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冤罪? よろしいならば戦争だ

「クレリット・エルランス、貴様との婚約破棄を言い渡す!」


 で、冒頭のアーサーの宣言である。


「私は真実の愛を見出した。 ここにいるローズ・リアン男爵令嬢を、私の婚約者とする」


 周囲を見回し得意げにアーサーは言い放ったが、扇で顔半分を隠したまま何の反応も示さないクレリットを見て、忌々しげに睨みつける。

 その背に庇わられ、ローズが小刻みに震えながらこちらを見ており、傍には取り巻きとなった攻略対象者達が立ち並んでいる。

 彼らも、まるで親の敵でも見るかのような目でこちらを睨んでいた。 


 まるで魔女裁判。


 女一人に、向こうは六人。

 しかも、次期の国を担うべき高位貴族令息達。

 その人物達に敵視されるだなんて、覚悟なくばその威圧感は幾許のものか。

 普通の令嬢なら、耐えられるようなものではないだろう。

 それなのに、紳士な礼節は一体どこに行ったのだ。

 彼らの認識で言えば、自分達は被害者、こちらは加害者。

 しかも自分達の愛してやまない女性を害した、まさに魔女のような存在。

 同じ場所の空気を吸うことさえ、憎らしいと言うところか。


 馬鹿らしい、こんな茶番は早く終わらせてしまおう。 


 クレリットは扇を顔から離すと、貴族令嬢らしく感情を表に出すことなく涼しげな表情のまま、アーサーに向かって静かにそして優雅にまさに教科書のお手本のような、淑女の礼をした。


「婚約破棄とローズ様とのご婚約、承知いたしました殿下。 では父に、その様に伝えておきます。 ですが先の事もありますので、宜しければ理由をお伺いしても?」


 自分の元婚約者の反応が、予想通りだったのか予想外だったのか、アーサーはますますクレリットを睨み、荒々しく声を張り上げた。


「理由だと! 貴様が貴族にあるまじき卑しき奴だからだ。 そんな女が私の横に並び立つなど、国母になど相応しくない」

「卑しい、ですか?」

「大公令嬢という身分を笠に着て、ローズを苛めたであろうが」

「いえ、記憶にございませんが」

「嘘を吐くなっ! 元平民の男爵令嬢だからと親しい友もなく、誰からも茶会の招きもないとローズは嘆いていたのだ。 貴様が裏で手を回していたのだろうが」


 クレリットはアーサーの背後に隠れているローズに視線を移す。

 これが本当に最初、自分を破滅に導くかもしれないヒロイン達との直接対決。

 冤罪? よろしい、ならば戦争だ。


「男爵令嬢でもご友人の多い方はおられますし、普通なら二度や三度はお茶会に招かれるものでしょう」

「それを貴様がっ!」

「まず、わたくしがお茶会を開く時は、招く方を決めておりません。 何方でも参加自由にしております。 ですので、婚約者の殿方と参加される御令嬢もおられましてよ。 まぁ、殿下もローズ様も其方の皆様も、一度もご参加いただけなかったのは残念ですけれども。 私のお茶会に顔を出されていれば女性のご友人もでき、他の方のお茶会の招待もありましたでしょうに」

「だから貴様がっ!!」

「殿下、貴族女性のお茶会を侮ってはなりません。 趣味、話題、流行、果ては国の情勢や経済まで、社会に出られないわたくし達が様々な情報を得られる大切な場所なのです。 学園内のお茶会とはいえ、そこは貴族社会の縮小版。 王女殿下がおられない以上、恐れながら王妃陛下に続く高位のお茶会。 その最初の一歩を踏み出されない方の信用など、ないのです」

「何だと!?」

「信じるに足らぬ方と、誰が友になりたいと思いますか? 誰が、大事な自分のお茶会に招待したいと思いますか? 女性の視線は、殿方のそれより厳しいのですよ。 守られ、いだかれ、囲われて、ぬるま湯に安穏とすごすだけでは叶わない。 己を磨き、高め、教養をつけ、礼節を積み重ねる。 待っているだけでは、自らが動かなければ、得るものなどないのですわ。 それとも、わたくしが何らかの手を下したという確たる証拠がございますの?」

