「エレノア、婚約破棄だ!」と言われたので笑顔で承諾したら王子たちが勝手に自滅しました。~完璧な悪役令嬢の復讐劇、のはずが最強の第二王子に攻め落とされています~
「お嬢様、大変でございます! ルーク殿下とエリス様の婚約が結ばれるとの噂が、すでに社交界中に広まっております!」
早朝の静けさを切り裂くように、侍女のミシェルが青ざめた顔で私の執務室へ飛び込んできた。
鏡の前で髪を整えていた私は、紅潮した頬を隠すこともせず、くすりと小さく微笑んだ。
「そう。……思ったより早かったわね」
私の名はエレノア・フォン・ローゼンバーグ。
このガルディニア帝国において「氷の悪役令嬢」と恐れられる公爵家令嬢だ。
私が今手にしている手鏡をそっと机に置くと、ミシェルは涙目になりながら私の元へ駆け寄ってきた。
「お嬢様! どうしてそんなにお静かなのですか!? あの男爵令嬢……エリス様は、お嬢様の婚約者であった第一王子ルーク殿下をたぶらかし、あまつさえ『エレノア様に虐められた』と虚偽の噂まで流しているのですよ!? このままではローゼンバーグ公爵家の面目が立ちません!」
「落ち着きなさい、ミシェル。全て私の思惑通りよ」
「……はい?」
ポカンと口を開けるミシェルに、私は優雅に扇を開いて口元を隠した。
——そう。全ては私の思い描いた筋書き通り。
なぜなら、私はこの世界が前世でプレイしていた乙女ゲーム『聖女の祝歌』の世界であることを知っているからだ。
そして私が演じている「エレノア」は、ヒロインであるエリスを虐め抜き、最後には断罪されて国外追放、あるいは処刑されるという典型的な悪役令嬢。
だが、私は馬鹿ではない。
破滅の未来を知っていて、おとなしく破滅を迎えるつもりなど毛頭なかった。
(破滅フラグを折る? いいえ、そんな生ぬるいことはしないわ。私は——悪役令嬢としての立場を完璧に利用して、この国の腐りきった権力構造を内側から崩壊させてあげる)
私は悪役として完璧に立ち回った。
エリスを「虐めた」とされる現場をわざと目撃させ、ルーク王子の正義感を煽り立てた。
私を憎ませ、エリスへと走らせた。
なぜか?
ルーク王子は一見、容姿端麗で文武両道に見えるが、その実態は「無能な野心家」に過ぎないからだ。自分の無知を棚に上げ、他人の功績を横取りし、権力だけに固執する男。そんな男と結婚するなど、ローゼンバーグ公爵家にとっても私にとってもドブに金を捨てるようなもの。
だから私は、ルーク王子を喜んでヒロインに「譲って」あげたのだ。
エリスという、学がないくせに「聖女」の肩書きだけに守られた無知な女と一緒に、落ちていけばいい。
「さあ、ミシェル。今日はいよいよ帝国学園の卒業パーティよ。最高のドレスを準備してちょうだい。私の『退場劇』を、華々しく飾るためにね」
「お、お嬢様……まさか、何か恐ろしいことをお考えでは……」
「いいえ? ただ、約束を果たしに行くだけよ」
私は鏡の中の自分を見つめた。
漆黒の髪に、氷のように冷たい青い瞳。
完璧な悪役の顔立ち。悪くないわ。
帝国学園の大広間は、色鮮やかなドレスを着た貴族たちで埋め尽くされていた。
卒業パーティという輝かしい祝宴の場。
しかし、会場に流れる空気はどこか異質で、重苦しかった。
誰もがチラチラと、中央の壇上に立つ人物たち視線を送っている。
そこには、金の刺繍が施された豪華な礼服を着た第一王子ルークと、その腕にすがりつくように寄り添うピンク髪の少女、エリスがいた。
「皆様! 宴の途中に失礼する!」
ルーク王子が朗々とした声で叫ぶと、会場の演奏がピタリと止まった。
「本日、私はこの場で重大な発表を行う! 我が婚約者、エレノア・フォン・ローゼンバーグとの婚約を 破棄し、ここにいるエリス・ノワール男爵令嬢と新たに婚約を結ぶことを宣言する!」
会場にどよめきが広がった。
噂には聞いていたが、まさか公然の場で、それも卒業パーティという晴れの舞台で発表するとは。
ルーク王子は満足そうに鼻を鳴らし、エリスは恥ずかしそうに頬を染めながらルークの胸に顔を埋めた。
「理由は明確だ! エレノア! 前へ出ろ!」
王子の呼びかけに応じるように、静かに群衆が割れた。
そこから歩み出たのは、私——エレノア・フォン・ローゼンバーグ。
夜空を切り取ったような深い紺色のドレスを纏い、背筋をピンと伸ばした姿は、まるで気高く咲く一輪の毒花。
「お呼びでしょうか、ルーク殿下」
