64話 あり得ない奇跡
よろしくお願い致します。
───
俺の周囲では負の感情によって自我を失った者達が、互いの命を奪い合う行為を未だに続けていた。
このまま放っておけば、いずれ誰ひとりとして生き残る者はいないだろう……そう、忌まわしい負の感情が招いたこの行為によって。
───
「さて、と……」
『アル、どうするの?』
『そうだな、まずは──』
俺は隣にいるバルバトスに向けて、不意に自身の左手を突き出した。
「ぬぅ!」
獣王が呻き声と共に身構える。
「──魔力の防御壁!」
突き出した俺の手のひらから、青い魔法陣が浮かび上がり、それと同時にバルバトスの身体が目映い青の光によって包み込まれる。
「……むう、お前は一体何を?」
バルバトスが問い掛ける声には答えず、俺は次にフォリーの姿を探し出した。
そして見つけ出す。彼女は凶暴と化したカレン、ソニア、ダンら三人相手に、その攻撃を見事に往なしていた。
そんなフォリーに、俺は魔剣の切っ先を彼女に対し、向けた。
「もういっちょ!──魔力の防御壁!」
それにより青い光によって包み込まれるフォリー。彼女は自身に施される魔法に気づき、周囲を見回しながら、やがて俺と目が合った。
「フォリー、今から凄いのかますから、心構えしておいて!」
「デュオ、お前は一体……分かった。私はお前を信じる」
「ありがとう、フォリー!」
さて、準備は整った。
───
「よしっ、それじゃ始めるか!」
俺は目を閉じ、深く息を吸った。そして次に目を見開いたその時、渾身の力でそれを放つ!
「負の感情、それを今から恐怖という感情で吹き飛ばしてやるっ! 行っけええぇぇーーっ!!」
『竜の咆哮』!!!
──グアルルル、グガアアアアァァァッ!!!
俺の、デュオの口から竜の雄叫びが放たれた! 祭壇内の空気が裂け、大地が揺れるような衝動が周囲に広がる!
「──行け! 俺が作り出した恐怖! 恐怖も負の感情だけど、この際そんな事言ってられない! 要は今は何だっていいんだ、とにかく……負なんて、全部ぶっ飛ばしちまえぇっ!!」
それを受け、醜く争い合っていた者達全員が恐慌状態に陥り、その身体の自由を奪われる。
負の感情に取り込まれた状態で受ける新たな恐怖の感情。それより、まるで混乱を起こしたかのように皆、ひたすらに身体を揺さぶらせながら立ち尽くしていた。中には頭を抱えながら悶絶するように地面を転げ回る者の姿も見て取れた。
そんな中、俺はセシルとユーリィの元へと歩いて行く。その途中でフォリーと合流した。
「デュオ、これからどうするのだ……」
「……分からない。でも、今はユーリィの所に行かなきゃ、彼の姿を見届けたいから……」
「そうだな……」
───
やがて、俺達はふたりの所に辿り着く。セシル。彼女も俺の竜の咆哮を受け、負と恐怖が入り交じった混乱の恐慌状態となってはいたが、それでもユーリィだけは、決して離すまいとその身体を震わせながらも、必死になって彼を抱き締めていた。
セシルの肩から覗くユーリィ顔……その表情は険しかったが、決して苦痛に耐える、そんな表情ではなく、まるで何かをやり残して……それを悔やんでの険しい表情……俺にはそう思えた。
「……ユーリィ、できれば助けたかった。その命を……」
『ぐすっ、ユ、ユーリィ……』
「……ユーリィ」
それと同時に、俺の中でひとつの感情が込み上げてくる……自分という意識を認識してから、初めて自分にとって身近となった者がその命を失った……近しい者の死。
これは『悲しみ』の感情。
──くそっ、何が『滅ぼす者』と対峙し得る者だ! 何が強大な力を持つ者だ! 俺が持つ魔剣の力は奪うだけの力じゃないかよっ! こんな時に何の役にもならない力なんて……ちくしょう!!
