92話 青い炎
よろしくお願い致します。
──それは、まさにこの世とは思えない光景だった。
─────
─ギャッシャアァァァァーーッ
あの鋏の大顎を持った百足のような魔物が、この地下洞の地面、壁、天井、ありとあらゆる場所から身体を突き出し、鎌首をもたげていた。
その数は、最早数える事が不可能なくらい。ただ辺り一面、百足のような魔物の黒い身体が、この場所を埋め尽くすように妖しく蠢いている。
そしてその中央に、他のそれとは明らかに異なった形状の頭を持つ魔物が、そびえるように鎌首をもたげていた。
身体の半分くらいまでしか地上に姿を現していないので、その大きさは定かではないが、おそらくは全長は優に15、6メートルくらいあるのかも知れない。
とにかく、とてつもなく巨大だった。その姿は、最早百足や黒い大蛇というより、何処かの東方に伝わる空想上の存在である龍を連想させた。
──────────
─キシャアァァァーーッ
「……何なの?……これ」
私は呆然としながら軽く目眩を感じ、そう呟いていた。
「──まあ、ちょうどええわ!!」
そう声を上げるクリス君の顔を見て、私は驚く。彼は前方に群がる魔物の姿を睨み付けながら、口元を歪にゆがめ、笑っていた。
「デュオ姉! こいつらはこの地下洞に住み憑く妖蟲ちゅう魔物や! 多分、さっきのデュオ姉が戦った奴らが誘き寄せよったんやろ!………それにしてもごっつい数やな。おまけに親玉も、もれなく付いてきよるし……」
─キシャアァァァーーッ
ワームの群れが雄叫びの音を上げる。
「やっぱ早よあの場所からとんずらしとくんやったな~。うん、失敗やった。そやけど、もうしゃーないな。どうせ、この地下洞から抜け出すつもりやったんや……そやから、こいつらから逃げ回って移動するよりは──」
そしてクリス君は、左手に持つ長杖を大きく構えた。その先端に取り付けられた槍の穂先のような所から、光り輝く魔法陣が浮かび上がる。
「──ここでまとめて殺ったるわ!!」
クリス君の怒号の声が轟く。
「──光の防御壁!」
その直後、魔法が発動し、彼と私の身体に光の壁が現れ、そしてそれは不可視化していく。
これはアルが良く使ってた防御系の魔法だ。
「ありがとう。クリス君!」
「別に構へん。それよりもデュオ姉、くるで! 僕の傍からなるべく離れんとってな!」
「うん。分かった!」
そう答え、私は心の中で剣に対し念を送る。
……剣。私の右手の中に──
その心の声に応じるように、私の右手の中に漆黒の小型剣が滑り込んできた。それを力強く握り締める!
─キシャアァァァーーッ
数体のワームが私達に対して、大顎を開きながら突進してくる!
「──大爆発!!」
私の前方にいるクリス君の口から、魔法の詠唱が完了し、再び手に持つ杖の穂先に新に赤い輝きの魔法陣が浮かび上がる!
その瞬間、突進してくる数体のワームの中で大爆発が起こった!
轟音が地下洞内に響き渡り、辺りが爆炎と煙に包まれる! それにより数体のワームの身体がバラバラに消し飛んだ!
「まだまだ! こんなもんちゃうでっ!!」
クリス君はそのままその場所で、魔法を次々と繰り出していく!
「──爆発!」
「──爆発!」
「──大爆発!!」
その度に、彼の左手に持つ杖の先端に魔法陣が出現し、消えていく!
そしてそれに連動するように周囲に連続で大爆発が発生する!
─ギギシャアァァァーーッ
─ギギギ、シャァァーッ
─ギギ、ギギギギ……
─ギギ……キシャアァァァーーッ
爆音とワームの断末魔が周囲に鳴り響く!
それは繰り返され、立ち込める炎と煙の中。明らかにワームの群れはその数をすり減らしていく!
「す、凄い……これが『守護する者』クリス君の力……」
そんな光景を目の当たりにした私の口から、そう言葉が漏れた。その時、不意に魔法を放っているクリス君の左後方へと、一体のワームが襲い掛かってきた!
「クリス君! 危ない!!」
私は剣を振り上げながら、彼の元へと駆け出し大声を上げる! ワームの開いた大顎が、クリス君の背後に迫る!
しかし、そのワームの攻撃は、彼にかわされる事になった。
「──甘いわ! 僕をただの魔導士やと思とったら、痛い目みるでっ!」
クリス君はそのワームの顎が直撃する寸前に、持つ杖を地面に突き立て、両手で支えながら、杖の上方で逆立ち状態になった。そしてその杖に力を込め、地面を突き上げる!
その勢いで彼の身体は杖ごと宙を飛ぶ! 空中でヒラリと宙返りをし、そのまま下方にいるワームの頭に、手に持つ杖の鋭い穂先を突き立てた!
