81話 火の大精霊を守護する者。クリスティーナ
よろしくお願い致します。
───
◇◇◇
「──くそっ、しもたっ! 間に合わへんかったか!!」
ひとりの法衣姿の人物がそう声を上げた。
「……僕が、僕がもうちょっと早これとったら……」
続けて無念の言葉が口から漏れていた。
───
その人物が向ける視線の先には、夕暮れ時に染まった赤い空の赤さを、より一層増すようにして激しい炎に包まれ、赤く燃え上がる街が映し出されていた。
そんな街の様子を離れた木陰から身を潜め、伺っている。
身体はかなり小柄だ。まだ子供なのかも知れない。何か特殊な刺繍を施した真っ白な色の大きめのローブを身に纏い、フードを目深に被っていた。その下から時折、身体に装着しているであろう軽鎧が姿を覗かせている。一見、魔導士のように見受けられたが、単純にそういう訳ではなさそうだ。
その証拠に左手に持つ身の丈を優に超える長さの長杖。その両先端には鋭く尖った槍の穂先のような刃が取り付けられていた。
「さあ、これからどないしたもんやろな……」
そう言いながら、その人物はフードを外す。
その中から現れた顔は、幼いがとても美しく、完璧と言って良い程に整った理想となる端正な顔の持ち主。
藍色の髪を耳が隠れる程度の長さで綺麗に切り揃えている。少し勝ち気そうな金色の瞳の大きな目。やはりその容姿は、絶世の美しい少女──
ただ、ひとつ気になる点があるとすれば、彼女の言葉使いに独特の強い癖がある事だろうか。おそらく何処かの方言なのだろう。もしかすれば、考えも及ばない地方の出身なのかも知れない。
その少女の元へ、ふたつの人影が忍び寄って行く。どうやら仲間のようだ。ふたつの影は少女の元で畏まる。
「どうします? クリスティーナ様」
「………」
そう声を掛けられ、少女は、明らかに不機嫌な表情でジロリとその声の主を睨み付けた。
「その呼び方で呼ぶなっちゅうて、いつも言うてるやろ? めっちゃ女っぽくて嫌やねん」
「あっ、どうも失礼しました。クリス様」
「そうや、それでええんや」
そしてクリスティーナと呼ばれた少女は再び前方へと目を向けた。しばらく灼熱の炎に包まれた街の様子を伺っている。
「……残念やけどもう無理っぽそうやな……ごめんな、アレン。僕、お前の家族、守る事でけへんかった……」
そう呟きながら、クリスティーナはノースデイ王国の首都バールの地下牢に捕らえられているであろう王国第一王子であり、自分の旧友でもあるアレンの当時の顔を思い浮かべた。
王子アレン・ジ・ノースデイ。その名の人物はノースデイ王国の第一王子でありながら、今は反逆者の疑惑をかけられ、その罪により処刑に処される運命にある。
そして今回、この街が火を放たれ、襲撃を受けるのもその事が起因となっていた。
◇◇◇
かつては大陸でアストレイア王国に次ぐ勢力を誇っていたその姉妹国でもあるノースデイ王国。その王、ラウリィ・ジ・ノースデイは、王としての才は凡庸であったが、猜疑心が強く用心深い性分が転じて皮肉な事に、幸いにもこれまで特に大きな問題もなく、この国を今日まで維持させてきた。
ただ、子宝には恵まれず、齢五十を越えた時に自身の世継ぎを、ある公爵家から養子として貰い受ける事となる。そしてその者を王位継承者としたのである。
それが、第一王子アレンであった。
しかし、その翌年、不穏の風を感じさせる事が起こる。
ラウリィ王とひとりの側室との間に男児が誕生したのだった。第二王子。名をコリィ・ジ・ノースデイと名付けられた。
─────
それから十年後。その不穏を現実化させるように事件は発生する。突然、ラウリィ王が反逆の疑いありと唱え、第一王子アレンの王位継承権を剥奪し、その身を地下牢に幽閉したのである。
その件に対し、アレン王子の出身元で実親でもあるロベルト公爵家が、私兵を集め、異を唱える軍を興す。それに対応し、王国側も討伐軍を編成し、公爵家領土内へと向かわせた。
両軍、まさに激突が始まろうかとするその時。またしても事態が急変する。
隣接する新興国、ミッドガ・ダル戦国が、突如として国境を越え、攻め入ってきたのだ。それにより王国の討伐軍は一定の軍を残し、撤退を余儀なくされる事となる。その間動けず、睨み合いを続ける両軍。
そしてその事態は公爵家からの使者により、クリスティーナの知る事となった。その使者の内容とは公爵家が興した軍への援軍要請と王子アレンの救出の協力要請だった。
─────
「──了解した。直に動き出す……と言いたい所やけど、こっちにはこっちで厄介な事情があんねん。そやから、直ぐには動けんのや……やけど、絶対に行く! そうロベルト殿に伝えとってくれへんか」
そう使者に伝えるクリスティーナの表情は、暗く雲っていた。
「──ホンマにすまん……」
─────
ロベルト公爵家領土とクリスティーナが長を務める火の寺院とは付近に位置し、それなりに友好関係も良好だ。
何よりもそのロベルト公の息子であったアレンとは友人だった。アレンがまだ幼い頃から、ふたりで良く遊び、時には喧嘩もした。いわゆる幼馴染みという関係だ。あれからアレンとは長い間会ってない。王国へ世継ぎの養子として迎い受けられたのが10才の時だったから、あの時から十年。おそらくは、さぞや立派な青年に成長している事だろう。
当の自分は、アレンと初めて出会った時から、その外見は全くと言って良い程に変わってないのだが──
