93話 赤い炎
よろしくお願い致します。
──赤い炎が燃え盛る。
地平線の彼方まで隙間なく立ち並ぶ巨大な建築物。荘厳で圧倒的、それでいて無機質なその光景は、今破壊され、瓦礫となって炎に焼かれている。
赤い。ひたすらに赤い炎が、燃え盛っていた──
──────────
「──はあ、はあ……」
激しい痛みと疲労で視界が歪み、意識が飛びそうになる。無意識に大きく頭を振り、それを防ぐ。
「……はあ、はあ……くうっ」
一瞬、視界が鮮明になったが、直ぐにまた歪んでいく。
──身体が重い。
「──!?」
不意に左側から何かの気配を感じ、咄嗟にそれをかわそうと身体を捻る!
「─がっ──ぐあああぁぁーっ!!」
急激に左肩から肘にかけて、強烈な衝撃が走り、同時に目も眩むような激痛が襲ってきた!
「……ぐう、ぐぐっ……」
俺は血が吹き出る左肩を押さえながら、前方にいるそれを睨み付ける。
赤く燃え盛る炎の光を下から受けながら、空が見えない暗い夜の空中で、それは浮いていた。
人の形状を象った『破壊の化身』──
─────
灰色の爬虫類を思わせる肌に、針金のような細い身体。そこから筋肉が剥き出しになっており、表面からヌラヌラとした体液のようなものを滴らせている。
身には何も着けておらず、鋭く尖った剣のような形状の右腕と、細くしなやかな尻尾。竜を連想させる狂暴な頭部。
そして色彩がない虚な眼球。
この壊され、赤い炎に焼け狂う光景を生み出した破滅の創生者……『破壊の化身』
奴の赤い目は瞳がないので、視線の先が何処に向けられているのか、感じ取る事はできない。
「……はあ、はあ……」
俺は今、夜の空で浮遊し、それと対峙している。
右手に持つのは、例の漆黒の魔剣。
その剣が紅い光を強く発光させ、左肩に受けた傷を急速に修復していく。それと同時に倦怠感が強まり、身体が更に重く感じるようになっていく。
朦朧とした意識の中、重くなった瞼を無理矢理開け、前方から入ってくる視覚に意識を集中させる。
対峙している『破壊者』 それとは別に周囲には、無数のそれが俺を取り囲むように空中を浮遊していた。
─────
「……はあ、はあ……三体は倒した筈……こいつで四体目か……」
奴らは一体倒すごとに、入れ替わるようにして新たな一体が割り込んでくる。そしてそれが倒れるまで、それは絶対に手を出してこない。複数で同時に掛かってこられれば、ひとたまりもないだろう。
だが、奴らはそれをしない。まるで俺をなぶるように──
「──!?」
突然、前方のそれが、剣の形状をしていない左腕の方を前へと突き出した。手のひらから白い光球が発生し、細い光線が俺に向けて放たれる!
俺は魔剣を前へと競り出し、それを防ごうと試みる。
光線が直撃する瞬間、魔剣を中心に、俺を包み込む球形の防御壁のようなものが具現化し、その光線を弾く。
防御壁は消え、弾かれた光線は軌道を変えてそのまま地面に着弾した。轟音と共に地上で大爆発が起こる!
「……はあ──! く、くるのかっ!?」
爆発と同時に前方にいたそれが、剣の右腕を突き出しながら飛翔してきた!
その突進を寸前まで引き付け、俺は奴の背後に回り込むように空を蹴る。奴の予想以上の早さに、身体を浅く切り裂かれながらも、何とか回避に成功した俺は、背後からそれの首に漆黒の魔剣を振り下ろした!
「これで四体目だ──!」
魔剣から肉を裂く感覚を感じるのと同時に、自身の背中に何か、強烈な衝撃が走った!
「──がっ、がはっ!!」
喉の奥から鮮血が込み上げ、口内へと溢れ出す。俺は口からむせるように血を吐き出しながら、その衝撃の元となる箇所へと目をやった。
「……ぐっ、ぐうう……な、何だ? これは……」
俺の胸から鋭く尖った剣先が覗いている。
……これは……もしかして、背中から刺し貫かれているのか──?
そしてゆっくりと後ろに振り向く。
目に飛び込んでくる、俺の背中に剣状の右腕を突き立てた五体目のそれ──
「──ぐっ──がああああぁぁーーっ!!」
自分の置かれた立場を把握するのと同時に、気が狂うような激しい痛覚が襲ってきた!
それはゆっくりと突き立てた右腕を、引き抜き──
そして再び──突き立てる!
「──がはっ! がああああぁぁーーっ!!」
鮮血が吹き出し、意識が飛びそうな激痛が、全身に駆け巡る!