「ローズが貴様に苛められて、嘆いていることは事実だっ!」


 あくまで、冷静で表情を崩さないクレリットに対し、アーサーの証拠などない自分勝手な糾弾の声を皮切りに、次々と取り巻きと化した彼等も声を上げる。

 

「泥水を掛けたのだろう」

「ノートを破ったとも聞きましたよ」

「ローズのお母さんの形見のブローチを盗んだんだって? 最低だね」

「ドレスにワインを零して汚しましたね」

「あまつさえ、ローズを階段から突き落としたではないか」 


 男達の怒声がクレリットに突き刺さるが、彼女にひるむ様子は微塵もない。

 一方で皆に庇われているローズは、胸で掌を組み震えながら訴えかけてきた。


「クレリット様、私、一言謝っていただければ、もうそれだけで」


 その儚げな様は男達の庇護欲をそそるらしい。


「愛しいローズ、安心するがいい」

「騎士の剣にかけて、お前を守る」

「可愛そうに、怖がらなくとも良いのですよ」

「でもローズは優しいね、謝るだけで許してやるなんてさ」

「神様は、いつも正しい者の味方ですから」


 怯える様子のヒロインを構い倒す攻略者達を尻目に、悪役令嬢は本当に不思議そうに小首を傾げる。

 

「恐れながら殿下。 私がローズ様にそれらの事をして、一体、何の利があると言うのでしょう?」

「何を白々しい、私とローズの仲に嫉妬してのことであろうが」

「わたくしと殿下の婚約は政略、義務と義理だけで愛などございません。 わたくし達の仲がよろしくないのは、周知の事実ですし。 卒業パーティーに婚約者をエスコートしないで、他の女性を伴うような男性をお慕いするほど、わたくしは物好きではありませんが」

「貴様、この私を愚弄するかっ!」

「事実でございましょう? ですが、ご自分のなさった事がマナーに反する、と言う自覚はあるのですね、ようございました」   

「っ!」


 クレリットは、それはそれは、ニッコリと微笑んだ。

 あまりに艶やか過ぎる笑みに、アーサーどころか周囲の者も息をのむ。

 大公令嬢と言えば、涼しげな微笑か冷静な表情しか思い浮かばず、プラチナブロンドと相まって『月光の君』なんて通り名があるほどなのだ。

 アーサーにいたっては、どれ程その微笑さえも見たことがなかったか。

 今まで何一つ、自分のやる事に口答えなどしてこなかった彼女の反撃の狼煙に一瞬、言葉に詰まる。

 しかしそこはそれ、腐っても第一王子、矜持を取り戻し更に詰め寄る。


「ならば王太子妃、更には王妃としての権力を欲しての事であろう!」

「王太子妃? 王妃? 何故でございましょう。 殿下は、まだ立太子されておられないではありませんか」

「――――――――――――っ!」


 この国の王の子は、アーサーと十四歳の第二王子の二人だけ。

 成人する年齢の彼が、未だ立太子されていないということは、第二王子と比べて王として能力が足りないと思われていると言うことで、優秀な婚約者に対して、有能な第二王子に対して、コンプレックスを抱えている第一王子にとって、それは禁句であり逆鱗に触れる行為だ。

 

 今まで絶対に言えなかった事を口にでき、元婚約者のこれまでの仕打ちに対して、少々溜飲を下げたクレリットは、目配せ一つ。

 後ろに控えていた従者を呼ぶと、革の表紙で立派な冊子を受け取った。


「まぁ、今更その様な事はどうでもよろしいですわ。 一代限りの大公家とはいえ、わたくしも貴族の端くれとして家名に傷をつけるわけには参りませんので、わたくしの無実の証明をいたしましょう」

「無実の証明だと、馬鹿馬鹿しい! 大体、その本は何の真似だ!? 貴様得意の姑息な幻術魔法で、この場を眩まそうとでも言うのか」

「魔法など必要ございません。 これは、わたくしの日記帳ですわ」 

 

