12 再出発2 寿羽 過去 祖母の死
週が明け、3年ぶりの出勤。榛原さんと一緒に歩いていた。
玄関を出て鍵をかけていると榛原さんも出勤のために出てきたところに出くわした。
今日私に振り分けられる仕事の話をしながら結構な速さで歩く。
ちょっと速くてついて行くのが大変だと思っていると榛原さんの歩調が緩んだ。
「悪い。一人のつもりで歩いた」
「遅いようでしたら置いていってください」
「別に急いでいるわけじゃないからな」
「荷物まで持ってもらってすいません」
「何が入っているんだ?」
「カップやらデスク周りに必要か、必要でない物が入っています」
「なるほど。まぁ、前に働いていただけに必要なものはある程度予測つくからな」
「そうなんですよ。だから必要のないものまで入ってます」
榛原さんが笑った。
「なぁ・・・」
「なんですか?」
「いや、仕事頑張れよ」
「はい。直ぐに勘を取り戻してみせますよ」
「頼もしいな」
始業時間になり、知らない人もいるからと自己紹介をさせられて知っている人には離婚したんだ・・・と受け入れられた。
復帰初日から目が回る思いをしたけれど定時には仕事を終えることができた。
仕事にも少し慣れてきた頃、配達証明付きの郵便物が届いた。
差出人はお祖父様で、その中身はこのマンションの権利書だった。
マンションの名義は私の名前になっている。
権利書に張り付いていて気が付かなかったのだけど、お祖父様からの手紙も入っていた。
『今年の誕生日何もやらんかったからな誕生祝いだ』
お祖父様・・・誕生日プレゼントにしては桁が違います。
それに今年の誕生日プレゼント貰ってますからね。
ボケてますか?って突っ込んでいいですか?
お祖父様に電話をかけてお礼を言わなくちゃ・・・。気が重い。
ちょっとプレゼントにしては多すぎますと苦情を言うと、ここ数年プレゼントを渡してなかったからだと言われた。
いえ、毎年欠かさずにプレゼントもらっていますから。
それも分不相応に!!
ありがたいことに管理費、光熱費までお祖父様払いとなった。
誕生日プレゼントだから当たり前なのだそうだ。
普通の感覚では当たり前じゃないですからね。お祖父様。
電話で他に教えられたのはお祖母様がすでに意識がないということだった。
もって1〜2週間だろうと聞かされた。
意識がないなら見舞いに行きたいと告げると好きにすればいいと言われ、週末お見舞いに行くことになった。
病院の最寄り駅で南さんが待っていてくれて病院まで連れて行ってくれる。
驚くほど小さくなったお祖母様の胸が機械に繋がれているために大きく上下している。
お祖母様との思い出に良い思い出は1つもない。
小さい頃は意味も解らず殴られたり蹴られたりした。
酷いときは首も絞められたし、包丁を突きつけられたこともある。
兄や姉を可愛がる祖母がなぜ私だけ嫌っているのか母に聞くと、母にも暴力を振るわれた。
「お前が悪い子だからだっ!!」と言われた。
その度に父は知らん顔で、怒ってくれるのは祖父だけで、私が祖父に懐けば懐くほど祖母と母に嫌われたように思った。
今はもうすべての理由を知っているけど、一度くらいは祖母と膝を突き合わせて話してみたかったかもしれない。
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中学生になって男女の恋愛が解るようになった頃、父が屋敷に来て私の出生の秘密を猫なで声で教えてくれた。
その時には解らなかったけれど、教えてくれたのは善意ではなく、父の鬱屈した思いのはけ口だった。
多感な年頃に重い秘密を教えられて私の心は一度折れた。
あれほど大好きだったお祖父様が世界で一番嫌いにさせられた。
お祖父様が私の実の父親だと父が言った。
多方面から真実を教えられて、信じていた父親が自分の味方でなかったことも知ることになった。
どれが真実か解らなくなって、世界から私の味方は誰もいなくなってしまった。
私が生まれる前、祖母の母親が入院したので祖母が実家に帰った。
そんな時に父は出張で屋敷を空けることになった。
屋敷に残されたお祖父様が母をレイプした。
そして私が産まれたんだ。そう父から聞かされた。
母に嫌われ疎まれていることに納得がいった。
母をレイプしたお祖父様を心から恨んだ。
そしてたった1度のことで産まれることになった私が許せなかった。
自殺しようと思ったことは何度もあったけれど、怖くて実行する事はできなかった。
自殺することもできない自分の弱さを、お祖父様にぶつけた。
お祖父様は何も言わずに受け止めていたが、周りの人たちは違った。
私が最も信じているお祖父様の周りにいる人たちが私に聞かせたのは父から聞いた話とは真逆だった。
母がお祖父様を強い薬で意識を朦朧とさせた上で、お祖父様を襲ったのだと全く逆のことを聞かされたのだった。
