そのざまぁは私の所為ではありませんよ
男達の四方山話、第一弾
「えぇい、まだ見つからんと言うのかっ!」
アーサーは重厚な執務机の足を、忌々しげに蹴りつけた。
「はっ、申し訳ありません」
侍従がこうして頭を下げるのを、いったい何度見たことか。
正直同じ光景で見飽きた、それほど何の進展もないということだ。
アーサーは荒々しく椅子に座り背を預けると、ギシッと背凭れが悲鳴を上げる。
あの日から、そうあの日以降、全ての歯車が狂っていった。
自分のことを全く敬わない、憧れを抱かない、熱の籠った目で見ない、ニコリとも笑わず、媚び諂わず、あまつさえ時には女だてらに様々な事柄に正論を盾に口を挟んでくる、小憎たらしい元婚約者、クレリット・エルランス大公令嬢。
些末な騒動はあったが無事に排除できた、そう思っていたのに、亀裂はすぐ次の日に現れた。
学園を卒業し事実上、成人として認められた昨夜。
ローズを城の自室に招き、ささやかながら二人で祝杯を上げた。
夜遅くまで未来のことに向けて語り合い、繋がり間で隣室の王子妃の寝室に、婚約者として初めて彼女を泊めた。
翌日、というか昼近くなってから起きだし、自分の執務室に足を運んでみれば、机の上には堆く書類が積まれていて、思わず目を見開いた。
「おはようございます、殿下」
「なっ、なんだこれは」
「本日中に目を通して頂きたい書類でございます」
「この量をか!?」
取り敢えず椅子に座り、パラパラと書類を手にしてみたが、どれもこれも、非常に分かりにくく難解な言い回しで書かれてあり、一読しただけでは内容を理解できなかった。
「この書類はなんだっ、内容はくどく分かりにくい。 こっちの書類は、字が汚くて読む気もせん。 いつもとあまりにも違いすぎる、一体どういうことだ!?」
いつもの書類、それは内容が簡潔丁寧にまとめられ奇麗に清書されてあって枚数も十枚程度で、朝の内にザッと目を通し判を押せば終わるもの。
成人しての仕事始めとはいえ、あまりに違いすぎる内容に思わず怒声を上げた。
「それは」
「何だ、言ってみろ」
何やら言い淀む侍従に、アーサーはジト目を向ける。
「今までの書類は、全てエルランス大公令嬢が手直しされておられました」
「……はっ!?」
「学園の登園前や放課後、登城した時などに、書類に目を通してまとめられていらっしゃいました」
「馬鹿な、それでは王家や国家の内情が駄々洩れではないか」
「エルランス大公令嬢が手直しされるのは、殿下が目にされる分だけで、陛下やジークフリード殿下の分は手を付けられておりません」
「なっ……んだと、ジークフリードの分には手を出していない、と」
「はい」
アーサーは怒りで目の前が真っ赤になった。
クレリットが自分の書類を手直ししていた、という事実にも憎しみを覚えるが、四歳も年下の弟の分には手を出していない、それは普通なら婚約者ではないからという所だろうが、非常に仲の良かった二人の間柄だ。
故意に手伝わないなんてことはあり得ない、だから手伝う必要がないとクレリットが判断したということだ。
つまりは、自分が弟より能力的に下に見られたということで……。
アーサーは憤りの感情を、そのまま書類仕事にぶつけた。
だが貴族特有の、回りくどい言い回しの報告書に振り回され、急ぎ仕事の半分はクレリットとの婚約破棄に関する書類で、満足に部屋にすら戻れず気が付けば執務室で仮眠する始末。
連日連夜、処理すれど処理すれど、翌日の朝に書類は堆く積み上げられ朝から晩まで書類仕事に追い立てられ、ようやく一息ついて部屋に戻れたのは、一週間ほどたった夜の事だった。
「アーサー様」
「あぁローズ、変わりないか」
自室を開けた瞬間、今にも泣きそうな顔のローズが腕の中に飛び込んできた。
侍従から聞いた話では、ローズは実家のリアン男爵領に帰ることなく、このまま王城で王妃教育を施されているらしい。
