07 離婚7 真川 美来 どこまでも自分勝手
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不意に覚醒した。目が覚めた瞬間から昨夜離婚届にサインしたことを後悔する。
カタコトと扉を隔てた向こう側で寿羽が立てる音が次第に遠のいていき、玄関のドアが開けられて小さな音を立てて鍵が閉められた。
俺がいるのに寿羽が出かけるなんて初めてじゃないだろうか?
いや、スーパーに行くくらいはあったかもしれない。
なんで俺は離婚届にサインしたんだ。
親父になんと言われようともっと話し合うべきなんじゃないのか?!
寿羽が知った美来とのことは離婚するほどのことなのだろうか?
俺の考え方がおかしいのか?
緒形には既に話しているし話を聞いてもらえるだけでもいいと思った。相手の迷惑を考えず緒形に電話した。
5度6度とコール音が鳴る。コール音が鳴り止んで緒形のかすれた声が聞こえる。
『あ・・・今日は休日の・・・まだ7時半だぞ・・・』
「昨夜離婚届にサインした」
『あー・・・やっぱりな・・・』
「なんでだ?離婚するほどのことか?」
『それを決めるのは寿羽さんだろう?』
「・・・・・・女と一緒にスーパーにいるとこを見られただけなんだぞ」
『元々寿羽さんの中に離婚したい気持ちがあったんだろうぜ。ほんとになんで家の近所でうろうろしたんだ?』
「便利だったんだよ!・・・・・・やり直せないのかな?」
『難しいんじゃないか?今は何を言っても聞き入れてはもらえないんじゃないか。少し間が空いて、寿羽さんが人恋しくなった頃に手を差し伸べるくらいがいいんじゃないか?』
「そういうもんか?」
『夫婦のことは他人には解らないものだ。結婚してから接してきて寿羽さんはどういう人だったんだ?』
「知り合った当初は感情豊かで結構喧嘩もした。だが結婚して・・・3度目の喧嘩以降感情的にならなくなった」
『3度目の喧嘩って何かあったのか?』
「ああ・・・ちょっとな」
『・・・そんなに変化したのか?』
「感情を見せなくなって、いつもニコニコするようになって、それから無表情になった。話しかけにくくなって家に居づらくなった。寿羽から話しかけてくることも減って、俺も話しかけなくなった。今までなら喧嘩になったようなことを言っても軽く流されるようになった。4度目の喧嘩は今もしていないんだ。3度目の喧嘩なんて結婚して2ヶ月目だったのに」
『おまえ、それって・・・』
「今思えばその頃からもう愛想をつかされていたのかもしれない」
『そう感じるな』
「話してみて、ちょっと考えることができたわ・・・やっぱり3度目の喧嘩が問題だったんだと思う。俺もそれから家に帰るのが・・・今の寿羽を見るのが嫌で女のところに行ってた」
『お前、新婚2ヶ月で他に女作っていたのか?』
「女っていうほどの価値もないけどな」
『真川、お前色々反省したほうがいいぞ』
「反省しているよ」
『いや、反省していないよ。寿羽さんもうすうすは感じていたんじゃないか?お前に女がいることは。お前は寿羽さんを大事にしていないし、外に作った女も大事にしていない。女にも感情はあるし、誰かにとっては大事な人だったりするんだよ。お前に価値がなかったとしても』
「でもあの女も俺のことが好きなんじゃなくて、俺の持ってる金が好きなだけの女だ。どれだけ考えても価値を見いだせるような女じゃない」
『それが解った時点で関わるのをやめろよ』
「本当に便利だったんだよ」
『やっぱお前ってサイテーだわ。俺はもうちょっと寝る。離婚はやむなしだ』
本当にそうなのだろうか?
