6人目:魔女レムと永遠の呪い①
しっとりと暗い真夜中だった。
遅い時間だというのにコオロギのキリキリと鳴く高い音で目を覚ましてしまった。当然ながら窓から見える景色は真っ暗で、コオロギの羽をこすり合わせた鳴き声と草木が揺れる穏やかな音しか聞こえない。部屋に置いてある小さな手持ちランプだけがこの空間の唯一の光源だ。
うっかり起き上がってしまったのでついでに用を足しに行こうと、俺は欠伸をしながらベッドから降りる。
愛しの魔女の『レム』から渡された魔法のランプを手に持って、部屋への扉を開ける。静寂に包まれた夜の部屋では、扉を開ける音と自分の足音がよく響いているように感じた。
ただでさえ暗い上に眠気眼では前がよく見えない。ランプを持っていない手を壁に付けながら階段をゆっくり下りていくと、目の前に細い光の線が見えた。書斎の扉が僅かに開き伸びたその光は、中に誰かが居ることを示していた。
ああ、まさかと思い、俺はなるべく音をたてないようにゆっくりとその扉の隙間を覗いた。
その先には予想通りレムが居た。扉から背を向けるように座っている彼女は、分厚い魔導書が沢山積み重なった机の上で何か作業をしている。
怪しい魔法陣が書かれた紙片が散らばり、何かの魔法を使っているのか、彼女の目の前にある何かが発光する。別の机には謎の薬品が入ったフラスコが紫色の煙を吐き、透明な水晶はそんな部屋を映し出している。
おおよそ絵本の中で見る、イメージ通りの魔女の部屋と言った雰囲気だ。普通の者なら近づこうとしないだろう。
「レム、こんな時間まで……一体何が君をここまで突き動かすのだろう……」
レムが夜まで作業することは、今日に始まったことではない。毎日と言って良いだろう。
ここ数年、彼女はいつもお風呂や食事などの時間以外は殆どこうして新たな魔法を編み出す研究をしている。放っておくといつまでも起きているので、毎日ほぼ無理やり彼女をベッドまで運んで寝かしつけているのだが、夜中に起きていたのか。しかもこんな夜遅くまで。
何故そこまで必死に魔法を編み出そうとするのか、そこまで必死になって何を成し遂げたいのか、俺は何も知らない。彼女にとってはとても大切な何かなのだろうという事しか、俺には分からない。
部屋に戻った後も結局うまく寝つけないまま、外がゆっくりと明るくなっていくのを眺めていた。
―――――――――
外が明るくなってきた頃、鶏の鳴く声でゆっくりと起き上がった。
少ない睡眠時間で頭が少々痛むが、妙に目がさえて眠れそうにない。
俺はいつもより早起きして外に出る。人里離れた森の中にある魔女の家は、明るくなろうと偶然来たものが引き返したくなるほど物々しい雰囲気を漂わせている。
刺々しい黒い木でできた家に、魔力で点灯する不気味なランプ、変な色の禍々しい見た目の植物だって生えている。レムは少々趣味が悪いなと感じる。俺は蔵から保存している野菜と、鶏小屋から卵を回収して家に戻った。
朝食は採れたての卵と野菜でオムレツでも作ろう。この家にある道具は全てレムの魔力で動いている。レムはとても強い魔女らしく、それだけ魔法を使ってもピンピンしている。
熱したフライパンに細切りにした野菜と調味料で軽く味付けしたとき卵を投入する。ジュウゥ……と焼ける音が気持ちいい。こんがりとしたいい匂いが漂い出す頃、レムが目をこすりながら降りてきた。
『おはよう『ハルモニア』君、朝食は何かね? あとコーヒーも淹れてくれ』
光の線で文字が書かれた紙が、俺の目の前でふよふよと浮いている。
「おはようレム、朝食は野菜入りのオムレツだよ。コーヒーはサイフォンにあるから好きなだけ淹れてくれ」
そう言うと俺の傍にあったコーヒーサイフォンが浮かび上がってレムの方へ飛んで行った。しばらくしたら中身が空になって戻って来る。俺は焼き上がったオムレツと温めていた小さなパンをお皿に盛ってレムの前に置いた。その横にはマグカップに並々と注がれたコーヒーも置かれている。
「召し上がれ」
レムは頷いて黙々と食べ始める。
『悪くない』
そう書かれた紙が目の前に現れ、俺は自然と笑みを浮かべていた。
俺はレムの顔をじっと見つめた。小さな口でオムレツを頬張る顔が可愛らしいが、よく見るとうっすらと目に隈が見える。
「ねえレム、何か困ったことや悩みとかある?」
『ないが?』
嘘だろうな……本当にないなら夜中まで起きて魔法の研究なんてするはずない。隈が出来ているし無理をしているのだと思う。でも彼女が話してくれなければ何も分からないままだ。
こんな状態なのに一度も相談してくれないという事は……俺は彼女に信用されていないのだろう。きっと彼女の悩みは、俺には想像できない程深く複雑なものなのだと思う。一切寄り添えないのが心苦しい。
「そうか、もし困ったことがあったら何でも俺に相談して。愛しているよレム」
俺はいつものようにそう言う事しか出来なかった。
―――――――――
俺はこの家に住まわせてもらって5年ほど経つ。幼い頃、貧しい両親はこの森の奥に俺を捨てた。
恐ろしい魔女が住んでいると噂されているこの場所が、当時は怖くて仕方がなかった。だが腹を空かせてやせ細った俺は帰ることが出来なかった。
それどころか森に棲む狼に見つかり、あっけなく食われそうになったところをレムに助けられた。
レムが手を掲げると、俺に食らいつこうとした狼は物理法則を無視してあらぬ方向へ飛ばされてしまった。大きな木に叩きつけられた狼は、驚いてどこかへ走って逃げていった。呆然と座り込む俺を前に、レムは手に持っていたノートに文字を書き始める。
『丁度召使いが欲しかった。私に恩を返せ。働くなら助けてやる』
そう書かれていた。
人によっては横暴な要求だと思うだろう。でも俺には、彼女が女神に見えた。貧しい俺は子供ながら仕事をさせられ、それでも満足に腹を満たすことも出来ず結局捨てられてしまった。
俺がその要求を了承すると、レムはこの家に招待してくれた。レムとのやり取りは、俺は言葉で、彼女は常に筆談で行われた。
畑の事、鶏の世話、魔法で使う怪しげな植物の管理、実験で使う備品の管理や清掃……覚えることはかなり多かった。正直忙しさで言えば彼女に助けられる前より忙しくなった。でも俺は、彼女に恩返しを出来る事が嬉しくて必死に覚えた。
彼女の声は一度も聞いたことがない。筆談が面倒で、必要以上に意思表示をしてくれない事も多い。それでも彼女は面倒そうにため息を吐きながら、俺にあらゆる事を教えてくれた。
俺は彼女のおかげで幸せになった。彼女に惹かれるのにも、そう時間はかからなかったよ。
君が好き。愛している。
君を助けたい……助けたいんだ。
たとえ君が何か良からぬ事を企んでいようと、その小さな体に強い怒りと憎悪を燃やしていようと、たとえその結果俺が破滅しようとも、あの日の約束が……心が訴えかけてくるんだ。
レムに恩を返せ、と。