へにょん、とローズの眉が歪み、ピンクの瞳に真珠の玉のような涙が盛り上がってゆく。
「……手も足も腰も頭も痛くて。 王妃様はお茶会でも一切笑って下さらなくて、同じ間違いをしたら『クレリットは、2度は間違えませんでした』って」
伯爵以上の高位貴族と、子爵以下の下位貴族では、礼儀の作法が違う。
「先生方の授業は厳しくて難しすぎて、できませんって言ったら『エルランス大公令嬢は7歳の時におできになりました』って」
最低限の高位貴族女性の礼儀作法ができないと、婚約式ができない。
「侍女さん達は、誰も満足に話し相手にもなってくれなくて、少し意見したら『クレリット様には、そのように言われたことはございません』って」
だが、自由で無邪気な男爵令嬢のローズ。
「誰も彼もクレリット様、クレリット様、クレリット様。 誰も、私の相手をしてくれないんです」
しかも彼女はつい最近まで平民だったのだ、貴族の礼法を今から習得するのはさぞかし大変だろう。
「アーサー様はお仕事で、お部屋に戻ってきてくれないし。 ジルベル様も、ジャヌワン様も、ライル様も、アルラーズ先生とも卒業式のパーティ以降は会ってないから、私一人で寂しくて不安で」
涙を溜めて、自分に縋りつくローズは可愛らしい。可愛らしいが、正直、今自分は心身ともに非常に疲れているのだ、どちらかと言えば自分の方こそ、安息が欲しいのだが。
アーサーは大きく溜息を吐くと、腕の中のローズに視線を合わせる。
「私も、後始末も兼ねた仕事が残っているのだ。 当分まとまった時間は取れないだろうが、夜には戻ってくると誓おう。 ジルベルやライルは、父親について修行していると聞いた。 ジャヌワンは学園を卒業し成人したのだから、騎士団に入団したそうだ。 いかに騎士団長令息でも今はただの新人騎士だ、すぐに休みなど取れまい。 アルラーズは神殿に籠っているらしいが、きっと私達の婚約式のために精進潔斎してくれているのだろう。 何も心配する事などない」
「アーサー様」
「母上や教師や侍女の件は私が詫びよう。 クレリットは5歳の時から登城していたから、皆どうしてもその癖が抜けないのだろう。 だが、礼法ができないと私と結婚できないのだ。 愛しいローズに厳しいことを頼むが、私のため、王妃となるためにここは堪えて、王妃教育を頑張ってはくれないか?」
「……はい」
何かまだ言いたげではあったが、とりあえずローズは頷き、アーサーはそんな彼女を只々抱きしめた。
結局、アーサーがどうにか書類仕事をこなせるようになるのとローズの礼儀作法が、何とか見られるようになるまで二か月ほどかかったのだが。
そうまで臨んだ婚約式は質素なもので、王と見届け人である神官のみ。
ローズの親であるリアン男爵は、下位貴族ということで参列は許されず、通常はあるであろう婚約式後のお披露目パーティーは、婚約破棄の醜聞があるため催さないと言われた。
これにはローズが、両親や友人達に祝ってもらえないと悲しんだのだが、クレリットの時にも婚約式はこんな感じで、お披露目パーティーも開かなかったのだと告げ、何とか言い含めた。
無事に婚約式を終えた直後、二人揃って陛下に呼ばれた間にジルベルとジャヌワンとライルとアルラーズが揃っていた。
そして、直々に王命を賜った。
一月後、この国に留学していた西の帝国の皇子が帰国する。
晩餐会の指揮を任せる故、見事成して醜聞に塗れた汚名を返上して見せよ、と。
六人は仕事や業務や勉強は、それぞれ一先ず置いといて『留学していた西の帝国の皇子』の情報を集め分かったことは、アルン・ザーク、18歳、ザーク帝国第三皇子、赤髪に緋色の瞳で褐色の肌。
年齢も身分も隠し、1年生として学園に入学しているらしかった。
「あーアルン、同級にいますね、隣国っぽい人。 頭が良くて授業免除なんで、色々な所に出入りしてるって噂の」
