5人目:魔女リンネとユリの花③
最初に来た時は自分でも浮き足立っていると分かるくらい軽やかだったのに、先ほどの話を聞いてからは足に石を括り付けているかのように重かった。何度も来たリンネさんの店は先ほどと何も変わらないのに、どこか見えない壁に遮られているかのように…届かない世界のように感じてしまった。
僕は扉をノックし、彼女の返事を待たずに入室した。
「もう閉店だよ。って、おやおや、ミライ君じゃないか。随分焦った顔しているね。どうしたんだい?」
もう遅いからか、室内にはもう誰も居なくなっていた。
並べられていたユリの花も全てなくなり、彼女が来る前の何もない閑散とした室内に戻っていた。
にこやかに笑うリンネさんは、やはり普通の人間のように見える。可憐な笑みに血色の良い肌、ユリの花を受け取った時僅かに触れた肌も温かかった。
「リンネさんは……ええと……」
なんと言えば良いのだろう。ストレートに思っている疑問をぶつけて良いものか。急いで来たからと言って、結局問いかける言葉の準備なんて出来ていなかった。
「おおそうだ、君に見せたいものがあるよ」
僕が何も言えずに突っ立っていると、リンネさんは手をポンと叩いた。そう言って彼女はカウンター裏でゴソゴソと何かを漁っている。しばらくすると取り出したのは1冊の分厚い本だった。今日最初に僕が来たときに読んでいた本と同じ表紙だった気がする。
僕は近づいてその本を覗き込んだ。
それは色とりどりの花の絵画が描かれた画集のようだった。まるで写真のようにリアルで繊細な筆遣いで描かれた絵画は、絵心のない僕ですら感心するほど上手だった。
「あるアトリエで絵を描く魔女が居てね、数年前そこで買った画集だよ。ミライ君、去年花が好きと言っていただろう? この辺りでは見ない花も沢山ある。まあ空想の花もあるがね、こういう創作物を眺めながらゆっくりするのも、おつなものだよ」
花が好きと言ったのはリンネさんが好きだから去年咄嗟に言ってしまった言葉なんだけど、去年の僕との何気ない会話を覚えてくれていたなんて嬉しかった。
リンネさんは細い指を紙の上で滑らせながら、描かれている花の説明をしてくれる。時折僕も質問すると、彼女は得意げに追加で説明してくれる。花の話をしているリンネさんは楽しそうで、カウンター越しにその嬉しそうな顔を見ているだけで、胸が苦しくなる。
やっぱり僕は、彼女が好きだ。
たとえ一生伝えられなくても、この想いが決して実らないものだとしても、この気持ちは変わらないだろう。
「そういえばリンネさんって毎回ユリの花を持ってきますよね? なんでユリなんですか」
「うん? まあ単純に好きというのも大きいな。囲まれていると安心するというか……それに特徴的な見た目で可愛いだろう?」
「まあ確かに。何か変わった雑学とかあったりします?」
僕は持っているユリの花弁を撫でる。今や僕にとってはユリの花は、リンネさんを連想させる存在となっている。そのせいか特別愛おしく感じるのだ。甘い香りを嗅ぐだけで心が落ち着くような感覚がする。
「そうだねぇ……ユリの花はね、私の故郷では死者の棺桶に添える花なのだよ」
「死者……」
「人によっては不快らしいがね。私の勝手な理想だが、最後に感じる香りがこれであってほしいと思っている。死後の世界でも忘れないようにユリに囲まれて……きっと幸せなはずだ」
「……だから、ユリの花のみ置いているんですか?」
リンネさんは驚いたように目をぱちりと見開く。しばらく僕たちの間に沈黙が流れる。そしてリンネさんは眉を下げてフッ……と儚げに笑った。
その笑みにどんな意味が込められているか、僕には分からなかった。
