序
ゼゾッラは走った。冷たい風が剥き出しの首元へと鋭く切りつけ、唇からこぼれる吐息が、鮮血のように糸を引いて後ろに流れて行った。冷えて感覚の消えかけた右手に力を込めて、彼女は掴んだ少年の手を引き、鼻先も見えない闇の中をさらに走った。あの日の夜よりも眠そうな月は、乳色の眼を左半分だけ開き、汗みずくで走る彼女の横顔を退屈そうに見下ろしてくる。狭い路地を抜け、馬車が通れるほどの道に出ると、隅で溶け残った雪の塊が淡く月明かりを弾き、ふだんとは別人のように着飾ったゼゾッラ自身の影を地面の上に浮かび上がらせた。一歩前を走る影を追いかけるたびに、腕に引っかけたキアネッラが打ち合わされて乾いた音を立てる。凍りかけた地面を踏むたびに左足の古傷が熱をもち、熱い痛みが脈を打ってあの日の罪を囁いた。
ゼゾッラはたった今、殺人を目撃したのだった。
『灰かぶり猫』についての参考文献(使用頻度の高い順。題名、作者、出版年、出版社 で記載)
・Il pentamerone、 Basile, Giambattista、1674、(https://archive.orgにて閲覧)
・子どもに語る グリムの昔話4、ヤーコプ・グリム著、佐々梨代子・野村泫 訳、1992、こぐま社
他分野の文献についても、順次掲載予定