97話 迷子の王子
よろしくお願い致します。
「──え、え~っと、この黒っぽい色の木製の扉に……後、右下に獅子の置物があるこの建物は─っと……」
(……この建物は昨日、先生と尋ねた武具屋さん。確か、この建物を目印に、僕と先生が泊まっている宿屋を探してたんだ……)
茶色のフード付きのマントを身に着けた金色の髪の幼い男の子。先程まで顔を隠すように被っていたフードを外し、不安気な面持ちで辺りをキョロキョロと見回していた。
(……やっぱり、この風景はこれで三度目……どうしよう?)
やがて、その小さな男の子は、力なくその場にペタンと座り込んでしまった。
(……僕。迷子になっちゃった……)
──────────
「あのお兄ちゃん、道の真ん中で座っちゃってるよ。どうかしたのかな……?」
「ダメよ。見ちゃダメ! お買い物に行きたいんでしょ? ほら、早く行くよ……」
「──痛っ、分かったから、そんなに強く引っ張らないで、痛いよ。お母さん」
すれ違い様にそんな声が聞こえてきた。その声に僕はハッと息を漏らしながら、再び辺りを見回す。
背に剣を取り付けた冒険者風の男の人。
腕を組みながら、楽しそうに話をしている若い男の人と女の人。
そして笑顔で元気に走り回っている、顔の良く似た男の子達……あの子達は兄弟なのかな……。
僕の目に、色んな人達の姿が飛び込んでくる。そしてそれらは、全て僕に対して冷ややかな視線を向けてきた。
自分に向けられるその視線が、とても怖くて、痛くて──
「とにかく、立ち上がらないと……」
僕は不安な気持ちに襲われながらも、立ち上がり、急いでこの場所から離れた。
走りながら大通りから外れ、街の裏へと続く路地に入る。
「はぁはぁ……」
……あれはパン屋かな? 店の前に小さなベンチがある。疲れたし、取りあえずあそこに一旦、座って落ち着こう。
そう思って、僕はそのベンチに座った。
一度目を瞑り、大きく深呼吸をする。そしてベンチに背を預けながら、ここから遠くに見える大通りを歩くたくさんの人達を、ただ、ボンヤリと眺めていた。
僕の頭に先生の言葉が思い浮かんでくる──
◇◇◇
「コリィ君。火の寺院と繋がりを持つ者と落ち合う手筈となっているのだが、これから、それを確かめる為に出掛けてくる。夕暮れまでには戻れるだろう。君は部屋に鍵をし、一歩も外へと出ないでくれ。くれぐれもだ」
─────
今日の朝早く、キース先生はそう言って、僕達が泊まっている宿屋から出ていった。
あれから、王都バールから脱出した僕とキース先生は、先生の提案でシュバルトの街に立ち寄る事になった。そして宿をとり、一晩明かしたのだった。
僕もその言葉に従い、先生が戻るまでの間、部屋から一歩も出るつもりはなかった。だけど──
─────
僕は先生が部屋から出た後。ベッドの上に仰向けになり寝転がった。そして少し古ぼけた天井を見つめてみる。
──思い浮かんでくるアレン兄ちゃんの姿。
─────
今の兄ちゃんよりも大分若いその兄ちゃんは、手に持つ木の枝を振りながら、満面の笑みで元気に走っている。
まだ、走れるようになったばかりの僕は、たどたどしく走る足を絡ませて転んでしまった。
膝を少し擦りむき、痛そうに涙を浮かべる僕……。
「……ううっ、痛いよ。待って、お兄ちゃん……待っててば……僕を置いてかないで……ぐすっ……」
うつ向き涙を堪える僕の前で、何かの気配を感じ、はっと顔を上に上げる。
そこに兄ちゃんの背中が目に飛び込んできた。
兄ちゃんはしゃがみ込み、こちらに背を向けている。そして振り向いた顔は、やさしい笑顔を浮かべていた。
「大丈夫、コリィ。僕はここにいるよ。置いていったりなんてしないから……」
がんばって堪えていた僕の目から、涙が溢れてくる。
「うん、ありがとう。お兄ちゃん……これからもずっと……約束してね?」
振り向いた兄ちゃんに向けて、そう問い掛ける。
「うん、約束するよ。僕は絶対にコリィを置き去りなんてしない。だって、僕はコリィのたったひとりの兄ちゃんだから……」
兄ちゃんはそんな返事を僕に答えてくれた。その言葉が、まだ幼い僕でもとても嬉しく感じて──
「さあ、コリィ。もう帰ろう。おいで、おんぶしてあげるから」
僕は兄ちゃんの言葉に、背中に向けて勢いよく跳び乗った……その際に目に入ってくる兄ちゃんの左手首に付けられた銀のブレスレット。
竜の頭と炎を象った細工が施され、中央に赤い宝石が填め込まれている。
確か、兄ちゃんがずっと付けている宝物だ……。
そんな事を思い浮かべながら、やがて、僕は兄ちゃんの暖かい背中の中で眠りに落ちていった──
─────
そして目が覚めると、寝ぼけた僕の目に、再び古ぼけた天井の姿がボンヤリと入ってきた。
……どうやら、そのまま眠っちゃてたみたい……そんなに長い間、眠ってない筈だけど……。
僕はベッドから起き上がり、二階にある部屋の窓から、何気なく外を眺めた。
この宿屋がある前の大通りを、たくさんの人達が歩いている。そんな中、並んで歩く一組の男女に、僕の視線が止まった。
そのふたりは、それぞれの手に何かの小袋を持ち、中の物を口に頬張りながら、楽しそうに談話をしていた。
何かのお菓子なのかな?
