いで我先にと散っていく。
「おっ、良い考えが浮かんだぜ。こういうのはどうだ?」
「どういうの?」
「鳴き声を変える。犬か牛か…、愛でるならやはり小鳥のさえずりか。あ、楽器の音色って手もあるか」
「却下。ピーピー鳴かないラピちゃんは、ラピちゃんじゃない」
懲りない友にリオンは笑う。ピアノに頬杖をつくタオも楽しそうだ。
窓から入った秋の澄んだ風が吹き抜けていく。
「なぁタオ、なんで兎なんだ? 身辺の世話をさせる小間使なら、他の造形の方が便利だろうに。ずっと不思議に思ってたんだ」
「深い意味はねーよ」
「お前って実は、小動物好き、とか?」
リオンの言葉にバランスを崩し、タオが椅子から転がり落ちた。かなり痛そうな音が盛大に響く。
絨毯の上で仰向けになったまま、しかめっ面でリオンを睨むタオ。
「…貴様、もう一度首を絞めてやろうか?」
「照れない照れない」
殺意の視線にも警戒なく笑うリオン。タオは起き上がりつつ、この駄天使が、と失笑した。
「ったく…、駄天使めが。せいぜい寝首には気を付けるんだな」
「必要ないね。タオは絶対にそんなセコい真似はしない。もしお前が俺を殺るなら、正面から堂々と殺るさ」
自分の命が懸かった話にも関わらず、リオンは清々しいまでに言い切った。絨毯にあぐらを組んだタオが呆れた顔で、…まぁな、と失笑を深めている。
タオを見下ろす状況はどうも気分が悪い…。リオンもまた絨毯に腰を下ろす。
「…。なぁ、タオ――」
「ああ?」
「お前は俺を、どう思ってる?」
問い掛けた瞬間、目の前の魔族が見事に破顔した。
「はぁ〜!? 気味が悪りぃ事を訊きやがる。貴様、そういう趣味があんのか?」
「は…? えっ? ちょっ…、違う! そうじゃなくてッ!!
――…俺だと、力不足か?」
「うわ、やっべぇ〜…。駄天使がついにイカれちまった。嗚呼ヤバい、大天使長に叱られちまう」
「俺は真剣なんだぞ!」
芝居じみたタオにカッとなり、ついリオンは本気で怒鳴ってしまった。
ハッ…、と我に返ってタオを見ると、彼は怪訝な表情で斜めに自分を観察している。
「デカい声を出すんじゃねぇよ…。貴様が不気味な質問をしやがるからだろうが」
「怒鳴った事は謝る。…でも、質問には答えろよ」
蔑視に似た視線にも負けずに食いつくと、タオは天井に向かって盛大なため息をついた。
「…ガキが偉そうに生意気な口を叩くんじゃねぇ。答えるまでもないが、あえて言ってやろう。力不足だ」
「そりゃ…、お前と比べればガキだろうさ。
でもなぁッ! 俺はお前の味方、親友だぞッ。少しは協力させろッ」
「協力…? 何を?」
「とぼけんなッ!」
リオンは再び怒鳴り、身を乗り出して詰め寄った。
「あの満月の前後から、お前が何をしてるのかは知らないッ。けどなッ、お前が一人で悩んでいる事だけはわかるっつーのッ!」
「おー、そうかそうか。なら、なぁ〜んにもするな。それが一番の協力だ」
「俺を誰だと思ってる? とびっきりお節介な大天使様だぞ!? 無視できるかッ」
「貴様が関わると厄介だ。前にも言ったよな?」
「厄介上等…! 何も話す気がないなら、とことん引っ掻き回してやるッ。
手始めに――…あの混血の娘に会いに行こうかなぁ〜」
…タオの様子が明らかに変わった。眉間のしわが半端ではない。
「おい」
「俺は本気だ。お前が何も話さないのなら、あの娘から何か訊き出してやる」
「たかが大天使の分際でこの私を脅迫するつもりか?」
「選べよ。今ここで俺に話すのと、滅茶苦茶に引っ掻き回されるのと」
挑発の眼差しにタオはますます顔をしかめ――…。
…やがて、自身の前髪を鷲掴みにして視線を逸らした。
「…貴様が関わると厄介だ」
「そう感じつつも、心のどこかでは思っているんじゃないのか? 俺の助力が必要だ、って」
「…はぁ?」
訝しげな親友に、大天使は穏やかな表情で口角を緩ませる。
「本気で俺の介入を嫌っているなら、俺がイシュヴァに戻っていた間に、俺がバハールドートに戻れないような細工をしたはずだ。例えば…、扉を開けられなくするような、ね。
それとも…、そんな考えも浮かばない程に参ってるのか? お前ともあろう奴が」
最後に付け足した言葉には、穏やかな口調でありながら、あからさまな挑発の抑揚。
タオはしばし視線を泳がせた後…、絨毯を睨みつつ前髪をクシャリと掻き乱した。
「…厄介だ」
「だからさ、抱え込むなよ」
「そうじゃない。――…厄介だぞ?」
どうやら介入を許可してくれたようだが…、タオにしては珍しく弱気な雰囲気だ。
リオンは一瞬ポカンとしたが、すぐに優しく頷いてみせる。
「わかってる」
「わかりっこねーよ…。マジで厄介なんだからな」
「覚悟する」
「それが生半可な覚悟なら、やめておけ」
「俺は本気だ」
「…」
根気よく力強く応えると、タオはようやく憂鬱そうに視線を合わせた。
「…約束しろ。後々俺に、どうにかしろ、って言うんじゃねーぞ? 俺は俺なりに考え、今も考えている。貴様も全力で考えろ」
まっすぐと自分を貫いた真剣な眼光。その力に思わずたじろいだが、友の気が変わる前に、とリオンは強く頷き返す。
「わかった。約束する」
「…ま、当てにはしねぇけどな」
タオは諦めたように目を伏せた。