春は始まりの季節。
2024年04月11日
どうも、あじさいです。
昨年末から、平日でも暇を見つけては、喫茶店に入り浸るようになりました。
入店すると、まずメニューとお冷とおしぼりを持ってきてもらえるのですが、少し前まで熱々だったおしぼりが、先月あたりからひんやりと冷たいものに変わりました。
筆者がよく行く「餃子の王将」では、まだ4月なのに、早くも冷やし中華が始まりました。
コロナ禍の最中は外食を全くせず、出先で食べるときはスーパーやコンビニのパンで済ませていたので、それ以前のことはよく分かりませんが、昨年も、王将は早くから冷やし中華を出していたように思います。
筆者は可能なら1年中食べていたいくらい冷やし中華が好きなので、早速頂きましたが、やはり美味しかったです。
ともかく、最近はすっかり暖かくなってきました。
先月の近況ノートを書いたときにも予想はしていたことですが、気温の乱高下によって、筆者は(主に精神の)調子を崩しつつあります。
本当であれば、喫茶店に入ったからにはもう少し、『世界』や『中央公論』など硬い文章の雑誌を読み進めたいのですが、気温の上昇と比例するように集中力が下がってきています。
とはいえ、必ずしも悪いことばかりではありません。
カクヨムで小説を書いている皆さんなら共感していただけるでしょうか、実は小説の構想を練ったり執筆を進めたりする上では、精神的な調子が少し悪いくらいの方が良いことがあります。
筆者にしても、一時はインプットに専念していましたが、少しずつアウトプットの習慣を取り戻しつつあるような気がします。
実際にカクヨムで何らかの作品を発表するところまで行くかは分かりませんが、「書く」ことに関して感覚を磨いているということです。
日本以外ではそうでもないですが、少なくとも日本では、春は新年度の始まりであり、別れと出会いの季節。
小説でもアニメでも、他の季節に比べ、4月、入学式や入社式から始まる物語は多いのではないでしょうか。
ライトノベルの金字塔『涼宮ハルヒの憂鬱』は、まさに入学式後の自己紹介で、涼宮ハルヒがあの名言、
「ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい」
を披露します。
(余談ですが、筆者の知り合いの同級生は、高校の入学式後の自己紹介で、勇敢にも、ハルヒのこの台詞をオマージュし、クラスの空気を凍らせたそうです。その後、別の同級生から「俺、実は宇宙人なんだけど――」と声をかけられて事なきを得たとのこと。)
2023年春にアニメが放送された『スキップとローファー』も、高校の入学式から始まる物語ですね。
筆者は無料のマンガアプリで読んでいて、その頃から名作だと思い、注目していました。
アニメ化すると聞いたとき、他の一部のアニメ化作品のように、登場人物たちが美男美女として小綺麗になりすぎるのではないかとわがままな心配をしていましたが、実際のアニメ版は絶妙なラインを守りつつ、期待以上の出来栄えで、再び感動すると共に安心しました。
OPのダンスはちょっと狙いすぎかな、と思いましたが、最近はああいうのが良いんだと言われてしまえば、世情に疎い筆者としては納得するしかありません。
ただ、アニメ第1話の感想まとめサイトを見ていて引っ掛かったのは、名シーンになるはずの場面の意味が、視聴者にあまり伝わっていないように見受けられたことです。
主人公の岩倉みつみさんは、高校入学のために田舎から東京に引っ越してきた女の子なのですが、入学式の当日、電車を乗り間違えて遅刻してしまいます。
そこに、同じ学校の新入生で、寝坊で遅刻してきた志摩聡介さんが通りかかり、みつみさんと一緒に学校へ向かうことになります。
短い会話の中で価値観の相違を感じつつ、電車に揺られ、学校の最寄り駅に着いた2人。
最初から入学式など欠席してもいいと思っていた無気力な志摩さんに対し、律儀な性格のみつみさんは、少しでも遅れを取り戻そうと走ります。
しかし、元々運動が不得手ということもあり、新品のローファーでは走りにくく、途中からローファーと靴下を脱いで、裸足で走り始めます。
志摩さんはそんなみつみさんを後ろから追いかけながら、くすりと笑みを浮かべるのでした――。
