7章プロローグ 80話 挿話 足掻く。その為に集う者
今話から新章となります。
よろしくお願い致します。
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──断崖絶壁。
その遥か下方で激しい激流となる河川の流れが確認できる。ミッドガ・ダル戦国とノースデイ王国との境目の地。この周辺ではこのような地形が数多く見受けられた。
その中のひとつの断崖の端で、ひとりの男が立っていた。
ミッドガ・ダル戦国の王──レオンハルト。
ただ、その姿はいつもの戦場で見掛ける漆黒の重鎧ではなく、今は動きやすそうな黒鉄色の軽鎧を身に付け、その上からフード付きの黒いマントを羽織っている。
冒険者のような出で立ちだ。腰には例の足元にまで届きそうな長剣が取り付けられているのも確認できた。その傍らには彼の愛馬の姿も見受けられる。
そして黒い長髪を全て後ろに流し、それを後方の首元でひとつに縛り付けている。それにより少し面長な端正な顔が、より一層その際立ちを引き立たせていた。
彼は無言で、前方のノースデイ王国の方角を見据えながら立っている。
「………」
そんなレオンハルトの元に、後方から近付いてきたある人物が声を掛けてきた。
「申し訳ありません。陛下、お呼び出しの命に大分遅れてしまいました」
そう声を掛けた男。黒い重鎧の背に、大きな槍斧を取り付けた巨漢──レオンハルトの片腕と称される猛将エドガー。
「いや、別に構わん」
「弁明ではありませぬが、足を負傷して動けないストラトスが、私に色々といらぬ指示を出してくるもので……全く、奴は口だけは本当に達者ですな」
ストラトス──エドガーが口に出したその人物は、彼と対を成すもうひとつの片腕たる者の名だった。ミッドガ・ダル軍の力の象徴がエドガーならば、知の象徴がストラトスである。そしてそのふたりの人物はレオンハルトとはミッドガ・ダル戦団という名の傭兵の集団を共に立ち上げた頃からの旧友同士だった。同時に義兄弟の盃を交わし合った関係でもある。
今回、この場へと呼び出したのはエドガーのみだった。理由は単純で先のノースデイ王国戦撤退時に起こった争乱で、ストラトスが足に怪我を負い、まだ動ける状態ではないからだ。
「俺は本国にストラトスを残し、ノースデイにはキリアを大将として向かわせるように指示を出したつもりだったのだがな」
「いや、今回はあれで正解だったのではありませぬか? 我が方には奴、黒の魔導士アノニムの存在があった。何か突発的な脅威なるものが発生した場合、救援に駆け付けるのは、より強力な援軍となる力の方が望ましいですからな……まあ、今回に至ってはその事は無駄に終わってしまいましたが」
「まあ、致し方あるまい」
「して、陛下。私に何用でしょうか?─っと、その前に」
エドガーが畏まってそう質問をする。その途中で彼は一度会話を途切れさせた。そして
「陛下、見れば何やらそのお姿。まさか、今からご自身に対する慰安旅行ですかな? いや、または密会の為の旅……まあ、いずれにせよ最近は色々と多忙でしたからな。この辺りで一度、息抜きなさるのも必要なのかも知れませんな。うん」
エドガーは少しおどけるような口調で言葉を続けた。そしてそれを遮るようにレオンハルトが声を上げる。
「エドガー、俺は王を辞める。ミッドガ・ダルの事はお前達ふたりに任せる」
「………」
少し間が空き、苦笑を浮かべたエドガーの口が開いた。
「まあ、そんな事だろうと思ってはおりましだが……さて、あの融通の利かないストラトスの奴が、陛下が王をお辞めになる事を認めるでしょうかな?」
「そんな事など知らん。元々、お前達ふたりが俺に相談なく勝手に決めた事だ。俺は自ら望んで王になったつもりなどないのだからな」
苦笑の表情を浮かべたまま、エドガーは続ける。
「キリアお嬢の方はどうなされるおつもりです? あの気丈な女将軍は、自らは陛下の妻で常に近くにあらねばならない存在だと、そう思い込んでおりますぞ?」
「放っておけ。気が済んだら騒ぎも収まるだろう。あいつの勝手な妄想相手に騒ぎ立てる必要などない」
「……まあ、その気が済むまでの間、お嬢の振るう巨大な戦鎚の八つ当たりとなる被害額を考えると、ストラトスではありませんが、些か頭が痛くなりますな」
そこでレオンハルトはもうこの話は終わりだ。と言わんばかりに声を上げた。
「もう決めた事だ。俺はこれから黒い剣士、デュオ・エタニティの元へ向かい、彼女と行動を共にするつもりだ」
「あの漆黒の剣を持つ少女ですか……」
エドガーも神妙な顔付きへとその表情を変える。
「……俺達三人が、兄弟の盃を交わした時の事を覚えているか?」
「勿論の事、我ら三名。その“存在”となる者が、アースティアに於ける“存在”する者として、成すべき目的を掲げた時でしたからな。“この世界の国を統一し、ひとつにまとめ上げ、大きな戦力を作り上げる”……確か、もしもの時に対抗する為の力でしたかな?」