俺のオッドアイの瞳から、涙が頬へと伝う。
──ポツリ
そして、それは雫となって右手に持つ魔剣に滴り落ちた。
─────
ヴゥゥオン──
Don't underestimate me……My Master
──ヴゥゥン
─────
──何だ? 今のは一体。
その時だった。俺の心の奥底で微かに何かの気配のようなものを感じた。そして次の瞬間、目を閉ざされたかのような暗闇に包まれ、その中へと引き込まれる錯覚に陥った。
どんどんその奥深くへと──
─────
次に自分という意識を自覚した時、暗闇の中でひとりの女性が立っていた。
あれは、あの時の……俺がこの世界で気が付いたばかりの時に、感じ取った漆黒の髪の女の人……。
相変わらず見た事のない形状の服でその身を包んでいる。紺色の不思議な光沢を放つそれは、冒険者ギルドの受付嬢が着用している制服のように見えなくもない。
彼女は暗闇の中、両手を両太腿に添えたまま立っており、少しうつ向き加減となり、俺とは目が合っていない。
やがて彼女のうつ向いた顔が上がり、俺と目が合った。
美しいと感じるその瞳の色は……俺と同じ血の色を連想させる『紅』だった。
そして、そう感じた瞬間に現実に引き戻された俺がいた。その際に──
──貴方がその手に持つ自身となるもの。その切っ先を、貴方が救いたいと願う者の死の原因となった傷口へと向けるのです──
そんな言葉が聞こえたような気がした──
──Does that make sense? My Master──
……ああ、分かった。
そして俺の右手に持つ魔剣に変化が生じる。血のような紅い色を妖しく放っていた光が、その色を目映い青白い閃光へと変えていった。
同時に今までに何度か耳にした事がある無機質な音を、今回は甲高く発生させる。
──キィィィィン。
決して心地の良い音ではなかったが、不思議と嫌悪感は感じなかった。
俺は『聞こえてきた声の内容』を実行する為に、セシルによって抱き締められているユーリィを引き剥がそうとする。
「──あうっ! うう、うああああっ!!」
未だに色んな感情によって異常をきたしているのだろう。セシルが言葉にならない声を発しながら、必死でそれを拒もうとする。
すると、フォリーがフワッとセシルの後方から手を回し、そのままやさしく彼女の事を抱き締めた。
「……辛いだろうセシル。だが、一度少し落ち着け。そしてユーリィを楽にしてやってくれ……」
そのフォリーの言葉を耳にした彼女はそっと、そしてゆっくりとユーリィを抱き締めていた両手をほどき、離していった。
セシルの手から離れるユーリィ。俺はそんなユーリィの身体を受け止めた……その身体は既に冷たく、やはり、既に死んでいるのだと改めて実感させられる。
俺は膝を着き、ユーリィの亡骸となった身体を、地面に仰向けに寝かせるようにそっと置いた。その彼の顔を上から覗き込む。
やはり生気はなく死者の顔だった。口元から幾筋もの血を流し、その表情は、先程見た時と同様に険しく、そして何処か悲しげだった。
「心残りだったんだろう? セシルの事が……」
『可哀想なユーリィ……』
俺は仰向けに寝かせたユーリィの胸に突き刺さっている剣を引き抜く。その傷口からいくらかの血が吹き出した。
「デュオ、お前一体何を!?」
大声で問い掛けるフォリーに対し、答える。
「少し待ってて、こいつが、この剣が……もしかしたら──」
俺は青白い光を放つ魔剣の切っ先を、そっと、ユーリィのその傷口へと近付けた。
そしてそれは触れ合う。
──キィィィィン。
再び甲高い音を立てながら、青白い光がその輝きを増していく。そして次に複数の魔剣の触手がその傷口へと伸びていった。
その触手達は先端を傷口に触れ、何かを探るような動きをする。やがて、ピタリとその動きが止まった。次に傷口に触れた触手達の先から、まるで白い糸のように細い物が伸び出し、そして、それらは次々と傷口の中へと潜り込んでいく。
数え切れない程の青白い光を放つ細い糸のような物、あれも魔剣の触手なのだろうか?……その間にも糸の触手はどんどんとその数を増やしてゆき、遂には傷口全体を覆い尽くすように絡み付いていく。
最後に魔剣の太い黒い触手によって、ユーリィの身体は上方へと持ち上げられる。
──キィィィィン。
甲高い無機質な音が青白く輝く刀身から鳴り響き、細い糸の触手達は、それぞれ独立した意思を持つ者のように異なった動きを始め出す。その動きはまるで、分担された作業をこなしているようにも感じさせる動きだった。
