94話 世界の理
よろしくお願い致します。
「──デュオ?」
火の寺院の一画にある応接室。その部屋の内側から、窓の外へと私は目を向けていた。
何処からか、デュオの声が聞こえたような気がした。いや、気配を感じたというべきか。
窓に近付きしばらくの間、外の様子を伺うが、特にこれといった異常は感じ取れない。
「……気のせい……か」
窓の外へと向けた視線を外し、私は自分に宛がわれた席に、ゆっくりと腰掛ける。そして目の前のテーブルに用意されていた紅茶に口を付けた。
冷たくなった紅茶の味を舌で感じながら、その冷たくなっていた事に、少しの苛立ちを感じる。
……それにしても遅い。一体、いつまで待たせるつもりだ。
不満の声を心の中で漏らしてみるが、自分以外、誰もいないこの部屋の中では、今はただ待つしかない。
私は沸き立つ焦燥感を抑える為、目を閉じる──
─────
──フォス姉。
美しい少女のような顔をした男の子が、無邪気な笑顔を浮かべている。
……クリス。
─────
──フォス姉。僕はな、生まれもって、呪われた宿命ってやつを背負ってんねん。どや、何か悲劇的な主人公みたいでカッコええやろ?
──はあ、お前。何だそれは……?
──うん。僕の身体の中にはな、古の火の守護竜の封印が施されてんねん。冗談やないで……ホンマの事やねん。
──火の守護竜。確か、その強大な力故に遥か古の時、その身を封印されたと伝承にあるが、それは……。
──しかもな。その封印を解く方法が笑えんねん。
──どんな……方法なのだ……?
──僕の。生きて活動を続ける心臓を握り潰す。くすっ、どうや、重すぎて笑えんやろ?
──クリス。お前……。
──そやからな。フォス姉にお願いがあるねん。もしも、僕が生きたまま心臓を握り潰される。そんな時がくるような事があったらな。その時は……そうなる前に僕の事、殺して欲しいねん。頼んだで。僕達、友達やろ……?
──クリス。その願い、叶えてやれるかどうか……私には自信がない。すまん……。
──そんな事、言わんとってや。そんな弱気でどうするんや。フォス姉、それでも『守護する者』なんか?
──それはクリス。お前も同じだろう?
──あっ、そうやった……くすっ、あははははっ。
──ふっ、本当にお前はバカだな……ふふっ、あはははっ。
──むう、フォス姉。バカ言わんとって!
──はははははっ……。
─────
──ガチャ─
応接室のドアが開く音が耳に届き、私は閉じていた目を開く。
灰色の法衣を身に纏った老齢の男が、ふたりの若い戦士風の男を引き連れ、この部屋に入ってきた。
「お待たせして申し訳ない。貴女様を疑っていた訳ではないのですが、如何せん、事が事だけに、全てを鵜呑みにする訳にはいけませんのでな。サラマンデルを放ち、若の所在を探っておった次第で……」
灰色の法衣の老人がそう言葉を発する。
「いや、それよりクリスティーナの居場所は掴めたのか?」
私の問いに老人は軽く首を振る。
「いえ。残念ですが、若の所在は掴めませなんだ。どうやら、貴女がおっしゃった事は事実らしい……」
「………」
老人は言葉を続ける。
「それにしてもお久しぶりですな、フォステリア様。私の事はお忘れですかな?」
その言葉を聞き、私は老人の顔を食い入るように見た。そしてひとつの記憶を呼び覚ます。
「おおっ、お主はヤオか。久しいな……少し老けたようだが、元気そうでなによりだ」
少し声を大きくして、老人に返事を返した。
「いえ。覚えて下さり、この老体冥利に尽きるというものです。貴女様は変わらずお美しい……」
──綺麗、可憐、美しい。そんな形容詞は嫌味ではないが、正直聞き飽きた。自惚れでない事は自分でも自覚はしているつもりだ。
それでも情けない事だが、そう言われる事を、僅かながらも嬉しいと感じる自分もまたいる訳なのだが……。
「それにしても、さすがにあれに対しては、我らも驚きましたな。まさかエフリートを呼び出してこの寺院の城門を破ろうとなさるとは……いや、なんとも……ふふふ」
老人ヤオは苦笑いを浮かべながら、そう言葉を発してきた。その言葉に、私は沸き上がる少しばかりの羞恥心に顔が赤くなるのを感じ、思わず大声を上げてしまう。
