『私』が愛した王子様
沢山のブックマークに驚いています(滝汗)
お気軽に、読み流してくださいませ。
「何をしておるか」
威厳のある声がホールに響いたのは、奇跡でも偶然でもない。
お忘れかもしれないが、今は卒業パーティーの真っ最中で成人の祝いも兼ねたパーティーに、言祝ぐ者が訪れない筈もなく。
エルドラドン王と王妃、その後ろには宰相のローランド卿が続き、護衛としてだろうグレゴリー騎士団長にオリバー魔術師団長、そして一番最後に、王弟でありクレリットの父親でもあるエルランス大公が付き従いながら、ホール中央まで足を進める。
大公は無表情でその内情は推し量れないが、他の父親達の表情は白くなったり、赤くなったり、青くなったりと目まぐるしい。
愚息達の仕出かした大事に、内心ではさぞかし血の気が引いていることだろう。
声の主を認識した皆は、さっと紳士淑女の礼をとる。
そんな中、何故この場に陛下が!?と言わんばかりに、呆然と立ち尽くしているのは、アーサーとローズ、その取り巻き達だけだ。
「よい、皆、顔を上げよ」
一声で、全員が姿勢を正す。
王はアーサーの前まで来ると、タン!と大きく杖を床に打ち付けた。
「お前は今、何を言った?」
「っ、父上」
「父としては聞いておらぬ、王として聞いておるのだ。 お前は今、何を言った」
「恐れながら陛下、そこなクレリット・エルランスが、私とローズ、ここにいる高位貴族の令息達を侮辱しましたので、第一王子に対する不敬罪として婚約破棄ならびに家名剥奪、国外追放を言い渡しました」
「……お前は……」
王は眉間に深く皺を刻みながら、アーサーを睨みつけた。
「この、痴れ者がっ! 己の都合のいいように、言い換えるのではないわっ! お主等が掛けた冤罪を、クレリット嬢に看破されたのではないか。 大体、お前とクレリット嬢の婚約は、王と議会が決めた事。 それなのに婚約破棄? 家名剥奪? 国外追放? お前は、何時からそんなに偉くなったのだっ!」
「へっ、陛下!?」
今の今まで、王からの怒声など浴びたことのないアーサーは、ただそれだけで驚いてしまう。
まさか王が、自分よりクレリットを重視するとは思ってもいなかったのだ。
「お待ちください陛下、アーサー様は私を想ってくださってっ!」
王の許しもなく口を挟んだローズに、クレリットを含む周囲は息を呑む。
それこそ、不敬罪を問われてもおかしくない事態。
だがこの際、王はそれを不問としたようだ。
「娘、名をなんと言う」
「あっはい、ローズ・リアンと言います」
「リアン……男爵家か。 その程度では、第一王子の剣どころか盾にすらなれぬ」
「そんなっ」
為政者らしくバッサリと切り捨てた王にローズもだが、許されると思い込んでいたアーサーも悲痛な声を上げる。
「父上、身分で人を括るなど、ローズに対してあんまりではありませんか!?」
「お前個人は構わぬが、第一王子の後ろ盾には到底足らぬと言ったのだ」
「でしたら、ローズを何処かの貴族の養子にすればいい。 あぁそうだ、クレリットと同じ身分が必要なら、大公家の養女にっ」
「どこの世に愛娘を愚弄した男の為に、その原因となった者を養女に迎えるなどと酔狂な親がおるものかっ! 物事は良く考えてから口にせよ」
王は自分の弟が、表情や口、態度には出さないが最愛の妻の忘れ形見であるクレリットを大事に想ってるのを知っている、だから。
「……恐れながら、陛下。 王命であれば、従うことも吝かではございませぬが」
絶対零度の冷気を纏いながら、無表情のまま臣下として発言してくる弟に本気で背筋が寒くなる。
思わず、王としてではなく兄として答えてしまう程に。
「あぁ、頼むからレイモンド、そんな恐ろしげな目で見ないでくれ。 王命で、クレリット嬢をこやつの婚約者にしたのは悪かったと思っている。 だがあの時は、クレジェントが身罷って、まだ時期が浅くどうしてもアーサーに信の置ける後ろ盾が必要だったのだ」
「その所為で、私は娘と大変な賭けをする羽目になってしまったのですがね」
「賭け?」
そんな兄弟のやり取りを尻目に王妃は目に涙を浮かべながら、クレリットに近付きそっと両手を包み込んだ。
「ごめんなさい、クレリット。 わたくしが、クレジェント様の末期のお言葉に従わず甘くしてしまったが為に、貴女にこんな思いをさせるなんて」
「先代王妃様は何と?」
「『わたくしの子と思わず、妥協なく厳しく育てて欲しい』と」
「賢王妃と名高い、クレジェント様らしいお言葉ですわ」
「でもわたくしは、クレジェント様の面影があるアーサー様にどうしても厳しくなど出来ませんでした。 しかしその所為で、わたくしは貴女を失ってしまうのですね。 娘ができたようで嬉しかった。 貴女に義母と呼ばれる日を、どれほど心待ちにしていたか……」
