86話 生きる事を諦めないで──
よろしくお願い致します。
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「──でよっ、その女ってのが、メチャクチャ可愛くてよ」
「で、どうしたんだその後は? てめぇ、もしかして……」
「あったりめーだろっ、どう考えたって、お持ち帰りだろーが!」
「畜生、上手くやりやがって! ぎゃははははっ──」
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酒を飲む男達の騒がしい大きな声が飛び交う。
王都バールのとある酒場。僕ともうひとりの戦士風の男の人は今、その場所にいた。ふたり共にフード付きのマントを纏い、フードで顔は隠している。
そして下品な話で盛り上がっている三人の兵士達、男三人組の隣のテーブルで息を潜めながら、その様子を伺っていた。
「……キース先生?」
「うむ……」
僕は小声でテーブルを共にしている戦士の男の人に声を掛ける。僕がキース先生と呼んだその男の人の正体は、実はアレン兄ちゃんと僕の剣術の先生だった人物だ。
最初に僕にこの事に関する事で、接触を図ってきたのは先生の方からだった。あのアレン兄ちゃんの事件の後、剣術を教わっている時に、先生が僕に声を掛けてきたんだ。
その内容はアレン兄ちゃんの事を助け出したい。その為に僕に協力して欲しい。という事だった。
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「僕が嫌だと言ったら、その時は先生はどうするつもりだったんですか?」
「その時は、君を人質にしてでも助け出してみせるさ」
そう言って、冗談めいた笑いを浮かべる。
……全く、相変わらず無茶を言う先生だね。
「でも先生、僕がそのお願いを断ると思います?」
「いや、思っていない。だから、こうやって君に協力を申し出ているのだが……何かおかしいか?」
「くすっ……ううん。いえ、何だか先生らしいなって思ちゃって──」
─────
勿論、僕はその申し出を快く引き受ける。まさに願ったり叶ったりだったしね。
そして僕達は年密に打ち合わせをし、今回、この作戦を実行に移したんだ。
──アレン兄ちゃん救出作戦の大まかな流れはこうだ。
まず、第一に僕が王城から脱出し、その後、キース先生に道中を守って貰いながら、火の大精霊の寺院に辿り着く。そして僕がノースデイの王子である事を打ち明け、彼らの力を貸りてアレン兄ちゃんを助け出す。
凄く単純明快な作戦だった。だって、子供の僕にだって分かるくらいだもんね。
それにいざとなれば、先生も言ってたけど、僕が人質になる作戦もいいかも知れない。僕が人質になる事で父さん達はアレン兄ちゃんを処刑できなくなる筈……。
兄ちゃんは今も冷たい地下牢に閉じ込められてるんだ。それに比べたら、僕だって身体を張らなくっちゃ!
だけど、逆に言えばアレン兄ちゃんが閉じ込められている地下牢に、僕達ふたりだけで忍び込み、鍵を探し出す。または奪う。そして救い出した後、再び三人で地下牢、いや、王都バールから脱出しないといけない。その事がとてもじゃないけど不可能な事だったから──
この世界の常識を覆すような力の持ち主。そんな人じゃないと、例えるなら……そうだな、異なる世界からやってきた、人ではない魔人のような人?