「……ほら、ゆうたやろ? 痛い目みるって──くすっ」
クリス君はそう言葉を吐き捨て、跳んで地面に着地する。そんな彼の姿を見て、私は再び感嘆の声を呟くように漏らした。
「……やっぱり凄い。クリス君……」
前方を確認すると、明らかに数を減らしたワームの群れと中央の大型の個体。その残っているワーム達も何体か傷付き、身体から緑色の体液を垂れ流している。
─────
「クリス君。何とかこのままいけそうだね!」
──ゴゴ、ゴゴゴゴゴッ─
─ドガッ─ドガッ─ドガッ─ドガッ─ドガッ─ドガッ─ドガッ─ドガッ─ドガッ─ドガッ─ドガッ─ドガッ─ドガッ─ドガッ─ドガッ─ドガッ─ドガガッ!!
「──ちっ!!」 漏れるクリス君の舌打ち。
しかし、この私の言葉を嘲笑うかのように、地割れの音と共に新たなワームの群れが、次々と姿を現し始める!
─キシャアァァァーーッ──キシャアァァァーーッ──キシャアァァァーーッ──キシャアァァァーーッ──キシャアァァァーーッ─キシャアァァァーーッ──キシャアァァァーーッ──キシャアァァァーーッ──キシャアァァァーーッ──キシャアァァァーーッ──キシャアァァァーーッ──キシャアァァァーーッ!
─────
──ああ……
気が付けば、私達の周囲を数え切れない程のワームが取り囲んでいた。
─ギャッシャアァァァァーーッ!!
巨大な龍のようなワームが吠える!
取り囲んだワームの群れが、獲物である私達を無機質な目で睨み付けながら、大きな鋏の顎をカタッカタッと打ち鳴らしている。
そんな光景に、私は息を詰まらせそうになる。感じる感情は……絶望──
──────
「……ふふっ」
………?
「あはっ、あははははははっ!」
「………クリス君?」
「──たかが妖蟲如きが、調子に乗るなっちゅーねん!!」
突然、笑い声を上げたクリス君が叫んだ。それに驚き、彼の方へ目をやると、手にした杖の先端で浮かび上がっている魔法陣とは別に、彼の頭上で新たな魔法陣が出現していた。そしてそれは一際大きい。
「ふふっ、僕のとっておきを味わさせてやる! そやけど完成、発動まで、ちょっと時間が掛かるさかい、それまで──」
クリス君の手に持つ杖から、魔法陣が赤く浮かび上がる。
「──大爆発!」
前方のワームの群れの中で大爆発が起こり、一瞬にして数体のワームがバラバラに引きちぎられ、爆風によって吹き飛ぶ!
「──こっちの魔法をたっぷり味わさせたるわ!!」
─────
─キシャアァァァァーーッ
複数のワーム達が一斉に攻撃を開始する!
迫りくるたくさんの大顎!
最早私は、それをかわす事だけで精一杯だった。それでも何体かのワームの顎が私の身体をかすめていく。その度に施された防御魔法が発動し、出現する光の壁。
それでも隙を見付ければ、ワームの身体に右手に持つ剣の斬撃を叩き込んでいく! そしてその剣の攻撃が軽く触れただけで、ワーム達の身体は真っ二つに裂かれる!
やっぱりこの剣も凄い!──凄いよアル!
そんな中、私は再びクリス君の方に目を向けて、彼の姿を確認する。
クリス君は左手に持つ長杖を巧みに使いこなし、ワーム達の連続攻撃を華麗にかわしながら、杖の穂先をワームの身体に突き立てていた。
そんな彼の頭上で浮かび上がる大きな魔法陣が、前に見た時よりもはっきりと、そして色鮮やかに輝いているようにも感じる。
「──くすっ。ホンマ、みんなおねだりさんやな。でもごめんな。完成まで、まだもうちょっと時間掛かるねん」
クリス君は再び魔法を発動させる。
「──大爆発!」
激しい爆音と共に、複数のワームの身体がまたバラバラに飛散する!
「うふふっ、僕は生まれてから、ひとつの特殊能力を持っとってな──」
また穂先に浮かび上がる魔法陣。
「──大爆発!」
再び起こる爆発と飛び散るワーム!
「今、僕が考え、行動している思考とは別に、魔法の詠唱だけを強行できる思考ってのを頭の中に持ってんねん。そやから、ほらこうやってる間にも──」
「──大爆発!」
ワームの群れの中で爆発が起こる──
──そしてクリス君の頭上に輝く魔法陣が、その輝きを最頂点まで達成させた。
「──さあ、お待ちどう様。今、ようやく完成したで。ようさん味わって~な。僕のとっておきのメインディッシュ──」
クリス君の前に突き伸ばした両手に、光の球が集束されていく!
─────
「──いてまえっ!!──終焉の業火!!」
──ウオォォォォォン─
光の球が閃光を放ち、そこから異音を発しながら青い色の炎が溢れ出す! そしてそれは周囲に広がり、やがて尾を引く炎の渦となって、意思を持つ生命のように全てのものを呑み込み、焼き尽くしながら駆け巡っていく!