ふたり共、小柄でまだ大人じゃないみたい。男の人と思える方は、上は白い服で下はダボッとした緩めの青いズボンを肩から吊るバンドで止めていた。
頭にはベージュ色のツバ付きの帽子を目深に被っているので、顔は良く分からない。ただ、華奢な体つきや少し覗いている口元からは、男の人っていうよりも女の人っていう感じ……あれが中性的っていうのかな?
何よりも気になったのが、その隣を歩く女の人。
細い身体に透き通るような白い肌。目にも鮮やかな赤いワンピースを可愛く着こなし、上から濃いピンクのボレロを羽織っている。素足には赤いパンプス。
そしてその顔は──
長い金髪をなびかせ、頭に大きな真紅のリボンを付けている。人形のように綺麗な顔と、不思議な雰囲気の金色の瞳。
隣の人に向けられるその綺麗な笑顔に、子供の僕でも思わず、ぼ~っと見とれてしまう。
ただ、そんな人の背中には絵にそぐわないような物を付けていた。自身の身の丈を超える細長い何かを、覆い隠すように白い布でぐるぐる巻きにして取り付けている。
男の人の方は小型の物を同様にして、右肩の後ろに引っ掛けるようにぶら下げていた。
ふたりは楽しそうに談話を続けながら、僕のいる宿屋の前の道を通り過ぎて行く。
何となく不思議な雰囲気のふたりの様子に、僕はただ、その姿を目で追っていた。そんな時──
赤いワンピースの女の人。その歩く後ろ姿をボーッと眺めていた僕の目に、不意にそれは入ってきた。
女の人の右手首に付けらた銀のブレスレット──竜の頭と炎の形に象られた装飾の中央に填められた赤い宝石……あれ、あれは……兄ちゃんが付けているのと同じ物だ!
──!!
「──あっ、ま、待って!」
僕は壁に掛けてあったフード付きのマントを取り、部屋から出て行く。そして走りながら、それを纏い宿屋の出口へと向かった。
勢いよく外へ飛び出す。
だけど、その時には既に、あのふたりの姿はもうなかった。
「はあ、はあ……ど、どうしよう……?」
僕はふたりが消えた行った方角へと目を向けた。
先生に自分が戻るまで、絶対に部屋の外に出るなって言われた。僕も勿論、それを守るつもり……だけど。
さっきの赤いワンピースの女の人。その右手首に輝いていた見覚えのあるブレスレット。どうしてもその事が気になり、いても立ってもいられなくなる。
「……ごめんなさい。キース先生」
僕はフードを被り、ふたりを追う為に消えた方角へと、走り出したのだった。
◇◇◇
そして今、僕は迷子になってまっていた。
相変わらず、大通りの方はたくさんの人でごった返している。
……こうしていても仕方ない。取りあえず歩こう。
僕は再びフードを深く被り、ベンチから立ち上がる。
僕が王子だって事、バレないようにしなきゃ……人が多い大通りは、さすがに良くないよね……。
そして大通りを離れ、路地裏へと進んで行く。人の姿が少なくなってくのは不安だけど、王子だって事がバレて連れ戻される方が、遥かに怖かった。
あのブレスレットを付けた女の人の事は気になるけど、今は宿屋に戻る事だけを考えよう……。
やがて、僕はすれ違う何人かの人達に、勇気を出して話し掛けた。
─────
「あん? 宿屋の場所だぁ? この街シュバルトはノースデイで三番目に大きな街だぜ。宿屋だけでも三つある。坊主が泊まっていた宿は何て名なんだ?」
「ご、ごめんなさい。分からない……です」
「けっ、話になんねーな。まっ、金を払ってくれるんなら、探してやってもいいけどよ」
「すみません。お金持ってないです……あっ、でも、宿屋に戻る事ができれば、充分なお礼ができると思いますけど……お願いできませんか?」
「……やっぱやめとく。ガキの言う事なんて信用できるか! しっ、早くあっちへ行け!」
「………」
王子である事を分からないように、フードを深く被って、顔を見られないようにしているからなのかな?……それで不審がられて……。