私の落ち着き払った態度に、ルーク王子は一瞬眉をひそめたが、すぐに勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「しらじらしい真似をするな! 貴様が裏でエリスに行っていた悪逆無道の数々、すでに全て調べがついているのだ!」
「悪逆無道、でございますか?」
「そうだ! エリスのドレスを切り裂き、教科書を水に浸し、あまつさえ階段から突き落とそうとしただろう! さらには聖女であるエリスの力を嫉妬し、暗殺者まで手配したというではないか!」
叫ぶルーク王子の隣で、エリスが怯えたように体を震わせた。
「ひどいです、エレノア様……! 私はただ、ルーク殿下とお話ししたかっただけなのに……どうして私をそんなに憎むのですか……っ」
大粒の涙をポロポロとこぼすエリス。
会場の貴族たちから、「なんて酷い悪女だ」「公爵家の面汚しめ」という囁き声が漏れ聞こえてくる。
だが、私は顔色ひとつ変えなかった。
扇を優雅にパチンと閉じ、冷ややかな瞳で二人を見つめる。
「殿下。その証拠はどこにございますの?」
「証拠だと!? ここにいるエリスの証言と、傷ついた心が何よりの証拠だ! 嫉妬に狂った悪女め、罪を認めろ!」
「嫉妬……? ふふっ」
私は思わず、小さく吹き出してしまった。
「な、何がおかしい!」
「申し訳ございません、殿下。あまりに滑稽でしたので。私が彼女に嫉妬? まさか。私には、国家の財産を浪費し、学業の成績も最下位、さらには領地管理の基本すら理解していないような方に嫉妬する理由がございませんわ」
「な、なんだと!?」
「な、なんて酷いことを……! ルーク殿下ぁ……!」
エリスが泣き叫び、ルーク王子は顔を真っ赤にして怒脈を浮かべた。
「黙れ悪女! 貴様のような性根の腐った女に、このガルディニア帝国の国母となる資格はない! ローゼンバーグ公爵家もろとも、国外追放としてくれる!」
ルーク王子が手を挙げると、会場の扉が激しく開かれ、騎士団がなだれ込んできた。
私を取り囲む騎士たち。
勝った、とルーク王子の目が物語っていた。
エリスも涙を拭い、陰湿な笑みを浮かべて私を見下ろしている。
(ああ、待ちに待った瞬間だわ。……さあ、舞台をひっくり返しましょうか)
「殿下。国外追放とおっしゃいましたわね?」
「そうだ! 今すぐ罪人として牢にぶち込んでやる!」
「結構ですわ。喜んでお受けいたします」
私のあっさりとした承諾に、ルーク王子だけでなく会場全体が呆気にとられた。
「ただし——」
私は静かに手を叩いた。
「パン、パン」
その清らかな音が響いた瞬間、会場の雰囲気が一変した。
騎士団の背後から、さらに重厚な鎧に身を包んだ「別の騎士たち」が入ってきたのだ。
彼らが纏う甲冑に刻まれているのは、帝国最精鋭『黒狼騎士団』の紋章。
「な、なんだ!? なぜ黒狼騎士団がここに!?」
ルーク王子が混乱する中、騎士たちの間から一人の男が歩み出てきた。
銀髪に血のような赤い瞳。
若くして軍の総司令官を務め、「死神」と恐れられる第二王子——ライナルト・ガルディニア殿下だ。
「……騒々しいな、兄上」
「ライナルト!? なぜお前がここに……お前は北方の辺境にいるはずでは!」
ライナルト殿下はルーク王子を無視し、一直線に私のもとへ歩み寄ると、ごく自然な動作で私の前に跪き、私の手を取ってその甲に軽くキスをした。
「遅くなってすまない、私の愛しいエレノア」
「いいえ、ライナルト様。最高のタイミングですわ」
会場中が息を呑んだ。
第一王子に捨てられた悪役令嬢が、冷徹無比で知られる第二王子と親密そうに微笑み合っているのだから。
「ラ、ライナルト! お前、何を考えている! その女は国を揺るがす罪人だぞ!」
ルーク王子が悲鳴のような声を張り上げる。
ライナルト殿下はゆっくりと立ち上がり、氷のような視線をルーク王子に向けた。
「罪人? ほう……兄上、それは誰のことだ?」
「エレノアに決まっているだろう! エリスを虐め、公爵家の権力を笠に着て暴若無人を尽くした!」
「虐め、ねぇ」
ライナルト殿下は懐から束になった書類を取り出すと、それを豪快に大広間の床へ放り投げた。
パラパラと散らばる紙切れ。そこにはびっしりと文字と印章が押されている。
「これは……?」
「兄上、あなたが『エレノアがエリス男爵令嬢を嫌がらせで買い占めた』と主張していた魔法鉱石の独占契約書だ。実際は、あなたがエリス男爵令嬢に与えるために国の予算を不正流用して買い占めようとしたものを、エレノアが公爵家の私財で買い取り、国家破綻を防いだ記録だが?」
