1人目:魔女ネルと母の絵画②
私は入ってきたお客様を展示スペースに案内していく。
8畳と聞くとそんなに広い部屋ではないと思われるかもしれないが、意外と沢山の作品が置けるものだ。
展示スペースに入った男の子と女性は、部屋の入口の1枚目の絵画を見て驚いたようにキラキラした瞳を大きく見開いた。
「動いてる……! 噂で聞いた魔法の絵画ってもしかして……」
「はい! 私の母の作品たちは絵の中の世界で生きているのです!!」
タイトルは『春の訪れ』
そこに設置されていた絵画は桜の木で羽休めをしている小鳥の絵だ。ウグイスという名の鳥らしく、「ホーホケキョ」と鳴く春の訪れを告げる鳥なのだとか。
絵の向こう側の小さな世界では桜の花びらが風に扇られるように静かに揺れ、時折ウグイスが枝と枝の間を飛び回る。たまに鳴き声をあげているのか口を開いているが、絵画の世界に居る状態では声が聞こえないようだ。
「あら、この猫ちゃんの名前はアルフと言うの? でもご飯がないわね」
次に女性が注目したのは、一緒に朝ごはんを食べた脱走常習犯のアルフだ。
タイトルは『白猫アルフと朝ご飯』
空腹の白猫のアルフと空になった猫用のご飯皿が置かれた絵だ。昔は沢山のキャットフードも描かれていたが、今はアルフに全部食べられてしまい、空のお皿になっている。補充してあげたくても私ではアルフの絵の世界に入れないのでお皿を回収する事さえできない。
だからアルフは毎朝のように脱走するんじゃないかなと勝手に思っている。
「ママ! こっちの狐さんも動いている!」
男の子は、その隣の絵画を見て嬉しそうにはしゃいでいる。
タイトルは『酸っぱいものが好きな狐』
今度の絵画は高いところにあるブドウの木を見上げる狐の絵だ。「狐と葡萄」という寓話が存在するらしく、それに刺激を受けて描いたと母は言っていた。
長い間展示されているが、木はツルツルと滑るのか狐はそのブドウを取れた事がない。なんだか可哀想だが私にはどうする事も出来ないし、アルフみたいにあのブドウを食べられるのは展示作品としてちょっと困るので仕方がない。
代わりにたまに外に出してやっては酸味の強いミカンを分けてあげたりする。それを説明すると絵の中の生き物たちに餌をあげてみたいと言う人が現れるので最近は言わないようにしている。
作品は額縁の中に入れているため飛び出しては来ないが、脱走されたら回収が大変なのだ。アルフはおりこうさんだからすぐ家に戻って来るけれど、そうでない者も多い。
とはいえ、どうも描かれた者は何か不思議な力に引き寄せられるかのようにその日中に必ず絵の中に戻って来る。おかげで外で連日トラブルを起こすとか、迷子になったりとかは今のところない。
「不思議な絵ね……なんだか私も絵の中に入ってみたくなっちゃう」
「あはは、そう言ってくださるお客様は多いですね。でもこの絵は描かれているこの子たちの為に作られた世界なので、この子たちしか入れないんです。本当に不思議な魔法ですよね」
描かれた者たちが自分の絵の中を出入りするのを見て、私も入れるのではないかと錯覚したことも、入りたいと思ったこともある。当然無理であったが。絵同士なら全員好きなように行き来出来るわけでもなく、ウグイスが狐の絵の中に入ることも出来ない。本当にその子たち専用の世界なのだ。
そのお客様たちは、最後に受付に設置してある小さな売店で画集を買ってくれた。本物の絵画以外は動くことはないが、いい思い出になってくれていると嬉しい。そして入れ替わりに次々と人が入ってきてくれた。
ある常連の老夫婦は今日も私にクッキーの差し入れを持ってきてくれた。イチゴジャム美味しかったですよと伝えると喜んでくれた。
ある学生たちはアルフの額縁の前で猫じゃらしを振っていた。額縁の内側に居るアルフは今は出られないのでもどかしそうに額縁の透明なガラスを内側からぺしぺしと叩いていた。
