71話 私の演じるデュオ
よろしくお願い致します。
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──あれからもう二日。
今日という日は、朝から日暮れまで怪我人の手当てや避難民の支給食の炊き出しなどの作業の手伝いに、私は手を追われていた。
避難所は幸いにも僅かな破損で済んだ王城が、その場所として提供される事となった。それはとても異例となる事だ。教国聖都の被害の甚大さが予想される。
ちなみに今、このティーシーズ教国の現状は、攻め入っていたミッドガ・ダル戦国の軍勢が突如として戦線を離脱し、その姿を消した事によって取りあえずの平穏を保っていた。
何でもフォリーさんが言うには、ミッドガ・ダルの王が一時休戦を申し込んできたとか。
ともかく今は戦争という脅威は過ぎ去ったのだ。
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「デュオさん、ずっと働き詰めでお疲れでしょう。ここは私達が引き受けますので、どうぞ身体をお休めになって下さい」
ひとりの女性の神官戦士が、そう私に声を掛けてきた。
「じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな、ありがとう。少し休憩させて貰うね」
私は返事を返して書記の為に用意され、並べられた長い机の窓際の椅子に座る。そして頬杖をつき、何気なく横の窓ガラスに映る自分の顔を眺めた。
「──はあ~」
思わずため息が漏れる。
「アル、いつ帰ってくるのかな……?」
そう、あれは結婚式が終わり皆、雑談を交わしていた頃だったと思う。その時に彼は突然、私に真面目な口調で話し掛けてきた。
◇◇◇
『ノエル、少しの間この身体から離れてもいいか?』
「えっ、なんでっ!!」
予測もしなかったその言葉に、私は思わず念話ではなく声に出してしまっていた。
『おっと、いや、そんなに驚くなよ。離れるといっても物理的じゃなくて、意識だけ離れるっていう意味だからさ』
私は口に出してしまった事を慌てて手で口を押さえ、誤魔化しながら、念話による会話に切り替える。
『……どうするつもりなの?』
『魔剣がユーリィを生き返らせただろう? その直前に俺は魔剣の中へ引き込まれるような感覚に陥ったんだ。どんどん奥深くへと……』
『………』
『そして最後にひとりの女性の姿が映った。彼女は俺に声を掛けてきた……以前、自分自身が剣である事すら知らなかった時。その時も彼女の姿を見たような気がするんだ』
『……アル』
『今思えば俺が暗闇から目覚めた時。その事が自分が何者なのか、全ての記憶を失った自分にとって、唯一残った記憶だったのかも……だから、それを探しに今から行ってくる。上手くいけば記憶を取り戻す手懸かりを何か見付け出す事ができるかも知れない』
『でも、どうやって? それに帰ってこれるの?』
『うん、それは剣の方へと意識を集中させれば何とかなりそうな気がする……意識だけになった時に見たくないものや聞きたくない音。入ってくる視覚や聴覚を拒むようにした事ってあるだろ? その時に真っ暗闇に包まれるような、そんな感覚になった時ってなかったか?』
『うん……いや、私は今までそんな事は一度もなかったけど……』
『それに、そんなに心配するなよ、ノエル。俺は必ず帰ってくる。ちゃんと契約しただろ? いつもずっと一緒にいるって、だから、待っていてくれ』
『……うん、分かった。ずっと待ってる。でも……ふふっ、何だか楽しそうだね、アル』
『ああ、やっぱノエルには分かっちゃうか。俺、今すっごくわくわくしてんだ。やっぱり自分が知らない事を、世界を知るって事は楽しい事なんだって改めて思うよ!!』
……うん。
──“あなたはいつもそうだった”──
『それじゃ、行ってくるノエル』
『行ってらっしゃい、アル』
◇◇◇
「……はあ~」
私はもう一度深いため息をついた。窓ガラスに映る私の顔の紅い色だった右の瞳は、本来の私が持つ青い色に戻っていた。それはもうアル。彼の意識が私の中にいない証明だ。
多分、彼の試みは上手くいったのだろう。
そして今、私の気分が沈んでいる理由はもうひとつある……それは
今日の昼過ぎカレン達三人とすれ違った時。
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「おっ、どしたの、デュオ? オッドアイじゃなくなってるじゃん」
「う、うん。これはちょっと、剣の力を使い過ぎちゃうと時々こうなっちゃうんだ……」
「そうだな、それに何か、いつもと違って女子っぽくなったというか……大分、雰囲気が変わったように感じるのだが……」
「い、いや、きっと気のせいだよ。嫌だな~、ふたり共」
「──いいっ、物凄くいいぞデュオ! いつもの男勝りのお前も好きだが、今の可愛らしい感じのも……ううっ、もう抱き締めていいか? いいよなっ!?」
「「黙れ! この変態!!」」
──ドカッ!
──バキッ!
