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カクヨムを始めました  作者: あじさい
2020年(後編)
19/87

指摘するならコッソリと

2020年2月25日


 どうも、あじさいです。


 眠れない夜、体も頭も疲れているのに目ばかりが冴えるとき、筆者はカクヨムのホーム画面を何となく眺めます。

 あるとき、筆者はやたら丁寧に書かれた新着レビューコメントを見かけて、コメントを書いた方のアカウントにアクセスしてみました。

 すると、その方の作品一覧にエッセイが見つかったので、しばらくはそのエッセイを読ませていただきました。

 そこから眠れない夜にエッセイを読ませていただくのがプチ・マイブームになりました。

 とりとめのない話題の脱力系エッセイも時には良いものですが、やはり筆者はこんなエッセイを書いている訳ですから、似たようなエッセイを見かけて、勉強させていただくつもりで読ませていただくことが多いです。




 さて、ある人のエッセイを読んでいて、「カクヨムには『なんちゃって編集者・なんちゃって校閲者』がいるよね」という記事を見かけました。

 「なんちゃって校閲者」。……今さら誤魔化せるはずもありません。筆者のような人種のことですね。

 その記事を読ませていただいて、筆者は応援コメントの書き方を考え直すことになりました。

 ということで、今回はいわば「応援コメントの難しさ ver.3」です。

 といっても、別に方針を180度変更する訳ではありません。


 その方によると、応援コメントはあくまで応援をするところだから、誤字脱字の指摘をするにしても伝え方があるだろう、と。

 そりゃそうだ。

 と思ったのですが、その方のやり方について引用させていただくと、


「私の場合、誤脱の指摘は人目につかないところでコッソリ行います。大抵TwitterのDMで他人に見えないように。

 ツイッターをやっていない方なら、ご本人のノート(目立たない過去ノート)にお邪魔して、こっそり教えます。読んだらその私のコメントはソッコー削除するようにお願いする文面も必ず入れます。

 ノートの無い方には応援コメントに書きますが、返信不要でコメント削除していただくよう、お願いしています。応援ではなく『誤脱の指摘』なので」


 その発想はなかった!

 嘘じゃありません。

 単純に、筆者にはこの記事を拝読するまでその発想がなかったんです。


 たしかに、誤字脱字の指摘って該当箇所を1文丸ごと引用してから(そうしないと探す方も大変だと思うので)修正案を提示するので、やたら長くなるんですよ。

 そんなものを応援コメントに貼ったら他の読者の方が応援コメントをご覧になるとき邪魔になるよなぁ、とは思っていたんです。

 でも、そうか、そこまで《《コッソリ》》やるべきことなのか……。

 考えてみれば、たとえば、知的美人の同級生が歯に青のりをつけたまま登校してきた、みたいな状況なら、クラスのみんなの前で大っぴらに指摘するのは、いくら善意による行動であってもマナー違反です。人の心があるなら、人目に付かないところでコッソリ教えるべきでしょう。

 まあ、誤字脱字はほぼ誰にでもあるものなので、歯に付いた青のりに例えるのはちょっと大げさな気がしますが、人によっては恥ずかしく感じるものなので、筆者もそこにもっと気を遣うべきなのでしょう。

(もしかすると、先日の一件もその辺の事情が関わっていたのかもしれません。)


 筆者としては、ミスはその場で指摘した方が先方をびっくりさせなくて済む気がするので、Twitter の DM ではなく今後も応援コメントを使わせていただくつもりです。

 ということで、筆者が今回の経験でたどり着いた新たな方針をまとめると、


 誤字脱字の指摘が長くなった応援コメントは、先方に頼んでさっさと削除してもらおう!

 (その方がお互いのためだ。)


 というものになります。




 この方針に行き着いたのは良いのですが、ひとつだけ迷っていることがあります。

 先ほどの引用箇所には、応援コメントを使って指摘する場合は「返信不要」の旨を添えると書いてありましたが、筆者はこれを真似できる気がしません。

 もちろん、頼まれてもいないのに「なんちゃって校閲者」なことをしているのですから、「ぜひとも返信を書いて筆者に感謝を伝えてください!」とお願いするのはお門違いだとは思います。

 ですが、返信がないということは、極端な話、長文に対する生理的嫌悪感だけで削除が行われた可能性も否定しきれない訳です。

 それを自ら「ってくれ」と言ってしまうのですから、凄い胆力だと思います。

 小心者の筆者はせめて「確認したぜ」の一言くらいは頂戴したい(一度書いてくれさえすればメールの通知で確認できるから)と思ってしまうのですが、それを応援コメントに書くのは厚かましいのでしょうか。


(ちなみに、筆者にとっては拙作に対してコメントをいただくこと自体がありがたいことですし、仮に誤字脱字や作品の不備を指摘してもらっても、他人様からのコメントを削除するのはおそれ多く、自戒にもなるのでずっと残すつもりでいます。

 ただ、それは経験の浅い筆者の個人的な価値観であり、先方も同じように捉えてくれると期待してはいけない、というのも分かるんですよね……)


 つくづく、応援コメントって難しいなと思います。

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