ポロポロと涙を零す王妃の言葉に、思わず王が待ったをかけた。
「待て待て待て、婚約破棄はともかく、家名剥奪も国外追放もならん。 家名を剥奪すれば、貴族には嫁げず市井に下ってしまう。 ましてや国外追放など、クレリット程の優秀な人材を他国に流すことなど出来ぬ」
王は自らが思い描いていた将来像と、とんでもなくかけ離れた方向に流れていきそうな雰囲気を、何とか押し留めようとする。
が、クレリットは穏やかな表情で自分の考えを口にした。
「恐れながら、陛下」
「よい、許す」
「王族が一度宣言したお言葉を覆すのは他の者にも示しがつかず、後々の為にも宜しくないかと存じます」
「しかし、それではそなたが……」
「はい、わたくしに明確な罪科がなかろうとも、殿下がそう選ばざるを得ない状況となってしまったのは、わたくしの不徳の致す所かと。 婚約破棄と家名剥奪と国外追放、謹んでお受けいたします」
王も王妃も周囲の者も、ひっ詰めるような声を噛み殺す。
貴族令嬢が婚約破棄された上、家名剥奪され国外追放。
それは地位も名誉も身分もなく、何の手立てもない平民の手弱女がその身一つで、国外に放り出されるということ。
とても、まともに生きていけるとは思えない。
他国がクレリットの噂を聞きつけ囲いにくればいいが、今・今日の追放ではそれも間に合うまい。
街道沿いの町や村で誰かに拾われれば幸運だろうが、運が悪ければ娼婦や奴隷となってしまう可能性もないとは言えない。
最悪の事を言えば、夜盗や魔物に襲われて野垂れ死にだ。
周囲の悲痛な雰囲気をどこか他人事に受けながら、クレリットはアーサーとローズに視線を向ける。
「殿下、真実の愛おめでとうございます。 どうぞ何事にも負けることなく、是が非でも貫き通してくださいませ」
「貴様などに言われるまでもない」
「ローズ様、わたくしが5歳の頃より12年間もの時間をかけて、身に付けてきた王妃教育をわずか数年で収めなければならないのは、並大抵の努力ではないと思われます。 それこそ、寝る間も食事をする暇さえ惜しんで、死ぬほど頑張らないと。 ですが、真実の愛があれば大丈夫ですわよね」
「えっ!? ……えぇ」
微笑んで2人にしっかりと釘を刺す。
自分を排除して添い遂げるのだから、真実の愛、後悔するなよ、と。
そしてクレリットは、自分の父親であるエルランス大公を見る。
「お父様、賭けはわたくしの勝ちですわね?」
「……そうだな、お前の勝ちだ」
「では、宜しいですわね?」
「……仕方あるまい……」
普段、無表情な大公が苦虫を噛み潰したような顔をし、それが満足気な笑顔のクレリットとはまさに対照的で。
彼女は軽く頷くと、従者に向かって手を伸ばす。
従者はほんの一瞬逡巡して、躊躇いながらも鞘に入った短剣を手渡した。
その短剣は装飾も全くないことから、従者が普段使いしている得物であろうがクレリットは何の躊躇いもなく鞘から引き抜くと、夜会用に結い上げている自分の縦ロールの髪を掴み、躊躇なくバッサリと切り落としたのだ。
美しく豊かな長い髪は貴族の、いや、女性の矜持。
周囲に、特に女性達の悲鳴が上がる中、クレリットは切った髪を床に落とし晴れやかな笑顔で宣言した。
「大公令嬢、クレリット・エルランスは、たった今死にましたわ」
(……そしてゲームの悪役令嬢も……今からは『私』のターン)
クレリットは、従者の手に鞘に収めた短剣を返しながら、じっとその瞳を見つめる。
短くなったプラチナブロンドが、彼女の肩口でサラサラと揺れる。
今から口にする想いが届くのかどうか、不安がる心のように。
「セレン、これでやっと貴方に言える。 わたくし……いいえ、私は貴方が好きです。 ずっと、ずっと……ずっと昔から」
クレリットの前世は重度の『君クレ』プレーヤー。
だがそうなってしまったのには、理由がある。
どうしても『彼』を助けたかったからだ。
悪役令嬢クレリット、彼女の背後に小さく描かれていた青年。
あまりに小さくて表情さえ分からなかった、けれど黒髪黒目の不吉な従者なんて呼ばれていた、1枚きりのスチル。
彼には名前さえない。
なのに悪役令嬢の命じるまま、その手を汚し、そして必ず死んでしまうのだ。
『従者は死んだ』たったその一文のみで。
まず黒髪黒目が不吉、とされていることに憤った。
こちとら黒髪黒目がデフォの日本人だ。
そのベースカラーを不吉と言われて、納得できるわけがない。
次に名前がない事に、憤慨した。
あれだけ頑張って働いているのに、一度ぐらい名を呼んであげてよクレリット!
