62話 負
よろしくお願い致します。
そんな異常な光景の中、フォリーが俺の近くへと駆け寄り、話し掛けてきた。
「デュオ、おそらくは黒の魔導士、奴が負の感情を皆に注ぎ込んだのだろう……嫌な予感がする。気を付けろ!」
「うん、でも一体、どうすれば……」
どう対処していいか分からず、俺とフォリーが背中合わせで立ち尽くしていると、やがて苦しみ身悶えていた者達がゆっくりと起き上がり出した。
そして口々に何かの呪文を唱えるように同じ言葉を口にし出し始める。
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「獣人供は我らの同胞、家族を奪った憎き仇敵! 全て殺せ!! 殺せ!!」
「教国供は我ら一族と、愛しい姫君を滅亡に追いやった憎き仇敵! 復讐を果たす為、全て殺せ!! 殺せ!!」
そしてそれはこの神殿、祭壇内にいる者達、全ての者に波紋となって広がっていく。
─────
「殺せ!! 殺せ!!」
「殺せ!! 殺せ!!」
そう口にする者達、皆、全てその目は虚ろで、まるで何かに取り憑かれているようにも見えた。周囲を見回すとカレン、ソニア、ダンの三人でさえ負の感情に取り込まれ、その呪詛のような言葉を口に発している。
─────
「殺せ!! 殺せ!!」
一体何なんだ、これは……。
『アル、何だか私、怖いよ……』
「くっ!」
俺は咄嗟にユーリィとセシル、ふたりの姿を目で探す。やがて、その姿を見付けた時、ふたりは互いに手を繋ぎ合ったまま地面にうずくまり、必死で負の感情に取り込まれまいと耐えているようだった。
その傍らでは司祭システィナさえも、虚ろな目で周囲と同じ言葉を口にしている。
「殺せ!! 殺せ!!」
そして、やがて呪詛の言葉を繰り返していた教国戦士達と獣人達は武器を取り、互いに向き合った。
「殺せ!! 殺せ!! 殺せ!!!」
不味い! このままじゃ……。
「フォリー、取りあえず、今はユーリィとセシル、ふたりを助けよう! 後の事は……それから考えるしかない」
「……分かった」
俺達ふたりはユーリィとセシルの元へと駆け出す。すると、不意に背後から迫ってくる殺気を感じ、俺は振り返りながらそれを魔剣で受け止めた。
──ガアィィィン!
激しい金属音が鳴り響く!
それは獣王バルバトスだった。奴の目も虚ろで、おそらくは負の感情に取り込まれているようだった。そして例の言葉を口に発している。
「殺せ!! 殺せ!! 全て滅ぼせ!!!」
「くそっ、こんな時に! どけっ、邪魔だ!!」
俺は魔剣を振り上げ、大剣を弾き飛ばし、バルバトスに向けて渾身の蹴りを放った!
その蹴りを身に受け、遠く後方に吹っ飛び、奴は壁に打ち付けられる。その衝撃で手に持つ大剣を手放しながら、壁へと身体をめり込ますバルバトス!
しかし、直にゆらりと立ち上がり、手放した大剣の方に向かって行く。
「これじゃ埒がない! せめてユーリィとセシルだけでも」
「うむ、アノニムから発せられたこの負の感情。私に異常がないとすると、これは『守護する者』には効果が発揮しない物のようだな。エリゴル、いや、今はバルバトス。奴には負の感情が大きくなり過ぎて、その抵抗を失っているようだが……」
俺の隣にいるフォリーがそう解説をする。
「えっ、じゃあ、なんで私は平気なんだ?」
「それはおそらく、お前がこの世界の理と干渉しない存在の者だからだろう……ふふっ、頼もしい限りだ。やはりデュオ、お前は特別なのだな」
そんな会話を交わしている時に、感じ取られる殺気だった雰囲気。
そしてそれは始まった。口で呪詛の言葉を発し続けていただけの教国戦士達と獣人達が、その手に武器を取り、互いにぶつかり合い、戦いを始めたのだった。
その光景を目にした俺に、大剣を取り戻したバルバトスが再び立ちはだかり、手に持つ大剣を大きく振り下ろしてきた!
