第一話 すれ違い
「ザルだな」
ぼそりと呟いた翔也は、血の海と化した境内を見てそう言った。翔がかなり苛立った様子で睨んできたが、翔也はその視線に背を向けて無視した。と、いうより逃げた。
「お社様の式神をこうもズタボロにしてくれるとはいー度胸だよ! そのうえ境内をこんな血みどろにしやがって!」
「素が出てるぞ素が」
翔也の指摘で慌てて口を塞ぐ翔だが、その行動こそにすでに意味はない。
それにしてもひどい有様である。元々は狗の形をしていたであろう獣は、四肢を裂かれ、顔を潰され、胴体を食い千切ったように抉られていた。そこに人間らしい作為や意思などは感じがたい。嵐にでも襲われたような、そんな無機質なものしか感じられなかった。
「……式神を壊す意味があったのかな」
「不法侵入者ってことでしょう? わざわざ境内にまで赴くとはホントにいい度胸してるよ」
言いながら、翔はぱん、と手を打ち合わせた。するといたるところに飛び散っていた血液がその色を薄めていき、引き裂かれていた式神の体も消えていった。そして残ったのは、風に飛ばされそうに揺らめく数枚の紙だった。
――青原市。そこは『共有地』と呼ばれる、「妖」と「人間」が共存する世界最大の土地である。共有地は政府によって管理され、現代では溶け込むことの難しくなった妖や、「異端」な力を持つ人間のための楽園だ。しかしここで絶対権威を持つのは政府ではなく、『土地神』なのだ。
その土地神の家である社で、ましてやその遣いである式神を壊すという行為は、宣戦布告以外の何者でもない。
「で、土地神は?」
そういえばこれだけのことが起きて、土地神が黙っているとも思えない。青原市の土地神は比較的温厚なほうであるが、神族としてのプライドというのは、得てしてそう簡単に拭いきれるものでもない。
しかしかくいうその土地神は、この境内を放ったまま一向に現れる気配が無い。
「今は土地の調律に行ってらっしゃるよ。戻ってこられるのは夜だよ」
「ふぅん……それは、問題だな。これを知られたら、政府は黙ってないんじゃないか」
「そんな大きな問題にできるわけないでしょう……」
頭が痛いのか、頭を押さえてふらつき気味に、かつて狛犬があった場所へまで歩いていく。狛犬は瓦礫と化し、式神同様原型をとどめてはいなかった。
「狛犬も粉々か。修復すれば何かわかるかもしれないな。いずれにせよ、土地神が帰ってこなければ何もわからない。まあ、俺達がやるのは……異質の殲滅だけだけど、な」
ふわあと欠伸をした翔也は、いかにもやる気がない、といったふうだった。
「……おい、翔?」
「信ッッじられない……」
「まあ落ち着け」
「お社様の留守を預かる狛犬が……まともに留守番もできない駄犬だとはね!」
「おい?」
一気に雲行きが怪しくなった。
「この犬畜生が! お社様の境内を汚しやがった上に不法侵入者を取り逃がして、粉々!? ふざけんじゃねェ」
もはや普段、自らで「可憐で繊細」と称している面影など皆無な勇ましさで、粉々になった狛犬をさらに粉々にすべく、足蹴にした。
翔也はお前も犬だろ、という言葉を飲み込んだ。
「八つ当たりをするくらいなら、仕事しろ仕事」
逆ギレでもされるかと思ったが、翔は足蹴にするのをぴたりと止めると、冷静なまなざしで翔也を見据えてきた。
「代わりの式神もおかなきゃならないし、治安維持局にも詳細を連絡して、警察も動かさなきゃいけないって言うんでしょ?」
「わかってるじゃないか」
翔也はにこりともせずに、言い放った。
「えーっとですねぇ……」
「そう、露骨に嫌そうな顔しないでくれるか」
「そんなことありませんよー」
「こないだは、街灯を3つ4つ壊しただけじゃないか」
「それを『だけ』とは言いません『だけ』とは。ひっぱたきますよー」
とある高層ビルの2階、治安維持局の受付嬢は笑顔で冷たくあしらってきた。それもそのはず、翔也が《異質》を破壊するごとに破壊される壁や床、ガラス、様々な施設、備品――それらの修復や、損害賠償をしているのはこの治安維持局だ。それだけならまだしも、《異質》に関することは天界の極秘機密とされ、つまり「政府軍所属治安維持特殊機動部隊・戦闘員」である翔也が起こしたこと全ての隠蔽をなさなければならない。情報操作も治安維持局の仕事だ。
「それで、何か変わったことは?」
「そういわれましてもねぇ……。色々情報は集めてみますけど、大した情報は得られないんじゃないでしょうか」
「どうしてそう言い切れる?」
