巣立ちましたが、早かったですか
男達の四方山話、第二弾
感想を頂いて妄想がノリまして、1話増えましたw
城の物見塔の最上階、普段であれば衛兵が夜通し詰めている場所であるが、今夜ばかりはいつもと様子が違う。
男が一人、酒を含みながら夜の闇に沈む王都の街並みを眺めていた。
コツコツコツ
石造りの階段を上ってくる音に男は顔を上げ、訪れた人物を確認すると目を細め視線を緩ませる。
「やぁ、来たね」
「お待たせして申し訳ありません、陛下」
エルランス大公のその言葉にエルドラドン国王は僅かに苦笑しつつ、空のグラスに酒を注いでそれを勧める。
「レイモンド、この場所で陛下はやめておくれ」
「はい、兄上」
この物見塔は昔から兄弟の遊び場で、所謂、秘密基地というやつだ。
そして現状では、王と臣下ではなく、兄弟に戻れる唯一の場所。
設えられている粗末な木の椅子に腰かけ、二人同時に酒を酌み交わす。
非常に酒気は強いが薫り高く思いのほか飲みやすい酒は、弟の緊張を一気に溶かした。
「いい酒ですね」
「ザーク帝国、第三皇子の置き土産だ」
「第三皇子の……帝国の皇子を巻き込んで、本当によかったのですか」
皇子がこの国に留学に来た直後、一般には身分を隠していたため王城で祝賀会を開くことはできず、レイモンドが自邸のタウンハウスで小規模な晩餐会を開くことになった。
自分は城を抜けられなかったため、準備の殆どは妻がいない以上、女主人の役目としてクレリットに任せた。
晩餐会で直接話した時の第三皇子の印象は気さくで明るく、とても諍いを好むような人物ではないように思えたのだ。
まぁ確たる目的があれば、話は別なのだろうが。
「あぁ、あの茶番劇はアルン殿下からの提案だったのだよ」
「殿下から、ですか……報酬に、どの様な密約を結んだと?」
「クレリット嬢の居場所の情報提供」
やはりそうか、とエルランス大公は苦々しく思いながらグラスを傾ける。
アーサーとクレリットの不仲は、隠す気もないようなものだから他国にその情報がいっていてもおかしくない。
能力次第で皇帝になれる、ザーク帝国。
隣国の大公令嬢を娶れば、それは大きな力となる事だろう。
そう、継承権第五位を一気に覆せるほどの。
「……私は知りませんよ、探してもいません……」
「分かっている、わしの影達でも皆目見当がついていない。 ジークフリードでさえそうらしいのだから、致し方あるまい」
本当に仕方ないと思っているのだろう、王は苦笑を浮かべたまま弟のグラスに酒を注ぐ。
「しかし、お前の方こそよかったのか。 無実の大公令嬢を貶めた者共の処罰は、その命で購うことも親達にも責任を負わせることも、可能だった筈だ。 わしもだが、他の面子もお前に頭が上がらないのだが」
「いえ、あの子はそれを望みますまい。 国の傾きや衰退を求めない、現状維持かほんの少しの発展を、と、そう考えるでしょう」
「確かな先見の明に、まごう事なき向上心。 保管庫を満たすほどのポーション提供のノブレス・オブリージュの心まで持ち合わせている。 クレリット嬢がいなくなってしまったのは、つくづく手痛く惜しいな」
「ただ全ての事柄も、あの子にとっては途中経過に過ぎなかった。 セレンこそが全てだったのでしょう」
クリスティーヌの死以降、妙に大人っぽくなってしまったクレリット。
そんな幼子が親にねだったことと言えば、孤児院の慰問、そして怪しげな孤児院の手入れと、突然引き取ってきた黒髪黒目の子供の事。
孤児院の運営は領主の仕事、言われるまでもないが、子供の事に関しては少々頭を悩ませた。
黒髪黒目、昔は魔を呼ぶなどと言われ、発見され次第に殺されていたのには迷信でも、民間信仰でも、妄信でもなく、正当な理由がある。
黒髪黒目の人間は総じて魔力が高く、物心つかない幼少期や、大人になってからでも、魔力制御できずに暴走してしまうことが多い。
その被害は甚大で、当時はそうやって自衛するしかなかったのだろう。
セレンと名乗った子供も、内包する魔力は大きく、しかもまだ上限が全く見えていない。
