02 離婚2 真川と美来 心の中
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
失敗した。美来と買い物しているスーパーに同じ時間に寿羽がやってくるとは思いもしなかった。
いや、考えればスーパーにやってくる可能性はあったが、同時刻の同じスーパーに居合わせるなんて誰が想像するだろうか?
美来とは寿羽と結婚して直ぐの頃に出会った。
電車でよく会い、会うと会釈するようになった。
美来から「こんばんわ。よく会いますね」と声を掛けられ、物欲しそうに俺を見ている女だった。
俺がよく知る視線だった。
結婚したての俺は心身共に満足していたので物欲しそうな女の誘いには乗らなかったが、キープしておけるのならキープしておこうと思っていた。
寿羽が知らないところで戯れているのが楽しかったし、いつかその気になった時に便利な女がいると楽だと思ったから。
美来に俺から声を掛けたのは寿羽と結婚してから最初の喧嘩の翌日だった。
寿羽に言葉で言い負かされてそれに頭にきて、その憂さを美来で晴らそうとした。
美来は身持ちの悪いところがあって、その日にしなだれかかってきて美来の方からキスをせがんできたがそれには応えなかった。
その時はまだ手は出さずにその過程を楽しむに留めたかった。
俺を落とそうとあれやこれやを仕掛けてくる美来が滑稽で面白かった。
結婚指輪をしていることは気にならないらしい。
電車で会った時は立ち飲みで1〜2杯付き合って連れ立って店を出る。
人前でも前のめりになってくる美来に一定の距離感を開けていると、人目が無くなると一気に詰め寄ってくる。思わず笑いそうになった。易い女だと。
寿羽と2度目の喧嘩のときは寿羽が1週間ほど口を利かなかった。
その間に美来と会っていたら直ぐに関係を持っていただろう。
運良く出会わなかったのでその時は美来とは何も起きなかった。
3度目の喧嘩のとき、俺は寿羽に対して大失敗を犯した。
言うべきではないことを言ってしまって、それから寿羽の態度と距離感が変わってしまった。
寿羽の態度を元に戻したくてあれこれ手を尽くしてみたが、寿羽の態度は元に戻らなかった。
初対面の頃のように距離を感じるようになった。
寿羽の信頼を失ってからは家の居心地がとても悪い気がして家に帰るのが嫌になった。
休日も外出するようになり、仕事だと言っては帰宅時間をなるべく遅くした。
そうすることによってますます寿羽との関係も悪化していったような気がする。
家の居心地が悪い俺に美来は居心地の良い場所を提供してくれていた。
仕事が終わると美来の家で時間を潰し、そこそこの時間になったら寿羽の待つ家へと帰る。
美来と寿羽を比べて全てにおいて寿羽が上回っていると思ったが、馬鹿な女に持ち上げられているのも心地よかった。
寿羽はどんどん俺に関心が無くなっていくように思ったが、離婚などは口にしなかった。
寿羽は寝室を別にしたがったがそれは俺が許さなかった。
それでも寿羽は俺の求めに応えなくなっていた。
せめて子供ができれば関係も変えられると思ったのだが、求めても5回に4回は断られるのでそれもままならなかった。
求めに応じたときは寿羽の心が拒否しているのか、俺を受け入れさせるのに苦労した。
美来が妊娠したと言い出し、俺にとっては誰の子供かも解らないので「産みたいなら好きに産めばいい。ただ俺は一切関わらない」と告げると一人で堕胎してきたと言ってきた。
正直それも本当かどうかわからない。
病院に一緒に行ったわけでもなかったし「堕ろしてきた」と言った日も普通にしていた。
俺も「そうか」としか言わなかった。
領収書も見せなかったので処置費用も支払わなかった。
それからも美来との関係は変わらなかった。