 たとえ自分がローズを苛めなくても、強制力なり自作自演なりで、冤罪を掛けられる可能性は十二分にあった。

 クレリットの前世は重度の『君クレ』プレイヤー。

 数多あるイベント日時を諳んじるなど、容易い事。

 ローズが学園に入学してきてから昨日まで、詳細な自分のアリバイ日記を書き貯めていたのだ。


 パラパラとページをめくりながら、一番最初に覚えのない罪を吹っかけてきた、騎士団長令息に目を合わせる。


「さて、最初は何でしたか。 『泥水を掛けた』でしたか、いつ頃のお話です?」


 ジャヌワンはローズと顔を見合わせてから自信たっぷりに答えた。


「月ノ月三日、下校時間の裏庭だ。 ローズの悲鳴が聞こえて俺が駆けつけた時、彼女のスカートが泥水で濡れていたのだ」

「それで、何故わたくしが泥水をかけたと? ローズ様がそうおっしゃったのでしょうか?」

「あぁ、確かローズがそう……」

「私はそんな事は、校舎角の出会い頭の出来事で、私にもよく分からず。 ただ、顔を上げた時に先の校舎窓からプラチナブロンドの髪が見えた気がして」

「プラチナブロンドの生徒など、わたくしの他にもいらっしゃいましてよ。 あぁ、ありましたわ、その日その時間、学園長室におりました。 生徒会長と学園長先生とご一緒に」

「何故、役員でもない貴様がその様な場所にいるのだ?」


 生徒会役員は、身分関係なく成績とその人物の能力によって学園が選出する。

 大体一度決まるとよほどの成績降格、能力不備、態度破綻などがない限り三年間通して、何らかの役員を務めることになる。

 ゲームでは、クレリットが役員になったことはない。

 攻略対象者達が、それぞれの役員をやっていた筈なのだが。 


「役員の皆様方が、何かに託けて真面目にやっておられませんので生徒会が滞り始めましたの。 ですからわたくしが副会長代理として、3年のひと月初めの頃から務めさせていただいてますのよ……ねぇ、生徒会長」

「へぇっあぅ!」


 クレリットは首を傾げ、少し離れた場所の壇上にいる生徒会長に呼び掛けた。

 卒業パーティーも生徒会の行事の一つ。

 何処に誰がいるかなど把握済みだ。

 一方、突然話を振られた生徒会長は、思わず変な声を上げてしまった。

 どうなる事かとオロオロしていた所に、いっせいに高位の人物達の視線が集まり、表舞台に引っ張り出されたのだから、致し方ないだろう。


「確かか、生徒会長」

「は、はい、ご一緒させていただいてますぅ!」

「あの日は、予算の話し合いでしたわ」

「えっ……あ、そうです。 えと、学園長もご一緒で……確か途中で外が騒がしくなって」

「えぇ、何事かと学園長が窓の外をのぞかれましたね。 すぐお戻りになられましたけれど」 

「『ずいぶん賑やかな、女子学生がいるようだ』って言われましたね」


 第三者の証言と学園長の登場に、取り巻き達の言葉の温度が下がっていく。


「……学園長室は、一階の校舎の端、裏庭沿いにあるな」

「学園長は銀色の長髪で」

「見ようによっては、プラチナブロンドに見えなくもない……か」


 クレリットは男達をゆっくり見た後、ジャヌワンに視線を据える。

 その見下しきった視線は、何よりも雄弁に語っていた。

 正義に剣を捧げる騎士が何事か、と。


「では、この件はこれで宜しいですわね」

「くっ」


 これ以上の戯言は許さないと、二言無くきっぱりと言い切った。

 目前の、自分を断罪した彼女に非はない筈なのに、騎士の誇りにかけても己が正しいと思い込んでる男は、煮え湯を飲まされたように言葉に詰まる。

 そんなジャヌワンを尻目に、ジルベルが一歩前に出る。


「では、ノートの件はどうなのです? 星ノ月一日です。 提出した課題ノートをビリビリに破られてしまって。 可哀そうに、ローズは期日まで頑張ってやり遂げたものを。 提出時に彼女のノートの下には、貴女のノートがあったと……」