「──ぐぬぬっ。そ、それは言わないでくれ! その事に関しては、私もさすがに大人気なかったと反省しているのだ……それよりもだ、事態は緊急を要している。すまないが、クリスが何故、今のこのような状況に陥る事になったのか、その事を説明してくれないか?」
「……承知致しました。それではご説明致しましょう」
ヤオはそう言うと、私の向かい側の席にゆっくりと腰掛けた。そして話し始める。
クリスティーナとノースデイ王国、第一王子アレンとの関係。その後、実子第二王子コリィの誕生により、それが要因となって近時に王国で反乱が起こった事。そしてその事で苦悩するクリスの事……。
─────
「そんな事が起こっていたのか……この国で……クリス……」
私の口からそう言葉が漏れる。
「そしてあれはちょうど貴女がたが、この寺院に訪ねてくる二日前くらいでしたか。この寺院にロベルト公から援軍要請の使者がきたのは……若は我々にそれに応じるよう懇願なされたが、我らの掟によりその願いを聞き入れる事は敵いませなんだ……」
「………」
うむ。確かにそれは間違いではない。正しい選択だ。我々『守護する者』は、人間が形成する社会と直接関わってはいけないとされているのだから……。
──ふっ、その点。やはり私は『守護する者』失格だな。
思わず心の中で、自分に対しての失笑の声を上げる。
「寺院に所属する兵は動かせない。そう伝えると、若は小さく笑いながら「そうなんや」と呟きましてな。そしてその夜、ふたりの戦士を率いて出立なされてしまった。自分がいない間、“何人も寺院に入れる事敵わず”そう、書き置きを残して……」
「………」
「あぁ、その件に関しては、フォステリア様御一行、寺院にお招きする事敵わず申し訳なく……若がそう厳命をなされた故……」
ん? ああ、デュオと初めてこの寺院を訪れた時の事を言っているのか。
「そんな事で気を病む必要はない。あの時、お主達が分け与えてくれた食事は凄く美味かったぞ。とても感謝している」
「……そう言って貰えれば、我々の呵責の心も、幾ばくかは救われる思いです」
ヤオは震える声で呟く。
おそらくは彼らも立場上、クリスティーナの力になれない。その事で自らの責任の枷、その重さに苦しんでいるのだろう。
少し間を空け、私は問い掛ける。
「それでその後、クリスはどうなったのだ?」
その問い掛けに、ヤオは自身の後ろに控えるふたりの戦士に声を掛ける。
「ダート、ローラン。前へ」
ヤオの声にふたりの戦士は、椅子に腰掛けている彼の両脇に並び立つ。
「この者達は?」
「この者達は、若と共にロベルト公の要請に応じ、その元に馳せ参じた者です──お前達、フォステリア様にご説明を」
その声に応じ、若い戦士のひとりが口を開いた。
「はい。フォステリア様。お会いできて光栄です。私は竜人族の名前をダートと申します」
そしてダートと名乗った青年戦士が説明を始める。
彼が言うには、救援すべき街に辿り着いた時。既にその街は王国に攻め落とされ、炎に包まれた後だったとの事だった。
「……我々はただ、炎に包まれた街を呆然と眺める事しかできませんでした。ああ、間に合わなかったと……そんな時でした。奴らの……その姿を目にしたのは……」
「黒い鎧……の奴らだな?」
私の言葉に青年戦士は頷く。
「はい。その通りです。その黒い鎧の兵士達は何かを探している様子でしたが、やがて、何処かへ移動を始めました。その時に我々と同じく身を潜めながら様子を伺っていたクリス様が、後方にいた私に向かって声を掛けてきたのです……くっ、今思えば!」
「………」
私はダートの言葉を待つ。
「……今の自分が悔やまれます。クリス様はその黒い鎧の兵達に何かの脅威を感じ取った様子でした。そしてクリス様は、自分は黒い鎧の兵士達の後を追う。お前達ふたりは寺院に戻り留守を頼む。そのようにと……クリス様の持つ力は強大です。ですが、今となってしまえば、あの時。例え命令に背いてでもやはり、そのお側を離れるべきではなかった……くそっ……」
ダートは言葉を詰まらせ、その場で立ち尽している。見れば、もうひとりのローランと呼ばれていた若い戦士も、無念の表情でうつ向き、床を睨み付けていた。
「……分かった。ありがとう。もう下がってくれ」
ふたり共、後悔の念に苛まれているのだろう。その時の私には、彼らに掛けてやる言葉が、何も思い付かなかった。