早く帰りたくない日や寿羽とは一緒にいたくない休日は美来の元に通い、寿羽には見せない俺を美来に見せ、美来には見せない俺を寿羽に見せて暮らしていた。
本当にヘマをした。前日担当していた仕事が片付いて「有給を取るなら明日とっていい」と父に言われた。
「たまには寿羽さんを甘やかしてやれ」
特に何かがあった訳では無いが3度目の喧嘩以降、寿羽と休日をまったり過ごす気にはなれなかった。
だからいつもの出勤時間に家を出て美来の家へ行った。
美来は俺を見て「だったら私も有給取るわ。たまにはゆっくりイチャイチャしよう」と言った。
寿羽と遠ざかっている肉体的接触を美来で満足させ、美来が昼食を作ってくれると言うから「好きにすればいい」と言った。
俺は美来の家から出るつもりなんかなかったんだ。
「たまには私の心の満足に付き合って」
そんなふうに言われて仕方なくスーパーに付き合った。
寿羽としたことのないことを美来とした。
スーパーのカートを押して籠の中に入れる美来を見て、今度寿羽とこういうことをしてもいいかもしれない。今度買い物に付き合ってやろうと考えていた。
目の前に寿羽が立つまでは。
何が起こったのか解らなかった。
寿羽が目の前にいることを受け入れられなかった。
頭の中はなんで?どうしてここにいる?ばかりが繰り返される。
「この後あなたはどうするの?」
寿羽に言われて、まずい困ったことになったという感情が頭の中でぐるぐる回る。
美来がうっすら微笑んでいるのが目に入った。
美来が望んだ展開なのだと理解した。
だがこんな間の悪いことが起こり得るのか?なんと答えたらいいのかも解らない。
「えっと・・・?」
「その人と買い物をして帰るのか、そのカートから手を離して私と一緒に帰るのかって聞いているんだけど?」
当然寿羽と帰るに決まっている。
寿羽はスマホを取り出してカシャカシャと俺と美来の写真を撮った。
そこで美来の顔がひきつる。
寿羽が美来に名前と年を聞いて「次に会うときは裁判所になるかしらね。お世話様ね」とニッコリと笑って俺の前からいなくなった。
美来は俺に「奥さんが言ってた裁判って冗談よね?」と言った。
俺はちょっと正気に戻って美来なんかにかまっている場合ではないと気がつく。
寿羽がレジを済ませてスーパーから出ていくのが目に入って後を追いかけた。
自転車に乗った寿羽が遠くなる。
自転車に追いつけるかよ!と苛立ったが走って追いかけたほうが寿羽が満足するだろうと思って仕方なく走って追いかけた。
頭ではどんな言い訳をしようかと考えながら、あっ・・・カバンは美来の家に置いてきたままだ。
この先ちょっと面倒なことになりそうだと息を切らしながら思った。
美来との関係は今日が初めてだと説明しても寿羽はまるで信じていない。
こんな言い訳などせずに堂々としていればよかったのではないかと頭をかすめる。
寿羽が急に立ち上がり寝室に行ったと思ったらすぐに戻ってきて「付いて来て」と言われて付いて行くと銀行の窓口で、俺の通帳に入っているお金をほぼ全額引き下ろされて寿羽の通帳へ入金して満足そうにしていた。
お金を移し替える程度で満足するならと黙って言うことを聞いていたが、寿羽は簡単に離婚を口にして別居を提案してきた。
俺は離婚なんか認める気はサラサラない。
寿羽と離婚なんてことになったら親父にも、家城の爺様にもどんな目に遭わされるか解らない。
それに寿羽とのこの快適な生活を壊す気などないのだから。
だが、別居も離婚もここで認めなかったら寿羽は美来とのことを事細かく調査させるのではないか?
調べられると美来のことは簡単に出てくるだろう。
今言ったこともすべて嘘だとバレてしまう。
ここは一旦別居を受け入れたほうがいいのではないか?きっと本気じゃないから受け入れたら寿羽のほうが慌てるんじゃないだろうか?
寿羽が本気で離婚を望むはずがない。よな?
