05 離婚5 寿羽 真川 離婚届
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冷蔵庫にある野菜を減らすべく食事の用意をすることにした。
大量の筑前煮を作って冷凍庫にストックすることに決めた。
味が落ちるけど私がいなくなっても食べられるものが少しでもあったほうがいいかと思った。
人参、蓮根は乱切りに、牛蒡は4cmくらいの長さで四割に。蒟蒻はスプーンでちぎって下茹でする。
干し椎茸はすでに荷造りしちゃったから、生の小ぶりな椎茸を選んで飾り切りをして軸を落とす。
普段は軸は冷凍しておいてハンバーグなんかに刻んで入れるんだけど、今回は泣く泣く捨てる。
小芋はたっぷりの水につけて皮をふやかしてからぐるりと一周切り目を入れてビニール袋に入れてレンジで温める。
キッチンペーパーで切り目を引っ張るとつるりと剥ける。
鶏肉は一口大に切って、炒める。
余分な油は嬉しくないのでキッチンペーパーで拭き取って一度取り出す。
人参、蓮根、牛蒡、蒟蒻を炒めて椎茸と小芋を加えて油を少し垂らしたフライパンで炒め合わせ、冷蔵庫にストックしている昆布出汁を入れてその上に顆粒の昆布出汁を入れ、砂糖、味醂、薄口醤油で味をつける。
普通は醤油を使うんだけど、色を薄く仕上げたいので私は薄口醤油を使う。
火を小さくして鶏肉を戻す。食材に火が通ったら出来上がり。
あっ、絹さやを忘れてた。っていうか買ってない。
うすい豆があったので、急いで筑前煮の中に投入。
その間に若竹を作る。これは作り置きできないから、一食分だけ。
わかめを水に戻して塩を洗い落として、筍の柔らかい方を1cm幅くらいに切る。
昆布出汁ストックを煮立てて筍を入れる。ほんの少量の醤油と、塩で味を整えて顆粒の昆布出汁も入れる。
味を見て美味しいと感じられたのでわかめを一口大の長さにカットしてザルに上げておく。
わかめは食べる時にサッと火を入れるだけで大丈夫。
わかめを入れてひと煮立ちさせたら完成。
昆布出汁ストックだけでは旨味を感じられない私はきっと舌が鈍感なのね。
それかもっと濃い昆布出汁を作るべきかな?
昆布高いしなぁ〜・・・。
昆布出汁ストックは寝る前に昆布を水に入れておくだけの簡単ストック。
昆布の量が多ければねっとりとした昆布出汁になる。
煮立たせるより簡単だから使い勝手がいい。
残った筍は季節が違うけど使い切りたいし、筍ご飯にしよう。
米を研いで、昆布出汁ストックで水をいつもより少し少なめに入れる。日本酒でいつもの適宜なところまで水を入れて、顆粒昆布出汁も入れたら、ほんの少量の醤油を入れる。
筍はスライスして、薄揚げは一度お湯にくぐらせて油抜きをして短冊状に切る。
米の上に筍と油揚げを入れて後はスイッチを押すだけ。
後は・・・サラダ。
レタスを敷いて、大根を細い千切りにしてサッと水にさらす。塩で下茹でした海老、烏賊を冷ましてから千切り大根と和えてシーフードサラダに仕上げる。シーフードサラダを作ると凄く贅沢しているような気がする。
ドレッシングはタルタルソースにしようかな。
ゆで卵を作って、玉葱をみじん切りにする。水にさらして辛味をとり、ボウルでゆで卵を潰して、固く絞った玉ねぎを入れ、刻んだパセリも入れる。酢とマヨネーズを入れて混ぜたら出来上がり。
自分ひとりのためにこれだけの贅沢ってありえなくない?