ふたりの青年戦士が後ろに下がり、再びヤオが口を開く。
「それではフォステリア様。今度は貴女がこの寺院を最初に訪れた。当初の目的、その理由をお教え願いますかな?」
「……うむ」
そして私は彼らに説明をする。今日に至るまでの、私とデュオが経験してきた事柄とその目的を──
「この寺院を訪れたのは、火の大精霊と会い、精霊石の欠片を入手する為だ。後、必要に応じては、その精霊石を護る事とそれの破壊を企てる者の排除……『滅ぼす者』を討ち、『滅びの時』を止める。その事も、私達の目的の中に含まれている」
私は一旦説明を終える為、ここで言葉を途切った。
それは、私達ふたりの目的を知った、彼らの反応を見たかったからだ。
しばらく無言の静寂が続き、やがて、目の前のヤオ老人から、深いため息が漏れるのが感じ取れた。彼は目を閉じ軽く天を仰ぐと、ゆっくりと顔を戻し、再び目を開けた。
「……『滅ぼす者』を倒し『滅びの時』を止める……はははっ、何か、突拍子もないお話ですな。全く異なことを申せられる。そもそも、そのような事が実際に起こり得ると、貴女はそうお考えなのですかな?」
私はヤオを見据えながら、わざと冷たい口調で答える。
「お主も気付いている筈だ。『守護する者』と関わりを持つ者ならば、もうその『滅びの時』が始まっている事に……」
「………」
ヤオは無言のまま、ただ、じっと私の目を見ていた。私はそのまま言葉を発する事を続ける。
「お主達は、私達が成そうとする事に何を感じる? どのような事を思い浮かべるのだ?」
ヤオ老人は、一度深く息を吸い、そして吐いた。
「……『滅ぼす者』がもたらす『滅びの時』、それは生ある者が『感情』という物を手にした時に同時に与えられる逃れる事が敵わぬ決まり事……すなわち、それは『必然』……」
「………」
「我々は命がある者。なれば、それが失われる『死』は、いずれはいつか訪れる。そしてそれは、命ある者、全ての者に等しく与えられる。それが必然というもの。この世の理を知る者ならば、悟り、或いは嘆き、その時を迎い入れ、知る事が敵わぬ者ならば、その最後まで理を知る事なく、ある者は幸せに、またある者は苦しみながら、その時を迎える事になる……全ての者が消えてなくなる『滅びの時』、その理を覆す事など、到底敵わぬ!!」
ヤオは徐々に語調を荒げながら、そう言い放った。
私は予想通りの返答に、軽く失望を覚えながら、静かに諭すように言葉を発する。
「確かにお主の言う通りだ。その迎い入れる死が、天寿という自然の理ならば、私も慎んで迎い入れよう。だが、生ある者はそれ以外の死。天災や病、或いは戦争、そういったものから生じる理不尽な死に対して、人は生きようと必死に足掻くものだ。しかし、今に始まっている『滅びの時』、それは『滅ぼす者』という第三者によって行われている。これは必然の理などではない! 理不尽な理だ! それに対し、命ある者として生きる為に、必死に足掻くべきなのだ!」
──最初は静かに話すつもりだったが、感情が高ぶり、最後は大声で叫んでしまっていた。
……いかんいかんフォステリアよ。もっと冷静になれ──やはり、私もまだまだ精進が足らんな……。
少し気を落ち着かせながら、ヤオの様子を伺う。
彼はうつ向きながら、ワナワナと身体を震わせていた。その震える口から、何か、ぶつぶつと小声で呟いている。
「……分かって……いる……だが……この世界の……理を覆す力など……存在せぬのだ……」
「………」
「……存在せぬ……のだ」
私はヤオの断片的な言葉を聞き取り、静かに声を上げた。
「私はその『力』と巡り会う事ができた……その『力』を持つ存在に……」
ヤオは私の言葉に、呆然とした眼差しを向けてくる。
「その存在なる者は、風の祭壇では『滅ぼす者』を討ち倒し、私の命を救ってくれた」
「……なんと!」
「ティーシーズ教国の水の神殿では、いがみ合うふたつの勢力をひとつにまとめ上げ『滅ぼす者』の怪物を討ち破り、多くの命と水の精霊石を護った」
ヤオ老人とダート、ローランふたりの戦士は、私の発する言葉に聞き入っていた。
「この世界の理に干渉する事のない別世界の『力』を持つ存在。それが──」
私は三人を見据える。
「漆黒の剣を持つ少女──デュオ・エタニティ」