ちょっとした意趣返しをされているだけだと思いたかった。
喧嘩真っ最中のときですらちゃんとご飯の用意をしていた寿羽は、目の前で自分の分の食事の用意をして俺の分は用意してくれなかった。
寿羽が食事をしているところを見せられて、別居は本気かもしれないと思い直した。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
高坂美来は目の前にいる男、真川をどうしても自分のものにしたかった。
奥さんに義理立てしているのか私から迫っても目の前の真川は手の中に中々落ちてこなかった。
こうなったらゆっくりと確実に手に入れるしかないと長期戦になることを覚悟した。
一度冗談で妊娠したと伝えると真顔で「産みたいなら好きに産めばいい。ただ俺は一切関わらない」と言われてしまって「堕ろしてきた」と伝えると「そうか」としか答えなくて、真川が私には本気になっていないことが理解できた。
真川という男は身に着けているものは高級品ばかりだった。
20代半ばの男が身に着けられるようなものではない。
どれか一つならボーナスで頑張ったのね。と思えたが持っているもの一つ一つすべてが高級品で、それを身に着けていても嫌味がまったくなかった。
根っからのお坊ちゃまなのだと思った。
勤め先が真川コーポレーションで、名字が真川。
何としてもこの男を手に入れなければと思った。
でも中身はケチくさい男だった。
私と行くのは立ち飲みばかりで支払いは自分の分だけ。
一度も私にお金を使ったことがない。
私の家に来てもお客さんの姿勢は崩さず私のお金で買ったものを食べるのに、それに対する対価を支払おうとしなかった。
それでも真川と離れることは考えられなかった。
今はこんな扱いでもいつかきっと私のほうが大事になるときもあるはず。
だから真川が望むような女になる。
そのためにゆっくりと時間をかけて真川のいろんなことを調べた。
自宅はもう知っている。私の家から帰る時に何度も跡をつけた。
毎回必ず同じ家に帰るからあのマンションが自宅で間違いない。
この辺でも有名な超高級マンションだった。
あのマンションに自分が住むことを夢見た。
奥さんを追い落として必ずあのマンションに住んでやると、真川に抱かれながら思い続けた。
一度休日のマンションの前で身を隠して待っていると夫婦で出かける現場に出くわした。私が穿った目で見ているからなのか、仲よさげには見えなかった。
奥さんを写真に撮った。
奥さんが身に着けている物もすべて私には手が出ないようなブランド物で、いずれ私があそこに立つのだと奮起した。
それからは真川の都合の良い女を演じた。
物分かりよく求められたら求めに応じて、尽くした。
そしてたまに叶えられる程度の我儘を言う。
可愛いと思われる程度の我儘を。
日に日に私のところに来る日が増えていった。
真川が私の手の中に落ちてきているような気がした。
「今日は有給で休みなんだ」
そう言って朝早くからきた真川に合わせて私も会社を休むことにした。
求められるがまま応じて「腹が減った」と言うので買い物に誘った。
まるで夫婦のようにカートを押す真川に私は満足していた。
こんな小さな実績を積み上げて私が無くてはならない女になっていくのだ。
最初の頃に比べると我儘も少し無理なことでも聞いてくれるときがある。
そろそろ奥さんがいる家に乗り込んでいってもいいのかもしれないと考えられるようになっていた。
もう2年も尽くしているのだ。そろそろ見返りが欲しい。
真川に甘い笑みを浮かべながら、奥さんがどんな顔をするか見ものだと夢想していた。
奇跡が起こったと思った。
真川の奥さんがスーパーの入口に立っていて、こちらを見ている。
奥さんの表情が殆ど変わらなくて、この状況を理解できていないのかと思うほどだった。
それなのに、奥さんは私達の目の前にやってきて写真をとって、名前を聞かれて裁判を起こすと言った。
そんなことは私の想定の中にはなかった。
真川は私を顧みることなく奥さんの後をついていった。
それからは何も連絡がない。
私の家に残された真川のカバンを眺めて、裁判は困ると頭の中でぐるぐると回っていた。
ほとんど眠れないまま目を覚まして今日は会社にいかなければならない。身支度を整えていると鍵穴に鍵が差し込まれて扉が開いた。
やってきたのは真川で置いていったカバンを手にすると、私へのフォローは一切なかった。
もしかして私が真川のために努力した2年以上の日々は真川にとってどうでもいいことだったのではないか?
だって私の部屋の鍵は返され、私の手の平の中にあったから。
それから何度か電話をかけていると着拒されてしまった。メールを送っても返事は来ず、暫くするとメールは宛先不明で返ってくるようになって、メッセージは最初から教えられていなかった。
完全に真川に切り捨てられたのだと思った。
信じられない。私の2年を返してよ。
私が真川のために使ったお金を返してよ!!
私のほうが損しているのに、私が裁判で訴えられるの?!
そんなことってある?
真川の家庭を無茶苦茶にしてやりたいと心から思った。
明日22:10 UPです。