6人目:魔女レムと永遠の呪い④
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魔女レムは気が付くと書斎の中央で眠っていた。外はすっかり明るくなっており、小鳥のさえずりが聞こえる。床に書かれた魔法陣や様々な魔法具は効果を失い、なんだか部屋の中だけ時間が止まっているかのようだ。
昨日儀式は……なんだか妙な感覚がした。いつものように呪いを引きはがして消滅させようとした。念入りな準備のおかげで呪文を唱えている間だけは引きはがすことが出来た。
でも結局押し戻され、再び喉の奥に纏わり付こうとしてきたそれが、突然どこかへ飛んで行ったのだ。その時のブチリと喉の奥の何かが無理やり引きちぎられるかのような強烈な痛みに、レムは気絶してしまった。
まあしかし儀式は失敗してしまったのだろうと思ったレムは、とりあえず起き上がろうと酷く気だるげな身体に力を入れた。
「……っと」
力を入れた時に無意識に吐いた言葉に、レムは思わず硬直した。
「あれ……えっ……私、喋れる……?」
わなわなと震える唇で、短く言葉を吐いていく。信じられないと困惑していた顔に次第に喜びの色が混ざっていく。
成功したのだと……ずっとずっと喉の奥を蝕み続けた呪いがやっと解けたのだと、歓喜のあまり涙を流した。嬉しくて嬉しくて、ようやく本当の自分の望みを叶えることが出来ると、術後の気だるさも吹き飛んで立ち上がる。
彼に……ハルモニアにも報告しなければと晴れやかな笑顔で書斎の扉を開ける。
しかし家が妙に静かだった。いつもなら早起きのハルモニアはリビングで家事か休憩をしているはずなのに、姿が見えないどころか起きて何かをした形跡すらない。
もしかして部屋に居るのかなと、この時浮かれた彼女は数々の違和感にも気付かずハルモニアの部屋の扉を開ける。
「ハルモニア君! 聞いて、儀式が成功したの!! これで、君、に……」
勢いよく部屋に入ったレムは、彼の部屋に広がる異様な光景に言葉を失った。床に描かれた複雑な魔法陣に適切に配置させられた魔法具……その魔法陣の中央に配置された椅子と、それに力なくもたれ掛かっているハルモニアの姿。
それは昨日、レム同様、ハルモニアも儀式を行ったという何よりの証拠だった。
レムは長年魔法の研究をしている魔女だ。その魔法陣が、いったい何の魔法なのかすぐに分かった。そして昨日の儀式中に感じた違和感、失敗したはずなのに何故か出せる声。
レムは全てを察してしまった。
「ハルモニア君!! ハルモニア君起きて!!」
先ほどまでの浮かれた気分から急に絶望へと叩きつけられたかのような衝撃に、目の前の景色が歪む。足を引きずるようにハルモニアの前に立ち、彼の肩を揺らしながらかすれた声で必死に名前を呼んだ。
「うん……? もしかしてレムかい?」
「ハルモニア君! 良かった……死んでしまったかと……そうなったら私は……」
しばらく揺さぶられていたハルモニアは、ようやくレムの存在に気が付いたかのようにゆっくりと首を上げる。最悪な事態を想定していたレムは、安心したようにその場に腰を抜かして膝から崩れ落ちた。
「レム、俺の儀式は成功しただろうか? 君はちゃんと喋れるようになっただろうか、きっと小鳥のように愛らしく可憐な声なのだろう……」
「ハルモニア君? どうしたの、なんだか様子が変だよ」
だが、安心したのも束の間だった。ハルモニアの様子がおかしい、レムに話しかけているようだが、視線が一切合わない。不思議に思ったレムがハルモニアの目の前で手を振るが、彼は目を開けているはずなのに見えていないかのように遠くを見つめている。
レムは再び自分の全身から血の気が引いていく感覚がする。
「レム、君にかかっている呪いは本当に恐ろしいものだったんだね。魔女の声を縛る呪いって、こんなに重いんだ……。強い魔女である君の声を開放させるには、ただの人間である俺は五感全てを捧げるしかなかった。もう何も見えないし聞こえないし、触れられても分からない。でも第六感っていうのかな、なんとなく君が目の前にいる事だけは分かるよ」
「どうして……どうしてそんな事したの……? 私の呪いをハルモニア君に移すなんて……私の罪を、どうしてハルモニア君が背負わなきゃいけないの……?」
「あとね、なんとか頑張って俺の声は残すことが出来たよ。もう君を殆ど感じられないけれど、最後まで君への愛を囁くことが出来る。
俺の事は心配しないで。五感を失った人間の世話なんて絶対大変だろうから、森の外にでも捨てればいい。元々君に拾われた命だ。でも許されるなら、死ぬ間際まで君への愛を囁くことを許して欲しい」
ハルモニアの身に起きた事を受け入れたくないレムの顔は真っ青になっていた。呼吸も途切れ途切れで息をするのがやっとなほど苦しい。
そんな状態だというのに、ハルモニアはレムに優しく微笑みかける。すぐ目の前にいるというのに、五感全てを失ったハルモニアには気を失いそうなほど青白いレムの顔すらも見えていないのだ。レムの苦しそうな息遣いも、震える言葉も何一つ届かない。弱々しく肩を揺さぶる感覚すらも分からない。
それでもハルモニアは、不思議なくらい穏やかな顔をしていた。レムにはそれが理解できなかった。
「ここ数年君がどうして必死になって、声を取り戻そうとしているかは分からない。魔法を悪いことに使おうとしているのかもしれない……でも良いんだ。俺にとっては君が一番大切な存在だから、何を差し置いてでも君に幸せになってほしいんだ。
愛しているよレム、心が生きている限りこの気持ちは変わらない。ずっと君だけを愛している」
ハルモニアにとっては、彼女が喜んでくれるならそれで良い。レムはあんなにも必死に声を出せるようになりたいと願っていたのだから、声が出せるようになって喜んでいると信じている。
「レム、嬉しい? 喜んでくれていると嬉しいなぁ…君の喜びが俺の幸せなんだ。どうか笑って、俺の事なんて忘れて幸せに生きて。心穏やかに、君はもう自由なのだから」
「違、違うの……これじゃ駄目なの……」
「レム、愛しているよ」
声を震わせながら、レムはハルモニアの膝の上に顔を埋める。絶え間なくあふれる涙が、ハルモニアのズボンを濡らしていく。
「私が呪いを解きたかったのは……
『私も貴方を愛している』と言葉で伝えたかったからなの……ハルモニア君が何も聞こえないなら、そんなの意味がないじゃない……!!」
穏やかな顔で愛を囁く青年と、絶望に打ちひしがれて涙を流し続ける魔女の姿を、昼下がりの暖かな日差しが静かに照らし続けた。