「その日は、学園に来ておりませんわ」


 とうとうと、ローズの状況を説明しだすジルベルの言葉に被せて、クレリットは答える。

「語るに落ちましたね。 では何故、当日提出期限の課題ノートがそこにあったのです?」

「その日、学園に来られないのは分かっておりましたから、課題ノートは事前に提出済みです。 大体、普段から期日ギリギリに提出するなんて、いたしたことはありません」

「は?」

「当日は王妃教育のために王宮におりました。 宰相様のローランド卿にもご教授頂きましたからジルベル様、お父上に確認なさってみては、いかがでしょうか?」

「なっ、ならば、他人にやらせたのでしょうっ!」

「では、それは誰です?」

「えっ」


「わたくしがノートを破らせた、と言う他人とはどなたです?」

「そっ、それは……そうですっ! 大方、その男にでもやらせたのでしょう。 不吉な黒髪黒目で平民の従者など、汚れ仕事には相応しい」


 ジルベルがドヤ顔で、クレリットの後ろに控えていた従者を指差した。


「確かに彼なら、わたくしがやれと言えば、何の迷いもなくやるでしょう。 ですが『破れたノートの下に、わたくしのノートがある』なんて彼が犯人なら、そんな間抜けな証拠など残しません。 わたくしを犯人に仕立て上げたいのだとしても、あまりに稚拙すぎます。 そんな推測で物を言うなんて、この国を担う宰相令息として如何でしょうか。 もう少し、整然と理論立てて頂きたいですわ」

「っつ」  

「しかも『不吉な黒髪黒目で平民の従者』ですか。 何時の時代のお話をなさっているのでしょう? 身分を笠に着ていらっしゃるのは、一体何方なのでしょうか」


 自分の従者を貶められて、わたくし怒っていますのよ!と言わんばかりに、猫目の眦を更に吊り上げ、パシリッと扇を掌に打ちつける。

 ローズ可愛さで、自分の推測が穴だらけなのは分かっているのだろう、ジルベルは悔しそうに奥歯をかみ締める。

 

「じゃぁ、ブローチの盗難はどうなのさ。 土ノ月一日、課外授業のあった日。 アンタが一番最後に教室を出たって目撃者もいるんだ」

「ブローチに関しましては、心当たりがありますわ」


ライルの糾弾に、クレリットは日記帳も見ずに答える。


「ほら、やっぱりアンタが盗んでっ!」

「勘違いなさらないで下さいな。 落とし物として生徒会に届いていましてよ。 学園内の掲示板にも、ブローチの詳細と生徒会で預かっていることを明記しておりますわ。 全然、落とし主が現れなくて、正直困っておりましたの。 もし、役員だった何方かの目に止まっていれば、もっと早くに気がついたかもしれませんのに」

 

 クレリットは、さり気に「だった」を強調しながら、真面目に役員をこなしていない面子を見て、さも残念そうに大きな溜息をつく。


「取り敢えず、現物をお持ちしましょうか。 わたくしが取りに行ってもよろしいのかしら」

「そのまま逃げるつもりか!」

「まぁ、今、わたくしが逃げる利点が、見当たりませんのですけれど」


 ガルガルと躾のされていない仔犬の様に食って掛かる少年に、何を言っているのか? と本気で訳が分からない風に、大袈裟にクレリットは目を丸くする。


「あ゛ーでは僕が、保管場所も知ってますし」


 最近は、結構一緒にいることが多かった生徒会長でも、全然見たことのない副会長代理の色々な表情を目の当たりにして心底驚きながらも、おずおずと壇上から手を挙げた。


「宜しいんですの? では お願いいたしますわね」

「はい、じゃぁ」



 対峙している男達とは違って、クレリットは嬉しげに微笑み感謝の言葉を贈る。

 被っていた特大の猫をかなぐり捨てた彼女は、実に表情豊かだ。


「落とし物にあったって、そのブローチがローズの物か分からないし、ローズのブローチだったとしても、アンタが盗んで落とし物としたかもしれないじゃないか!」

「何の為にですの?」

「……えっと、それは……」

「では、一つ一つ疑惑を解消していきましょうか。 まず、課外授業の日、最後に教室を出たのは、施錠をしたからです。 勿論、ローズ様がお母上の形見だなんて大事なブローチを教室に持ち込んでいた、なんて存じておりません」

「そんな、確かにあの日まであったんです」

「誰もなかったとは、申しておりませんことよ。 次に、わたくしがブローチを盗んだとして、何故でしょう? 不躾ながら、ブローチは既に十分持っておりますし、盗んで売り払うような金銭にも困っておりませんもの。 更に、それを落とし物として届けたとして、一体何の意味がございますの?」