まあ、とにかく残念だけど、僕達、ふたりだけじゃどうしようもない……だけど、僕はここを去る前にキース先生にひとつだけ無茶なお願いをした。
──「アレン兄ちゃんに会わせて」
そう、この王都から抜け出す前に、兄ちゃんに会って、どうしても伝えたい言葉があったから──
─────
「……そういえば、お前。そろそろ交替の時間じゃねぇのか?」
「おっ、やべぇ! 俺、もう行くわ」
隣のテーブルで酒盛りをしていた兵士のひとりが、そう言いながら立ち上がる。そして酔ってるのかな? 大分ふらついた足取りで店の外へと歩き出した。
「こらっ、てめぇ、金置いてけ!」
「悪りぃ、今、金欠なんだわ。貸しにしといてくれよ」
「まあ、そういう事にしといてやる。その代わりに今度、女紹介しろよ─って、てめぇのその面じゃ、無理か、ぎゃははははっ!」
「ちっ、この飲み代、チャラにしてくれるんなら考えといてやる。じゃーな」
「けっ、強がりやがって、分かった分かった。早く行けっ、ぎゃっはははははっ!」
───
「………」
「………」
そのやり取りの後、兵士はひとり店の外へと出て行く。
僕とキース先生は、その後を追うように店の外へと出て行った。
◇◇◇
「どうだ、苦しくはないか? コリィ君」
「はい、これくらいなら全然平気です。先生」
……ホントは結構キツいんだけど……ね。
───
今、僕達ふたりは、兄ちゃんが囚われている地下の牢獄へと向かっている。
──兄ちゃんの牢屋を見張る門番の兵士として。
キース先生と言う人は本当に頼りになる人なんだ。この見張りの兵士の事を事前に調べ上げ、その交替時間に合わせて僕達が王都から脱出する作戦を実行した。
全てはもう一度、アレン兄ちゃんに会いたいという僕の我儘の為に……。
さっき酒場で飲んで店から出て行った見張りの兵士を、街の暗がりで襲い、その身に付けていた衣服や鎧を奪う事に成功した。
勿論、殺してなんてないよ。先生の見事なお手並みで、気絶して貰っただけ。
そしてキース先生は奪った衣服や鎧を身に付けていく。そう、気絶させた見張りの兵士に成りすましているんだ。
僕の場合は仕方なく、先生の背中の位置で紐で身体を括り付けて固定される状態となった。その上から雨を凌ぐ為の大きめの焦げ茶色のマントを羽織り、姿を見えないようにしている。
背中に括り付けられたこの状態でも、僕は身をよじらせてマントの隙間から、何とか前の様子を見る事ができた。
最後にキース先生はその兵士がそうやっていたように、大きめのマフラーを巻いて顔下半分を覆い隠す。
「それでは行くぞ、コリィ君」
「はい、先生」
───
そうやって僕達ふたりは、見張りの兵士に成りすまし、兄ちゃんが捕らわれている地下牢獄へと足を踏み入れて行った。
入り口に続く階段を降りて行く。
やがて、入り口が目に入ってきた。その前にふたりの見張りの衛兵が確認できる……先生は今、マフラーで顔のほとんどを覆い隠し、その上からフードを目深に被っていた。
もしも、万が一見付かっちゃうなんて事になったら、その時は先生はどうするつもりなのかな?
そんな事を考えていると、衛兵のひとりが声を掛けてきた。
「何だ、お前は?」
すると、もうひとりの方の衛兵がこちらに目を向け、先生の胸の辺りを凝視しているようだった。
そっか。確か、胸元に名札みたいな物が付いていたっけ。
「おう、サムスか。相変わらず大袈裟に顔を隠しているから、誰だか分からなかったじゃねぇか……そうか、もう交替の時間なんだな。どうだ、楽しんできたか?」
「……ああ、良く飲んできた。少し飲み過ぎて酒やけで喉がやられちまってる。そのおかげで声がおかしくなってしまった。それと雨で身体が冷えきってしまってやがる……悪いが、もうこのまま入らせて貰うぜ」
先生はフードを外さず、くぐもらせた声でそう答えた。
「おう、それで何か声がいつもと違うのか。まあ、飲み過ぎには充分に気を付けな。後、風邪引くなよ。ほら、早く中に入って構わんぞ」
そう言いながら、その衛兵は入り口の扉の鍵を外した。
僕達は迷う事なく扉を開け、中へと入って行く。
──ギギギッ、バタン─
後方で扉が閉まる音が響いてきた……そしてそのまま奥へと進んで行く。
─────
「それにしても先生、本当に上手くいっちゃいましたね?」
僕は背中越しに先生に話し掛ける。
「ああ、私も信じられんくらいだ。このサムスと言う見張りの兵士が、昔に顔に大きな傷を負って普段から素顔を見られるのを嫌って常に顔を覆い隠している。その情報を元にこの兵士を選んだのだが、それがどうやら功を成したようだ」
……そう言えば、身ぐるみを剥がす時。あの兵士、口元に酷い傷痕があったけ……何か悪い事しちゃったかな? でも兄ちゃんに会う為だもん、仕方なかったんだ。ごめんね。
そう言葉を交わした僕達は、更に奥へと進んで行った。
やがて、ある牢屋の前に辿り着いた。その前に立っていた兵士がこちらに目を向けてくる。
