79話 さよならは言いたくないから
よろしくお願い致します。
後方から聞こえてくるカレンの大きな声に、俺とフォリーは馬の踵を返し、そして地面へと降りた。
そこへやがて、まずはカレン。そしてソニア、ダンと順に追い付き、俺とフォリーの前でそれぞれ前屈みになりながら、膝に手を付き肩で息をして呼吸を整えている。
「どうしたんだ。三人共、私達に何か忘れ物?」
「……はぁ、はぁ……私達が忘れ物だっつーのっ! ひっどいじゃないっ! なんで黙って行っちゃうんだよーーっ!!」
「いや、そこはちゃんとお別れの挨拶は済ませたつもりですが……」
その俺の返事に対し、抗議の声がそれぞれ飛び交った。
「いつ出発するかまでは言ってなかったじゃないかーっ!」
「確かに世話になったのだから、せめてお見送りくらいはさせるべきだ」
「デュオ、俺は未だにお前に対しての告白の返事を聞かせて貰っていない!」
「「お前は黙ってろっ!!」」
そして重なるダンに対しての姉妹の怒声……もう定番となったいつものパターンだ。
そんな三人の姿を見ていると、素直にもう一度会えた事がとても嬉しく、そして何故だか懐かしく感じる。だから──
「ごめん、私が悪かったよ。じゃあ、今からこの場所でお別れをしよう」
俺のその言葉にまず、三人はフォリーの所に赴き、そして順にお別れの言葉を交わしているようだった。
やがて、ソニアが俺の前へとやってきた。
「デュオ、お前には色々と本当に世話になった。まだ受けた恩は返せてない。だが、この恩義なるものは決して忘れない。必ず、返す!……だから、また会いにきてくれ」
「ああ、約束するよ」
次にダンがやってきた。
「まっ、ちょいとふざけ過ぎたが、お前に惚れてるってのは本当だぜっ、だから、今度会った時は絶対にデートしてくれっ!」
「……まあ、後ろ向きに考えとく」
「いや、せめて横向きにしてくれっ!!」
そして最後にカレンがやってきた。
「……デュオ。あのね、私、さよならは言わない。だから、必ず絶対にまた会いにきて……」
「えっ、ああ、うん。分かった─って、どうしたんだカレン? 何からしくないな……」
「……えっ?」
自分に起こった異変に気付くように、カレンが小さく呟いた。
「な、なんで、涙なんか─って、なんで私、泣いてんの? なにこれ……」
「カレン、一体どうしたんだ? まさか、泣いているのか……」
ソニアが驚きの表情で声を上げる。
「……お前、まさかとは思うが、デュオは女だぞ?─っていうかさ、前からずっと思ってたんだが……ははぁ~ん、カレン。やっぱお前はその手の方か?」
ダンが少しからかうように言う。
「──ち、違うわっ! 私は至ってノーマル! 男の方が断然良いに決まっているっ!!………だけど、何なんだろう? 込み上げてくるこの気持ち……胸がキュッと締め付けられるような、涙が出ちゃう程に切ないような……あーっ、もう訳分かんないよ~っ!!」
「………」
この状況を目の当たりにし、少し混乱した俺は、同じ女性であるノエル先生にご意見を伺う事にした。
『これは……どういった状況でしょうか? デュオは女だよな。やっぱカレンはそっち方面の嗜好。すなわちノーマルではないと……そのような結論に達しましだが、それで良いのでしょうか? ノエル先生』
『──誰が先生だっ! でも、そうだなぁ~、これはきっと、デュオではなく、アルの責任だね』
『はあ、なんで俺の責任なんだよ?』
『それはデュオがいくら可愛い女の子でも、アルの女の子の演技がヘタ過ぎて、男っぽいっていうか、丸っきり男だからだよ。それとなくカレンに対してはカッコいいって思われるような事、何回もしちゃってるし……デュオは女の子だけど、カレン、彼女の中では無意識的にカッコいい男の子に変換されちゃってるんだよ……きっと……』
ノエル先生のご回答は結局……良く分からん。その一言だった。さりげなく自分の事、可愛いって言っちゃってるし……まあ、でも泣いてるのなら、要は慰めたら良いのだろう。
俺はカレンの頭にそっと手を乗せ、そしてやさしく撫でてやった。
「カレン、まあ、何だか良く分かんないけど、とにかく、また必ず三人に会いにくるよ。だから、もう泣くなよ、なっ?」
すると、カレンは顔を真っ赤にしながら俺の手を払いのける。
「だ・か・ら、あんたは女なのに、そんな男っぽい言葉使いはやめて~っ! 後、ちょっとカッコいい仕草もっ!……私はノーマルだよっ、ノーマルなんだってばーーっ!!」
頭を両手で抱えながらひとり絶叫するカレン。しかし、急にそれをやめ、俺の方に向かい、うつ向き加減になりながらそっと囁く。
「で、でも、もう一回撫でて……お願いします……あうう」
──何なんだ、一体……。
そう思いながらも、俺はもう一度カレンの頭を撫でてやる。
「う、うう~、で、でも、何だかすっごく落ち着く~……心地いい。幸せ……」
再び顔を赤らめながら、狼ならぬ猫のようにじゃれ合うようにして、頭を俺に預けてくるカレン。仕方なく腕の中に受け止めて、頭を撫で続ける俺……。
やがて、ノエルの不機嫌な声が頭の中に響いてくる。
『……ちょっとアル、いつまでそれやってんのよ!』
……あーっ、
ちょっとした悪戯を思い付いた俺は、言葉にしてやろうと考える。