別のアニメ化作品『女子高生の無駄づかい』で言うところの、少女漫画の定番、物語序盤で男の子が女の子を「(普通とは違う)おもしれぇ女」と感じて興味を持つシーンなわけですが、ここで気にかけていただきたいのは、主人公のみつみさんがローファーを脱いだことの意味です。
皆さん、お分かりになるでしょうか。
感想のまとめサイトでは、「コンクリートの道を裸足で走ると痛いんじゃないの?」という趣旨のコメントがいくつもあったのですが、筆者としては、「そのツッコミはさすがにないでしょ」と思いました。
白状すると、筆者も初見では見過ごしていたのですが、これらのコメントを見る中で、なぜこの名作の第1話に「一見すると変なシーン」が入っているのかを考えて、その意味に気付きました。
ほぼ同時期に放送された『機動戦士ガンダム 水星の魔女』にも、同様のシーンが出てきましたが、創作物において女性が靴を脱いで走り出すと言えば、単にその靴が走りにくいというだけの話ではなく、
「社会が求める女性らしさという殻を破って、自分の本心をさらけ出す」
「メンツや建前をかなぐり捨てて、目的や目標のために奔走する」
といったことを象徴しているはずなのです。
似たような描写としては、お風呂や温泉などに入るシーンで、友人同士が服を脱ぎ、無防備な姿をさらすことによって、精神的な信頼関係(いわゆる裸の付き合い)を描写する、という手法があります。
ただセンシティブなだけのサービスシーンではないわけです。
他にも、アニメ『色づく世界の明日から』では、登場人物たちが心に重荷を抱えていることが、撮影機材などの重い荷物を担いで歩く描写と重ねられていました。
そして、彼ら彼女らが一瞬の景色を撮影するためにその荷物を放り出して走るシーンによって、心の重荷からも解放されたことが示唆されていました。
『スキップとローファー』の場合、ローファーはタイトルにも入っているキーアイテムですから、目の肥えた視聴者であれば、このシーンの象徴的な意味に気付きたいところなのです。
にもかかわらず、少なくとも筆者が見た感想まとめサイトでは、なぜかそういう話にはなっていませんでした。
もちろん、こんなものは、深夜アニメをリアルタイムで視聴し、細かい場面の感想をいちいちネットに書き込むような、ごくごく一部のアニメファンのコメントに過ぎないかもしれません。
(実際、感想まとめサイトは笑えることも多いですが、高い確率でネガティブなことを言う人がいて口喧嘩が起こっているので、アニメを単体で楽しめているなら、わざわざ確認しに行くことはお勧めしません。)
ですが、アニメファンの最も熱心な層が、一面的で短絡的な解釈しかできなくなりつつある(端的に言ってしまえば、読解力が低下している)可能性も否定できないのではないかと、門外漢ながら危機感を抱いてしまいます。
筆者もまた、気付くべきものに気付かず、見当外れなツッコミを入れてさえいるようなことがあるのかもしれません(言ったそばから心当たりばかりなのが恐ろしい限りです……)。
今回は本当にただの世間話に終始してしまいましたが、ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。
喫茶店で読む雑誌として、『文藝春秋』、『中央公論』、『紙の爆弾』にも手を出してはいるのですが、改めて、『世界』は他とは格が違うように思います。
率直に言えば、あまり腑に落ちないこともあるにはあるのですが、問題提起、言葉の定義、論理の組み方、主張と根拠の対応関係、無駄のなさ、最終的な結論への落とし込み方といった諸点が、抜群に堅実なのです。
筆者自身も含めて、いい加減なところがある書き手は、問題提起や言葉の定義の時点でネットや個人的経験によるイメージに頼っていることを露呈してしまったり、自分が知っている豆知識や日頃自分が抱えている不満など、話の本筋に関係のない話を放り込んだりしてしまうものですが、『世界』の寄稿者はさすが学者といいますか、そういうことがめったにないわけです。
知性、あるいは仕事の丁寧さは、知識の豊富さや考え方の斬新さだけでなく、こういうところにも表れるものなのだな、と思います。
筆者も、そういうものが自然と出てくるような考え方や振る舞いを身に着けていきたいところです。