「おお、サムスか、待ちくたびれたぜ。さあ、交替だ」
先生はそれに無言で頷く。そして交替を待ちわびていたかのように、その見張りの兵士は足早にこの場を去って行った。
───
立ち去る兵士の足音が遠退き、やがて、辺りは静寂に包まれる。
先生は身を屈め、背中で固定された僕の身体に括り付けられた紐を解く。それにより僕の身体は自由となり、地面に足を着けた。
そしてゆっくりと振り返り、目の前にある牢屋の中へと目を向ける。
そこには牢屋の中で両膝を腕で抱き抱えるようにして、頭をその中へと埋めながら座り込んでいる、金色の髪の見慣れた人の姿があった。
その両足には枷が取り付けられている──痛々しい姿。
「兄ちゃん……」
僕は我慢ができず、小さな声でそう呼び掛けた。
牢屋の中の兄ちゃんは、その声にピクリと反応し、顔を上げる……そして僕と目が合った。
「──ま、まさか、コリィ……なのか?」
隣に立っていたキース先生も、フードとマフラーを外し、顔を見せる。
「それにキース先生も……」
そう言いながら、アレン兄ちゃんは力ない様子で立ち上がる。
その顔はとてもやつれ、昔の意志の強さを感じさせる目の輝きも、表情も、既に失われていた。
「兄ちゃんっ、聞いて! 僕は、僕の父はアレン兄ちゃんに対してとても酷い事をした! 兄ちゃんはこの国の為にずっとがんばってきたのに、それなのに……ただ、血の繋がりがないっていう、そんなどうでもいい理由で……」
「コリィ……君はその事を知ったのか?」
兄ちゃんは生気のない目で、そう僕に問い掛ける。
「今日は少しの間のお別れを言いにきたんだ……僕は今からこの街から出る。そして必ず戻ってくる。兄ちゃんを助け出す為に。だから──」
「……やめてくれ……」
「──え?」
兄ちゃんから漏れた拒絶の言葉……ああ、やっぱり兄ちゃんは──
「やめてくれ……もういい、もういいんだ。このまま僕が処刑され、コリィ。君がこの国の次の王になる……そうすればもうこれ以上、誰も死ぬ事も失われる事も、そして傷付く事もない……だから……」
──嫌だ! そんなの!!
「……兄ちゃん」
「……僕に構うな。もう放っておいてくれ……お願いだ。もう充分なんだ……」
──絶対に嫌だ!!
───
「嫌だっ!!」
僕は悔しさでいっぱいになり、思わず大声を上げてしまっていた。
でも、もう今は構うもんか!
「約束したじゃないか! ふたりで力を合わせて、この国の全てのみんなが幸せに暮らせるような、そんな国に作り上げて行こうって! あれは嘘だったの!?」
僕の言葉に、兄ちゃんはその場で膝を着き、うずくまる。
「嘘じゃない……あの頃は確かにそう思ってた。それが僕の夢であり、目的であり、生きている『証』だった……でも今は……」
兄ちゃんは顔を上げて僕の事を見つめる。
「自分が怖いんだ……」
「……兄ちゃん」
「コリィ、僕は君の父を許せない──」
「………」
「僕は君の王家を許せない──」
「………」
「僕はかつて大好きだったこの国を許せない──」
「………」
「そして僕から全てのものを奪った、今のこの世界が許せないんだ!」
「……お兄ちゃん」
「……最後にコリィ、君の事さえも憎もうとする自分がいる……僕は君が知っているアレンじゃない。もう僕には全てを憎悪する負の感情しか残ってないんだ……生きていても仕方のない、生きるのが許されない。そんな必要のない存在なんだ……」
そう声を上げ、地面に突っ伏した兄ちゃんは、声を殺して慟哭している。
僕はその姿を涙を流しながら、ただ見つめていた。
─────
「……コリィ君。済まないが、もう時間切れだ。そろそろ行くとしよう。王城で君がいない事に気付かれる前に──」
キース先生がそう声を掛けてくる。
「……はい」
そして僕と先生は出口の方へと振り向き、歩き出そうとした……その途中で、僕は再び兄ちゃんの方へと振り返る。
──兄ちゃんに伝えたかった言葉を伝える為に!
「アレンお兄ちゃん。僕の事、憎んでくれてもいい、許してくれなくてもいい……でも──」
そして言葉に精一杯の力を込める!
「お願い! お兄ちゃん。生きる事を諦めないで──!!」
その言葉に、地面に突っ伏した兄ちゃんの身体が一瞬、ビクッと動いた。そして上半身を起こし、僕の方へと視線を送ってくる。
涙で濡れている兄ちゃんの目を見つめながら、僕はもう一度声を上げた!
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「必ずっ、必ず迎えに来るから! それまで絶対に生きて待ってて! それがたったふたりだけの兄弟。僕達の新しい『約束』だ!!」
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そしてその日の深夜、僕。コリィとキース先生は王都バールを抜け出し、兄ちゃんを救い出す為に、火の大精霊の寺院に向かって行動を開始したのだった。
──待ってて兄ちゃん、僕が必ず……。