ライルが思い出したかのように手を打てば。
「赤髪のアルン……最近、騎士団に顔を出しているアイツか」
ジャヌワンが独り言ちる。
「アルン・ザーク第三皇子ですか、確か皇位継承権は第五位でしたか」
「第三皇子なのにですか?」
「ザーク帝国は、女性にも皇位継承権があるのです。 上に皇女殿下が二人おられますので」
「かの地には、ミクルベ教があまり根付いておりませんから、異国の文化なのですねぇ」
ジルベルとアルラーズが、互いの意見を交わす。
「で、結局、何をどうしたらいいの?」
婚約式の装束のまま、美しく着飾ったローズが小首をかしげ尋ねる。
「そうだな、相手は皇子とはいえ継承権第五位程。 そして、身分や年齢を隠し学園に入学するような人物だ。 きっと自由気ままで、あまり堅苦しいことは望まないのだろう。 だからこそ、披露するような舞踏会ではなく晩餐会で、陛下も我々に指揮を任せてくれたのだと思う」
アーサーが一人で納得し、そう決め付ける。
「場所は、中庭の見える第三ホールがいいだろう。 ジャヌワンとライルは警備面を頼む、ジルベルは皇子を持て成すための料理を、アルラーズは音楽隊を、ローズはホールの内装と、あと王妃教育も頑張ってくれ」
「ふむ」
「分かった」
「お任せください」
「承りました」
と、それぞれ了承を得る中。
「ホールを飾るのはいいですが、私は王妃教育もなんですか?」
「ローズは私の婚約者として晩餐会に出席するだろう。 継承権第五位の第三皇子とはいえ、西の帝国の皇子なのだ。 礼法は、あって越したことはないからな」
「……うっ、はい」
不承不承ながらも頷くローズに、一抹の不安を覚えるアーサー。
さて、その不安は大正解。
それぞれが誰にも相談せず誰とも協力せず、自分勝手にしたことで、見事な不協和音を醸し出す、晩餐会となってしまったのだ。
王城の中庭に面したホール、もともと警備が十分されている城内の中庭なのに皆がホールに入ったと確認したライルは、ホールごと結界魔法で覆った。
大きなホールなら兎も角、小規模なホールを結界で覆ってしまったことにより、非常に物理的に息苦しい晩餐会が始まった。
ホールから覗くはずの優美な中庭には、ジャヌワンが用意した筋肉隆々の屈強な騎士達が隙間なくずらっと勢揃いして、心理的に暑苦しい。
隣室には、皇子の護衛人達用の晩餐が用意されていたのだが、平民上りが多かったらしく、食事の内容があまり良くないものが用意され、皇子と差をつけようと、ジルベルの選民意識が悪い方に作用した。
アルラーズは大剣を背負った女性の警護人に、女性がそのような事をしてはならないとミクルベ教の教えを説き、煙たがられていた。
ホールの内装は香り豊かな花々で埋め尽くされ、食事の匂いと相俟って、さらに結界で逃げ場がなく、混ざり合った臭いが物凄いことになっていた。
しかも会話の間に、第三皇子が元婚約者のクレリットを持ち上げるようなことばかり言うものだから、ローズの表情がだんだん曇り、俯き気味になって最後には、子供のように大泣きしてホールから駆け出して行ってしまった。
アーサーがあまりの出来事に呆然としていると、最後のワインを飲み口元をナプキンで拭きながら第三皇子が立ち上がった。
「貴様の持て成し、確かに受け取った。 クレリット嬢の晩餐とは雲泥の差だ、無様だな第一王子よ」
そう一瞥すると、護衛を引き連れ一度も振り返ることなくホールから出て行ってしまったのだ。
その惨憺たる状況に、当然の結果として全員自宅謹慎となった。
ローズだけは王城謹慎だが。
その謹慎中にアーサーは一つの考えに辿り着いた。
ローズに王妃役は務まらないと。
ただローズと婚約解消することは、したくなかった。
彼女が自分を見詰める時の眼差し、アレを何と言ったらいいものか。
男の虚栄心や野心や庇護欲や矜持、全てを甘く擽るような視線なのだ。