「これは、一体何を……傷口を治癒しているのか? いや、失われた部分を作り出している? これは修復、再生させようとしているんだ──」
俺はただ、呆然とその光景に目を奪われていた。
剣は変わらず甲高い音を立てながら、放つ青白い光は更にその輝きを増し、より鮮烈にさせる。やがて、その光は周囲にも広がり出し始めた。
強烈な閃光の光を放ちながら、目の前で行われている行為。その光景は、とても神秘的に見えるのかも知れない。
恐慌状態に陥っていた周囲の者達も、強烈な閃光を浴び、その影響なのか、正常さを取り戻した様子で皆、繰り広げられている光景に心を奪われるように目を向けていた。
やがて、ユーリィの青白い顔に少しずつ赤みが差し、生気が戻り始める。
───
「ま、まさか、死んだ者が生き返るというのか……」
俺の隣にいたフォリーが、驚愕の声を上げた。
その声に反応するかのように、周囲の者達から漏れる驚きの声が聞こえてくる。
「あり得るのか?……そんな事が」
「命を失った者がまた再びその命を取り戻す……馬鹿な、そんな事は絶対にあり得ない……」
「……それにしても、なんて神々しい光なんだ……心が安らぐようだ」
俺はその糸の触手を伸ばし操り、巧みに作業となる行為を続けている魔剣へと、目を向ける。
───
最早、間違いない。魔剣はユーリィを生き返らそうとしている!……こんな力まで持ってるなんて、この剣は一体──
『アル、その剣って、やっぱり凄いね』
『ああ、すっげぇよ!……まあ、といっても俺自身なんだけどな。全く実感ないけどさ……』
そうノエルに返す。
やがて、糸の触手達はその動きを止め、まるで役目を終えたかのように、続々とそれぞれの黒い触手の元へと戻っていった。
それにより地面に降ろされたユーリィの姿が顕になる。彼の胸にあった傷口は完全に塞がれなくなっていた。
俺はユーリィの元にしゃがみ込んで彼の上半身を起こす。そしてその胸に自分の耳を押し当てた。
トクン、トクン──脈打つ命の鼓動が聞こえてくる。
それを確認した俺は、ユーリィの身体をゆっくりと持ち上げ、腕の中へと抱き抱えた。そしてセシルの所へと歩いて行く。
「……ユーリィ?」
フォリーに送り出されたセシルは、組んだ両手を胸に当てながら、少し不安げな表情で俺に問い掛けてくる。
「……ユーリィ……ユーリィは……?」
「こっちにきて、自分で確かめてご覧よ」
俺のその答えを聞き、彼女はゆっくりと俺に抱き抱えられているユーリィの元へと近付いてくる。
多分、彼女はまだ怖いのだろう。ユーリィを失った。その悲しみが強過ぎて……。
───
「──かはっ!」
突然、ユーリィが意識を取り戻すのと同時に、大きく咳き込んだ。おそらく、口内に血溜まりでも残っていたのだろう。
その様子を目の当たりにしたセシルの目に、大粒の涙が溢れ出した。
「……ユ、ユーリィ?」
彼女の声に反応したユーリィが、俺の腕の中でそっと目を開き、そしてセシルの方へと目を向ける。
「……また会えた……セシル……」
「──ユーリィ!!」
セシルが声を上げながら、こちらへ駆け出して来た。
……さあ、後は彼女に任せよう。
俺は腕に抱き抱えていたユーリィの身体をそっと降ろし、地面に立たせた。少しよろけながら倒れそうになるユーリィ。
しかし、その身体を俺が支えるより早く、駆け寄ってきたセシルが受け止めるようにして抱き締めた。ユーリィも彼女の身体に腕を回し、抱き返す。
「………」
「………」
ユーリィとセシルは、お互い無言でただひたすらに抱き締め合っていた……互いの身体の温もりを再確認するように……。
そして、この祭壇にいる全ての者達が、抱き合うふたりの姿に見入っていた。死別した筈のふたりが、再び互いを慈しむようにして抱き締め合っている。
本来なら絶対にあり得ない奇跡となるその光景。
今、この場に教国側、獣人側、互いに敵同士という概念は既に消え去り、負の感情さえも消え失せていた。ただ、虚無感だけが漂う中、そんな抱き締め合うふたりの姿に皆、目を奪われていた。
そんな時──
突然、俺の右手に持つ魔剣が、放つ光の色を青白い光から本来の禍々しい紅の色へと変えていく!
「やっとお出ましのようだな……」
──バチッバチッ
爆ぜる音と共に、宙に黒い球体が現れ、奴が再びその姿を出現させる。
俺は紅い閃光を放つ魔剣を構えながら叫んだ!
───
「──黒の魔導士アノニム!!」