と、何度画面を見ながら叫んだことか。
そして最後には必ず死んでしまう事に、悲嘆した。
悪役令嬢でさえ、上手くやれば命は助かる事もあるのに『従者は死んだ』の一文が絶対何処かに入るのだ。
悪役令嬢と同じで、彼も悪役令嬢の従者として固定されてしまっているのか、彼が攻略対象者になんて、なれたことはないし、数多くのクリエーターが配信した沢山の物語をプレイしても全く出てこないか、僅かでも出てくれば必ず死ぬのだ。
自分ではゲームソースを紐解いて物語を作るなんて出来なくて、もどかしい想いが悔いとして残ったのだろうか。
『君クレ』に似た世界に転生していると気付いて、まず一番初めにした事は
彼を探すことだった。
彼に関する情報は『クレリットが五歳の時に孤児院で拾った』『王子と婚約した時には既にいた』の二点しかなく、王子との婚約がいつ成立するか分からないが、一年の猶予もないのが現状なのだ。
クレリットは五歳になった次の日から、すぐさま行動を開始する。
自領内の孤児院を、虱潰しに回っていったのだ。
貴族の奥方が孤児院を慰問するのは、奉仕活動の一環としてよくやるが、まさか五歳の幼女が慰問に来るとは孤児院側も思っていなかった。だが領地の大公令嬢という確かな身分に文句を言う者もいなかった。
どこの孤児院も対応は良かったが、肝心の人物は杳として見付からない。
領内全ての孤児院を回りきり、王都まで足を伸ばそうかと考えていた矢先、領の端に大公が承認していない、個人の孤児院らしき物があると情報を掴みダメ元で慰問に行った。
そこは今までの孤児院と違い、個人経営だからか対応もおざなり気味だったが相応の寄付金を差し出すと、態度があからさまに180度変わった。
あまり良い印象もなく、案内人と共に一通り見学させてもらったが、何処も彼処も酷いものだ。
寝床は不衛生、子供達は痩せていて目に生気はなく、ぼんやりとしている。
五歳とはいえ+三十五歳の精神年齢である、大公令嬢。
後で父に報告して、ガサ入れしてもらおうと考えながら庭に出た時
……そこに彼は、いた……
痩せっぽちの黒髪の少年が、蹲る様に膝を抱えて庭の隅に座ってる。
そこだけ、夜の精霊が宿っているかのようで。
クレリットがゆっくり近づくと、足音に気付いたのか少年が顔をあげる。
生気のない目は皆と同じだが、確かにその瞳は真の闇の様に深い黒。
「よかった、やっとみつけた」
安堵の思いから、令嬢らしからぬ泣き笑いの表情になったのを覚えてる。
その後の行動は早かった。
ガッツリ親の権力を笠に着て、黒髪黒目の少年なので当家が保護するという大義名分を突きつけ、自分が乗ってきていた馬車に押し込んで屋敷に連れ帰った。
その後、孤児院に手を入れてもらったところ、やはりまともな場所ではなくて児童誘拐や奴隷商人達など、相応の闇組織と繋がっていたようだったが、父は五歳児には詳しく教えてはくれなかった。
ゲーム内で悪役令嬢クレリットが、どう彼に接していたかは表記されたことが一切ないので分からなかったが、とにかく彼を生かしたかった、幸せにしてあげたかった。
屋敷内では構い倒し、共に遊び、共に学んだ。
剣も魔法も舞踊も礼法も座学も。
勿論、今まで何も学んでこなかった彼では得手不得手が大きく、中々大変ではあったが、それはそれで楽しかった。
最初は黒髪黒目に畏怖を懐いていた屋敷の使用人達も、主が認め娘が懐いている少年に次第に気を許していく。
彼の名が皆に浸透しきった頃には、表情も体格も普通の少年と見劣りしなくなっていた。
半年後、とうとうアーサーと婚約が決まってしまい、嫌々ながらもクレリットが王妃教育のため王都に移り住むとなった時、彼は従者になる、と言い出したのだ。
従者の最後を知っているクレリットは、勿論最後まで必死に反対した。
悪役令嬢の従者になる、それは死刑執行への片道切符。
だが、その事を知らない彼は
「今はまだ従者として頼りないと思いますが、この命に代えてもお嬢様をお守りします」
と大公に懇願しそれが認められてしまえば、クレリットにはどうしようもない。