ローズを王妃のまま、王妃役をしなくてもいいためにはどうしたらいいか。
王妃教育を収めた人物を、ローズの侍女にすればいい。
追放してから四か月、きっとその人物も生活に困窮していることだろう。
もしかすると、国外追放を言い渡したのに、大公が匿っているかもしれない。
だがまぁ、元婚約者として知らない仲でもなし、謝れば許してやらないこともないし、ローズの侍女として高給で雇ってやろう、と。
アーサーは謹慎が解かれると、王都と大公領、国境を跨いで一番近い町の冒険者ギルドに、独断でクレリットの捜索願いの依頼書を出した。
それが、二か月前の話だ。
最初の一週間は、多種多様な情報がもたらされた。
だがどれもこれも虚偽ばかり、酷いものだと詐欺る気満々の情報まで。
だから嘘の情報を持ち込んだ者に、罰を与えることにした。
とはいっても独断でやっていること、牢に入れるとか不敬罪を適用するとかはできない。
だからケインという鞭で、掌を打つことにした。
出血したりはしないが、結構痛くみみず腫れが残る。
貴族の子なら一度や二度は、家庭教師にやられている罰だ。
そんな罰が効いたのか、嘘の情報は二週間三週間と少なくなり、四週間たつ頃には全くなくなって……クレリットへの手掛かりは皆無となった。
そしてさらに一か月、侍従の頭頂部を見飽きただけだ。
カツカツカツと、執務机の天板を爪で叩く。
全ての物事がうまくいかない、そう、全てだ。
一か月の謹慎以降、大体一緒にいるのはこの侍従だけだ。
両親や弟と滅多に会わないのは、今に始まったことではないが、ジルベル達の姿を見ることもなければ、話も聞かない。
それはローズも同じことで、未だ謹慎処分中らしいが、この執務室にほぼ缶詰めになっている今の状態では、如何ともし難い。
とにかく今は、一刻も早くクレリットを確保するのが先だ。
もう少し、依頼範囲を広げるべきだろうか。
西の大国近く? それとも北の山脈か? 東の森林地帯か?
国外の地図を頭に思い浮かべて、ふと思考が止まる。
もしかして、もっと手の届かない場所に行ってしまったのではないか。
とうの昔に、野垂れ死んでいるのではないか。
想像が、あらぬ方向に向かい出した時。
「やぁ兄上、お手紙だよ」
ノックも何もなく、すごい勢いでドアが開けられた。
ドア前の護衛は何をやっているのか、と思わなくもないが、金髪緑目でまるで絵画に描かれている天使のような容貌の第二王子相手では、何ともできなかったのだろう。
「ノックぐらいしないか、ジークフリード」
「あぁ、ごめん、大事な手紙だから早く届けたくて」
ニヘラっと笑った第二王子は、侍従に向かってヒラヒラと手を振ると、侍従は心得たように二人に一礼して、執務室を出て行った。
完全に人払いをした後、素早く結界魔法を部屋に広げる。
「陛下からの大事な手紙だからねー、はい兄上」
「陛下から?」
ジークフリードから手紙を受け取り、裏を返して見ればそこにある封蝋は父親個人の印ではなく、確かに『国王の印』だ。
首を捻りながら、ペーパーナイフを封蝋の裏に差し込み、ポンと弾く。
手紙の内容を目で追うごとに、驚愕と共に指先が細かく震えていく。
「良かったねー兄上、何もしないでずっとローズ嬢と一緒にいられるよ」
弟のそのセリフに、内容を知っているのか!と目を見張る。
「馬鹿なっ、こんなこと認められるはずがないだろう!」
アーサーが思わず握り潰してしまった手紙には『アーサーが病の床に就いたため、婚約者のローズと共に離宮で、生涯静養することになった。 以上の事から、ジークフリードの立太子を認める』と確かに王の字で書かれてあったのだ。
「何で? 廃嫡とか、毒杯を賜らなくて良かったと思うけど。 事実上の廃嫡だけどさ、ローズ嬢とずっと一緒にいられるじゃん。 めっちゃ、羨ましいし。 それに後世の歴史書には、ちゃんと第一王子として名前も残るしさ」