とにかく、クリスティーナ個人としてはそんな友人の危機に対し、今、直ぐにでも飛び出して行きたい感情に駆られていた。
──しかし
彼女の属する『勢力』そして自身の『立場』がそれを許さなかった。そう、その勢力。すなわち、火の寺院の勢力は、人間が統治する社会と直接的に干渉する事を禁じていたのである。そしてその事は古き時から今に至るまで、鉄則としてずっと守り続けられていたのであった。
だが、クリスティーナは決して諦めている訳ではない。時間は掛かるかも知れないが、必ず皆を説得してその要請に応じるつもりだ。
例えひとり、単独で向かう事になったとしても──
そしてそのまま、両軍睨み合った均衡状態が続いた。しかし、再度、事態は急変する。
ノースデイ王国に進攻中だったミッドガ・ダル軍勢が、急に自国への領土へと撤退を始め、その姿を王国内から消したのであった。
それに伴い、ロベルト公爵軍と王国の討伐軍との睨み合いの均衡が破られる事となる。しかも討伐軍には更にティーシーズ教国へと派遣中だった援軍の軍勢が帰還し、そのまま新たな軍勢として加わった。
そして始まる同じ国民同士が争い合う戦争、内戦。
ロベルト公爵家側から、再びクリスティーナの元へ救援の使者が走る── 一縷の望を託して。
使者が彼女の元に辿り着き、その口から内容を聞かされるのと同時に、クリスティーナの身体は今度はもう既に動き出してしまっていた。
まだ自身の属する勢力とはその事に関する解決策は未だ見い出してはいない。だが、もう待っていられなかった。
クリスティーナは自身と『同種族』である戦士を二名だけ引き連れ、その戦場となる場所へと馬を走らせたのだった。
そして──
◇◇◇
クリスティーナは、燃え盛り崩れ落ちるロベルト公爵家の拠点である街の様子を、離れた場所で無言で伺っていた。
それが今の現状である。
─────
「──こないなってもたら、急がんとアレンが危険や……」
本来であれば、自分がこの場所へと辿り着く頃にはロベルト公爵軍の方が圧倒的不利ではあるが、交戦状態は維持されているものと考えていた。
援軍として駆け付けてきたのは、クリスティーナ自身を含め、僅か三人。
だが、彼女はそれだけの戦力で予想していた戦況を覆すだけの自負があった。
そう、自分には人にはないそれを遥かに超越した力を有している。いざとなれば自身が発動できる最大級の魔法を以て、向かってくる敵となる軍勢全てを消し飛ばし、粉砕する覚悟だった。
そしてその混乱に乗じ、二名の部下を使ってロベルト公自身を後方へと下げ、軍勢の立て直しを図る。後は自分を中心として敵軍勢を叩いていくつもりでいた。
だが、現実はそうはならなかった。
ロベルト公爵家の軍勢は既に敗れ、本拠地である街は陥落し、炎に包まれている。
(……せやけど、それにしても戦闘の展開が早過ぎる。一体何があったんや……)
そう考えながら送るクリスティーナの視線の先に、異常と感じる光景が映し出される。
炎に包まれる街を取り囲むようにして、蠢くノースデイ王国軍兵士達。それに交じって十数体の全身を漆黒の鎧で覆っている兵士の姿が、目に飛び込んできた。
(!!──あれは、ミッドなんたらっちゅう国の兵士やないんか? 確か、あいつらと戦争してた筈や。なんでそないな奴らと一緒におるんや?)
やがて、その黒い鎧の兵士達はノースデイ王国兵士に手で合図をし、この場から立ち去ろうとする様子だった。
(敵同士の奴らがなんでや……これはちょいとキナ臭いな)
クリスティーナは、後ろにいる部下である戦士ふたりに声を掛けた。
「もうここは駄目や、残念やけど諦めよう。お前達ふたりは、先に帰っててくれへんか。何かやな予感がするんや」
それにひとりの戦士が答える。
「分かりました。ですが、クリスティーナ様はどうするおつもりです?」
その返事を受け、クリスティーナは、再びジロリとその戦士を睨み付けた。
「せやから、その呼び方で呼ぶなっちゅうとるやろっ! 何回突っ込ませるねんっ!」
「ああ、そうでした。申し訳ないですクリス様」
戦士は頭を掻きながら、苦笑いを浮かべる。
「ホンマ、しっかり頼むで、ここ一番肝心なとこなんやから……僕は今からあの黒い鎧の奴らの後を追うつもりや」
「……了解です。が、おひとりで大丈夫ですか?」
すると、クリスティーナはふたりの方へと振り向き、ニコッと笑顔を見せた。その美しい笑顔は通常の男性の心を虜にする事など、いと容易き事だろう。なまじ本人にその自覚がないのが尚、立ちが悪いのだが──
「大丈夫、無茶はせんつもりや。危ない思たらとんずらする……でもふたり共、知ってるやろ? 僕を一体、誰や思ってんねん。火の大精霊を『守護する者』クリス様やで! 心配無用ちゅうやつや!」
それを受けたふたりの戦士は、身を屈めたまま、後ろへと振り、そして彼女に声を掛ける。
「確かに要らぬ心配でしたね。しかし、充分に用心なさって下さい。では、私達はこれで……」
その返事を聞き、クリスティーナも移動を始めようとする。
その時、後ろからまた部下の戦士が声を掛けてきた。
「どうかご無事で。“クリスティーナ”様」
今度はその言葉に対し、彼女は軽く溜め息をつく。
「──お前、絶対それ、わざとやろっ!!」
そう言いながら、不機嫌そうにぷく~と頬を膨らませたその表情も結局、他者には美しいとか、可愛いの好印象しか与えないのであった。