「それは……私を恨みに思って」

「まぁ、恨みなど一切ございませんわ。 ローズ様はわたくしに、恨まれるような事をしたんですの?」

「えっ、でも、あの」

「殿下との関係のことを言っておられるのでしたら、筋違いです。 本来、非がどちらにあるかといえば、殿下の方にございます」


思わぬ矛先を突然突き付けられ、アーサーは声を上げる。


「何だとっ!」

「当然でございましょう。 第一王子という身分、婚約者がいる立場、それを思えば友人と言うだけでもあらぬ疑いをかけられ眉を顰めるものですのに、不用意に女性を侍らす等、愚の骨頂ですわ。 大体、ローズ様も殿下のように身分上の殿方に言い寄られてしまえば、無下に袖にする事もできませんでしょうし」

「なっ、ローズ、そうなのか!?」

「いいえ、いいえ、アーサー様、決してそんな事はっ!」 

「とも角、わたくしはローズ様が殿下と婚約なさろうが、その上で他の方々とも親交を温めようが、一切、恨み言などございませんの」

 

 恨んでなどいないが、言いたい事は十分ある。

 クレリットは、しれっと男女の仲に爆弾を叩き落してみた。

 暫く、新しい婚約者達は一悶着ありはしたが、どうやらローズが必死に言い募って元鞘に納まったようだ。


「……あの、これ」


 二人の痴話喧嘩が収まった様子を見て、生徒会長がそっと声をかけ、ローズにブローチと小さなメモを手渡した。


「まぁ、私のブローチ! ありがとうございます」

「メモには、届けてくれた人物、拾った日と場所が書かれています」

「えと『一年の女子学生、金ノ月三十日、運動場』」


 ローズが読み上げたメモに、一瞬空気が固まった。


「ブローチをなくされたのは『土ノ月一日、課外授業のあった日』ではありませんでしたか?」

「気が付いたのが一日だったのだから、仕方ないじゃないか! それに前日だったとしても、アンタが盗んで運動場に捨てたかもしれないし」

「ですから、盗む理由もありませんものを・・・まぁ、よろしいですわ。 そこまで言われるのでしたら、ご自分で調べてみては如何で?」

「えっ」

「物に触れた者の『残存魔力』ノートなどとは違い、女性の身を飾るアクセサリーですもの。 持ち主の魔力も宿りますし、盗むほどの明確な意思があれば何かしら残りますでしょう? 貴方様なら、読み取ることなど簡単ですわね」


 小首を傾げて微笑む様子は可愛らしいが、暗にやってみろと言っていた。

 明確な意図を持って込められた魔力でなければ、それは微々たる物だ。

 読み取るには、繊細な魔力操作が要求される。

 ライルにそう言い切るからには、クレリットにはできるのだろう。 

 要はハッキリと、魔術師団長令息に喧嘩を売ったのだ。

 さて、罪だと言い切るからには買ってみろと。

 

「ローズ、ブローチを貸してくれる?」

「あっ、はい、どうぞ」


 ライルはブローチを受け取ると、掌に包み込んで目を閉じた。

 瞬間、彼の手の内に強い魔力が満ちる。

 複雑な魔力操作をしているのだろう、彼の表情が若干歪む。

 皆が固唾を呑んでその掌を見つめる中、やがて魔力は消失していった。


「……ない……」


 ポツリと呟くと、ライルは信じられないといった眼差しでクレリットを見た。


「前の持ち主の分は、色々な魔力と混ざって判別できなかった。 あったのは、ローズの魔力と、小さな魔力痕が二つ。 ……アンタの魔力がない……」

「当然ですわ。 わたくしは、ブローチを盗んでいませんし、それ所か、届けられたブローチに触ったこともございませんの」

「何で、落とし物のブローチも触ってないのよ」

 

 声を上げるローズに、クレリットはさも当然といった表情で答える。


「宝石や鉱物などには魔力が込めやすいですから、持ち主不明のアクセサリーを不用意に触るほど、わたくしは愚かではありませんわ」

「じゃぁ、魔力痕って」

「恐らく、拾ってくださった方と、先程の生徒会長のものでしょう。 ブローチに特に思い入れがない以上、その様なものですわ。 ついでに口添えしておきますと、わたくしの従者の魔力も高いですので万が一、わたくしの代わりに盗んだのなら、相応の魔力痕が残りましてよ。 只単に、ローズ様が運動場で落とされたのではありませんか」

