Web小説とフェミニズムと私
2021年1月31日
どうも、あじさいです。
今回はデリケートな話題なので、書いた後も投稿するか悩みましたし、かなり緊張しています。
ただ、これをいつかエッセイで取り上げたい、と前々から思ってきました。
自己満足のために、思い切って投稿させていただきます。
初っ端からこんな言い方をすると皆さんに無用な不快感を抱かせてしまうかもしれませんが、純文学からWeb小説に至るまで、「問題のある作品」ってあると思うんですよ。
誤字脱字や日本語のことではなく、表現の差別性や乱暴さのことです。
Web小説のタイトルを見たり中身を読んだりする中で、「この表現って女性差別じゃないかな」とか、「どうしてこの人はわざわざ他者に(登場キャラクターだけでなく彼ら彼女らに似た境遇の読者にも)配慮を欠いた表現を選んだんだろう」と思うことがあります。
タイトル・テーマ・設定・表現・描写・台詞・筋書きなどに社会の差別を是認するような要素(以下、「差別的な要素」とします)がありそうな作品については、最初から読まなかったり、途中で読むのをやめたりすることが多いので、作者さんに「その表現はまずいですよ」と書き送ったことはないと記憶していますが、目の前に差別や不正義があるのに抗議しないのはそれらに加担することと同罪なのかな、と思うと落ち着かない気分になります。
もっと言えば、偉そうにこんな文章を書いている筆者の作品にも差別的な要素があって、自覚がない内に誰かを傷つけたり、差別的な価値観を刷り込んだりしているのではないか、ということも心配です。
それというのも、おそらく、現代日本における差別的な意識・態度・行為のほとんどは、(それらが傍から見てどれだけあからさまなものであるにせよ、)我々にとって意識するまでもない「当たり前」の感覚・思考に溶け込んでおり、生活の一部となっているからです。
場合によっては、遊び心や善意、正義感の形をしていることもあります。
もちろん、読者の潜在的な願望に沿うという意味でも、人間社会のリアルなありようを描くという意味でも、創作物には差別的な要素が必要なときがあると思います。
それはたとえば、古い意味での女らしさ・男らしさを体現するようなキャラクターを登場させたり、(近代以前に生きていたり人間的に未熟だったりする)男性キャラに女性や性的少数者を侮蔑するような発言をさせたり、といったことです。
同じ作品の内部にそれらに対する批判的なまなざしが用意されているなら、作品全体が差別的であることにはならない、と言って良いでしょう。
しかし、もしそういった仕掛けが用意されていないのであれば、創作物を通して他者への差別や軽蔑・憎悪を助長していると受け取られても仕方ありません(この場合、その作品はカクヨムのガイドラインにも違反していると判断される可能性があります)。
実を言えば、6~7月に「文芸とは何か」という問いを念頭に置いて現代文学理論の勉強を始めたのも、こういった問題が気になったことがきっかけでした。
そう、筆者はこのエッセイで現代文学理論の話をしていたとき既に、将来的にフェミニズム(大雑把に言うなら、性別による差別や生きづらさのない社会を目指す運動および思想、学術研究)を取り上げるつもりでした。
そして、「文芸とは何か」、「Web小説では何が許され、何が許されないのか」、「フェミニズム的な観点から気になることがあった場合、きちんと問題を指摘したり懸念を伝えたりするべきなのか、それとも本人や一部の読者の趣味でしかないことだからと見て見ぬふりをするべきなのか」といったことを議論するつもりだったのです。
ただ、エッセイに掲載しようとフェミニズムについてある程度書き進めた後になってようやく気付いたのですが、どれだけフェミニズムについて考えを深めたとしても、そして、差別的な意識が明白に反映されたWeb小説に出合ったとしても、筆者がそのことを作者さんに指摘することは決してないでしょう。
何と言うか、色々怖いんですよね。
・悪意や嫌悪を向けられるのが怖い。
・反論という名の罵声を浴びるのが怖い。
・不適切な表現を指摘されて、反省するのではなく逆上するようなメンタリティを目の当たりにするのが怖い。
・筆者が勉強不足なせいでフェミニズムについて相手の誤解をより深める事態が怖い。
・クソリプを送ってくる変なヤツだと、外野から冷ややかな目を向けられるのが怖い。
・それが懇意にしているカクヨム・ユーザーさんだった場合、仲が険悪になるのが怖い(今のところその可能性は極めて低そうですが)。
そして、仮に筆者がびくびくしながら指摘したとしても、相手が反省して文章や作風を改めることはまずないと予想されます。
彼ら彼女らはきっと、以下のようなことを言うに違いありません。
・所詮は趣味で書いたもので、自分の好きを詰め込んだだけだから。
・自分が書いたのは社会への意見書ではなく小説だから。