そしてその傷口を紅い光を発しながら、漆黒の剣が急速に修復させていく……。
それは何度も何度も俺の身体に己の右腕を突き立てた! 繰り返し何度も!──そしてその度に繰り返し、修復される俺の身体──
「──ぐあああああぁぁぁーーっ!!」
繰り返し続けられる、鮮血と激痛の狂宴──やがて
首に冷たい感覚が、痛覚と交じって感じ取れた。そして──
──ザシュッ─
俺の首が切り落とされる。
──────
────
……………。
…………。
………。
……暗い。
何も見えない──
何も聞こえない──
ここは何処だ──自分は何だ──
何も分からない──何も──
────
───
………。
──ただ、右手に感じる黒い剣の感触と、その存在。
一体、俺は──
──Please want the force
えっ?
──It is your purpose──My master……
………。
そうか……確か、そうだったような気がする。
やがて、徐々に覚醒していく意識。
──俺は、俺は……。
──黒い魔剣と在る者──
─────
俺は今、どうやら、うつ伏せに突っ伏してる状態のようだ。身体は動かす事ができない。視覚も聴覚も失われているようだが……うん? 右腕だけは動かせるみたいだ……。
剣を右手に持ったまま、その手をうつ伏せになった首の方へやり、そして触れてみる。
首と胴は繋がっていた。
……確か、俺は首を切断された……筈……。
久方ぶりに魔剣に対して戦慄を覚える。
………。
そのまま、唯一動く右手で、自身の顔や身体を確かめるようにまさぐった。
今の俺の身体は、女ではなく男のようだ。という事は、この身体が本当の『俺』なのか? ここが本来の俺が存在した世界なのか……?
魔剣を強く握り締め、その感触を確かめる。
そうなら、だったら、この剣を持つ俺がするべき事は……さっきのあれ……あの化け物、『破壊の化身』を全て討ち滅ぼす事!……その為に──
他のものは一切何も望まない! 『力』が欲しい! あれを圧倒する程の強大な『力』が!!
─────
その時。うつ伏せになった状態の俺の隣で、何かの気配を感じた。
俺に『力』をくれ──!!
感じる気配に対して、俺は剣を突き立てた!
「──!!」
剣を持つ右腕に、肉を突き破る感覚と生暖かい血の感触が伝わってきた。
魔剣は力を吸収し、それにより、俺は上半身を起こせるようになる。
すかさず別の気配を隣で感じた。今度はふたつ。
──足りない! もっと『力』を!
その気配に対しても、魔剣を横に薙ぎ払い、斬撃を浴びせる。返す刃でもう一体。
再び感じる血の感触と吸収する力。
次に下半身が動くようになり、俺は立ち上がる。
立ち上がったその先で、何者かが行く手を塞ぐようにして立っている。しかも、またふたつ。まだ、俺に視覚は戻ってないが、そう気配を感じる。
──もっと、もっとだ! もっと『力』を!!
前方に感じる気配に向けて、複数の魔剣の触手を突き立てながら、同時に漆黒の刃を振り下ろした!
身体に受ける鮮血と、新たに得る力の感覚。
俺に聴覚が戻った。
そしてそのまま、残るもうひとつの気配に、魔剣を突き立てる!
─────
「……な……何故……だ……」
突き立てた瞬間、俺に視覚が戻る──同時に背後から、聞き覚えのある声が聞こえ、咄嗟に俺は後ろへと振り返った。
そこには金色の髪を持つ美しい女性が仰向けに倒れていた。胸の軽鎧を切り裂かれ、そこから血が溢れ出している。
その美しい顔は、苦痛に歪んでいた。
「フォステリア……?」
そしてその瞳は、生の光を失う。
「──!!」
驚愕で見開かれた俺の目に、倒れたエルフとその先に転がる三つの血塗れの死体……あれは確か、獣人族のカレン、ソニア。それとダン……?
─────
「……な……なん……で……」
振り返った俺の後ろで、声が聞こえてくる。
その声を聞いた瞬間、俺の目から一粒の涙がこぼれ落ちた。そしてゆっくりと聞き慣れた声の元へと振り返る。
見慣れたオッドアイの少女。デュオ・エタニティ……いや──ノエル!
彼女は目から涙を溢れさせながら、口からは紅い血を流している。その胸には俺が右手に持つ魔剣が突き立てられていた。
「……な……何故……ど……うして……ア……ル──」
彼女は小さく言葉を残し、俺の胸の中へと崩れ落ちるように倒れてくる。
俺はその両肩を掴み、大きく揺さぶるようにして彼女の身体を揺らした。だが──
やがて、その少女の美しいと感じるオッドアイは、両目が青い瞳となり、そして生命の光を失った。
「……ノエル?」
─────
「!!──ああああああぁぁぁーーっ」
俺は少女の亡骸をしっかりと腕の中に抱き締め、狂ったように泣き叫んだ!!