『え~、ノエル。もしかしてさ、それってヤキモチっていうやつ?』
そう、わざとらしく言ってみた。
『……うん、ヤキモチ。この浮気者──』
『……へ?』
『─って言ったら、どうするアル、ふふっ』
……あーっ、ビックリした~。
『……先生が生徒をからかうのは不謹慎だと思います』
『知りません』
─────
相変わらず騒がしい三人組の見送りを受け、俺とフォリーは再び馬を走らせる。
「それじゃあ、またねーーっ!!」
その声に後ろへと振り向くと、遠く離れて小さくなったカレン達、三人が両手を振っているのが目に入ってくる。
俺とフォリーも手を上げ、それに応える。
『バイバイ、三人共。今度会う時まで……その時は互いに元気でね』
最後にノエルが、俺の頭の中で別れの言葉を言った。
─────
しばらくの間、そのまま馬を走らせる。すると、やがて視界に大きな一本の大樹が入ってきた。その傍に一頭の馬とひとりの人影が確認できる。
「おや、あれは……あの大樹の下で立っているのは、セシルではないのか?」
フォリーがそう声を上げた。
そして馬を走らせ、その場所に近付くに連れ、その姿をはっきりと確認できるようになる。
そびえ立つ大樹の元で、ひとりの美しい少女が立っていた。
水色の綺麗な長髪と前に流したふたつの編み込みが、風で緩やかにたなびいている。いつもの白い法衣ではなく、大人しめなデザインの純白のワンピースを身に纏い、やさし気な眼差しをこちらへと向けていた。
水の巫女、そして獣人の姫君の生まれ変わりでもあるセシルだった。
俺達は馬から降り、彼女の元へと駆け寄る。
「セシル、一体こんな所でどうしたんだ?」
俺はまずそう声を掛けた。
「……はい、そうですね。やっぱり、こうしてお見送りしたかったので……ご迷惑でしたか?」
「いや、そう言う訳ではないが……でも、大丈夫なのか? こんな所までたったひとりで」
フォリーが少し強めの口調で問い掛ける。
「その事に関しては大丈夫です。私が無理を言って、ファビオさんにここまで連れてきて貰っているので……」
セシルは舌をチロッと下に出しながら、悪戯っ子のような仕草でそう答えた。
見れば、大樹の傍に括り付けられた馬の足元に、ひとりの戦士が座り込んでいるのが確認できる。
「すみませんが、ユーリィはこの場所にはきてません。彼の言い分によれば、今のこの状況になると、おそらく彼は別れが辛くなって、泣き出すだけでは済まなくなる。きっと、おふたりにこの国に残ってくれと駄々をこねてしまう事になるだろう……まあ、言ってしまえば、これから国を支えて行く自分のみっともない姿をさらけ出したくはない。そんな些細な理由です──ふふっ」
彼女は静かな笑顔でそう話す。そして不意に風でたなびく自身の水色の髪を手で掬い上げ、撫で付けた。
それを機に彼女の表情がキュッと引き締まる。そして俺とフォリーに向かって話し出した。
「今、私の中にはふたつの記憶があります。ひとつは、人としてこの国に生まれ育ち、愛する人。ユーリィと共に歩む幸せな希望に溢れるセシルとしての記憶。そしてもうひとつは、獣人の王の娘として生を受け、最後にこの世界に絶望し、ただひたすらに助けを求めながら、命を奪われる事になった獣人の姫君。フィオナの悲しい記憶……どちらも今ある『私』です」
「………」
俺とフォリーは無言で彼女の話す言葉に聞き入っている。
「フィオナとしての記憶は、何も全てが悲しみのものばかりではありません。楽しい事や嬉しいと感じるものもたくさんあります。そしてお父様のやさしいお心も……だけど、フィオナ。彼女の人生の多くは負の感情に取り囲まれながら生きて行き、そして死にました……」
セシルは静かに、でも力強く語る。
「ですが、私の中にその時に感じたフィオナの感情の記憶があるからこそ、今、セシルとして生きていられる幸せと喜びがより一層強く、大切なものと感じられるのです。そしてその為に努力しようとする自分がいます……やはり人は正の感情のみではあり得ない存在だと。正と負、両方を持ち合わせて、始めて人と呼べる存在なのだと。私はそのように思いました」
彼女はうっすらと目に涙を浮かべているようだ。そしてその涙を、そっと自身の人差し指で拭った。
「正と負。ふたつの感情を正常に保ち続ける事は、とても難しい事だと思います……それが今、この世界に起こっている事態を引き起こした原因なのでしょうか? 私には分かりません。ですが、きっとデュオさん、フォステリアさん。おふたりなら、その事態が起きてしまったこの世界の未来を変えて下さる……力のない私にはその為にできる事はあまりありませんが、どうか、おふたりの旅の目的が無事に達成できる事を、心からお祈り致しています……」
セシルは胸の前で両手を組み、すがるような表情でそう話を締め括った。
「分かった。お前のその気持ち、嬉しく思う。任せておけ、それとありがとう。セシル」
フォリーが答える。
「私もフォリーと同じ気持ちだ。精一杯がんばるから、お祈りの方よろしく~。サボらないでね、あっ、もしかしたら、その時は調子悪くなるかも」
俺は少しおどけてそう答える。
「うふふっ、デュオさんったら、相変わらず楽しいお人ですね」
『むむっ』
──キラリん─
ん、何だ。さっきの効果音みたいなのは?