それを魔剣で受け止めながら、俺はフォリーに向かって叫ぶ。
「私はこいつを何とかする。フォリーは何とかユーリィとセシルを助けてやってくれ! でも、絶対に無理はしないで! ミナとミオの為にも!」
その言葉を聞き、フォリーはユーリィとセシルの元へと走り出す。
「デュオ、それはこちらも同じだ! お前に何かあったらミナとミオが悲しむ。そして私もだ! 無茶はするなよ、無事で再び後で会おう!!」
『……ぐすん、フォリーさん。その気持ちとっても嬉しいよ……』
『おいおい、ノエル、こっちは修羅場なんだ。感傷的になるのは後にしてくれっ』
『ぐすっ……分かってるよアル、私はいつもあなたと一緒にいる。ふたりでひとつ、最強の魔人でしょ?』
バルバトスが打ち合わさった大剣に力を込めてくる。負の感情で理性が失われているのか、以前のそれより力が増し、より強力となっていた──だが
俺は再び力任せに受け止めていた奴の大剣を弾くと、今度はそのバルバトスの身体に蹴りの連打を叩き込む! 最後にのぞけるあごに向けて、強烈な左の拳を食らわせた!
それを受け、空中へと身体を浮き上がらせたバルバトスは、そのまま地面に叩き付けられる!
─────
「そうさ、ノエル。俺達はふたりでひとつ、一心同体の魔人、魔人デュオだ!!」
──────────
注ぎ込まれた負の感情により、理性を失った教国戦士達と獣人達が互いに殺し合いを始め、辺りには双方の死体が転がり、血溜まりができあがる。
そんな中、ユーリィとセシルは地面にうずくまって必死に負の感情に取り込まれるのを耐えていた。ふたりの手はしっかりと握り締められ、お互いの名前をひたすらに呼び合っている。
「……セシル!……くっ、セシル!!」
「……ユーリィ!……ああ、ユーリィ!!」
ふたりが互いを愛し合い、思いやる正なる感情が、辛うじて負の感情に取り込まれるのを留めているようだった。
そんな時、非情にも黒の魔導士アノニムが再びその姿を現す。
─────
『やはり考察となる観察を続けたのは正解だったようだ。このように希に見る境遇と邂逅し得るのだから──さあ、私に人なる者の、更なる在り方を示して見せよ──』
そして黒の魔導士はうずくまっているふたりに向け、その右手を突き出した。それよりユーリィとセシルにさらなる負の感情が注ぎ込まれる。
「──ぐっ、ぐあああーっ!」
「──くうっ、きゃあああーっ!」
デュオはアノニムの再出現に気付くが、負の感情に取り込まれ、怒りの狂戦士と化したバルバトスに阻まれ、近付く事ができない。
一方、フォステリアもそこに向かう途中で、負の感情に取り込まれたカレンとソニア、そしてダンによってその元に近付けない状況だった。
『人なる者よ、足掻いて見せよ。そして新たなる可能性を私に知らしめて見せよ』
最後にそう言葉を残して、黒の魔導士アノニムは再びその姿を消した。
地面に這いつくばっったユーリィとセシルは、新たに注ぎ込まれた負の感情によって、もう互いの名前さえ呼び合う事ができなくなっていた。
やがて、握り締め合っていた手もほどけ、離れていく──そして
「──いっ、嫌あああああーーっ!!」
地面にうずくまり、頭を両手で抱えながら、セシルが狂ったような高い叫び声を上げた。
それと同時に彼女の心の中に転生する前、すなわち、獣人の姫君としての記憶が、順を追って入り込んでくる。
─────
獣人王バルバトスと共に自分達の国を作ろうと夢見て旅立った時の記憶。その道中、ひとりの英雄と呼ばれる勇敢な人間と出会い、仲間となって行動を共にし、その過程で水の精霊石と巡り合った時の記憶。また、仲間として信頼する人間の英雄を国王とし、念願の自分達の国を作り上げた時の記憶。
そして──