「朝早くから悪かった」
『ああ。ちゃんと寝て物を考えられるようになってから考えろ』
電話を切って、のそのそとベッドから起き上がる。寝ろと言われても眠れそうにもない。寿羽が、美来がいない休日をどう過ごせばいいのか解らない。
TVを付けてつまらない番組をただ眺める。
寿羽は離婚を心の底でずっと願っていたんだ。
3度目の喧嘩の時、失敗したとは思ったがそれ程のことだとは意識していなかった。
寿羽の態度が変わってベッドの中のことを嫌がるようになって、言ってはいけないことを言ってしまったんだと気がついた。
拒絶されてから初めて寿羽のことを大事だと、手放せないと思うようになった。
それまで寿羽は所詮親父が望んだ結婚相手でしかなかった。
初めて会った時、寿羽は想像していたようないいとこのお嬢様ではなく、興味を一瞬惹かれたが寿羽に俺への好感をもたせられればそれで良かった。
それから見合いをして結婚すればいいと思っていた。
親父が望んだ相手がどんな女か知りたくて、偶然を装ってカフェで隣に座った。
限定商品を飲んでいた寿羽に「それ美味しい?」と聞いてなんとなく会話が続いた。互いに好印象を抱いていたと思う。
俺は珈琲を飲み終わると「じゃぁ」と言って立ち去ることにした。
偶然を2〜3回起こしたら連絡先の交換を申し出ると寿羽は何も疑うことを知らないのか、あっさりと教えてくれた。
教えられて気づいたのはいつでも捨てられるアドレスだと言うことだった。
寿羽は楽な女だった。女臭くなくてさっぱりしていた。
生い立ちを親父から聞いていたけど、そんな影は見当たらなかった。
仕事が一番で俺がその次くらいになった時、結婚を匂わせてみた。
仕事を続けてもいいならみたいな雰囲気だったので俺は一度引くことにした。
結婚して女が仕事をしていると「たまには家事を手伝え」とか言われたらたまったものじゃない。
それなりの稼ぎはあるのだから女は家でじっとしていてもらいたいと心から思っていた。
寿羽に会う回数を減らして俺から連絡をするのも極端に減らした。
俺を繋ぎ止めようと寿羽は結婚後仕事を続けることを諦めた。
ただ家の中で空いている時間に小遣い程度の仕事はさせて欲しいと言うのでそれは認めることにした。
友人関係の期間も含めると2年ほどで恋愛結婚に持ち込むことができた。
喜んだのは親父と家城の爺様だった。
俺は今までも誰かに恋愛感情なんて持ったことがなかったし、会社のためになるなら見た目もいい性格も悪くないこの女なら結婚してもまぁ、邪魔にならないか程度の気持ちしか持っていなかった。
家に帰ると食事や風呂の用意がされていて、家も片付いている。したい時にいつでもできる環境が便利だとは思った。
一緒に生活をして情が湧いたのだろうか?
寿羽と別れることが想像できなかった。
一人に戻ったら何もかもどうすればいいのか解らなくなる気がした。
結婚前は当然だった生活ができる気がしない。
仕事にも意欲が持てなくなる気がする。
寿羽を失いたくない。
あぁ、俺は寿羽を愛しているんだ。
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高坂美来は奥さんとスーパーで出会って最初の土曜日に真川のマンションを訪ねた。
連絡も取れなくなったんだから真川の夫婦関係をめちゃくちゃにしてやろうと思っていた。
階下からの呼び出しでは会ってもらえないと思って、誰かが出入りするのを待って、入っていく人の後をついてマンションの中に入った。
オートロックなんて管理人がちゃんとしていないと何の意味もない。
こうして簡単に目的の部屋まで入れるんだから。
部屋のインターフォンを押すと真川だとと思う応えがあって、名乗ると待つことなく部屋のドアが開いた。
何の興味もなさそうに真川は私を見る。
「何しに来たんだ?」
真川は激昂もうろたえもしない。視線には侮蔑がある。
「電話もメールも返事くれないから・・・心配で」
「返事がないことで、いや鍵を返した時点で理解しろよ。妻に会った時点で終わりだろう?普通」
こんな話を玄関口でするの?誰が聞いているかも解らないのに。
うろたえないってことは奥さんがいないのだと思った。
どんな暮らしをしているのか見てみたい。
「私じゃなくて奥さんを選んだっていうこと?」
「当たり前だろう?!なんで俺が君を選ぶと思うんだ?そんな思わせぶりなことをしたことはないはずだが」
「そんな・・・私は本気であなたを好きなのよ!」
「嘘つけ。金を持っている男が好きなだけだろう」
図星を指された。取り繕わなければ。
「妻帯者に本気ですと言ったからって未来があるわけ無いだろう?俺が君を好きだったことは一度もない。そんな風に勘違いさせるようなこともしなかったはずだ」
それはその通りだった。好意を持たれているとすら感じたことはなかった。それでも長い時間一緒にいたのだから情が湧いて愛のカケラくらいは持っていてもらっていると思っていた。
私が好きだと伝えても「俺の好きなのは妻だけだ」と毎回言われていた。
その妻のこともほんとうの意味で愛しているのかも解ったものじゃないと思った。
「それでも付き合いが長引けば情が湧いてくるものじゃないの?2年以上愛し合っていたじゃない?!」
「排出行為を愛し合っていたと言われても困る」
「排出行為・・・それは・・・あまりにも酷くない?!」
この男は本当に私のことなどなんとも思っていなかったのだ。
便利な場所に都合よく求められたら股を開く人形がいる程度にしか思っていなかったんだ。
「君がここに妻に会いに来てもかまわないが、あまり氏素性を妻に知られないようにしたほうがいいんじゃないか?今は裁判する気まではないだろうが、しつこく俺の周りにいると本気で裁判で訴えられるぞ。俺は妻帯者だと最初から伝えていたからな」
「わ、わたしとの未来は本当にないの?」
凄く惨めだ・・・。
「そんなもの最初からないよ。妻と話したいなら平日に来るといい。相手にしてもらえるかは解らないが」
酷い言葉ばかりに答えられなくなって黙っていると目の前の扉が閉められた。
奥さんに何もかもぶちまけてやろうと思っていたのに、奥さんに知られると裁判で私が訴えられるの?