ある男女のカップルは遠い町から来てくださったとか。しかも女性の方は魔女らしい。お互い愛おしそうに見つめ合い、見ているこっちが恥ずかしくなりそうなほど仲睦まじい2人組だった。赤い首輪を着けた黒い犬の絵画が気に入ったらしい。ポストカードをいくつか購入してくれた。
その他にも続々とお客様がやってきて私はいっぱいお喋り出来て楽しかったし、ミッシェルが会計を手伝ってくれた。
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日が沈み始めた頃、私は入口の木札をOpenからClosedに変更した。
2階のテーブルに座ったミッシェルの前に、コーヒーと差し入れに貰ったクッキーを置く。
「ミッシェルお疲れ様! 手伝ってくれて有難う!」
「いいよ、どうせ今日暇だったし」
ミッシェルはコーヒーをすすりながら言う。
ミッシェルは今日みたいにアトリエの手伝いをしてくれることが多い。お客様が来ていない時は一緒に絵を描いたり、一緒にランチを食べたり楽しく過ごしている。
「あー……ところでさ、ネルって今度の週末って暇? たまにはこう……旅行とか行ってみないか?」
「えっ、旅行?」
私が指につまんでいるクッキーからミッシェルの方に視線を向けると、偶然ばっちりと目線が合った。気まずいのかミッシェルはサッと首を横に振って視線を逸らす。
「ああ、えっと……あっ、ほら、創作の刺激とか受けるかもしれないじゃん? インスピレーションが湧くってやつ?」
背中から差し込む夕日のせいか、心なしか頬が赤く染まっているように見えて可愛かった。
旅行かぁ……そういえば考えたこと無かったな。この家から出てお買い物とかはしているけど、町の外へは出た事は無かったかもしれない。母の絵画には別の町で描かれた景色の作品もある。そういうものを見れば、何かしら新しい刺激を得られる可能性は十分ある。
私がうーんと悩んでいると、ミッシェルは肩掛けカバンから数枚のチラシを取り出して机に並べた。
「日帰りでもさ、バスとか乗り継げば結構遠くまで行けるんだ。こっちの観光地ではチューリップが見ごろだよ。こっちの町では骨董品市を開催していて、普段ネルが描かない雰囲気の小物とか売ってあるだろうし……い、一緒にどうかな?」
「日帰りかぁ……日帰り旅行だったら行ってもいいかも。でも今日はもう遅いから明日ゆっくり決めましょう」
「ほ、本当か! じゃあもっと日帰り旅行のプランがあるか調べてみるから、明日改めて持ってくるよ」
ミッシェルが嬉しそうに笑っているのを見て、私も自然と笑みがこぼれた。
ミッシェルと2人きりで旅行か。ミッシェルはきちんと予定組んでくれるタイプだと思うし、きっととても楽しいだろうな。もしいつか旅館とかに泊まることが出来たら、夢のようだろうな。
クッキーも食べ終えマグカップも空になった後、私は帰るミッシェルを玄関で見送りながらそんな事を考えていた。
いつかちゃんと伝えないと、と思いながら……
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諸々の片付けを終えたネルは、寝巻に着替えて眠そうに目を擦った。
寝室へ向かう前にアルフの絵画を見ると、アルフはもうすっかり熟睡していた。明日もきっと脱走するだろうが、まあ閉じ込めておくのも心苦しいのでキャンバスを額縁から取り出し、イーゼルにそっと立てかけておいた。
あまり遅くまで起きていると逆に寝れなくなってしまう。ネルは足を引きずりながら3階の、彼女の寝室へと向かった。
3階には小さな部屋が1つだけあった。部屋と言うより倉庫に近い。そこにベッドが描かれた大きなキャンバスだけが置いてあった。
ネルはそのキャンバスの縁に足を乗せ、その先の彼女の為に描かれた小さな世界へ入り込んだ。
タイトル『健やかに寝る愛娘』は静かに寝息を立て始めた。
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彼女の名前は魔女ネル
好きなモノは『母親』と『ふかふかのベッド』