「お前が王になる!? 馬鹿なことを言うな、王には私こそが相応しい。 可憐な王妃もいる、将来有望な参謀たちもいる」
「ザーク帝国第三皇子相手に、あれだけ失策したのに? あまりに見事で大笑いして、久しぶりに父上と母上に怒られちゃった。 あれって陛下と国からの、最終勧告だったんだよ。 一か月の謹慎程度で、許されたと思ってるの? 謹慎一か月。そして今日までの猶予二か月で、合計三か月。 その間に様々な手配と根回しは、全て完了してるって」
「……何をしただと……」
何の衒いもなく、天使のような笑顔を浮かべる弟がうすら寒い。
「廃嫡は全員ね。 ジルベルは平民に落とされたよ、プライド高いから市井で暮らせてるかなー。 ジャヌワンは、騎士ではなく一般兵として北の国境に配属。 ライルは、東の魔の森勤務。 一応二人は貴族籍のままだから、二十年も働けば王都に戻れるんじゃない、生きていればだけどね。 アルラーズは神殿預かり、何でも大神官がめっちゃ怒ってるらしいよ。 カミサマって結構残酷だから、うーん無事だといいね。 ローズ嬢は聖魔法を持ってるからね、魔封じの首輪をして一足先に離宮に行ってるよ、後は兄上だけ」
「ふざけるなっ! まだ、まだ、終わってなどいない。 アイツさえ、クレリットさえ見つかれば」
「え゛ーまだ、リー姉に迷惑かけるの? もう止めなよ」
「ふん、未だにそんな品のない呼び方をしているのだな」
「だって、僕だけの呼び方だもん。 僕だけに許された、あの従者にも許してない、僕だけの呼び名」
ジークフリードの笑顔が一瞬暗く歪む、だが次の瞬間には先程までの温和な笑みに戻っていた。
「大体、リー姉が本気で隠れたら、誰にも見つけられないよ。 だって王家の影達が、七歳の女の子に撒かれたんだからさ。 それから全戦全敗だよー無理じゃん」
「……は!?」
「リー姉の幻術魔法は神レベルだよ。 魔力が無くなるまでは時間無制限で、老若男女と言わず、犬猫の動物と言わず植物にだってなれるよ」
「はぁぁぁっ!」
「因みに他人にも掛けられるから、従者も変身してたら絶対見つけられないよねー。 兄上、目印にしてたんでしょ」
「そんな馬鹿な、そんな幻術魔法なんて聞いたことがない!」
普通の幻術魔法は、せいぜい他人からの認識を甘くしたり、ほんの少しの時間、髪や瞳の色を変えられたり、幻を見せたり、よくできて姿を消す程度の筈だ。
いや、完璧に変身できたとしてそれが何の糧になる。
「変身できても先立つ物がなければ、何もできないだろうが」
「え? 草食動物になれば、ご飯その辺にあるじゃん。 分かってる? 変装じゃなくて変身。 神レベルって言ったじゃん、中身も完璧だよ」
「ぐっ」
「まぁ、そんな事しなくても、リー姉ならすぐに一財産築けるけど。 コレなーんだ?」
ジークフリードが胸ポケットから大事そうに取り出したものは、自分もよく見かけ城内でも使っている小瓶。
「ポーションじゃないか、それがどうした」
「うん、ポーションだけど、これだけは頭に『フル』がつく」
「は!?」
「それも、体力完全回復だけじゃない、体の欠損部位まで完璧回復の『パーフェクト フルポーション』」
「はぁぁぁっ!」
「リー姉が一つだけ作ってくれて、お守り代わりにもらったー」
「待て待て待て、それが本当だとすると」
「うん、うちの国も諸外国も、王侯貴族がこぞって白金貨を積み上げるね。 アッという間に大金持ち確定、まぁ今の所どこにも流れた情報ないねー。 まっリー姉が、そんな居場所を知らせるようなヘマするはずないけどさ。 でさ、このポーションの瓶、見覚えない?」
「へっ?」
改めて問われても全く分からない。
王城内でよく使われている、普通のポーション瓶だ。