尽くした私が?
そんな理不尽なことがあってもいいの?
真川にまるで相手にされていないのだと思い知らされた。
私は暫く動けなくて閉じられた扉を眺めて立ち尽くした。
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何もする気も起きず、ただ時間が過ぎるのをぼーっとしていると、部屋のインターフォンが鳴ってモニターを見ると美来が立っていた。
こいつの頭はどこかおかしいんじゃないかと動揺した。
そんな弱い姿を見せたら美来がつけあがるに決まっている。ドアを開けるまでの数秒で必死で取り繕った。
うまく美来を躱すことができたと思う。
こちらの言いたいことだけ言ってドアを閉めることができた。
離婚したと知ったら付き纏われることは間違いないだろう。それは避けたいことだった。
寿羽と別れたからといって美来を側に置く気なんてサラサラない。
モニターに映る美来は呆然としていて、立ち去る気配がない。
人が立ち去らないからモニターが起動したままで、録画され続ける。
「さっさと立ち去れよ。訪問者記録を消せないじゃないかっ!」
寿羽がわざわざ訪問者記録を見るとは思わなかったが、万が一がある。
美来が来たことは消してしまいたかった。
美来は二十分ほど家の前で立ち尽くしていただろうか?
人が通りかかって顔を隠すようにして立ち去っていった。
モニターのデータを呼び出して、未来の訪問記録を抹消した。
終わっていることにも気付けない愚かな美来だと思って、寿羽にとって俺は終わった男だと気付けない愚かな男なんじゃないかと思い至る。
離婚届にサインした時点で終わっているんじゃないか?
いや、もっと前に終わっていたのだろう?
まだ間に合う。まだ終わってなんかいない!
ぼんやりしている間に日が暮れて、闇が空を覆った。
寿羽が帰ってこない。今晩は帰らないつもりだろうか?
帰らないなら連絡くらいあるだろうと思ってスマホの画面を見るが何も表示されない。
そう言えばいつ寿羽とメッセージのやり取りをしたのだろう?
スクロールしても寿羽とのやり取りが出てこない。
ようやく見つけたと思ったメッセージは寿羽が{少し具合が悪いんだけど何時頃帰って来る}というものだった。
俺はそれに返事もしなかった。
この日、帰ってきたらテーブルの上には食事の用意はされていたが、病院の薬の袋が置かれていて、寿羽は眠っていた。
あの時、寿羽を心配するのではなくて迎えに出てこなかったことに苛ついたのを思い出した。
俺って本当に最低だ。
寿羽からの電話の履歴も探したが、どこにもなかった。
このスマホに変更してから電話が掛かってきたことがないのだと初めて気がついた。
夫婦なのにありえないだろう?!
俺の発信履歴もなかったとこに愕然とした。
もう駄目だってこのスマホを見ただけでも解るじゃないか・・・。
寿羽が帰ってこない。話し合いたいのに寿羽がいないことに腹が立つ。帰らない可能性もあるようなことを言っていたじゃないかと、解っているのに受け入れられない。
気分を変えるためにもご飯を食べることにする。
冷蔵庫にあった筑前煮を温めて空腹を満たし、本当に帰ってこないつもりなのかとそれしか考えられなくなった。
ウロウロとベランダに出てみたり、玄関の扉を出て外廊下から寿羽が帰ってくるのを待っていた。
何度繰り返したか覚えていない。
外廊下に出て下を眺めていると1台の車が停まった。
何の気無しに見ていると車から降りてきたのは寿羽だった。
運転席にいる相手は見えない。
誰か知りたかったが今から降りても間に合わないだろう。
寿羽は車が見えなくなるまで見送ってようやくマンションの方に体を向けた。
相手は男なんじゃないかとなんとなく思った。
寿羽に家まで送り届けてくるような男がいたなんて聞いたことも感じたこともなかった。
「一体誰なんだ?!」
車が見えなくなるまで見送っている姿はまるで子どものようだった。
相手に心を許しているのがそれだけでもよく解る。
「本当に誰なんだ?」
ギュッと胸が引き絞られるような気持ちになりながら寿羽を引き止めるいい方法はないか思考を巡らせるが何もいい考えが思い浮かばなかった。
緒方には駄目だと言われたが寿羽を無理矢理にでも抱いてしまおうか・・・。
それで元サヤに戻るんじゃないか?
明日 22:10 UPです。