王なき冥府に、英雄は牙を剥く
闇水晶の暴走が王なき冥府で牙を剥く。
冥府は、崩壊を始めていた。
王クアトロが地上に不在の間に、
《闇水晶》が霊脈を喰らい尽くそうとしていたのだ。
死者の呻きも、裁定の声も消え、
冥府は異様な静寂に沈んでいる。
――静けさとは、終わりの前兆だった。
「……やはりな」
冥府上層の水晶宮で、
白髪の老人が闇水晶の映像を見つめていた。
上層管理者ルナリス。
冥府を王の代わりに統治する、
数少ない管理者の一人。
「王は戻らぬ。
冥府は、地上の燃料として使われる運命だ」
その声に、諦観と諦めが混じる。
「王のいない冥府は、冥府ではない。
ならば静かに畳むのが、管理者の責務だ」
「勝手に終わらすんじゃねぇ!」
黒鉄の鎧をまとった巨躯の男が、虚空を見上げる。
背に負うのは、かつての皇帝すら斬った大剣。
胸には、砕かれた王家の紋章。
旧王国守護将軍。
《鉄血の英雄》バルガス。
「王がいねぇ隙に、冥府ごと奪われてたまるか……」
空に穿たれた黒い穴から、瘴気と魂が吸い上げられていく。
冥府の空に浮かぶ魂灯が、一つ、また一つと消える。
◇
瘴気に満ちた冥府の塔の上。
赤い瞳の女が、その光景を嗤って見ていた。
《灰燼の魔女》エレシア。
疫病に滅びかけた都市を救うため、
禁術で一国を焼き払った女。
世界は救われ、
彼女は「大量殺戮者」として冥府に堕とされた。
「……ふふ」
闇水晶の穴を見上げ、彼女は唇を歪める。
「管理者が滅びを選ぶなんて、
ずいぶんと人間的ね」
◇
バルガスの背後で、瘴気が蠢いた。
首を刎ねられ、
胴を貫かれ、
それでも剣を手放さなかった亡者たちが、
次々と姿を現す。
かつて、彼と共に戦い、
戦場で死んだ兵士たちだ。
「将軍……」
骨の喉から、掠れた声が漏れる。
「また……戦えるのか……」
バルガスは、大剣を肩に担いで頷いた。
「当たり前だ。
死んだくらいで、仕事が終わると思うな」
彼は叫ぶ。
「お前らは今から――《鉄葬兵団》だ!
自我のねぇ亡者どもは、俺たちが守る!」
亡者の軍勢が、剣と槍を地面に打ちつける。
ゴン……ゴン……!
冥府に、戦の鼓動が戻る。
◇
一方、エレシアの足元からも、影が這い上がった。
焼け焦げ、
内臓を晒し、
それでもなお彼女を見上げる亡者たち。
――かつて、彼女が救い、
そして焼いた都市の住民たち。
《灰の契約者》。
「魔女様……」
「俺たちは……まだ……あなたに……」
エレシアは、少しだけ目を伏せた。
「ええ。縛ってるわ。
……今度は、冥府を守るために」
彼女は微笑む。
「《灰燼の魔女》の名、もう一度使わせて」
亡者たちは、歪んだ笑みを浮かべた。
「喜んで……」
◇
バルガスとエレシアが、瘴気の荒野で向かい合う。
「冥府は、もう長くもたねぇ」
「吸い上げられた瘴気の行き先は地上ね」
「聖騎士か……」
バルガスは歯を噛みしめた。
「王が戻るまで、俺たちが持たせる」
エレシアが嗤う。
「管理者は滅びを選んだ。
反乱ね」
「違う!!」
バルガスは即答した。
「これは――王の帰還を迎える戦争だ」
◇
その瞬間。
空席の王座が、ぎ……と軋んだ。
歓迎でも、拒絶でもない。
ただ、値踏みするように。
エレシアが囁く。
「見られてるわよ」
バルガスは大剣を握りしめた。
「王よ……戻るなら、早くしろ。
俺達が冥府を奪う前にな」
冥府は、
英雄たちの手で、戦場へと変わった。
――すべては、冥府の王クアトロが帰還するその日まで。