──ドサッ……。
そしてうつ伏せに倒れたダンの足を引きずり、カレンとソニアは去って行く。去り際にカレンが私にウインクをしながら
「ほんじゃ、まっ、デュオ。そういう事で!」
─と声を掛けてきた。
……そういう事って、どういう事なんだろう……はて?
─────
それから面識がある人達と顔を合わせる度に、同じような質問を繰り返される。
今思えばデュオという存在は、身体の中身がアルの精神の時がほとんどだ。私が入れ替わり、デュオとなるのは決まって着替えや身体を拭く時、入浴の機会があればその時も……後はアレだ、用を足す時かな……ああ、そうだ、食事もアルの提案で交代制だった。私に気を使ってそうしてくれたんだ……ごめん、アル。忘れてた。
まあ、要するに何が言いたいのかというと、私がデュオ・エタニティである機会が極端に少ないという事だ。
私は再び窓ガラスに映る自分の顔を見た。
私がお気に入りのトレードマークとなる大きなくせ毛は、今は前に垂れ下がっている。確か、アルの時はこのくせ毛は、何故か前に垂れ下がる事なく真後ろに跳ね上がる。そして顔付きも今の私より眉がつり上がり、精悍な、いわゆる男勝りな顔付きの女の子になるのだ。
でも、可愛らしい顔付きっていうなら、私は絶対に負けてない─って言ってる場合じゃないか……。
さて、これからどうしよう? 私が上手くアルのデュオを演じる事ができる訳ないし……その点について最大の強敵となる存在とまだ運良く顔を合わせていない。例の怪物によって破壊され、消滅してしまったという城塞都市ヨルダム。その視察に赴き、今はこの場所にはいない人物。
現状、私とアル。デュオ・エタニティと最も同じ時間を長く共有している人。
フォリーさんだ。
………。
「……もうフォリーさんにならいいよね?」
私は窓ガラスに映る自分にそう、呟いた。
─────
「やあ、デュオ。私に何がいいんだって?」
……フォリーさん、きちゃった……帰ってたんだ。
「あっ、いや、何でもないよ。フォリーさん」
「……フォリーさん?」
フォリーさんは“さん”を強調しながら、訝し気な目を向けてくる。
あ、やっちゃった! でも、憧れの女性であるフォリーさんを呼び捨てになんてできないよ。
「うむ、それにどうしたその目は? 何かあったのか?」
「あ~っと、え~っと、これは剣の力を使い過ぎたっていうか……」
すると、私の言葉を途中で遮るようにフォリーさんは言った。
「……そうか、いつものデュオは、今は何処かへお出掛け中って訳か……」
「──えっ!?」
私は思わず驚きの声を上げてしまっていた。
「な、何故その事を? フォリーさん、知ってたんですか?」
その質問には答えず、フォリーさんはやさしく微笑みながら、私を見つめてくる。
「ふふっ……」
うわぁ~、やっぱり、フォリーさんは凄く綺麗だ。素敵──
そんな視線に堪えきれず、赤面してしまった私は、慌てて目を逸らしてしまう。
………。
「………」
互いに無言の状態が続く。
─────
「そうだ、先程良い事を耳にしたんだ。お前にも教えたくてな。何でもこの城内にはとても立派な大浴場があるらしい。さすがに水の大精霊を崇めている国といった所だな」
突然、思い付いたようにフォリーさんが話し出した。
「私にも是非にと勧められた。肌に良い効能があるのだとか。デュオ、たまには私と一緒にどうだ?」
「えっ、私とフォリーさんが一緒にお風呂に入るんですか?」
「ああ、そう言った筈だが?」
「………」
──ええぇぇーーっ! 憧れの存在であるフォリーさんと一緒にお風呂!……あんなに綺麗な容姿のその身体もすっごく気になる。白く透き通るような色の肌、その秘密に迫れるかも知れない……いや、それもだけど、単純に背中の流し合いっこ何かも楽しいそうだな~、いいな~、私も是非ともご一緒したいっ! だけど──
そう、今の私にはその事に関して重大な不安要素がひとつある。
それは離れていったアルの意識が、いつ私の身体に帰ってくるのかが分からないという不安だ……そしてフォリーさんと一緒にお風呂という己の欲求と、その不安要素。ふたつが今、私の中で激しく葛藤を続けている……。
……ど、ど、ど、どうしようっ!
「うん?……ふふっ、どうかしたか、デュオ?」
再び私に向けられるフォリーさんのやさしい笑顔。
……もう、どうでもいいや……。
─────
「フォリーさんっ、お供致します! 是非、私もご一緒させて下さいっ!!」
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結局、私とフォリーさんの裸体をアルに見られてしまうかも知れないというリスクよりも、自分の欲求を優先させてしまった私なのであった。
まあ、何とか大丈夫でしょ。今まで帰ってきてないんだから、お風呂に入ってる時間くらいね……そんなタイミング良くなんて……ね。
──多分。