・このジャンル、タイトル、あらすじで興味を惹かれる人しか読まないものだから。
・こういう作品が流行っているから。
・出来上がった今のこの作品を好きと言う人がいるから。
そのどれをとっても、現実に生きる誰かを、あるいはこれから生まれてくる子供たちを傷つけていい理由にはならないのに。
何も変わらず、変えようとしたところでお互いにつまらない思いをする未来しか待っていないなら、わざわざエッセイでフェミニズムを話題にしたところで、何か意味があるのでしょうか。
どちらにせよ、創作物における差別的な要素とそうでないものの区別について、筆者がこのエッセイで論じようとしたところで、満足できる仕上がりにはなりそうにありません。
フェミニズムについての筆者の理解はまだまだ不充分ですし、専門的な議論ができるほど多くの本や論文にアクセスするための条件や環境も整えられていません。
普段の読書量も少ないですし、個々の文芸作品を合理的に批評できるだけの知識も経験もありません。
結局、仮にこのエッセイで扱ったところで、とっくの昔に誰かがどこかに書いている話を軽くなぞった後は、「詳しくはご自身で勉強してください」としか言えなくなる訳です。
そんなことは、おそらく、このインターネットの大海原で筆者ごときが改めて言うことではないでしょう。
現代社会では既にダイバーシティやコンプライアンス、ポリティカル・コレクトネスといった用語が飛び交っているくらいですから、「自分の無自覚の差別性を反省しよう」とか、「差別のない社会を目指していこう」という意識がある人は、きっかけがあれば自発的に勉強を進めていくことになると思います。
反対に、「フェミニストは美人に嫉妬しているブスばかりだ」とか、「男尊女卑と言うけど実際には男性より女性の方がよほど優遇されている」とか、「フェミニストは《《女尊男卑》》社会の実現を企んでいる」とか、そんなことを本気で思っている人は筆者が何を言ってもフェミニズムを学ばないでしょう。
たしかに、フェミニズムには市井の人々によって展開される社会運動としての側面があるので、個々の発言を見ていくとその中には厳密性や論理性を欠くものもありますし、ネットで広く注目を集めている主張が筆者から見ても乱暴、という場合もあります。
しかし、ネットで検索して出てきた(日本語の)記事くらいでフェミニズムのすべてを分かった気になるのは、あまりにも拙速であり、不誠実であり、人として間違っています。
言うまでもなく、フェミニズムには学術研究の場で理論構築と批判的考察が重ねられてきた政治思想という側面もあるので、フェミニズム全体を無価値だと言いたいのであれば、その前に、研究者たちが書いた本や論文(およびそこで参照されている文献)を熟読し、問題点の一つひとつについて丁寧に論じていく必要があります。
「そんな面倒なことやってられるか」と思われるかもしれませんが、あなたがバカにしているフェミニズムの研究者たちはみんな、それをこなした上で話をしているのです。
自分ではよく知りもしないのに評論家を気取って非難を浴びせるとしたら、それは誹謗中傷と変わりません。
しかも、そういった雑な反発は、「女性の意見が男性のそれに比べて軽んじられている」というフェミニズムの主張を逆説的に立証することにもなります。
学者以外は黙っていろ、と言っているように聞こえたかもしれませんが、そういうことではありません。
個々の論考や言説に対して反論や批判的考察を試みることは構わないと思います。
しかし、自分が無自覚に誰かを差別している可能性や、フェミニズム全体のことを知らないという事実を失念して、謙虚さや配慮を失うことがあってはならない、という話です。
(蛇足ですが、個々の論考や言説に対する反論や批判はあってしかるべきとはいえ、フェミニズムの過去の蓄積を無視して「そこまで言うならデータを出せ」と言ったり、問題点を具体的に指摘できるほどきちんと読んだ訳でもないのに「文章が意味不明だ」と言ったりすることは、自分の無知・無学・不勉強・不誠実をさらけ出しているだけであり、負け惜しみにもならないと思います。)
「自分にフェミニズムを語ることはできない」、「自分が語ったところで意味がない」という話をしていたはずなのに、気付けば長々と語ってしまっていました。
せめて、このことでフェミニズムに対する皆さんの印象が悪くなっていなければ、と思います。
なお、一応あらかじめ申し上げておくと、今回はデリケートな話題なので、もしコメントを頂いても、お返事にはいつも以上にお時間を頂くことになると思います。
このエッセイの今後の方針についてはまだ決めていない事柄も多いですが、次回以降はもっと平和な話をするつもりです。
言語行為論については、まだ先のことにはなるにせよ、以前予告した通り、入門書を軸にした解説を書かせていただきたいと思っています。