「情報でしたら、あちらの方のほうがお得意じゃないですか」
そういってやる気のない視線を送った先を見ると、なにやら従業員に甲高い声で怒鳴り散らす翔の姿があった。
観察員である翔は、情報収集に長けあらゆる情報網を張り巡らせている。というよりもそれが彼の専らの趣味であり、他人の個人情報などおかまいなし、他人のスリーサイズやテストの点数、絶対に他人が知らないような秘密だろうと彼は知っている。
仕事の役には立つが、列記とした犯罪だ。
「なるほど、な……」
「それにしても、犬神さんと同業の方なら止めてくださいよ、あれ」
「式神の設置や警察への手続きなんかは、全部あいつが取り仕切ってる。俺は関係ない。というか、俺はこの件自体関係ない」
「仮にも『治安維持局』所属でしょうに」
《異質》が極秘機密である以上、表立って特殊機動部隊を名乗れない翔也は、表向きは治安維持局に所属していることになっている。土地神直下の役員として、青原市内では特別に「特権」を与えられ、公務としてならどの施設にも立ち入りを許可されるなど、様々な所業が許されている。もちろん、器物破損に関しても、だ。
「仮にも、だ。興味ない」
「土地神に信仰心のない氏子は、共有地では疎まれますよ」
「神が神を信仰してどうする」
一介の人格神である翔也は、いわば人の形をしているただの低級神族に他ならない。対して土地神は一つの土地を預かる地位だ、上級神族でなければ土地神になることはできない。神族は階級社会を絶対とするが、翔也はそれが馬鹿馬鹿しくてならなかった。
「ふてぶてしいと言ってるんです」
「ああ、そう……」
だいぶ嫌われているらしいと思ってカウンターから離れると、ちょうどタイミングよく翔の怒声が収まった。従業員に一抹の同情を覚えた後、「終わったか」と静かに声をかけた。
「終わったよ。まったく話のわからない木偶の坊ばっかりで困るよ」
「へぇ……それは、気の毒だな」
従業員が。とは続けない。
二人は会話を続けながら、エスカレーターを降り、外へ出る自動ドアのほうに向って歩いていた。そのドアの向こう側から一人、ビルに向かって歩いてくる男の姿があった。
「まったくだよ。あーあ、いやだ」
「……そうか。しばらくは何もできそうにない、……な」
自動ドアをくぐりぬけると、向こう側からきた男とすれ違った。パーカーを深く被っていてよく顔は見えなかったが、おそらく年端も変わらない少年だった。
「? 何?」
「いや、さっきすれ違った奴。こんなところに、何の用があるんだと思って」
「さあ? まあ珍しいよね、僕らも含めてだけど」
背後をちらりと一瞥してから、あまり珍しそうでもない口調でそういった。こんな場所に訪れる高校生など、そうそういないだろう。そういえば自分達もそれに含まれることを忘れていた。
「……そうか、そうだな」
「そんなことより、僕ら嫌われてるよねえ。僕っていうか、君が?」
翔也の返答を納得と受け取った翔は、それ以上話を広げたりはしなかった。
「それはそうだろう。多大な迷惑はかけまくってるからな」
「おかげでまともな情報もらえなかったじゃない。やっぱり君と一緒に来るべきじゃなかったなあ」
「お前性格悪いな。俺のせいだけだと思ってるならそれは勘違いだ、自分を見つめなおせ」
「うるっさいよ冷血漢」
別段罵倒されようがあまり気にはならない。自分の血液中に流氷が流れていたとしても、多分、驚きはしないだろうと思った。
「まあ仕方が無い。天界支部にでも相談してみたらどうだ」
「支部に?バカ言わないで。。相手にされるわけないでしょう。それこそ門前払いだよ。僕らはあくまで一介の低級神族なんだから」
そう言われて、翔也は高く聳え立つ高層ビルを静かに見上げた。
「あ。僕はちょっと他に用事があるんだけど、君はどうする?」
「……。あ」
そういわれて何か用事があったかと頭をひねると、境内に行く前、呼び出しがかかっていたことを思い出した。呼び出しがかかったのは午前中で、今はもう15時を回っている。相当な遅刻だ。
「そういえば校長に呼ばれていたのを忘れてた」
翔は「へぇ〜そうなの」という生返事を返したあと、しばらく黙り込み、それから怪訝な顔をして翔也を見上げた。
「……校長って、お社様じゃない」
まあそうなのだが。
*****
翔也たちはそれ以降、パーカーの男には興味を示すことなくビルを後にした。男は自動ドアから少しはなれたところで脚を、パタリと、止めた。
遠ざかる二つの影を、金色の瞳が顧みた。