だから、一つ約束をさせた。
「いのちがけでまもられても、ちっともうれしくない。 セレンがしんだら、わたくしはかなしいわ。 だから、わたくしのためなら、いっしょにいきてちょうだい。 やくそくしてね」
彼からの言質は取れなかったが、じっと目を見て頷いてもらえた。
しかしこれもゲームの強制力だろうか、ともかく余計な事をしてくれた父親に釘を刺す意味でも、自分からゲームの舞台を降りるための賭けを取り付けた。
賭けに勝てれば、ゲームの強制力は消滅することになり、賭けに負けても第一王子妃になるのなら彼が手を汚す必要はない。
最悪、彼の命が守れればいい、そう思っていた。
いくら+三十五歳の精神年齢があろうとも、王妃教育が辛い時だってある。
婚約者の仕打ちに、ガッツリ正座させて小一時間程、説教を食らわしてやりたくなったことも多々で。
幼い少女の体だ、舞踊や礼法の特訓で腰や足を痛めたこともあった。
そんな折々に、身も心も精神的にも支えてくれた彼。
思慕の想いが、いつしか恋情に変わっていったのは何時の事か。
……最悪、彼の命が守れればいいと、そう思っていた筈なのに……
「なっ、クレリット、貴様っ! 私という婚約者がありながら、従者と通じていたというのか!?」
お前が言うな、というツッコミが聞こえてきそうではあるが、クレリットは心底呆れた様な視線を、元婚約者に向ける。
「下種の極みの妄想は、おやめください殿下。 私は先程、言いましたでしょう『やっと貴方に言える』と。 殿下と道を同じくするのなら、この想いは胸に秘めたままでした。 主が愛を乞えば、従者はそれに応えるしかありませんもの。 そんなものは欲しくありません、その為の父との賭けだったのです」
「先程から何なのだ、その賭けとやらは?」
王は辛抱溜まらず問いかけ、大公は本当に後悔しかない顔で口を開く。
「クレリットが五歳、殿下との婚約が決まった時。 私に、賭けを持ちかけてきたのです。 王妃教育も勉強も頑張る、殿下との関係も良い様にしようと頑張る。 それでも万が一、殿下からの婚約破棄の旨があった時は自分の名を家名から外し平民として生きる褒美を、貴族である全ての責務から解放して欲しい、と」
「そんな馬鹿な!?」
貴族籍から抜け平民へと落ちるのが『褒美』と、そんな考えこの世界の誰もが理解できないだろう。
しかも、たった五歳の幼女が!?
「そう、私もそう思いましたよ。 だが私は、娘の願いを二度も踏みにじっていて、その賭けに乗るしかなかった」
「二度?」
「『殿下と婚約したくない』『セレンを従者にはしたくない』それは、五歳の幼子とは思えない鬼気迫る願い方でしたよ」
「五歳の小娘が、私との婚約を嫌がっていただと? この第一王子である私との婚約をっ!」
アーサーは自分が振るのはいいが、自分が振られることがあるなど夢にも思わなかったのだ。
好かれていない事は感じていたが、まさかそんな昔から嫌われていたとは。
「責任ある立場ですから、只単に避けたかったのです。 それでも決まった以上、私は殿下と仲良くしようと心掛けましたわ。 でも、言葉を掛ければ無下にされ、会いに行けば無視され、会えば私を貶め、行動を共にすれば意地悪される。 手紙が届くことはなく、こちらが送った手紙への返答はなく、贈物は王宮から支給される分だけで殿下個人からはなく、王妃教育をどれだけ成し遂げようとも労いの言葉一つない。 参加するパーティーもエスコートも最低限以下。 会場についた途端、殿下はどちらかに行ってしまわれ、それっきり。 帰りのエスコートなど一度もなく、当然、見送られたこともございません。 あまつさえ最後には人目も憚らず堂々と、婚約者を無視して他の女性との逢瀬をこれ見よがしに繰り返す。 これで、どう慕えと?」
第一王子と大公令嬢の仲が、冷え切っていることは噂に上っていたがクレリットは今まで一切の愚痴もなく、いつも冷静に構えて凛と佇んでいたので、まさかここまで酷い内容とは、王も王妃も周囲にいる誰も彼も、思ってもみなかったのだ。
