話を聞く気がない人からの突撃。
2025年09月12日
どうも、あじさいです。
最初にお詫びと訂正をさせてください。
前回のエッセイにて、「それなりに真面目な大学生として社会科学を学んだ筆者に言わせると、マスコミ関係者の大半は学生時代に人文・社会科学をろくに学ばずに、アルバイトやサークル活動に時間を浪費していたのではないかと思うくらい、お粗末な番組しか作ってきません」と書いたのですが、組織の体質や構造を検討しないまま、憶測で個々人の人格否定にあたることを書くのは不適切でした。
申し訳ありませんでした。
この記述はすでに削除済みです。
先日、近況ノートに「外国人による犯罪のニュース」という記事(内容は、YouTubeのおすすめ機能が、外国人による犯罪のニュースに強い反応を示す人に同様のニュースばかりピックアップしてくるため、YouTubeのニュース動画ばかり見ていると外国人に対する偏見や不信感が助長されてしまう恐れがある、というもの)を書いたのですが、自称右派の方1名から突撃を喰らいまして、人が人の話を聞いたり読んだりできることは当たり前ではないのかもしれない、と改めて思いました。
この手の人は、Twitterではよく見かけますし、筆者も突撃を受けたことが何度かあります。
逆に、その種の話をしている人に筆者から話しかけて意見を言ったら、思いのほか理性的でない猛反発を喰らい、「話が通じない人だったか」と嘆いた経験もあります。
カクヨムでも、人権をテーマにした小説を書いたとき評価が低かったり、☆1だけ付けられたりすることはありましたが、今回は初めて、それまで関わったことのない初対面の自称右派の方から長文で突撃を受けました。
厄介なのは、この人がリアルでどういう人であれ、事実として、筆者の近況ノートの内容をろくに吟味しないまま、断片的なワードだけ拾って頭に血が上り、論点がずれるのも気にせず突撃をかけてきた、という点だけは間違いないことです。
カクヨムにもやっぱりいるんですね、こういう人。
どんな言葉も、聞く耳を持たない人には届かない、という趣旨のことはブッダやイエスさんもおっしゃっていたことですが、そういう人間は極めて効果的に人を疲れさせます。
筆者と価値観が違っていても頭が良い人なら、(自分の頭脳に自負があるので)こちらが根拠を出している分には話を聞いてくれますし、時にはこちらと同じ土俵に乗ってきてくれるので、最後まで相容れないとしても対話自体は成立するものですが、最初から話を聞く気がない人、話し合いをする気がない人には、どんな根拠を持ち出して何を言ってもダメです。
結局、筆者はその人に返事を書いたのですが、何を書いてもきちんと読まれないかもしれないのに、どうすれば先方の反感を最小限にして納得を引き出せるか考え続け、あれこれと推敲を重ねるのは、普段なにかに集中力するときとは別に余計な忍耐力が必要な作業でした。
この手の人は自分が言い負かされたことが分かればコメントを消すものだと思いますが、まだ消されていないことから考えて、先方は結局こちらの文章をきちんと読まないまま、筆者の方が言い負かされて見苦しく言い訳をしているとでも思っているのでしょう。
この人からの突撃は、ほとんど全てが筆者の近況ノートとは関係のない話で、昨今話題の論点ずらしばかりでした。
論点ずらしに遭ったときにこちらまで同じ土俵に乗ると、相手が延々と同じ手を繰り返す可能性があったので、返事を書いたときも反論はしなかったのですが、「この人は自分で文章を書きながら、自分が何の根拠も提示できないまま外国人に不信感を抱いていると露呈していることに、まさか気付いていないのか(きっと気付いていないのだろう)」と、思い出すたびにどっと疲れます。
曰く、
「私の住む街にも徐々に外国人が増えています。契約駐車場から自宅まで帰る道の途上に、強面の外国人が何人も屯していたら普通に不安になりませんか?」
「日本の慣習に一切敬意を払わずに、(一例として)ハラール給食や土葬墓地を要求する人間たちが今後どんどん増えていったらどうなるか本当に想像出来ないんですか?」(どちらも原文ママ)
などと書いてきました。
筆者の言い分は、あえて書くならこんな感じです。
「強面ではなく若い美人の外国人女性だったら許す、みたいな話ですか? というか、強面に見えるのはあなたが不信感を持っているからで、顔つきは基本的に生まれつきのものでしょう。あなたは引っ越し先で『あなたの顔は住民に不快感を与えますので、この町への転居は認めません』と言われて納得できるんですか? 強面の日本人は許すが、強面の外国人は許さないというのは、根拠のない過剰な不信感に基づく外国人差別ですよ」
「外国人が日本の慣習に一切敬意を払っていないと、どうしてあなたに分かるんですか? あなたは道行く外国人に街頭アンケートでもしたんですか? そして外国人たちは『私は日本の慣習に一切敬意を持っていない』と宣言したんですか? それから、あなたは外国人に要求されたら何でも従わないといけないと思い込んでいるかもしれませんが、意見表明は移住者だろうが観光客だろうが誰でもするもので、その中には自治体や政府がすぐには対応しかねるものもそりゃあるでしょうよ。車椅子ユーザーが『駅にエレベーターが欲しい』と要望したからといって、エレベーターを一朝一夕にポンと作れないことくらい、みんな分かってますよ。外国人にしても、『そういうニーズがあると認識してほしい』という話をしているのであって、日本には打ち出の小槌があるなんて思っていません。同じ地域の住民(労働者同士、納税者同士)として、少しずつでも叶えられる要望なら叶えていけばいいし、あなたにそれに反対するだけの合理的な根拠があるなら、公的な場で、あるいは公職にある人に対して、それを表明すればいいんです。ただ、合理的な根拠がないのに外国人の言うことだからと反対するのは、外国人差別にはなりますよ」
もちろん、こんなふうに相手を問いただすような口調の反論を書いたら、(たぶんこれを長文と認識してろくに読まないままの)先方がムキになってさらに別の論点に話をずらそうとしてくることも容易に想像がつきますし、だから実際には書きませんでした。
でも、書いた方が良かったのかな、書かないとこの人は一生分からないままかもしれないな、と、返事を送信した後になって、もやもやと気に掛かっています。
何にせよ、そもそも話を聞く気がない、話し合う気もないくせに(そして頼まれてもいないのに)、突撃をかけてくる人の相手をしなければならないのは、本当に、ネットのつらいところです。
いや、来たコメントを削除してブロックする手もあったのですが、相手の近況ノートなどで「このアカウントの奴は言い負かされたらコメントを消すような奴だ」などと噂を広められるのも癪ですし、一応、1回くらいは会話のキャッチボールをしておこうかな、と。
それに、相手がこちらの文章を読まないまま突撃をかけてきたことを反省して、今後は突撃する前に文章をよく読むようになってくれるのでは、という期待もわずかながらありました。
この種の期待は、対話のために捨ててはいけないとは思っていますが、でも、報われるかどうかはまちまちですね。
こちらがビックリするくらい報われる(相手がすんなり納得してくれる)こともありますが、ほとんど何の反応も返ってこないことも多いですね。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。




