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カクヨムを始めました  作者: あじさい
2025年
87/87

『ドラえもん』とSFのロマン。

2025年09月12日


 どうも、あじさいです。


 9月になって、気の早いカメラマンの人たちが「日本の秋」と銘打って写真を投稿し始めていますが、例年の傾向を考えても、まだもうちょっと夏で、秋は10月くらいからではないかという気がします。

 先日、久方ぶりに(記憶が正しければ10年前くらいに付き合いで行って以来で)スーパー銭湯に行ったのですが、スーパーと付くだけあってスゴイ施設ですね。

 この季節、筆者のような不摂生な人間は、外を少し歩いただけでダラダラ汗をかいて消耗するのですが、スーパー銭湯でリラックスした帰り道は、汗をかきながらも体が元気でしたよ。

 足の軽さとぬくさが段違いです。


 さて、今に始まったことではありませんが、かつて筆者が書いた文章を読み返してみると、いくら現代日本社会や人間存在を(あくまでカクヨムや創作活動を念頭に)考えることが増えているにしても、どうにも理屈っぽくて小難しい話ばかりしているように感じられて、更新の不定期さや主張の強さだけでなく、そういう理由もあって読者が離れてしまったのかな、と思います。

 今更ではありますし、今後も理屈っぽくて小難しい話を書いていくつもりですが、たまには肩の力を抜いてみてもいいのかな、ということで、今回はそういう方針で行きます。

 肩の力を抜くとして、どんな題材がいいだろう? という話ですが、最近いくつか映画を見たので、『ドラえもん』の話でもさせていただくとしましょう。


 皆さん、『ドラえもん』、好きですか?

「ドラえもんのひみつ道具を1つだけ貰えるとしたら何がいい?」

 という話は、あの博多華丸大吉さんも漫才のネタにしていたくらいです、話題に困ったときの暇つぶしとしては、天気の次くらいに鉄板の1つだろうと思います。

 世界各国の言葉に翻訳されつつ、アメリカではジャイアンみたいな男子が好まれるのか、のび太のキャラクター性が不評らしいですが、日本人はそれこそ「みんな」大好き、知らない人はいないはずだ、という厚い信頼があるように思います。

 ただ、筆者の中学時代には、『ドラえもん』のアニメ主題歌が話題に上がったときにその曲を初めて聞いたという人もいたので、厳密な意味では、日本に住んでいる子供たちみんなが知っているということではないようです。

 そう言えば、筆者も小学生時代にいじめに遭ったのですが、いじめっ子連中が好きだった都合で、『ドラゴンボール』と『ワンピース』はおそらく一生見られなくなったんですよね。

 人にはそれぞれの事情や優先順位があるので、『ドラえもん』を知らない人がいても別におかしい話ではないだろうと思います。


 まあ、とにかく、『ドラえもん』の映画は密林《ア〇ゾン》プライムで見られるんです、筆者はそのいくつかを見ました、のぶドラの特に中期くらいの映画が面白いですよね、みたいな話をしたいのですが、冷静に考えてみると、この辺りの感覚はどのくらい共有され得るものなのか分かりませんね。

 実は、小さい頃に見たという「思い出補正」で、面白いとか懐かしいとか思って、目から汗が出てきそうになるだけなのかもしれません。

 いや、本当に。

 数年前のことにはなりますが、密林《ア〇ゾン》プライムで見られると知って子供の頃以来で『銀河超特急(エクスプレス)』を見た時、ドラえもんとのび太の声だけで涙腺が緩くなりましたからね。


 最近の若い人はうんざりしている話でしょうが、筆者たちの世代がドラえもんを語ろうという時にどうしても外せないのが、のぶドラ派か、わさドラ派(わさドラ容認派)かということです。

 筆者はわさドラにリニューアルしたタイミング(2005年!)で『ドラえもん』から卒業したのぶドラ派ではあるのですが、声優が交代してからも第1話の放送は見たんですよ。

 新しい声優陣に嫌悪感はなくて、のぶ代さんに引っ張られず、よくこんなドラえもんらしい声を見つけてきたな、と当時から感心していました。

 ただ、わさドラって開始当初は原作回帰の路線で、のぶドラよりもコメディ色というかコミック色が強かったんですよね。

 一挙一動がいちいち大きいというか、声の張り方が子供っぽい(年相応)というか、ありていに言えば、対象年齢が下がった印象でした。

 子供の頃の筆者にはそれが寂しかったと言いますか、「これは今まで見てきた『ドラえもん』とは別の作品だ」と興味を失ってしまいました。

 それが(年齢上は)いい大人になって、職場の人の影響で『新恐竜』、『緑の巨人伝』、『南極カチコチ大冒険』、『ひみつ道具博物館(ミュージアム)』、『地球交響曲』など、わさドラの映画を何本か見ることになったのですから、人生とは分からないものです。


 そんな筆者のお気に入りは、のぶドラ時代の『銀河超特急』と『創世日記』です(余談ですが、『夢幻三剣士』は異世界転生モノを先取りしているようなシナリオなので、いま改めて見ると別の面白さがあるかもしれません)。

 Web小説の書き手の端くれとしては、SFとは何か、考えさせられるところでもあるのですが、〈宇宙を走るSLしかもミステリートレイン〉とか、〈宇宙の辺境に作られた惑星規模のテーマパーク〉とか、そういう設定だけで何だかワクワクしませんか。

 ハリポタやその前日譚『ファンタスティック・ビースト』、『ホグワーツ・レガシー』などにも感じることですが、「細部の設定や遊び心だけで人をワクワクさせる」ということこそ、SFやファンタジーの「ロマン」の見せ所という気がします。

 のぶドラにせよ、わさドラにせよ、やっぱりそういうワクワク要素がある時が、特に輝いていると思いますね。


 もちろん、何度も見返していると不自然な点も目につきますが、楽しい作品だな、という感想はいつまでも変わりません。

 考えてみれば、Web小説を含め、文芸というものも、案外そういうものかもしれませんね。

 書く側になるとどうしても技術やテーマ性、そしてそれらの独創性オリジナリティに目が行ってしまいますが、当然ながら読者の立場で考えたとき、それはあまり大きな問題にはなりません。

 結局は作品や書き手さんと出合うタイミングとか、出合った時の状況や心境が読み方を左右するのであって、読者それぞれが実際に新鮮な気持ちを味わったり、久しぶりにタイトルを目にしたときに懐かしさがこみ上げたりするような作品こそが「良い作品」として心に刻まれることになります。

 というか、物事は案外そういうことで良い、ということもあるのかもしれません。




 ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。


 のぶドラ時代の映画で筆者が何気に好きなのが、空白が多いことです。

 中でも印象的なのが、『銀河超特急』のワンシーン。

 土星のそばを通り過ぎるとき、のび太、ドラえもん、車掌さんの3人の背中と、車窓に映る巨大な土星の、無言の数秒間。

 わさドラなら、たぶんここに「わぁーっ」とか「すっごーい」とか声を入れる気がします。

 もちろん、それで分かりやすくなるだけでなく、楽しく笑える部分もあります。

 また、このシーンが無言で、動きがない背中だけのカットなのは、単に当時の技術では期日までに表情や動きを入れられなかったからというだけの可能性もあります。

 でも、筆者の個人的な感覚としては、ずっとにぎやかな映画よりも、少しくらい静けさがあって、観客が想像で補う余地がある作品の方が、見ていて楽しめる気がするんですよね。

 色々できる技術のある時代になったとしても、緩急や引き算の美学みたいなものは残ってほしいな、なんてノスタルジックに思っています。

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