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百代草  作者: 高天ガ原
あなたの死に神
6/7

あなたの死に神④

「ねぇ、慰めてよ」

 私の言葉に彼は「酒でも飲むか?」と尋ねてくる。ずっと未成年だからお酒なんて飲んでこなかったし、最後に飲みたいかも。……なんてね。言わないわ。此岸のお酒を飲んだら此岸から帰りたくなくなっちゃいそうだし。屋台船で初めてのお酒をいただこう。

「酒なら後で付き合ってちょうだい。それより、これでもう満足かしら?」

 私の言葉に彼は少しだけ悩んだ。何かあるみたいだ。私は首をかしげてみた。

「……妻にな、感謝を伝えれていないんだ。ただ、直接的に言うのも怖くてな」

 その言葉に私は苦笑する。これだけ私をおちょくる人が奥さんにはおとなしいなんて信じがたい。だけど、本当に言えていないんだろう。私は少し考えた末に言った。

「いっそ、小説にしてみたらどうです? あなた、小説が好きだったでしょう? 昔は小説家になりたいって言ってた時期もあったじゃない」

 私の提案を聞いて彼は吹き出す。

「本当に幼い頃の話を掘り出すんだな」

 そう言いつつも手近なところにあるノートを手に取った彼。日記のようだが幾十枚か余白が残っている。

「何から書けば良いかね」

 真顔で尋ねられても私が困るわ。私は小説を書いた経験なんて無い。

「あなた、まさか小説も書いたことないのに小説家になりたがっていたの?」

 煽るような私の問いかけに彼は「まさか」とだけ言った。そして、すらすらと何かを書き始める。上手く躱せたから良かったものの、慣れないことを言ったものじゃないなと思った。でも、彼の真剣な顔を見て少しだけキュンとしちゃった。本気になれることがあるって羨ましいわ。

 そこからずっと彼は小説を書いていた。時折、私に死後の話を聞いてきたけど、思うように筆を進むのか楽しそうだった。認知症だから手紙なんて書けないって言っていたのが嘘のようだったわ。挨拶に来る親類へ労いの言葉をかけたり、途中で休んだりもしていたけど、深夜にお休みの挨拶をしに来た奥さんにさえ「これが書きたい」と言って書き続けていた。……一応、これが奥さんとの最後の夜って分かっているはずなんだけどなぁ。そう思いながらずっと隣で見ていたけど、この男はバカ丸出しで小説を書いていた。

 ちなみに、ちょくちょく進捗を教えてくれたが、最後の最後によくもまあ……恥ずかしげも無く、私をテーマにして小説を書くものだ。初恋の人ではあるけども、書くなら奥さんのことを書いて欲しいと思った。奥さんへの感謝はどこに行った? 小説家が小説の目的を見失うことはあると聞いたこともあるが、見失うという次元ではなくて逆に清々しかった。明らかな誤答を延々と書き綴らないで欲しい。

 そう思っているうちに丑三つ時が近づいてきた。赤い提灯で彩られた屋形船が家の前まで来ている。本当に屋形船だぞ、とばかりに船渡しがニヤニヤと笑っていた。

 私は思わず立ち上がって船渡しさんへ話しに行く。

「……船渡しさん。私、泣きそうです。これでは奥さんが不憫です」

 それを聞いた船渡しの鬼が事情を尋ねてくる。私は全部、説明してやった。そしたら、船渡しさんは一言だけ「男なんてそういうもんだよ」と返した。嫌ね、男って。

 丑三つ時がきて、時間だとばかりに船渡しさんが舟から降りた。彼は力がありそうだから引きずってってでも舟に乗せそうな気がする。私は思わず叫んだ。

「いつまで書くのよ!」

 私の言葉に彼は笑う。

「結局、直接的に書くしか伝えようがなさそうだ」

 ……本当に、下らない人だと思う。その答えを出すのだったら、ずっと小説なんて書いて居ちゃダメじゃないか。私は急いでノートを奪い取って小説を読む。想像より遥かに面白く書いているけども、そんなことを言っている場合じゃない。小説にはありがとうの一言すら書いていなかった。

「ねぇ、何をしてるの? ありがとうくらい書きなさいよ」

 私の言葉に彼は清々しく笑う。

「むしろ、書かずに恨まれるくらいがいい」

 本当、何を言っているのかしら、この人は。そう思っていると、船渡しが彼の手を引く。

「爺さん、早く乗った方が良いぜ? 恋人さんが酒に付き合うにしても、長く飲んでいたいだろう? 俺が連れ回せるのは死出の山に行くまでだ。死出の山に入ったら七日は出れないって聞く」

 鬼のはずだが、たくさん喋ってくれる彼に同調する。

「お願い、ありがとうだけでも書いて」

 私の言葉も虚しく、彼は「行くぞ」と言うと私の手を引っ張った。彼の魂が身体から抜けて立ち上がる。そんな無体な。一生を付き添ってくれた伴侶に対して酷いじゃないか。

 そう思いつつも、私は彼の意思を尊重して立ち上がる。玄関に行って下駄を履く時に私は一言だけ確認した。

「本当に良いのね?」

 その問いに彼はこう返した。


「お前と酒を一緒に飲むのも良いが、今日のところは我慢して、儂が妻を迎えに行く方が喜ぶだろうて。初めての酒は一人で飲みんさい。いっぱい注いでやるから、な?」


 私は仕方なしに頷いておく。本当は酒なんて欲しくもなかったが、彼がくれると言うのなら貰わなければ。……でも、振られちゃったな。私はあくまで、現地妻だったか。

 そうじゃないと分かっているけども、そういうことにしておく。生きていれば奥さんになれたかなんて閻魔様でも分からないだろうから。私は都合の良い存在として、彼と接しておく。ずるいよね。最期まで私は彼にも私自身にも、本気で向き合わないの。

 窓際から見えたあなたの安らかな死に顔を見て、私は凄く胸が苦しくなった。誰かの死に神なんてするものじゃないね。来世では正統に幸せな人生を送らせて欲しいものだわ。連れて行かないといけないけど、本当はずっと生きていて欲しかったな。

「ほれ、いくぞ」

 彼が呼ぶので私は振り返るのをやめて、彼の待つ屋台船へ向かう。……もう、二度と此岸になんて来てやるものか。いっぱい飲んで、いっぱい食べるぞ。やけ食いみたいですこし悲しいけどね。

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