「……」 

「ブローチがなくなったら、普通でしたら『落とした』と思うものです。 それなのに、何故わたくしを名指しして『盗んだ』と思われたのか」

「そんな、私、クレリット様を名指ししてだなんてっ!」

「では、名指ししたのはライル様の方、と言うのですのね」

「えっ、いえ、あの、その」


 クレリットに詰められ言いよどむローズの肩を、アルラーズがそっと支える。


「心配要りません、ローズ様。 次の事柄は、何隠すことない真実なのですから」

「アルラーズ先生」

 

 十八歳の成人直前の紳士淑女が色豊かに着飾っているホールで、一人だけ真っ白な神官服を着ている成年男子はそれだけで目を引くが、彼の場合はアルビノで瞳だけ赤いので余計に目立つものがあった。

 まさに見た目だけなら、真っ白な神の申し子といっていいかもしれない。


「白ノ月十日、淑女の所作の授業で貴女がローズ様にぶつかり、グラスのワインを彼女のドレスにかけたそうですね。 スカートの裾が赤く染まったドレスを、私は見ているのですよ」


 微かに微笑んではいるが、目が全然笑っていない時点で断罪を促す神官長の表情ではあるが、クレリットは歯牙にもかけない。


「わたくしがぶつかった、のではなく、互いにぶつかったのですわ」

「どういう事です」

「給仕よりグラスを取る際は、右手で取り左側に体を向けるのがマナー。 それは、勿論ご存知ですわね」

「えぇ、それで」

「ローズ様はグラスを左手で取って、右側に回ってきたのです。 で、近くにいた、わたくしとぶつかったのですわ。 動いていたので、勢いがあったのはローズ様の方。 なのでグラスのワインは、その殆どがわたくしの胸元に掛かりましたの。 ですから、ローズ様のスカートは裾しか汚れていなかったのですわ。 『ドレスにワインを零して汚した』えぇ、確かにその通りですわね」

「……そうなのですか、ローズ様」

「えっと、クレリット様とぶつかったと言うか……私も、ぶつかったと言うか……」


 クレリットの一方的だと思っていた行動がお互い様どころか、ローズの方に非があるような真実に、神の代理人が目を瞠る。  


「大体、授業中に起こった出来事なのですから、他のクラスメートにでも訊ねられればよろしいですのに。 神の真名ミクルベにおいて、お尋ねしますわ。 何故、一方的にわたくしを悪と決め付けられたのか」

「そっ、それは……」

「正しき神の使徒ともあろう神官長が色欲に目が眩んだ、なんてことはございませんですよね」

「欲?……まさか、私が色欲!?」


 今まで崇拝だと信じてきていた想いが色欲だと断言され、またそれを敢然と否定できない事実にアルラーズは愕然となる。


「しかしっ、ですがっ、淡いミルク色のドレスの裾が赤に染まってローズ様はドレスが汚れて、あんなに悲しんでおられた。 その涙が、とても清らかで」

「ついでに申しますと、ドレスは学園から貸し出された物です。 勿論、わたくしが着ていた分も、どちらも既に回収されておりますわ」

「学園の貸し出し!?」

「えぇ、練習用のドレスです。 剣術の授業でも、得物によって能力が左右されないように剣は用意されているでしょう、それと同じです。 失敗したり、裾捌きがなっていないと、すぐに汚れが目立って粗が分かるように淡いミルク色のドレスなのですわ。 元々、汚れることが前提のドレス。 それが汚れて悲しむのはお優しいとは思いますが、ご自分の物でもないのに涙するまでとは……ねぇ」

「……あれは、ローズ様のドレスではない?……」

「ドレスの貸し出しや、授業内容を知っていれば自ずと真実に辿り着けましたでしょうに。 神官長であるとはいえ、学園の教師でもあるのですから、もう少し他の事柄にも目を向けられてはいかがでしょう。女神崇拝も間違った方向に極めては、無様ではありませんこと?」

「……私が無様?……わたっ、わたしはっ、私はっ」


 盲目的に何かを信じている者は、そのナニカに一旦疑念を懐いてしまうと酷く、脆い。

 混乱しているアルラーズを乱暴に後ろに引き下げアーサーが再び前に出る。


「なんと言い逃れしようとも、これだけは誤魔化されんっ! 先月、貴様はローズを階段から突き落としたではないか。 階段下に倒れたローズをこの腕に抱きかかえた感触、忘れはせぬぞ!!」