危険な芽を持つ子供、故に放逐することなどできず、だからといって現状まだ何もしていない子供を、闇に葬るだなんてことは許されない。
暫く考えた後、手元において監視することにした。
魔力制御ならば、引退したとはいえ未だに矍鑠としている前魔術師団長を教師に招けばいい。
万が一にも暴走しそうな気配があれば、その時は……。
だがそんな親の心配をよそに、クレリットとセレンは生まれながらの兄妹のように、仲睦まじい姿を見せていた。
エルランス大公は、場所の空気を使い切るかのような溜息を吐き一気に酒を煽る。
「恐らく『エル』の呪いが一番色濃く出たのはクレリットでしょう。 ……私など、五歳の時に見限られたのですから、ね」
あの日の事は、未だに夢に見る。
『おうひきょういくも、がんばります。 でんかとのかんけいも、よいようにがんばります。 それでもまんがいち、でんかからこんやくはきをいわれたときは、かめいからなまえをはずしてください。 へいみんになるごほうびをください。 きぞくのせきむからかいほうしてください』
不本意でノブレス・オブリージュが果たせない時は、貴族の自分を殺せ、と。
恐怖も怯えも憤りも怒りもなく、真っ直ぐな目でこちらを見詰め、たった五歳の我が娘に決別された衝撃は、決して忘れられない。
しかしそれも、一時の麻疹のようなものだと思っていた。
きっと孤児院で、市井の恋愛小説の話でも耳に入れてしまったのだろうと、女の子の方が成熟するのは早いという、しかも全ての令嬢の見本となるべき大公令嬢なのだから、その責は重いのだろうと。
きっといつかは落ち着く、そう思っていた、そう思い込んでいた、そう思い込みたかったのだ。
しかし殿下との婚約に、セレンを従者にした事は、娘の逆鱗に触れる行為でしかなかった。
その後のクレリットは、生き急ぐ勢いで成長していく。
礼法、舞踊、座学は、教師も舌を巻く勢いで修得していく。
剣術は、護身術的なものと、一撃必殺の暗器系を熱心に学んでいた。
魔法に関しては、魔力の内包力はそうでもないものの、七歳の時に完璧な操作技術を身に付けたと報告があったのには、正直肝を潰した。
王妃教育の合間に、王城でポーションを作り、魔力を使い切って帰ってくる。
食事をとって、早い時間に就寝する。
王城での事も、アーサー殿下との事も何も話さない。
私が「どうだ?」と尋ねた時の答えはいつも同じ、凛と澄まして「頑張っておりますわ」と一言。
愚痴も泣き言も弱音さえも、何一つ口にしなかった。
何一つも、自分を頼ることさえしなかった。
婚約破棄を終え、クレリットとセレンがいなくなった日。
タウンハウスのクレリットの部屋からは、見事に物がなくなっていた。
残っていたのは、王城から年に一度支給されたというドレスと靴とアクセサリーが十二着分、ただそれだけ。
五歳のあの日、取り返しのつかない、致命的な間違いを犯していたのだと今更ながら思い知った。
もう何も言うことはない、薫り高い良い酒でもヤケ酒ならそれは、唯々喉を焼くだけだ。
「クレリット嬢の足取りは、全て王都で途絶えている。 売りに出されていた所持品や、購入していた人物の人相風体でそれは確認済みだ。 だからと言って、大公領に立ち寄っていないということにはならない。 何しろあの賢い姪は、幻術魔法の使い手だというからな」
「兄上」
「半年たっても影でさえ足跡が辿れない、それはすなわち完璧に隠れているということだ、それも自分の意志でな。 最強の黒の従者が一緒にいるのだ、何も心配する事はない」
「そう、ですね」
「あの子も、分からん子ではなかろう。 その内、黒髪紫目の子か、プラチナブロンドで黒目の子でも見せに来るかもしれんぞ……楽しみだな、レイモンド」
「……はい」
グラスに残っていた最後の酒を飲み干すと、そのまま強い酒精に呑まれ粗末な木のテーブルに酔いつぶれ突っ伏す、エルランス大公。
そんな弟の背中をポンポンと叩きながら、王は自分のグラスの酒をゆっくりと喉に流し込んだ。
「元気でやれよ、クレリット」
伯父が姪を想った言葉は、誰に聞かせるともなく独り言つ。