ここまでの贅沢をするなら夫の分もちゃんと作ったほうがいいような気がしたけれど、離婚話をしている最中に豪勢な食事を用意するのは何か勘違いされそうで、一人で堪能することにした。
筑前煮と若竹。筍ご飯にその上シーフードサラダなんて。
筍ご飯をよそって定位置に腰を下ろし、手を合わせて・・・いただきます。
サラダから口にして、筑前煮、ご飯、若竹と迷いなく箸を進める。
はぅ〜〜幸せ〜〜。
お腹いっぱい食べてしまって洗い物が億劫になりながらも、そろそろ夫が帰ってくるから取り敢えず部屋に引きこもりたい。
食べてもいい印に筑前煮は鍋のまま置いておく。
ガスコンロを拭き上げ、流しの水気を切ってキッチンを後にした。
夫が帰ってきた気配がする。今まではインターフォンを押して私が扉を開けるのを待っていたのに、スーパーの一件以来、インターフォンは鳴らさなくなった。
私が迎え入れてお風呂に入ってそれから食事。それが夫の日常。
私が世話をしていたときは用意されたお風呂に入って、食卓に並んだ食事に無言で箸をつけるだけだった。
「いただきます」くらい言えばいいのにと何度も思ったけれど口にはしなかった。
私がキッチンで用事をしていても私を待つこと無く箸をつける。
会話はそれなりにあったと思う。
意味のある会話だったかと言われたら首をかしげるしかないけれど。
たわいない話ばかりだったけど、意思の疎通はそれなりに出来ているように見えていたかもしれない。
いつの頃からか夫に話しかけるのが億劫になり、共有していたいことがなくなって話しかけなくなっていた。
当然、夫にも不満はあったんだろう。
だから浮気したんだろうし。
夫婦の会話が足りなかったせいかな?それとも家の居心地が悪かったのかもしれない。
私は部屋のPCで明日行こうと思っている家具屋のベッドや食器棚を見ながらめぼしいものに目をつけていく。
夫が食卓に座った気配がした。
離婚届見たら食欲なくなるよね。寝室に入ってからのほうがいいかな。
あー明日メジャー持っていかないと。
それにトイレットペーパーにタオルに雑巾・・・。後なんだろう?
カーテンは一番に買わないと。寝室側は人から丸見えになっちゃう。
カーテンは前から欲しいと思っていた柄があるんだよね。
一から揃えるってちょっとウキウキしちゃうな。
妥協しないようにしよう。
こんなに買い物できるのって新居の時くらいだものね。
あっ、洗い物しているわね。キッチンでカチャカチャ音がする。
私は記載済みの離婚届を手に立ち上がった。
「離婚届を貰ってきたわ」
夫が手にしていた茶碗を落とす。
割れた音ではないわね。
水が流れたまま夫は私を見つめる。
「水がもったいないわよ?」
夫はハッとして洗い物を終わらせることにしたようで、私から視線を外して手を動かした。
テーブルの定位置に互いに腰を下ろす。
テーブルの上には離婚届とボールペンが1本。
「サインしてくれる?」
「やり直せないのか?」
「うん。何度も考えたけど無理だって思った」
「そう思った理由を聞かせてくれないか?」
「スーパーで見たときね、思ったことは知り合いが多い地元で何をしているの?って思ったの。その女は誰よ?!とかじゃなくてね」
夫はまっすぐに私を見ている。
「どっか遠くですればいいのに。なんて愚かなんだろうと思ったわ。仕事はどうしたんだろう?とぼんやり考えた気がするわ。私のために休んでくれた事なんか無かったからね」
「それは・・・」
「言い訳はいいわ。もう過去は変えられないし。休んで欲しいと思ったことは何度もあったけど、私は口にしなかったし」
「仕事を休んで欲しいと思ったことがあったのか?」
「何度もあったわ。具合の悪い時と、仕事が忙しいと言って休日、家に仕事を持ち帰ることが続いた日や、あなたが何週にも渡って付き合いだと言って休日、家を開けた時なんかには思った。でもそれも結婚してすぐの頃だけだった」
夫が一つ息を吐く。
「言えば嫌々でも休んでくれたかもしれないけど、不機嫌な態度で休まれても嬉しくないしね。逆に喧嘩することになっただろうし」
「そう、だな」
話を元に戻すべく、一つ咳払いする。
「スーパーで思ったのは、どうするにしても相手の情報が必要だって思った。だから相手の人の名前を聞いたの」
「その時点で離婚を考えたってことか?」
「それは・・・正直解らないわ。考えていたような気もするし、考えていなかったような気もする。ただこういうときは浮気相手の情報が必要だと思っただけかもしれない。・・・。あなたは何を考えて私の狭い行動範囲で浮気をしようと思ったの?デートと称してどこか他所へ行くことだって出来たでしょう?」