貴族令嬢の矜持をこれでもかと踏みにじる内容で、いくら王子相手とはいえ本来ならクレリットの方から、婚約破棄を申し出てもいいくらいだ。
「義務と義理だけの政略婚、殿下にも思うところがおありでしょう。 ですがそれは、お互い様なのですわ。 政略婚の、それなりの付き合い方がありますでしょう。 その上でなら側妃や、愛妾や、恋人を侍らそうとも吝かではございませんし、せめて正当な手段での婚約解消でしたら、ようございましたのに……。 まぁ、今となっては、詮無い事ですわね」
溜息交じりの告白は女性どころか、男性陣までも侮蔑の視線をアーサーに向ける。
元婚約者の居心地が悪かろうと、そんな事は知ったことではないとクレリットは続けた。
「セレンは、そんな私をいつも支えてくれました。 言葉を掛ければ答えてくれ、会えば笑顔で対応してくれる。 共に遊んで、共に学び、共に笑って、共に過ごす。 野の花や綺麗な小石、風景の美しい場所に連れて行って励ましてくれましたわ。 殿下のエスコートのないパーティでは、代わりにエスコートしてくれて常に傍に控えて、温かく見守っていてくれました。 これで気持ちが傾いてしまうのは、私の浮気ですか?」
攻略者達の用意した、悪役令嬢を葬り去るための舞台であったが、今やクレリットの独壇場で、誰も口を挟むことなど出来ない。
思わぬ告白に完全に固まってしまっている従者の両手を、しっかりと握った。
「大公令嬢ではなく平民のクレリットとなったから言えるの。 昔、約束したでしょ? 『わたくしの為なら、一緒に生きて頂戴』って。 セレン、だから、あのね、もし、できたら、なのだけれど……その、嫌なら、私一人で……」
真っ赤になって、しどろもどろになって、セレンからの反応がない事に今度は青褪めて、俯いていくクレリット。
「お嬢様?」
「……違う……」
凍結から解凍した従者が我が主を見下ろすと、彼女は仔リスの様に頬を膨らませていた。
遠い昔に覚えのある表情。
屋敷に引き取られ暫くして、他の使用人達が『お嬢様』と呼んでいたから自分もそれに倣ったら、可愛らしく膨れて拗ねられてしまったあの日。
「……っぁ!?」
降って湧いた僥倖にセレンが目を瞠り、嬉しさのあまり手が細かく震える。
両手を恐る恐る差し出しながらも、突如何かが切れたかのようにクレリットをかき抱いた。
「クレリット? クレリット?! クレリット! 嗚呼、まさか、また貴女の名を呼べる日が来るなんて」
「うん、じゃぁ約束、果たしてくれる? 『私と一緒に生きて』」
「勿論です、クレリットが望む限り。 ……いいえ最早、貴女が嫌がったとしても」
「大丈夫よセレン、貴方を飢えさせたりなんかしないわ。 養う手立ては、ちゃんと考えて用意してあるもの」
「漢前で大変ご立派なのですが、そういう台詞は俺に言わせてください。 ただ今迄のように、身を飾ることも優雅な暮らし振りも出来ないのが心苦しく」
現状が身に余るほどの幸福である事は分かってはいるが、それに追随すべき恋人のこれからの苦境を思い、どうしても苦々しく表情が歪んでいく男に対し、クレリットは無邪気に微笑んでパチリと可愛らしくウインク一つ。
「あら、身を飾れて優雅な暮らしが出来ても、心が空っぽなら虚しいだけだわ。 私は、貴方という真実の愛を手に入れたのよ」
クレリットは王や王妃、父親である大公など、ゆっくりと周囲を見渡すと嫣然と微笑んで淑女の礼をする。
「それでは皆様、ごきげんよう」
高笑いしながらセレンの手をとって、ホールの出口へと駆け抜けていった。
誰が引き止める暇もなく。
未練も、後悔も、拘りも、一切ない!と言わんばかりの潔さに、まるでイラナイと捨てられたのは、残っている此方の様で。
二人が駆けた風で、縦ロールの残骸が大公の足元まで転がる。
娘の置き土産のその髪をそっと一房拾うと、後悔を滲ませポツリと呟いた。
「……馬鹿娘が……」
誤字、脱字報告、ありがとうございます。
この機能、とっても便利ですねw