──俺が『力』だけを望んだ。その結末の果てに──
─────
『──あああああぁぁぁーーっ!!』
雄叫びを上げた俺という意識が、現実の世界へと引き戻される。遅れて視界に突き刺さるような日の光を感じながら、徐々に思考が覚醒されていく。
『ああああ……あぁ……』
………。
……何か、凄く悪い夢を見ていた気がする。内容は全く覚えていない。ただ……。
『……ノエル』
何故か、疲れ果て憔悴しきった心に、その名前だけが思い浮かんだ。
ノエル──はっ、ノエル! そういえば、ノエルは何処だっ!
俺は移動しようと足を──動かなかった。
……足が動かない─っていうか、足の感覚がない! 手も身体も……これって、やっぱり……。
唯一感じる事ができる視界を動かし、自身と周囲の確認をする。
この視覚は目から得るものではなく、剣の束に埋め込まれるようにしてある紅い宝石のような物から得られるものなので、身体を動かせない俺としては、その得られる情報の範囲はかなり狭い。それでも、がんばって周りをギョロギョロとしてみる。
多分、今。剣のあの紅い宝石のような部分は、さぞかし不気味に動いている事だろう……うえっ! 気色悪っ!!
そして観察が完了する。
………。
『──はいっ! 予想を裏切る事なく、黒い剣の俺が、また地面にぶっ刺さっちゃってますよーーっ!! ええいっ、くそ! おめでとう!──はい、ありがとう! いやー、何か照れるなーっ!』
パチッパチッパチッ─って、あっ今、手は叩けないか……。
その時。黒い剣の姿をした俺の前で、一陣の冷たいつむじ風が吹いた。
──ヒョウオオオ……
─────
『──寒っ!!……さて、冗談はこれくらいにして、そろそろ今後の方針を決めようか』
─────
森林に囲まれた大きな川の浅瀬に、俺は剣としての身体を突き立てていた。目の前には、目にも見事な大滝が、激しい水の打ち付ける音を立てている。
どうやら俺は、あの滝から流れ落ちて、この場所に突き刺さったようだ。
ミッドガ・ダルの黒い鎧を纏った奴らに。俺とノエル、『デュオ』は崖下へと突き落とされた……いくら油断していたとはいえ、ましてや、手加減していたなんて、ただの言い訳に過ぎない。
その為に俺とノエルは……デュオは離れてしまう結果となってしまった。今、考えれば、俺達を突き落とした黒い鎧の奴。あれは、あの力は、やはり人間じゃないのだろう。今度出会う事があれば、もう二度と躊躇はしない!
ノエルは、フォリーは無事なのだろうか?
『………』
周囲は静かで、滝が立てる激しい音以外は、他の音も気配も何も感じない。
俺は静かに視覚を閉じ、見る事をやめる。そして感覚を研ぎ澄ます──その居場所を探る為に。
崖から落ちる時、俺は咄嗟に一本の剣の触手を切り離した。だから、きっとそれはノエルの身体に残っている筈……だったら──
俺は暗い闇となった視界の中で、その名をひたすら念じた。
『──ノエル』
やがて、その呼び掛けに応じるように、暗闇の中。遠く離れた場所で小さな紅い光が、おぼろ気に感じ取れた。
……感じる。確かに感じ取れる! 俺の片割れの場所が……ノエル。お前の居場所が!
そして再び視覚を戻し、前方を見据える。
今の俺の状況も把握した。ノエルの居場所も。後はどうやって、そこへ行く。か、だが……残念だが、自力ではそこまで行く事ができない。
誰か。もしくは何か、俺をその場所へと運んでくれる、運び手が必要だ。今はその運び手がくるのを待つしかないのか……?
『……いや、くるように、俺が呼び寄せてやるっ!』
俺は魔剣の複数の触手を、全て地面に突き立てる! 大地に念を送り込み、その状態で周囲に向けて、渾身の念話の咆哮を上げた!
『──俺は魔剣。漆黒の魔剣だ! この声が聞こえたのなら、この紅い光が見えるのなら、俺の所にこい!!』
俺の身体が。漆黒の魔剣が放つ紅い光が、周囲に鮮烈に広がっていく。
『この呼び掛けに、誰でもいい。応えろっ!!』
微かに空気が震え、森林から驚いた鳥の群れが、一斉に飛び立っていく。
魔剣が放つ紅い光。それはまるで、森林で燃え盛る赤い炎のようだった。
─────
『俺があるべき姿、象! 一心同体の魔人、デュオに戻る。その為に!!』