「──きゃああああっ! い、嫌っ、嫌ああああっ!!」
そして、最後に親愛する獣人の王バルバトスと離ればなれとなり、信頼していた人間の王に裏切られ、力を奪われて獣人化する事も敵わず、身体をなぶられ、凌辱された挙げ句、胸に何本もの剣を突き立てられ、命を奪われた記憶。
──獣人の姫として生を受け、そして、失った悲しい記憶。
──もう自分には何も残ってなかった。
──そう、もう何も……。
─────
そんな時、不意に誰かに手を握り締められた。
「……誰?」
「ぐうっ、はあ、はあ……僕だ、ユーリィだ! 負けるな、がんばれセシル!!」
呆然と横に目をやると、何かに耐えるように苦しそうな表情をしながらも、自分を励ましてくれる青年の顔が目に入った。
やがて、意識を覚醒させたセシルの目から涙が溢れ出す。
「ああ、ユーリィ……私は、私には何も残ってないって事なんてない。そう、私にはあなたがいるっ!」
「はあ、はあ……そうだ、君には僕がいる。誓いを立てただろう? 君を絶対に幸せにするって……だから、ぐぅ、ああ……はあ、はあ……」
「うん……!」
再び手を握り締め合い、ユーリィとセシルは負の感情に抗い続ける。しかし、もうふたりにそれを拒み続ける余力は残ってはなかった。
そしてその時は訪れる。
─────
「……え……?」
セシルが身体の異常を感じ、ふと自分の手に目をやった。そこには金色の体毛に覆われようとしていた自身の両手の姿が──
「……そ、そんな……嘘っ」
変化は突然始まった。セシル、彼女の美しい姿が、徐々に獣のそれへと変化を始めた。透き通った水色の髪は金色と変わり、顔が歪にゆがんでいく。
やがて、そこには金色の雌型の獅子へと姿を変えたセシルがいた。
「ああ、い、嫌だああああーーっ!!!」
セシルが上げるその絶叫に、思わずユーリィは横にいた筈の彼女の姿を見た。そして彼は彼女のその姿に愕然とする──
──パキン
それを目にした瞬間、ユーリィの中で何かが音を立て、砕けた。
次に今まで抗い続けてきた負の感情が、堰を切ったように彼の心の中へと大量に流れ込んでくる。
─────
彼がまだ幼い頃、不意に訪れたならず者の獣人達の襲撃によって、彼の家族であった両親は彼の目の前で惨たらしく惨殺された。そして大好きだった姉も、幼い彼を抱き締めて守るようにして殺され、死んでいった。
(……そうだ。獣人は姉さんと両親を僕から奪った憎むべき仇! 僕の手で殺してやるっ!)
─────
「──獣人は全て殺せ!!」
そしてのろりと立ち上がったユーリィは、手に持つ剣を、地面にうずくまった一体の雌型の獣人に対して向けた。
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「嫌あぁ……見ないで、ユーリィ、お願い……私を、私の姿を……見ないで、お願い……」
目の前にうずくまった一体の獣人が、僕に対して何かを懇願するように小さく呟きの言葉を口にする。
「なんで僕の名前を知ってるんだ。穢らわしい獣人のくせに! まあ、そんな事はどうでもいい、ただ僕は憎い獣人を殺して仇を討つ! その為に剣の鍛練も積んできたんだ─って、あれ? 僕は大切な誰かを守りたくて剣の鍛練をしてきたんじゃ──ぐっ、うう、頭が痛い……」
僕は……僕は……憎い獣人を殺すんだ──!!
──────────
ユーリィが私の所へと近付いてくる。その目的は多分、私を剣で突き刺す為、そして私の命を奪う為に──
彼の家族が昔、獣人によってその命を奪われた事は私も知っている……私の家族もそうだったから。そして彼が獣人の事を酷く憎んでいる事も……。
ユーリィ、彼が今、負の感情に取り込まれて自分を見失っているのは間違いない。
……彼は本当に私の事を殺すのかな……?