「正直、何も考えてなかったとしか言いようがない」
「そう、恋をすると愚かになるものね」
「違う!!恋なんかしていない!あわよくばと思っただけだ!だからもう会いたいとすら思っていない!」
「恋じゃなくて残念ね」
「寿羽・・・本当に許して欲しい・・・」
「ごめんね。許すとか許さないとかじゃないの。もうずっと前から心は離れてしまっていたの。そしてスーパーの出来事は私と貴方の関係を成り立たせるために、最後の破ってはいけないことだったの」
「ずっと前から?」
「そう、結婚してから少しずつ。あなたの浮気は、離婚を切り出す事ができるようになった私にとっては都合の良い出来事でしかなかった」
「・・・・・・解った」
夫はボールペンを手にして離婚届に必要事項を埋めていった。
最後の名前を書いてペンを置いて私を見る。
「これでいいか?」
「ええ。ありがとう。提出は・・・今月の末日までに提出するわ」
「解った・・・離婚届を提出するまで本当にやり直せないか考え続けてくれ」
「解ったわ。明日、明後日と外出します。帰ってこない可能性もあるので、食事は冷凍庫に入っているものを食べてください」
「誰かと一緒なのか?」
私は返事をしない。
「そうか。・・・解った。気にかけてくれてありがとう」
私が立ち上がろうとしたら夫の手が空を泳ぐ。
そしてテーブルの上に落ちて、拳が握り締められる。
呼び止められることはなく、私は自室へと戻った。
あっさりと離婚届にサインされて少し驚いた。嬉しいような悲しいような複雑な気分。
結婚式から今日までのことを思い出して、ちょっと涙が出た。
この涙は何なんだろう?
離婚に後悔があるなら今ならまだやり直せる。
お風呂の用意をして今日もバスボムを入れる。
今日は優雅な気分になれなくて湿っぽい気持ちは、お風呂では立て直せなかった。
ソファーベッドに寝転んで本当に離婚してもいいのか、自問自答する。
新しい部屋へ思いを馳せると、気分が浮上していく。
仕事に戻ることを考えると、胸がときめく。
離婚することが悲しかったのではなく、ちょっとした感傷なのだと思った。
その後はぐっすり眠れて、目覚めはスッキリしたものだった。
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家に帰り着くと寿羽は仕事部屋でなにかしているのか、ガタゴトと音がしているものの部屋からは出てこなかった。
スーパーで会うまでは毎日玄関で出迎えていてくれたことが特別なことのような気がしてきた。
寿羽の気持ち一つで変わってしまう俺達夫婦はこんなにも脆いものだったとは思わなかった。
親父に離婚に応じろと言われたが、俺は寿羽を本当に愛しているんだと沁み沁みと思う。
離婚したくない。
着替えるのが面倒だったのと寿羽と話す時間を先送りしたかったので先に風呂に入ることにする。
スーツはクリーニングに出すか?
離婚したらこんな判断も自分でしなければならないんだと思うとげんなりする。
仕事だけしていればいい生活でなくなることに、やっていける気がしない。
お風呂でさっぱりしても心は晴れなくて今までに比べたら早い時間に食事にすることにした。
「今日は筑前煮か・・・」
ご飯をよそおうと炊飯器を開けると筍のいい香りがした。
「季節外れの筍ご飯か」
筍ご飯と温めた筑前煮をテーブルに置いて腰を下ろす。
何の気無しにTVを点ける。
その日あった事件事故がダラダラと流れていくが、興味が惹かれることはなかった。
お茶が欲しくて寿羽にお茶と言いそうになって、入れてくれる寿羽は部屋に閉じこもったままだと気がつく。
「こんな調子で離婚しても俺はやっていけるんだろうか?」
食べ終わった食器を片付けるために立ち上がる。
洗い物をしていると寿羽が部屋から出てきてテーブルのある場所に立つ。
「離婚届を貰ってきたわ」
思わず手にしていた茶碗を落としてしまう。
離婚が現実になった。
呆然と離婚届けに視線を向けていると、寿羽に「水がもったいないわよ?」と言われて少しでも話を遅らせたくて洗い物を続けた。
のろのろとテーブルの定位置に腰を下ろすと寿羽も腰を下ろした。
テーブルの上には離婚届とボールペンが置かれる。
「サインしてくれる?」
「やり直せないのか?」
「うん。何度も考えたけど無理だって思った」
どうしてなんだ?寿羽にとってスーパーで会ったことが離婚まで言い出すことなのか?!