「分かんないかー、リー姉はね生活魔法も使えるからポーションと小瓶も一緒に作ってるんだけど、七歳の時から登城する度に、魔力が枯渇するまでポーションを作っていったんだ。 魔力を使い切っちゃうと翌朝回復した時にほんの少しだけ増えてるんだ、って言ってねー。 おかげで王城の保管庫には、リー姉特製のポーションが山とある。 騎士や兵士達の怪我に使われてるし、文官や侍女の頭痛とか手荒れとかにも使われてるんだよね。 後さ、三年前に王都で流感が流行った時、予防の意味もあってポーションを民に無料配布したじゃん。 だから保管庫がほぼ空になったんだけど、リー姉がすぐ補充してくれてさ。 あの時、兄上どうしてたっけ? 流感にかかってたよね。 ローズ嬢はどうかわからないけど、王都にいたら貰ってるはずだよね。 上位貴族の令息なんか、いの一番に飲んだんじゃない……なのにさぁ」
ジークフリードは雰囲気を一変させると、まるで虫けらでも見るような目をアーサーに向ける。
「これだけ散々世話になっといて、兄上がリー姉にした事って何? 五歳児が物事の分別を弁えて理解して、懸命に話しかければ、無下にして、無視して、貶めたうえに、意地悪ねぇ。 手紙も書かない返事もしない、婚約者に贈り物をしないなんてあり得ない。 ローズ嬢が3日ともたなかった王妃教育、いったい誰のために十二年間も頑張ったと思ってるのさ。 夜会のエスコートもろくにしないとか、僕だったらずっと一緒にいて何回でもダンス踊って離れないのに、あ゛ーエスコートできた従者が羨ましいし。 で、挙句の果てに堂々と不貞を働いて、勝手に正当化してバカ息子達と一緒に無実のリー姉を断罪するとか、ホント意味分かんないよ。 何か言いたい事でもある?」
「……う」
「う?」
「煩い! 煩い! 煩いっ! やる前から何でもできるお前と、やれば何でもできるアイツに私の何が分かるものか! 私のことを真に理解して、励まして、癒して、支えてくれたのはローズだけだっ!」
その叫びはアーサーの本音だろう、だけど。
「まぁ、ローズ嬢がどこまでそうかは、これから分かるだろうけどさ。 うん、確かに僕は『やる前からできる』天才だけど、リー姉は『やれば何でもできる』んじゃない『できるまで努力する』んだ。 幻術魔法だって、フルポーションだって、初めからできた訳じゃない。 それこそ血反吐はく思いで習得した、リー姉の努力の結晶なんだよ。 それを……」
ジークフリードの表情が全て抜け落ちた。
瞬間、膨大な魔力が周囲に放出される。
「何なのお前、馬鹿なの、死ぬの。 どれだけの損失を僕に与えたか分かってるの、世に絶望するレベルだよ。 リー姉がいなかったら、世界滅ぼしちゃっても構わないんだよ、僕。 お前は、さっさとリー姉と結婚して、あの女を側妃にすればよかったのに。 百歩譲って、あの女を王妃にしたかったなら、リー姉を側妃にしてれば、僕はリー姉のすぐ側で、ずっと一緒にいられたのに」
「うぐっ!」
暴力的な魔力が、ミシミシとアーサーを押し潰す。
「……な……ら……お前……が……娶れ……ば……」
「本当に馬鹿だね兄上。 今代の『エル』の呪いを背負っているのは僕だけど、前代の『エル』の呪いを背負っているのは、叔父上なんだよ。 当然、一人娘のリー姉も『エル』の呪いを背負ってるに決まってるじゃん」
王家の血に連なる者に現れる『エル』の呪い。
それは、王族のみに秘密裏に伝えられる呪い。
初代王から脈々と受け継がれた、祝福たる呪い。
王家を興した初代王の妃は、呪い魔女エルだった。
彼女を血脈に取り込むことで、王になる呪いを世襲することができる。
ただ他の呪いも負うことになり主なものとしては、男子は必ず金髪になる事、子供は母親一人から一人しか生まれない事、世代に一人誰か一人を盲目的に愛してしまう者が出る事。