「ミライ君、今日は随分夜更かしさんだね。日にちが変わってしまうよ」
リンネさんがそう言うと、室内の古時計がゴーンとチャイムを鳴らした。その瞬間、僕の腕の中にあるユリの花が音もなくボロボロと崩れ始める。先ほどまで美しく艶やかな花弁はしおれ、白から茶色へ変色していく。
「ああ……ああっ……」
ユリの花は日付が変われば消えると知っていたのに、何故かそれがとても苦しくて落ちた花びらを取ろうと手を伸ばす。掴んだ花びらも砂のように指先からポロリと崩れてしまった。
リンネさんの方を向くと、彼女の身体は霧のように形があやふやになっていた。空気に溶けるように少しずつ消えていく彼女の顔は、いつものように優しい微笑みを携えていた。
僕は咄嗟に伸ばしそうになる手を止めた。触れたらそれこそ霧を払うように一瞬で消えてしまいそうで、気持ちをグッと堪える。
「リンネさん……来年も会えますか?」
代わりに、震える声で彼女に問いかける。
「……君がそれを望むなら、来てやっても良いぞ」
霧に紛れて見えなくなっていく彼女は、確かに笑顔でそう言った。今はそれだけで十分だ。僕は涙でぐちゃぐちゃになった顔で出来る限りの笑顔を作って、大きく手を振った。
最後に一瞬だけ笑顔で手を振り返してくれる彼女を見て、視界に広がる霧は完全に消えてしまった。
◆―――――――――◆
魔女リンネが目を開けると、真横から容赦のない夜風が彼女の身体にぶつかって来る。かぶっている三角帽子が飛ばされないように押さえながら、辺りを見渡した。
リンネは崩れ去った民家の真ん中に居た。壁は全面崩れており、天井もなく吹き抜け状態だ。見上げれば綺麗な星空だって見える。傍にあったはずのカウンターも崩れており、何かを乗せられる状態ではない。家も瓦礫だらけでおおよそ部屋とは言えない。
だが彼女が居る家だけではない。他の家も同様に崩れ去っている。煌びやかなランプも、あんなに店の前を行き交っていた人々も、お洒落な露店が並ぶ広場も見る影もない。
ミライがリンネの為に花瓶に生けた花も、跡形もなく消えていた。
生き物の気配は一切感じず、人の手入れがされていない《《ゴーストタウン》》と化していた。
「ミライ君……君は私を死者だと勘違いしたのか、自分が死者であると気付いたのか分からないが、少なくとも『幽霊たちは自分が幽霊であるという自覚がない』というのは事実のようだね」
この町は数年前、突然の大嵐によって滅んでしまった場所だ。連日続く大雨に台風、小さく閉鎖的な町は多くの町人とともに土に還ってしまった。
しかし町が滅んでしまっても、この土地が及ぼす年に一度の夜のみ、幽霊が元の人間の頃の姿に戻る現象は続いた。昔はそれで観光客がよく出入りしていたが、この町がこうなってからはリンネ以外に来る者は居なくなった。
リンネも噂を聞いてこのゴーストタウンにやってきた時は驚いた。町の人々は、今も自分たちが死んでいる事に気付かず祭りを開き、普段は生者が見ることが出来ない次元で生活をしている。
だからこそ、リンネは毎年弔いの意を込めて一夜限りのユリの花を彼らに渡すのだ。もし天に昇った時に彼らが穏やかに過ごせるようにと願って。
「来年もまた花を届けに来よう。なあに、どうせ魔法でひとっ飛びだからね」
リンネが手を掲げると、彼女の足元に光の線で描かれた魔法陣が浮かび上がる。光は強さを増していきリンネの身体を包んだかと思えば、次の瞬間にはリンネの姿は消えていた。
彼女が立っていた場所には、魔法を使わずに育てた一輪の白いユリの花だけが残っていた。
◆―――――――――◆
彼女の名前は魔女リンネ
好きなモノは『廃墟巡り』と『ユリ』