 クレリットは今までで最大の溜息を吐き、ぱたりと日記帳を閉じた。

 見るまでもない、そう言わんばかりに。


「殿下、ローズ様を愛されるあまりに、記憶の改ざんをしないで下さいませ。 魔ノ月十一日の放課後、殿下もわたくしも教室にいたではありませんか」

「なにをっ!」

「勿論、二人きりではございません。 他にも何人か、居残っていましてよ」

「なに……を」

「ローズ様の悲鳴が聞こえる前、殿下はどちらにいらっしゃいましたか」

「……そっれは、教室にいた、ローズが戻ってくるのを待っていた。 すると彼女の悲鳴が聞こえて、教室を飛び出してみたら階段下にローズが倒れていて、慌てて抱きかかえた」

「今の所、わたくしとローズ様の接触はありませんが、一体どうして、わたくしがローズ様を突き落としたとお思いに?」

「腕の中のローズの視線を追ったら、階段上に貴様がいたからだ。 上にいたから、貴様が突き落としたとっ!」

「階段上には、わたくしと一緒に教室から様子を見に来られた方もいらっしゃいましたよ」

「だが、ローズは貴様を見ていた……見ていたんだ」

「ローズ様」

「なっ何でしょう」

「わたくしが、ローズ様を突き落としたのですか?」

「……背後から突き飛ばされて、誰か分かりませんでした」


 まぁ、と大袈裟にクレリットは首を振る。



「悲鳴が聞こえた時、教室にいたわたくしがローズ様を突き落とす事はできないとご理解頂けますね。 序に申しておきますと、私の従者もその犯行は不可能ですわよ。 その時、生徒会長と一緒に掲示物を取りに行ってもらってましたの。 それが届くのを、わたくしは教室で待っていたのですから」

「「「「「「……」」」」」」

「さて、これで良うございますね。 わたくしが、ローズ様を苛めていたという事実も、泥水を掛けた事実も、ノートを破った事実も、ブローチを盗んだ事実も、ワインを故意に零してドレスを汚した事実も、ローズ様を階段から突き落としたという事実も、一切ございませんわ。 わたくしの無実は、証明されましたかしら」


 貴族令嬢らしく、高飛車に上から目線でツンと澄まし、扇で口元を覆った。


 普通ならば厭味な表情だろうが、周囲はクレリットに同情的だ。

 元々、アーサーとローズとの交流は傍から見てもおかしなものだった。

 婚約者を蔑ろにした、あからさまな寵愛。

 取り巻きとなった者も皆が皆、高位令息ばかりで、神官長のアルラーズ以外には勿論、婚約者達だっているのだ。 

 更に彼女に構って、生徒会などの役員業務が滞っていく。

 周囲の者が、クレリットに意見しても


「殿下のお好きなように。 それに殿下がローズ様をお認めになられれば、他の殿方達も落ち着きましょう。 彼等の婚約者の皆様には、今しばらくご辛抱していただけないでしょうか? 殿下が真に愛する女性を見付けられたのは、喜ばしい事ですもの」


 と寂しげに微笑んで、ローズを容認したものだから、周囲は何も言えなくなってしまったのだ。


 アーサーとローズに対する、内々的な不安感。

 さらに、取り巻きになっている者達への不満感。 

 今まで口に出せなかった思いが、一番の被害者であるクレリットが断罪したことにより、ザワザワと周囲に溢れ出す。


 自分達にとっての不快感を肌で感じたのだろう。

 今までの、褒めちぎり賛美する輝かしい雰囲気ではなく、嘲笑されるかの様な見下されるかの様な、馬鹿にされるかの様な、隠されていた悪感情が一気に男達に突き刺さる。


 その空気に耐えられる程、アーサーは強くなかった。

  

「……うっ、うるさいっ、うるさいっ、うるさいっ! 未来の王とその王妃、更には高位令息達に対する暴言と侮辱の数々、不敬罪だっ! もはや婚約破棄のみでは生温いっ、家名剥奪の上、国外追放を命じるっ!」


 瞬間、周囲から悲鳴のような声が漏れ聞こえる。


 そんな中、扇で隠れたクレリットの唇が、緩やかに弧を描いていたのは誰も知らない。

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