「僕はリー姉が大好きだけど、リー姉は従者が好き。 僕はリー姉に嫌われたくないから、従者と引き離すとかできないし。 だから嫌われるのは兄上に任せて、僕は臣下に下って王妃になったリー姉の一番近くで、ずっと一緒にいられると思っていたのに。 あーめんどくさい、兄上の所為で僕が王になるのかー。 好きでもない女を孕ませなきゃダメ? いっそ、父上と母上に頑張ってもらうか……あ゛ー『エル』の呪いか。 父上に側妃勧めるほうが早いかな……ってアレ?」
ジークフリードはが目線を下げると、アーサーは口から泡を吹いて白目をむいて失神していた。
「おーい、兄上ー」
執務机に突っ伏したアーサーの髪を鷲掴んで持ち上げ、ユラユラと揺らしてみるが、ピクリとも反応しない。
すると何処からともなく、黒い影がジークフリードの側に現れた。
「ジークフリード様、その辺で。 これ以上の魔力は、アーサー殿下には耐えられません」
「えー兄上、脆すぎ。 それでよく、あの従者の殺気に耐えられてたね。 僕でも時々、背筋が凍ってたのに」
「彼の方は、殺気は発しても、そこに魔力は乗せていませんでしたから」
「鈍さの勝利かー」
突然現れた全身黒尽くめの人物に、ジークフリードはカラカラと笑う。
「影、リー姉の居場所は掴めた?」
「いえ、申し訳ありません」
「ホント全敗だよね。 兄上の依頼書は見逃してあげてたんだけど、手掛かりなしか。 流石、リー姉」
「しかし、王もご存じないクレリット様の秘密をアーサー殿下に話されて、宜しかったのですか?」
「いやーこれが最後だからさ、つい口が滑っちゃった。 大丈夫、リー姉の秘密は兄上の記憶から消しておくよ。 でも多分、モヤモヤした気分は残るだろうなー」
ジークフリードはアーサーの頭を鷲掴むと、そのまま魔法をかける。
「リー姉発案の催眠魔法の応用なんだけど、結構使えて便利なんだよね。 さて、これで、兄上の首に魔封じの首輪をしてっと」
幅一センチ程の金属の輪をアーサーの首に取り付けると、繋ぎ目の部分が解けて消え、完全に一つの輪となる。
これでアーサーは、全ての魔法が使えなくなった。
魔封じの首輪の許容限度を超える、強大な魔力をぶつけるか特殊な魔道具でもない限り、首輪は外せない。
ジークフリードは首輪を付けたアーサーをまじまじと見詰める。
「うーん、やっぱり、普通は見た目も雰囲気も変わらないよね。 どうもローズ嬢は、無意識に聖魔法で魅力のかさ増ししてたみたいだ」
「私には変わらないように見えましたが」
「多分、堕としたい相手にのみ働くんじゃないかな。 僕も遠目に見た時と、近くで見た時とは雰囲気が全然違ったしね」
「では、ジークフリード様も魅了したかったと」
「多分、アルン殿下もだよ。 絡みつく視線が、すごく不愉快だって言ってたからねー」
ジークフリードはアーサーの頭をつつきながら、ちょっと不味そうな表情を浮かべる。
「いかがされました」
「うん、兄上にはローズ嬢と離宮でバンバン励んで、是非とも孕ませてほしいんだ。 僕、リー姉以外の女って無理だし、でも王族の血を引く子供はいるしさ。 けど、これだけ違和感あってもヤレるもの? 影、どう思う?」
「……私には何とも」
「んー数年待ってデキなかったら、催眠魔法で誤魔化してみるかな。 うん、いいよ、連れて行っちゃって」
影は未だ失神したままのアーサーを肩に担ぐと、そのまま消えた。
が、思い出したかのようにジークフリードが声をかける。
「あぁ、そうだ、兄上の捜索依頼書を取り下げといてもらえるかな」
「はっ」
ジークフリードしかいない、アーサーの執務室に影の声が響く。
「代わりに、新しい依頼書を頼むよ」
「期間と内容は」
「無期限で『リー姉、手紙頂戴』って。 兄上のやつより、立派な羊皮紙で額装もヨロシク」
ヒラヒラと手を振って、アーサーの執務室を出ていくジークフリード。
パタンと扉は閉じられ、その部屋は主を失った。
弟の病み具合が、これ以上発展しませんよーに