─────
「……何なの? あんたは、気味悪い。あっち行ってよ!」
─────
「へえ~、君って迷子なんだぁ~。でも、ごめんねーっ、私、これからデートの約束してて時間ないんだぁ~。まあ、がんばってその宿屋に帰りなよ。ファイト! なんちゃって……きゃははははっ!」
─────
「……仕事の邪魔だ! どけっ、引き殺すぞ。ガキ!!」
─────
………。
違う。こんなの何かおかしい。これは僕が王子じゃないから……僕がただのみすぼらしい迷子の子供だから……。
少し前まではこの国の人達は、僕の事を気に掛け、暖かい笑顔で手を振ってくれてた。「コリィ様」……その名前を呼んで、僕をやさしく、そして暖かく向かい入れてくれてた。
だけど……今は──
僕の目から涙が溢れてくる。
……そっか。結局、みんな僕にやさしくしてくれてたのは、僕が王子だからなんだ……王子ではない、ただの僕という人間には、誰も目を向けてくれない。王子としての立場と権力。それに対して、みんなやさしくしてくれただけなんだ……。
父さんと一緒だ──
─────
僕は泣きじゃくりながら、それでも前に歩いて行く──次第に辺りは人の姿がなくなり、その声も遠くなっていった。
もう、何処に向かっているのかも分からない……。
そんな時。不意に後ろから肩を掴まれた。そして無理矢理後ろへと振り向かされる。
「──痛い! だ、誰っ!?」
次に乱暴にフードを剥がされた。
「ちっ! 何だよっ、男かよ!!」
無精髭を生やした男が、大きな怒鳴り声を上げる。
「まあ、いいじゃねぇか、見ろ。男とはいえ、中々綺麗な顔立ちをしている。これなら、金回りのいい貴婦人共か、もしくはそっち方面の貴族の野郎が競い合って値を吊り上げてくれるだろうよ。へへへ……」
「まっ、そうだな。違げーねぇ……ぎゃははははっ!」
頭に布を巻いた人相の悪い男がそう言って、背の高いガッチリとした筋肉質の男が下品な笑い声を上げながら、それに答えている。
僕はこれから自分に何が起きるのか?……それさえ理解できずに、ただ恐怖で足がすくみ、動けなくなってしまった。
「……あっ……あ、ああっ……」
僕の目の前に三人の男達がいた。そしてその後ろから、僕を囲むように別の新たな三人の男が姿を現した。
「お頭、大丈夫だ。誰にも見られてねぇ……」
後からきた三人の内、ひとりがそう呟くように言う。僕の目の前にいる布を頭に巻いた男が、鼻を鳴らしながら答える。
「ふんっ! じゃあ、さっさっと拐っちまうか……さあ、こい!」
男が僕の腕を掴み、強引に引っ張っていく。
そんな男達が何の事を言っているのか、具体的には分からない……でも、僕はこのまま拐われて……。
ただ、はっきりと分かる事はひとつだけある。
それは──これでもう、アレン兄ちゃんを助け出す事ができなくなる!……そんな……そんな事は絶対に嫌だっ!
「──だ、誰か助けて!」
僕は涙混じりの声で大きく叫んだ!
──助けて! “僕と言う”人間を──!
「ちっ! ちくしょう! このくそガキが、急に大声を出しやがって!! 猿ぐつわをするのをすっかり忘れちまってたぜ……俺とした事が……」
「へっ、お頭。一体、何年この仕事をやっていると思ってるんですかい」
「うるせぇっ! 早くこいつの口を黙らせろ!」
「おお、怖っ! へいへい……」
そして僕の口の中に何か布のような物を詰め込まれ、そのまま口の回りを、何かでぐるぐる巻きにされていく。
「……むぅーーっ! むぅーーっ!」
バタバタと抵抗しながら、声にならない声を必死になって上げる。
──誰か、誰か助けて──!!
─────
──バキッ!─
「─がはっ!……」
人が殴られる音と倒れる音が聞こえ、僕は振り向く。それは──
宿屋の二階から見た、赤いワンピースを纏ったあの綺麗な女の人だった。
──真紅の女神──
「おどれら、どないしよるねんっ!!」