父が出張して一週間ほどは誰も気が付かなかった。
お祖父様は悪い夢を見たのかと思っていた。
お祖父様の具合が悪くなり医者にかかって初めて薬物を摂取させられていることが判明した。
屋敷にいる者たちが食事と飲み物に気をつけているのにお祖父様の具合は悪くなっていく。
一体何が起こっているのか、寝ずの番で屋敷の者がお祖父様の部屋で待機していると母が忍び込み、お祖父様をレイプしようとしていたのだった。
現場を取り押さえられた母は狂ったように高笑いをして「もう遅いわ。私はきっと妊娠したわ」と半裸の格好で笑い続けていたそうだ。
そのまま母は屋敷から追い出され、二度と屋敷に立ち寄ることは許さないと伝えられた。
その後母は本当に妊娠し、お祖父様の子だと声高らかに訴えたが息子の康介の子の可能性もあるので生まれるまで母を相手にしなかった。
私が産まれてからDNA鑑定をすると、父の子ではなくお祖父様の子供だということが判明した。
父が私を「父さんの子供だ」と言ってお祖父様の元に置いて姿をくらました。
母は私を返せと言ってきたらしいけどお祖父様は母に私を返さなかった。
そして祖母の憎しみは母と私へと向かい、抵抗できなくて近くにいる私に向かった。
それは虐待というようなものではなかった。
明らかな殺意があって何度も殺そうとした。そのために祖母のいる屋敷に私を置いていられなくなってしまった。
祖父は泣く泣く母の元へと私をあずけることになった。
その頃には母は自分たちの生活が落ちぶれたのは私とお祖父様のせいだと思いこむようになっていた。
母はお祖父様を恨み、悪いのはすべて寿羽だとまだ小さな私に言った。母の言うことすべては理解できなくても私が悪いのだと言われていることは理解できた。
母は私を疎んだが、祖母は私を殺そうとした。
母と祖母、どちらがましという天秤でお祖父様は母の手元に残す方を選ぶしかなかった。
お祖父様は何度も祖母を説得して、聞き入れないのなら離婚だと説得を続けたが祖母は私を受け入れることも、お祖父様との離婚にも応じなかった。
お祖父様は祖母に与えていた資産すべてを取り上げ、祖母は家城家の中で出来ることは殆どない状態になった。
それでも祖母は頑として離婚には応じず、裁判所に離婚の申し立てをしても祖母は離婚に応じず、私を殺そうとすることも止めなかった。
お祖父様は何度も警察に相談した。
殺人未遂で逮捕させようとしたが警察は及び腰で、任意の取り調べだけで逮捕されることは一度もなかった。
父はすべての真実を知っていた上で母がお祖父様にレイプされたと私に教えた。
周りの誰も信じられなくなった私はお祖父様に一人暮らしをさせて欲しいと願い出た。
お祖父様が許可を出してくれて、一人暮らしをするようになったのは、私が14歳になったばかりの頃だった。
一人暮らしと言っても祖父が信頼しているお手伝いさんと一緒だったので本当の意味での一人暮らしではなかったけれど、ようやく息ができる生活が送れるようになったと思っていた。
祖母と母に疎まれれば疎まれるほどお祖父様の私への愛は大きくなっていった。
その愛が重くて息苦しいほどに。
愛の重さにがんじがらめになって、身動きが取れなくなった私はお祖父様からも逃げることにした。
大学へ入ることを諦め就職することにした。
自分のお金で家を借り、お手伝いさんと祖父の手から逃れた。
実際はお祖父様の手の平の上だったけれど一時の自由を得た私はそこで真川と出会って恋をして結婚した。
真川との出会い自体、お祖父様の望み通りの結果だと知ったのは結婚して3度目の喧嘩をしたときだった。
喧嘩の始まりは理由も覚えていないような他愛もないことだった。
売り言葉に買い言葉でヒートアップした真川はお祖父様から私と見合いをするように言われて偶然を装って会いに行ったのだと、私に告げた。
そうでなければ大学も出ていない私となんか結婚なんかするわけ無いだろう。
愛してなんかいるわけがないとも言われた。
その時の衝撃は計り知れないものだった。
愛し合って結婚したと思っていた。それは私一人だけの思いで真川の中には愛などなかったと知らされた。
黙って何も言わなくなった私に真川もまずいと思ったのか言い過ぎたと謝ってきたけれど、私の心はその日から真川から離れた。
そして結婚して3年、真川が浮気をした。
愛していると真川は言ったけれど信じられるはずもなかった。
やっと、やっと離婚できて自由を手に入れることができた。
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お祖父様の手から逃れたのも一瞬、この家を与えられてまたお祖父様の手の中に落ちてしまった。
お祖父様の行動はすべて私を大切に思っているからだと理解はしている。