ごめんねユーリィ、巫女になってからあまり一緒にいてあげられなくて。いつも私の事を気遣って心配してくれていたやさしい彼。こんな事になってしまったけど、大好きだよ……今でもずっと愛してる。
でも、最後はこんな私の姿を見て欲しくはなかった……。
「……やっぱり嫌だよ、こんな姿でお別れだなんて……だから、お願い、見ないで……私の事を……」
「うるさいっ、黙れ! これ以上、僕を惑わすなっ!!」
やがて、彼は迷いを断ち切るように頭を振り、剣の刃を下向けにして突き上げた……そう憎い獣人を、私を、その手で突き刺し、殺す為に──
──────────
ユーリィが負の感情に取り込まれてしまい、セシルに向かって何をしようとしているのかは最早、明確だった。それは──
俺も驚いたが、獣人の姫の転生者とされていたセシルが、獣人となってしまっていたからだ。俺は何とかその元へと駆け付けたかったが、狂暴となったバルバトスが執拗に食い下がり、それによって束縛され、思うように身動きが取れなかった。
「くそっ、ほんとに邪魔なんだよっ!!」
奴を何回ぶっ飛ばしても、何度も俺の前へと立ち塞がってくる。
『アル、このままじゃセシルが、ユーリィが!』
『ああ、分かってる!』
俺はユーリィに向かって力いっぱいに叫んだ!
「ユーリィ!! お前はそれでいいのかっ、お前がするべき大切な事とは一体何だったんだ! 思い出せっ、そして考えろっ!!」
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私にもユーリィが異常である事は見受けられた。しかし、目の前の自我を失った獣人と化したカレンとソニア、そしてダンの三人のおかげで、どうにもこの場を抜け出せそうにない。
先程、私と同じような境遇に陥っているデュオは、ユーリィに向かって大声で呼び掛けていた。
──ならば、私も。
「ユーリィ! そなたはセシルの事を愛しているのだろう? ならば、そなたはその責任を果たさねばならない! 思い出すんだ、そなたはその愛すべき人の命をその手で奪おうとしているのだぞ!!」
──────────
……何か、何処かで聞き覚えのある声が聞こえてくる──
─────
……ぼ、僕は、一体何を……うっ、うう、痛っ! また頭が痛い……まあいい、取りあえずは、この目の前でうずくまって、顔を両手で覆い隠している獣人を殺してからだっ!
「……ごめんね……ごめんね、ユーリィ。ずっと、ずっと愛してる……」
「くそっ、まだ言うのか! 黙れっ、この獣人め!!」
僕はこの獣人の命を奪う為、下に向けて突き出した剣の切っ先を、獣人に向けて突き立てようとしている。
何か違和感をずっと感じてはいたが、今大きくあるのは憎しみの感情だけだった。
そして獣人に向けて下へと突き立てた!
……だが、その一瞬の動作の中で、獣人が覆い隠している手の隙間から、始めてその獣人と目が合った。
涙を流している目……その瞳……あの瞳は──!
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──セシル!! 瞬時に僕の脳裏に思い浮かぶ、無理をしてがんばって作る、健気な彼女の笑顔……。
でも、駄目だっ、もう間に合わない! この剣の切っ先はもう……それに既に僕は──
──────────
──ドスッ!
肉が裂かれ突き刺さる嫌な音が、地面にうずくまり顔を両手で覆い隠していた私の耳に届いた。
覚悟を決め、目を閉じていた私の顔に、ポタ、ポタっと、何かの液体が水滴のようにして落ちてくる。
嫌な胸騒ぎを感じながら、私はそっと目を開いた……私の顔に落ちてくる液体──それは血だった。
私は息が詰まりそうになりながら、そっと顔を上げ、上を見上げる。そこには──
──自分の剣で自らの胸を貫いている、ユーリィの姿が、私の目に飛び込んできた。