「そう思った理由を聞かせてくれないか?」
寿羽が一度頷いて話し始める。
「スーパーで見たときね、思ったことは知り合いが多い地元で何をしているの?って思ったの。その女は誰よ?!とかじゃなくてね」
だったらもう無かったことでいいんじゃないのか?
「どっか遠くですればいいのに。なんて愚かなんだろうと思ったわ。仕事はどうしたんだろう?とぼんやり考えた気がするわ。私のために休んでくれた事なんか無かったからね」
愚か・・・親父にも言われた。
「それは・・・」
「言い訳はいいわ。もう過去は変えられないし。休んで欲しいと思ったことは何度もあったけど、私は口にしなかったし」
「仕事を休んで欲しいと思ったことがあったのか?」
そんなことを思っているなんて知らなかった。いつも平然としていたように思う。
「何度もあったわ。具合の悪い時と、仕事が忙しいと言って休日、家に仕事を持ち帰ることが続いた日や、あなたが何週にも渡って付き合いだと言って休日、家を開けた時なんかには思ったわ」
寿羽がそんなことを思っていたなんて思いもしなかった。
根本的にすれ違っていたのか?最近は寿羽から話しかけられることも無くなっていた・・・。
俺が寿羽の気持ちを思いやれていなかっただけなのか?
「言えば嫌々でも休んでくれたかもしれないけど、不機嫌な態度で休まれても嬉しくないしね。逆に喧嘩することになっただろうし」
その可能性は高いだろうな。
3度目の喧嘩以来気まずくて寿羽の前から逃げ出していたんだ。
それまではうまくいっていたんだ。
「そう、だな」
「スーパーで思ったのは、どうするにしても相手の情報が必要だって思った。だから相手の人の名前を聞いたの」
「その時点で離婚を考えたってことか?」
スーパーで会った時点で離婚を考えていたのか?!
話し合いになるはずがなかったのか・・・。
「それは正直解らないわ。考えていたような気もするし、考えていなかったような気もする。ただこういうときは浮気相手の情報が必要だと思っただけかもしれない。・・・。あなたは何を考えて私の狭い行動範囲で浮気をしようと思ったの?デートと称してどこか他所へ行くことだって出来たでしょう?」
「正直、何も考えてなかったとしか言いようがない」
近くで便利が良いと思っていたくらいだ。
「そう、恋をすると愚かになるものね」
それは絶対にない!!美来に恋をしたことなどない!!
「違う!!恋なんかしていない!あわよくばと思っただけだ!だからもう会いたいとすら思っていない!」
「恋じゃなくて残念ね」
残念なんかじゃない。
俺が大事なのは寿羽だけだ。
「寿羽・・・本当に許して欲しい・・・」
「ごめんね。許すとか許さないとかじゃないの。もうずっと前から心は離れてしまっていたの。そしてスーパーの出来事は私と貴方の関係を成り立たせるために、最後の破ってはいけないことだったの」
やっぱり3度目の喧嘩のせいなのか・・・。
「ずっと前から?」
「そう、結婚してから少しずつ。あなたの浮気は、離婚を切り出す事ができるようになった私にとっては都合の良い出来事でしかなかったの」
離婚を受け入れるしかない、のか・・・。
受け入れたくないが親父にも受け入れろと言われている。一旦離婚を認めてからもう一度やり直す方向に話を持っていけば・・・。
「・・・・・・解った」
俺はボールペンを手にして離婚届に必要事項を書き込んでいった。
最後に俺の名前を書いてペンを置いて寿羽を見る。
「これでいいか?」
「ええ。ありがとう。提出は・・・今月の末日までに提出するわ」
そんなに早く提出するのか?寿羽には後ろ髪を引かれるような思いはないのか?
もう一度考えて欲しい。いや、何度も何度もやり直す事を考えて欲しい。
「解った・・・離婚届を提出するまで本当にやり直せないか考え続けてくれ」
「解ったわ。考えてみるけど期待はしないで。明日、明後日と外出します。帰ってこない可能性もあるので、食事は冷凍庫に入っているものを食べてください」
帰ってこないってどういうことだ?
「誰かと一緒なのか?」
寿羽は返事をしない。
「そうか。・・・解った。気にかけてくれてありがとう」
明日 22:10 UPです。