けれど真綿に包まれた私の息苦しさはお祖父様には理解してもらえない。
手の中にあるこのマンションの紙数枚の権利書がとても重いと思ってしまった。
マンションの権利書が私の手に届いてから数日後、祖母が亡くなったと連絡が入った。
上司である榛原さんに祖母が亡くなったことを伝え、葬儀は4日後なので今やっている仕事を終えてから休みを貰いたいと告げた。
「勤め始めて直ぐに申し訳ありません」
「気にするな。家城、大丈夫なのか?」
「はい。祖母とは不仲でしたので心情的には問題はないんですが、葬儀に参列するのは憂鬱です」
「それはなんとも複雑そうだな」
「はい・・・」
「会社からは何もしないほうがいいか?」
「できれば。欠勤扱いでもかまわないので」
「解った。葬儀後に上に伝える」
「助かります」
残業を少しして、任された仕事を片付けてから榛原さんに提出して明日から数日休むことを伝える。
榛原さんの優しい目に力を得て、お祖父様の屋敷へ向かう電車に乗る。
電車に揺られながら葬儀の後の方が大変なことになると想像がついて今からため息が出た。
南さんが手が空いているときは最寄り駅まで迎えに来てくれると言ってくれていたので乗り換えのときに南さんにメールを送る。
暫くすると迎えに行きますと返信があった。
駅の正面にお祖父様の車が停まっている。
駆け寄ると後部座席が開けられ中に視線をやるとお祖父様が座っていた。
「お祖父様!!」
「あれのためにわざわざ来なくても良かったんだが、世間体というものがあるから仕方ないか」
「お祖母様が亡くなられたのですから当然来ますよ」
「そうか?儂はどうでもいいがな」
「お祖父様・・・」
「そうだ!あれが死んだからの。養子縁組の届出をしたぞ」
「お祖母様が亡くなった日にですか?!」
「約束通りあれが死んでから届け出たぞ」
「これからはお父様と呼んだほうがいいですか?」
「誘惑に駆られるが暫くは黙っていたほうがいいだろう。四十九日辺りで発表するか」
「あまり変わらない気がしますけど」
「そうか?まぁ、そうだな」
くっくっくとお祖父様が笑う。
「はい。今の方がお祖母様の問題もあるので一気に揉めるだけ、楽かもしれませんよ」
「かえって大きくなる可能性もあるがな。それに養子縁組をしたことが漏れたら寿羽は暫くどこにも出られなくなるかもしれん」
「・・・母なら大したことは出来ないと思いますけど」
「そうとは限るまい。今の時点で儂の遺産を継げるのは康介と寿羽だけだ。寿羽が死ねば康介が独り占めにできる。だが康介はどこか壊れてしまっている。奴が何をどう考えてどんな行動をするか予測がつかん。儂が話すまでは黙ってるがいいだろう」
「私から話したりすることはありませんよ」
「まぁ、そうだの」
「それから会社には葬儀への参列を辞退しました」
「解った」
車窓から久しぶりの屋敷が見える。
「何年ぶりに帰ってきた?」
「10年ですね。二度と帰ってくることはないと思ってました」
「儂も寿羽は戻ってくることはないと思っておった」
「そう、ですね。私も戻って来る日が来るとは思っていませんでした。人生って解らないものですね」
「本当だの。今は寿羽が娘だ」
「一度お父様と呼んでくれ」
「お父様」
「こんな日が来るとは。長生きはしてみるもんだ」
南さんが運転しながら目元を押さえる。
危ないからちゃんと前を見てね。
懐かしい純和風の豪邸が見える。
嘘みたいだけど。屋敷の周りには深い堀がある。
トラックも通れる程の跳ね橋が掛かっている。
私が知っている限りこの跳ね橋が上がっているのを見たことがない。
跳ね橋から少し距離があって、ようやく屋敷の玄関が見える。
お手伝いの美世さんが出迎えてくれて、車の扉を開けてくれる。
「お嬢様。お帰りなさいませ」
「美世さん、ただいま」
「お帰りなさいませ旦那様。あの・・・康介(こうすけ)様御一家がいらしてます」
「佐知江も来てるのか?!」
「はい・・・。いらしてます」
「追い返せ!!」
「お義父様。そんなに邪険にしなくても良いではないですか」
「お前はこの家は立ち入り禁止だと言ってるだろう!!康介!!」
「父さん・・・」
「お前も出ていけ!!選りに選って佐知江を家に上げるなど!!」
「ですが母親の葬式ですし・・・」
「解った。美世!あれはこの家から旅立たせん!!小さな公民館でも借りてそこでさせろ!!」
「かしこまりました」
「父さん!!」
「お義父様、お義母様の遺産相続の問題もありますし!」
お祖父様は世間体をかなぐり捨てた。
母は祖母の遺産欲しさにやってきたのか。よくお祖父様の前に顔を出せたものだと私は呆れた。
現実にお祖父様に使ったような薬があるかは解りませんが、ご容赦を。
7月23日 22:10 UPです。
(明日UPと記載していましたが、ちょっとしたミスで23日になってしまいました。)
申し訳ありません。