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百代草  作者: 高天ガ原
妻への気持ち
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妻への気持ち

 そこで遺稿は途切れていた。あなたの恋した人は、本当に酷い人だ。口下手なあなたに小説という手段を教えてくれたのは評価しよう。でも……。

「これじゃあ、本当にあたしのことを書いていないじゃない。あたしのために小説を書いたのか、この女のために書いたのか分からなくなるじゃない」

 夫は死ぬ直前に不自然なほど、話が通じていた。あの時、きっと忌まわしい女がそばに居たのだ。こうなると分かっていれば、文句を言ってやったのに。

「本当、何のための小説よ」

 文句を付けられないけども、あなたの遺影は意地悪な笑みを浮かべていた。私に見せつけるための小説だというのなら、めためたに打ちのめしてやらないといけない。ただでさえ死に際でも「儂の女」とか言って挑発する男だ。余程、痛い目に遭わないと許すわけにはいくまい。

「ましてや、こんな遺稿があるなんて、書き残しもしなかったからね」

 あたしはそう呟きつつ、夫のノートを閉じた。余白が残っていたのは、時間と体力がなかったのだと信じることにする。まさか最初から書き切るつもりもなかったとか言わないと信じたいが……。彼のことだから信頼ならない。夫は誠実な人ではあったが、誰かの笑顔を見たいときほど酷いことをする人だ。あたしがプロポーズされたときも死んだふりをするためだけにナイフで横っ腹を刺そうとしていた。あたしが気づかなければ、彼はもっと早くに女と再会していたであろう。……笑えないな。おもちゃと血糊くらいで済ませる脳が無い人だ。本気で馬鹿なことをする人だからこそ、心配すぎて、あたしは彼から離れられなかったのも事実だ。本当に案配が上手いという言い方をするとつけあがるだろうが、駆け引きが上手な人だったと思う。

「どうだ、気に入ったか」

 隣で囁いてくる夫にあたしは怒鳴る。

「何も教えずに逝って、忘れた頃に迎えに来た挙げ句、一番あなたを思い出したい今に限って、こんなものを読ませて……。感情が煮えくり返って困るわ」

 あたしの言葉に夫は満足そうだった。「一番読ませたい人の感情が動くとは小説家冥利に尽きる」とか言っているが、笑い事じゃない。本当……あなたと違って、あたしは終活もしていないのよ? あなたが来なかったから油断していたわ。

「娘や孫達をどうするの?」

 あたしの言葉に夫は「やりたいようにやらせれば良い」とだけ答える。あなたはあたしに託せば良かったから楽だろうけど、彼女たちは相続が絡むから大変なのに。遺言すらできないじゃない。あたしは喚き散らしたかったが、諦めた。人間、死ぬ前って諦めるものよね。そう思っていると、彼はあたしに囁く。

「それよりも、儂の小説の続きを代筆してくれんか? ハマってしまったんだ」

 本当、最低な人だと思う。だけど、こうして綴ってしまったあたしも相当に甘いなぁって思うわ。……仕方ないじゃない。忌まわしい小説を書いた後で、彼は恨めしい女に死ぬほど酒を飲ませたそうよ? 料理も口にせず、話を聞きながら何時間も酒を飲ませて。……あたしとの再会を邪魔させないために、しっかり成仏させたと寂しそうに言うのだもの。本当に恨めないじゃない。

 きっと、彼は小説を書くと決めたときからここまで考えていたのよ。迎えに来て、感謝を代筆させるって決めていたんだと思う。そうじゃなきゃ、腹が立って気が済まないわ。自分でありがとうって書きたくないだけがために、あたしに小説を書かせているのよ。本当に嫌らしい人だけど、私の大好きな彼らしいわ。

 こうやって小説にすると全部が嘘くさく見えるじゃない。本当に嫌ね。あたしの苦労を娘や孫達に教えたいわ。旦那ってこんなに酷いのよ、って。それさえもが嘘くさく聞こえるのも彼の構想のうちなのかしら。嫌だわ。本当に嫌。ここまで仕組まれていると闘う気が無くなる。……だから、最期まで一緒に居られるんだけどね。最後の最後に喧嘩別れする気力すら無いわ。


「儂は満足したぞ。続きは自分で書いてくれ」


 夫はそう言って、先に屋形船に乗った。早くも一杯やるつもりらしい。ずっと我慢してきたとはいえど、限界だったようね。まぁ、許してやりましょう。悔しいけど、この話を書いているうちに気分が落ち着いてきたわ。あたしも早めに、この話を終わらせて酌でもしてやるとするわ。

 何が嘘か、本当か分からないと思うけど、これだけは信じてちょうだい。

 うちの旦那は書き残すべきバカよ。

 じゃあ、娘や孫達。元気でやっていてちょうだいね。あたしは迎えに行かないわ。今からしっぽり、酒と旦那を頂いてくるから。

 そうそう、彼って肝心のタイトルを付けてないのよね。さっき、尋ねたら「儂は作家じゃないから付けん」なんて言い出しやがって。困っちゃうわ。私が勝手に付けようかしら。

 存在も怪しい“百代草”(ももよぐさ)とかどう? この話が百代に語り継がれる笑い種になると信じているからね。草葉の陰からみんなの幸せを祈るあたしたちの手記にはピッタリな名前だと思うわ。なんてね。

 良い感じになったから、これにて。見つけた人が笑ってくれることを期待しているわ。みんな、元気でね。早く来るんじゃないわよ。

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― 新着の感想 ―
読ませて頂きました。 全体的に不思議な世界観でした。 甘酸っぱい初恋の物語かと思いきや、人生の最期を迎える人をお迎えに行くために死後の世界から逢いに来ているなんて初めは想像もつかなかったです。また、登…
わあって感じw
Xの方から伺わせていただきました。 結構書き込む感じで語られる物語という印象で、おそらくは静かな空気感や人の心の様々な側面を書きたいという方向性を感じました。 ただ、全体的にセリフにしろ地の文にしろ…
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