あなたの死に神①
「あなたにどう見えているか知らないけど、私はこんなに華やかじゃないわ」
スターマインの中、そうやって叫んだ日からもうすぐ一年だ。私は今から、好きだった人を迎えに行く。耳の遠い彼は私の自虐なんて聞いていなかっただろう。それでも、「君は綺麗だ」と言わせるつもりで私は行く。
「去年は好きでもないくせに、リンゴ飴をせがんだんだっけ」
私は自分の悪い癖を思い出しながら、三途の川で自分の顔を洗う。三途の川の水を使うのは好きじゃないが、何もしないのは女として無理だった。……私って、好きな人には好きでもないものをせがむのよね。本当に欲しいものはせがめないくせに。
川面に映る自分の顔はお世辞にも綺麗とは言えなかった。血の気がなくて白いし、形だって整っていない。まぁ、これでも近所のガキ大将に惚れられるような容姿ではあるんだけど……彼に見合うかは別問題だ。だって、彼はどこぞのお坊ちゃまだから。
賽の河原は今日も穏やかだ。いつも通り子供達が石の塔を建てては崩されている。それを傍目に人が川を渡ってきては衣領樹の方に向かう。
ちなみに、三途の川のほとりでする話ではないのだが、三途とは、業火に焼かれる〈地獄道〉、互いに相食む〈畜生道〉、刀剣で迫害される〈餓鬼道〉の三つを指す。悪業をなした人が死後に赴く三つの場所なわけだが、親より早く死んだ子供は手前である賽の河原で業を償うのが慣例だ。
何をするかというと、石を積んで塔にする作業だ。ただ、形になってくると崩される苦行が待っている。
しかし、慣れてきたら楽しいものだ。石なんて塩粒が少しだけあれば簡単に積むことが出来る。ストーンアートという概念を此岸で知ってからは苦行ではなくなってしまった。むしろ、芸術センスを磨く時間だ。ただし、壊されるときに評価されるわけでもないから、本当に自分のセンスが正しいかを確信が持てない。何せ、鬼は良いものも悪いものもまとめて壊していく。美が分からない獣だ、と言うと石の塔でなく私が壊されそうだから言えないけども。それでも、頑張って作ったものを無表情で壊すのを見ていると、退屈な鬼たちだなぁと思う。もう少し仕事を楽しめば良いのに。作っている側としても、どんなものを作れば償いにつながるのか読み取れないから困ってしまう。そうやって悩むことが求められているのかもしれないが、もう少し人情があっても良いではないか。鬼だから人情なんてない、と言われたら何も言えないが。
私は服を着た人たちの横を通って衣領樹へと行く。そうそう、業を償うときには服を着ないのだ。着飾った心では業なんて償えないのだと解釈している。順番を抜かすなよと目で訴えられるが、順番を守ろうものなら彼の迎えに間に合わない。世の中でどれだけの人が死んでいると思うんだ、なんて喧嘩は売る真似はしないけども。長蛇の列に私はため息をついた。人がたくさん死ぬような災害があったかのように、いつもに増して人が並んでいる。
衣領樹では、奪衣婆と懸衣翁が仕事をしていた。賽の河原で石を積む私たちを知っている鬼でもあり、仲は悪くない。此岸に行く際には毎度のように会うので、彼らも私を覚えていた。裸で行くわけにもいかないから、彼らに会う必要があったんだ。さすがに彼も素っ裸の私と会ったらぎょっとするだろう。
「ついに、迎えに行くのか」
そう労ってくれるのは毎年のように花火大会へ行くのを知っているからだろう。基本的に鬼は喋ってくれないのだが、気まぐれで喋ってくれる。ちなみに鬼同士は別の言語を使っているようにも感じる。もしかしたら、彼らにとって私たちと話すのは外国人と話す感覚に近いのかもしれない。
奪衣婆と懸衣翁は絶え間なく服の計量をしては罪の軽重を定めていた。一方で、此岸に行く霊の服を管理もしている。
「普通はもう、次に行っても良い頃だがね」
そんな気休めを言ってくれるので、同情してくれているのだと思う。まぁ、罪人なんてゴロゴロいるので偏見を持ってる暇も無いのもあるだろうが。次、というのは言わずとも知れているが、贖罪の完遂である。罪を償いきると地蔵菩薩が来るそうだが、そのあたりの事情は私も知らない。もしかしたら、仏教をよく知らないから来ないのかもしれないな。今度、近くの子供に仏教の教えでも聞いてみようか。
「好きなのを着て行きなさい」
そう言いながら私の棺桶に入っていた服を懸衣翁が渡してくれる。おしゃれ好きな私のために、親が服を詰めてくれたおかげで少しだけ死後の楽しみが残っているってものだ。
「じゃあ、この大人っぽいのにしようかな」
そうやって大人を意識している時点でまだ子供なのだが。迷っていても二人の邪魔になるだけなので、私は服を即決する。
「此岸に行ってくるよ」
私の言葉に二人が頷いた。船渡しを呼ぶために私が笛を吹くと、霧がかかった向こう岸から猛スピードで舟が近づいてくる。
そもそも三途の川は舟で渡るものでないらしい。だが、今回は例外として乗せてくれるそうだ。冥土の土産……だと冥土へ行く時に持って行くものだから、冥土の土産話になるのだが、三途の川に橋があるのは知っている人が少ない。「善人は橋を、軽い罪人は浅瀬を、悪人は深いところを」なのだ。あと、本当は死出の山を越えた後にたどり着く場所なので三途の川が此岸と直結しているわけではない。死にそうな人は大抵、死出の山で道を見失っている。逆に、三途の川が見えた人は相当ヤバいところまで来た証拠だ。
一応、此岸に戻るには三途の川を渡って険しい死出の山を超える必要がある。去年までは、そのルートを使わないと此岸に行かせてくれなかった。ただ、ぶっちゃけ、行って帰ってくるだけでも時間がかかるし、疲れるし。その上に償いをしないといけないから、思ったより償う時間を取ることが出来ていない。苦行が終わらない原因の一つだと見て間違いない。ちなみに、死出の山の鳥としてホトトギスが有名だ。ヤツらの別称は〈死出の田長〉である。あいつらの声は聞き慣れた。