──メキッ、メキッ─
私の身体に現れた光の壁が、軋むような悲鳴の音を立てる。
「くっ、うう……」
私は両腕で身体を守るようにして、何とかそれに耐える為に、地に着く足に力を入れ踏ん張った。
そして耐える為に閉じた目を、半開きにして視界を回復させる……。
そこには想像を絶する炎の世界が飛び込んできた。
─────
この広い地下洞内を、青い炎が燃え盛り渦巻いている。
数え切れない程のワーム達が、音を立てる時間さえ与えられずに、その身を黒い炭と化し、消し飛んでいく……。
洞窟の岩肌さえ焦がす灼熱の炎──
全てを焼き尽くし、無に帰す終わりの炎──
青い。ひたすらに青い炎──
──そんな炎の世界──
私は凄く不安な感情に襲われ、思わず声を漏らしていた。
「……怖い……アル……」
その光景が『滅ぼす者』がもたらす『滅びの時』……その時を連想させて──
悲しくてやるせない。そんな負の感情に押し潰されていく──
気付けば、一筋の涙が頬を伝っていた。
やがて、全てを無に帰した青い炎は、その役割を終えるように最後に自らの姿も無に帰す。
「………」
辺りは静かで、くすぶる煙と焦げ臭い異臭が立ち込める中、シュウシュウと熱く焼け爛れた岩肌から、発生する水蒸気の音だけが聞こえてくる。
何百体いたのだろうか、巨大な龍のような個体も含め、数え切れない数のワーム達が消滅し、その存在をこの世界からないものとされている。
─────
「デュオ姉。周り熱せられて熱いから、まだ動いたらあかんで」
「……クリス君」
そう声を掛けてくる方へと目を向ける。
そこには杖を手にした白い法衣の後ろ姿が目に入ってきた。彼は後ろに振り返らずに言葉を続ける。
「……僕はな。クリスティーナっていう名前も嫌いやけど、ホンマの事ゆうたら、おかんの事も好きちゃうねん……」
「………」
「おかんはタマゴから孵った僕の姿を見て、メッチャ落胆したと思うわ。なんで女の子ちゃうんやって……それは多分、子を思う親のやさしさってやつなんやろって思う。でも……でもな……」
クリス君は前を向いたまま話し続ける。その声は心なしか、震えている気がする。
「そのやさしさを……そんなおかんを認めてしもうたら、今の男として生まれてきた自分を否定してしまう! 確かに、僕は望まれて生まれてきたんじゃないかも知らへん。そやけど、男として生まれてきた僕も、同じ命を持つおかんの子や! その僕を否定する……そんなおかんなんて……」
「………」
「……嫌いや……」
私の頬に、また涙が伝っていく。
この子、ずっと戦ってるんだ。強い子だな。
「……クリス君」
私の呼び掛けに、彼はゆっくりと振り向き答える。
「ごめん。デュオ姉、何か辛気くさい話してもて……」
「いや、そんな事ないよ。私、そのクリス君の気持ち良く分かる。私も生まれてきた時。誰も私の存在を喜んでくれなかっただろうから……」
「そう……なんや……」
そう短く呟くと、クリス君は再び前を向き、そのまま後ろにいる私に向かって話を続ける。
「でも僕自身は、男に生まれてきて良かったと思うてる。そのおかげで火の一族の族長になれた!」
「うん!」
私は相づちを打つ。
「火の大精霊を『守護する者』に選ばれた!」
「うん!」
「そんでこの力を手にする事ができた!」
「うん!」
「そやから、僕は男に生まれてきた事を誇りに思っとる! 女やない。男に生まれたからこそ手に入れたこの力で、絶対アレンを救い出したる! この世界に危機が迫ってるんやったら、この力で変えたるんや!!」
「うん!!」
そう答えながら私は思う。
うらやましい。私も強くなりたい。クリス君のように。アルのように……強く……もっと強く。
右手に持つ黒い剣に視線を落とし、私は小さく呟く。
「──アル」
彼は今、何処でどうしているのだろう? おそらく剣の姿で動けなくなってしまっているのだろう。だったら、今の私がするべき事は、動けなくなったアルを見付け出し、助け出す事。
そして再び、私の身体でひとつとなって、完全なデュオ・エタニティに戻る事。
私はもうあの漆黒の剣と──アルと離れたくない!!
アル。待ってて、私が必ず見つけ出すから!
私は右手に持つ黒い剣を握る力をギュッと強める。
今度は、私があなたを助け出すから!
「よし。ほな、ぼちぼち行くで。デュオ姉」
クリス君がそう言いながら、後ろにいる私に手を差し伸べてくる。私はその手を取り、返事を返した。
「うん。行こう!」
─────
私は強くなる! だから、待ってて。アル!!