『アル、ちょっといい?』
『やっぱノエルかよ。で、何か用?』
『え~っとね……ゴニョゴニョゴニョ……』
『……了解した……』
まあ、いいか、実際に俺が食う訳じゃないんだし─っていうか、ただ単に俺に対抗意識を燃やしてるだけなんじゃないのかよ。
ノエルの頼み事を伝える為、俺は再びセシルに話し掛けた。
「あのさ、セシル。私の片割れが、お祈りの際にはお供え物に是非、教国特産品のトマトを頂けたのなら大変喜ばしいなどと、ほざいております。はい」
「あはははっ、デュオ。何だそれは、もうひとりのお前がか?」
フォリーが笑いながら声を上げた。一方のセシルは訳が分からず、少し困惑したようにキョトンとしている。
「え~っと、良く分からないですけど、特産品のトマトですね。お任せ下さい。毎日とびっきり新鮮で濃厚な物を厳選してお供えさせて頂きます!」
大人しそうな綺麗な顔で、何気なくすっごく怖い事言ってるんですけどっ、この娘!!
─────
そして俺とフォリーは再び馬に飛び乗る。馬上の俺達を見上げながら、セシルが声を掛けてくる。
「私、『さよなら』という言葉、あまり好きじゃないんです。捉え方によっては、その表す意味が大きく異なってしまうので……だから」
彼女は大きく手を上げながら、大きな声で言った。
「──またお会いしましょう。いつかその時まで、どうかお元気で──」
─────
「デュオ、少し予定外の事が重なって大分、時間が過ぎてしまった。少し速度を上げて行くぞ」
「了解!」
フォリーの言葉を受け、俺は馬の走る速度を少し速める。
結局、見送られるのを嫌がって前工作をしていたのだが、全部無駄になってしまった……いや、でも皆、きてくれた事はやっぱり照れくさかったが、嬉しかったのも事実。今回のティーシーズ教国でも色々な人達と出会い、そして新しい出来事をたくさん体験する事ができた。満たされる探求心。勿論、この世界の存亡が関わっている状況の中、そんな考えを持つ事など不謹慎な事なのだろう。
でも、この俺から沸き上がってくる好奇心という名の感情。こいつだけはどうしても止める事ができない。
さあ、次のノースデイ王国ではどんな出会いや出来事が待っているのだろうか。
『アル、今、ワクワクしてるね?』
『ふふっ、さすがはノエル。俺の事、良く分かってらっしゃる』
『当たり前でしょう? 伊達にずっと一緒にいる訳じゃないんだから、えっへ──』
『──えっへん!!』
『……アル、おぬし……』
ノエルが続けて言おうとしていた彼女のお決まりの言葉を、俺が代わりにドヤ顔で威張った声で言ってやった。
『……只今を以て次の食事にトマトが追加される案が議決されました』
ノエルの冷淡な声が頭の中に響く。
『──うげぇ~』
余計な事をやってしまった……それはさておき、邪魔が入らない内に、行くぞ! 俺の例の決め台詞!!
「さあ、いざ───
「さあ、いざ行かん! 新しい未知なる冒険へ!! 確か、こうだったか? うん、やはり良い台詞だな。新しい旅の門出に相応しい──」
──あっ
『ありゃりゃ……』
………。
「──うわあああああああーーっ!!」
「おっと、一体どうしたデュオ、何故、突然叫び出す!?」
『……アル、ドンマイ』
「何だ、またこの妙な空気の流れは……私が何か失態を犯してしまったのか?」
……いいえ、フォリーさん。今回も貴女様に何の落ち度も御座いません。全ては俺の未熟さから出た結末です。
──くっそー、こんな事になるなら溜め込まず、ちゃっちゃっと言っときゃ良かった……ぐふっ。