「なっ……!?」
「それだけではない。エリス男爵令嬢が『破られた』と主張するドレスの代金、彼女が通う高級サロンのツケ、さらにはノワール男爵家の多額の借金……それら全て、あなたが王家の公金から補填していた証拠だ。エレノアはその不正を裏で止め、全て処理してくれていたのだぞ」
「う、嘘だ! そんなはずは……! エリス、お前、公金を使っていたのか!?」
ルーク王子が振り返ると、エリスは顔を真っ青にして後ずさった。
「ち、違いますルーク殿下! 私はただ、ルーク殿下が『何でも買ってあげる』って言ってくれたから……!」
「さらに」と、ライナルト殿下の冷徹な声が追い打ちをかける。
「エレノアがあなたを階段から突き落としたとされる日、彼女は皇帝陛下の御前会議に出席していた。皇帝陛下ご自身が『エレノア嬢は終始私と共にいた』と証言しておられる。……兄上、あなた方の狂言のために、我が国の皇帝陛下まで偽証者に仕立て上げるつもりか?」
「ひっ……! こ、皇帝陛下が……!?」
ルーク王子の膝がガクガクと震え出した。
そう、私はただ指をくわえて冤罪を着せられていたわけではない。
エリスとルーク王子が私に罪をなすりつけようとするたびに、その裏で完璧なアリバイを作り、彼らの不正の証拠を収集していたのだ。
そして何より——私はゲームの知識を使い、北方で孤立していた第二王子ライナルト殿下に接近し、協力関係を築いていた。
『ライナルト様。無能な第一王子にこの国を任せれば、ガルディニアは三年以内に滅びます。私と手を組み、内側からこの国を掃除しませんか?』
私の提案に、ライナルト殿下は乗ったのだ。
「さて、兄上」
ライナルト殿下が冷たい笑みを浮かべる。
「国家の公金横領、皇帝陛下への不敬、および重大な冤罪の捏造。……第一王子ルーク・ガルディニア、およびエリス・ノワール。国家叛逆罪により、これより身柄を拘束する」
「な、なんだと!? 私は第一王子だぞ! エレノアを国外追放にするはずだったんだ!」
「ええ、殿下。国外追放ですわ」
私は扇をすっと広げ、ルーク王子に優雅にお辞儀をした。
「ただし、追放されるのは——あなた方ですけれど」
「ひぃぃぃっ! 嫌だ、助けてエリス! 私を見捨てるな!」
「離してください! 私は聖女なのよ! こんなの聞いてないわぁぁぁ!」
騎士たちに両腕を掴まれ、惨めな悲鳴を上げながら引きずられていくルークとエリス。
かつての婚約者とヒロインの惨死劇(社会的)に、会場の貴族たちは静まり返っていた。
私に冷ややかな視線を送っていた者たちも、今や青ざめた顔で震えている。
「ふう……すっきりいたしましたわ」
私は小さく息を吐いた。
これで破滅フラグは完全に折れ、胸糞悪い無能どもも排除できた。完璧なハッピーエンドだ。
「……さて、エレノア」
ライナルト殿下が私の隣に並び、低く心地よい声で囁いた。
「約束通り、ゴミの掃除は終わった。……これで君は、自由だ」
「ええ。感謝いたします、ライナルト殿下。これからは公爵家の事業に専念し、気ままな独身貴族として生きていきますわ」
私が微笑むと、ライナルト殿下はなぜか眉をひそめ、困ったように溜息をついた。
「やはり、君は鋭い癖に自分のこととなると鈍感だな」
「……はい?」
ライナルト殿下は私の腰を抱き寄せ、耳元で静かに笑った。
「私がただの利害関係だけで、北方の極寒の地からここまで駆けつけたと思っているのか? 君をあの無能から奪い取るために、私はどれほど苦心したか……」
「え……? 殿下、それはどういう……」
「言ったはずだ。『私の愛しいエレノア』と。……私は最初から、君を王妃として迎えるつもりで協力したのだよ」
耳に吹きかけられる熱い吐息に、私の顔が一気に熱くなった。
(ちょっと待って!? そんなシナリオ、ゲームにも私の計画にもなかったわよ!?)
「さあ、新たな皇帝となる私と共に来てもらおうか、我が誇り高き『悪役令嬢』」
大勢の貴族の前で、ライナルト殿下は私の唇に深く、優しく口づけた。
鳴り響く万雷の拍手。
呆然とする私を抱きしめる殿下の腕は、驚くほど強固で、逃げ出すことなど到底できそうになかった。
(……まあ、いいわ)
私は心の中で苦笑した。
完璧な悪女として国を裏から操るのも、案外悪くないかもしれない。
こうして、悪役令嬢エレノアの「完璧な復讐劇」は、予期せぬ極上のハッピーエンドを迎えたのだった。