「ああ、そうだ。その為に、俺は自らの手を血で染めてでも戦争の武力行使という形でそれを成そうと考えていた……だが、もう時間がなくなった。というより既にもしもの時、即ち『滅びの時』が始まってしまった」
「………」
「先の戦いでそれを確信した。今、現状に於いて全ての元凶はアノニム。おそらく奴の存在だろう……それとは別にもうひとつ、気付いた事がある」
「それは?」
「それに唯一対抗し得る力を持つ者の存在……それがデュオ・エタニティ──」
エドガーはそのレオンハルトの言葉を聞き、静かに目を閉じた。やがて
「承知致しました。我が王よ。この事は私からストラトスに説明しておきましょう」
「すまん、礼を言う。エドガー」
そう言い終えたレオンハルトは、表情に少しの笑みを浮かべながら、エドガーに話し掛ける。
「さあ、堅苦しい話はもう終わりだ。これで既に俺は王ではなくなった。ならば、お前達も昔のように俺と接しろ。どうも前からそれが気に入らんのだ」
すると、エドガーは急に大声で笑い始めた。
「──あっはははははっ、そういう事なら、俺も是非そうさせて貰うよ。正直、いつも息が詰まりそうだったんだ。ふぅ~。全く、普段慣れない事なんてするもんじゃねえ……でも義兄者、ミッドガ・ダルの方はどうするんだ?」
「そうだな、いずれその力が必要とする時がくるかも知れん。すまんがエドガー。ストラトスと協力してミッドガ・ダル戦団としての力。事態の収集が図れるその時まで温存しておいてくれないか?」
「了解だ。ちょっと大変そうだが、なに、ストラトスがいてくれるから何とかなるだろう。任せてくれ、兄者」
すると、レオンハルトはエドガーの肩に手を乗せ、力を込める。
「許せ、エドガー。あの時に俺達、三人で掲げた目的を途中で放棄するような形になってしまった事を……だが、それに見合う事を俺は探し出し、成し遂げるつもりだ」
そして振り返り、自分の馬にレオンハルトは飛び乗った。
──ヒヒンッ
「それでは俺は行く、後は頼んだ。兄弟」
「兄者、ご武運を!」
─────
断崖絶壁が続く地形の荒れた岩道を、ノースデイ王国へと向けてレオンハルトはひたすらに馬を走らせる。
不意に何かの気配を感じ、その方向へと視線を走らせた。そこには──
遠く離れた場所に大きな岩が転がっていた。そしてその上に立つ黒い人影。
「アノニム──か」
レオンハルトは小さくそう呟く。
その姿は、まさしく黒の魔導士と呼ばれているアノニムであった。
「………」
馬の足を止め、しばらくの間、無言で睨み合う。
今は互いの距離はかなり離れている。しかもアノニムはフードを被り、且つ例の鉄仮面で頭を覆い隠しているのでその視線の先は、はたしてこちらに向けられているものなのかは確認する事はできない。
───
突然、自身の背後に殺気を感じたレオンハルトは、腰の長剣を抜刀し、振り向きざまその殺意の元へと長剣による一閃を浴びせる!
「──ぬんっ!」
その斬撃を受けた黒い蝙蝠のような翼を持つ人型の魔物が、身体を斬り裂かれ、ふたつとなったそれは、それぞれ左右の後方へと吹き飛んでいく。
(──使い魔か)
そう考えるのと同時に、今度は左右、そして正面から同時に馬上へのレオンハルト目掛けて、ガーゴイルの複数の鋭い爪が、空中から襲い掛かってきた!
──だが
レオンハルトが瞬時に放つ白銀の煌めきを伴う長剣の一閃! そして返す刃のニ閃! 最後に上方から振り抜く三閃目!
それにより三体の黒い魔物も前回のそれと同じく、身体をそれぞれ真っ二つに斬り裂かれ、地面へと音を立てながら落ちていった。
レオンハルトは他に気配がなくなったのを感じ取り、長剣にこびり付いた魔物の血を振り払うかのようにして、一度、真下へと勢い良く長剣を振るった。
──ヒュンッ
そして
──チンッ
再び腰の鞘へと納めた。
そしてゆっくりとアノニムがいた大岩の方へと目を向ける。
「………」
しかし、予測通り黒の魔導士の姿は、掻き消えるようになくなっていた。
───
「ふっ、奴らしい別れの挨拶だな。だが、もう別れなど必要とはしない。何故なら次なる新たな邂逅が、もう既に始まろうとしている……そう、新たな旅という名の元、我らは集う」
そう声を漏らすのと同時に、彼の頭の中に黒の魔導士を拾ってきた時の記憶が思い浮かんできた。
───
──『何故、今ここにあるのか……何を成すべきなのか……分からない……何も……分からない──』
───
「──さて、これからどうなるか……」
レオンハルトは再びノースデイ王国へと馬を走らせる。
(曲がりなりにも世界は今まで何とかやってこれた……ならば──)
そして小さく声に出して呟いた。
「まあ、足掻けるだけ、足掻いてみるさ──」