57話 ユーリィの思い
よろしくお願い致します。
(四半刻くらい前だろうか、今の、こんな異常な状態に陥ったのは……)
◇◇◇
ウィリアム軍団長やクライド神官戦士長、そして、デュオさんとフォステリアさん達が、敵を迎え討つ為に城塞都市ヨルダムに出立した後、僕はセシルを守る為、ここ、水の神殿に残った。
その時、この場所には『水の大精霊の巫女』としてのセシル。彼女を守護する為に残った者達、数十人の神官戦士達と司祭システィナ様。そして水の大精霊を『守護する者』エリゴル様。それがこの場所に残った全ての者達だった。
神官戦士達が整然と立ち並ぶ中、セシルが不安そうな表情で僕に視線を送ってくる。それに対し、僕は力強く頷いてみせる。
大丈夫。君の事は僕が絶対に守ってみせるから──
それに対して力なく、それでも微笑んで頷き返してくる彼女。
─────
やがて、それは突然起こった。
横へと並んでいた数人の神官戦士達が、雄叫びを上げながら、その姿を獣人と変化させ、突如として僕達に襲い掛かってきたのだった。
獣人と化した者の数はそんなに多くはない。五、六体といった数だったが、その驚異的な獣の身体能力の前に、神官戦士達は苦戦を強いられ、地面に突っ伏した姿も既に見受けられた。
僕は剣を構えながら、セシルの方へと目をやり、彼女の姿を確認する。お互い視線が合い、同時に声を発した。
「セシル!」
「ユーリィ!」
彼女は胸に手を当て、心配そうな眼差しを僕へと向けてくる。
「必ずセシル、君を守ってみせるから! でも、心配しないで、僕は絶対に死なない! だから、そんな顔しないで……君の笑顔が欲しい。笑ってセシル、僕に勇気を──!」
その声に、彼女は無理矢理に笑顔を作り、微笑みとなるものを僕にくれた。
──ああ、いつものセシルの笑顔だ。無理を押して、がんばって作る彼女いつもの笑顔……。
─────
ここ近年、セシルが水の巫女に選ばれてから、僕と彼女のこれまでの生活は一変した。巫女とはこの水の大精霊が存在するティーシーズ教国にのみある特殊な職だ。本来その巫女としての成すべき職務とは、くるべき時に水の大精霊を自らの身体に降ろし宿す。それにより水の大精霊。すなわち、女神アクアヴィテの御心となる思考を、承る形ある言葉として授かる事ができる儀式。
『精霊降ろしの儀』──そう呼ばれる儀式を執り行うのが、巫女。そしてそれが、巫女となったセシルの使命となった。
彼女は巫女としての業務をこなし、自らの責務となったそれを果たす為、毎日、神殿に籠る時間が多くなり、必然的に僕達ふたりでいる時間が極端に少なくなった。ある時は丸三日間、全く会えない日もあった。
それと同時に僕には一番、気掛かりな事が大きくひとつある。
それは、彼女ががんばり過ぎて身体を酷使してないか。そんな心配事だった。
久しぶりに会う時も、その身を巫女としての業務にすり減らしているのだろう。目に見えて彼女に疲れが溜まっているのが伺えた。真面目でがんばり屋なセシルの事だ。僕はその都度、彼女に向けて同じ言葉を口にする。
「大丈夫? 無理はしてない? 何ならシスティナ様に言って、いっその事もう、水の巫女の件は……」
その言葉に、彼女は静かに目を閉じて頭を横へと振る。
「心配してくれてありがとう。でも、こんな私でもがんばる事で、何かの力になる。それによって、誰かが幸せになれるのなら……だから、私、やれるだけがんばってみる」
そして僕に余計な心配はさせぬよう、無理に笑顔を作り、微笑んでみせる。
「でも、ごめんね。ユーリィに心配かけてばかりだね。うん、少しサボる事も考えるよ。えへへ……」
またも無理に笑顔を作るセシル……僕は我慢ができずに、前に置かれていた彼女の両手を、自分の手で包み込んだ。
「もう駄目、無理だ。僕、明日にでもシスティナ様にお願いして、神官戦士になれるよう志願してみる」
「えっ、急にどうしたの、ユーリィ?」
驚く彼女に対し、僕は心の中で呟く。
急なんかじゃない。前からずっと考えていた事なんだ。今は無理に作るその笑顔を、本来のそれに戻すのは、まだ先になるのかも知れない。だけど、その為に僕もセシルの力になりたいんだ!
「システィナ様は、おそらくお許しになってはくれないだろうけど、その時にはエリゴル様を頼るつもり。僕も神官戦士になって、君と一緒にがんばる。そして君の側に置いて貰えるようお願いしてみるよ」
「駄目だよ、戦士だなんて……」
「約束する。絶対に無茶はしないから、セシル。僕も君と一緒にがんばらせて!」
そう、君の本当の笑顔を取り戻す。その為に──
僕は手に包み込んだ彼女の両手をギュッと握り締めた。そんな僕に、セシルは無言で胸に飛び込んでき、握り締めた手をほどき、代わりにその両腕を僕の背中へと回してくる。
「……ありがとう、とても嬉しい。でも、本当に無茶はしないでね、約束だよ」
そう言いながら、セシルは目を閉じる。僕はそんな彼女を優しく抱き締め返した。
僕の身体に感じる暖かな温もり。そう、この腕の中の人が、僕の最も大切な最愛の人。
そして僕は改めて思い返す。
そうだ。セシルの、彼女の無理に作る笑顔を、本当の心からの笑顔に……彼女の事を絶対に幸せにするって、そう誓ったんだ!!
◇◇◇
僕はセシルを守る為、向かってくる獣人に対して剣を構え、対峙していた。今はその攻撃を身に受け、跪いてしまっている。
「……ううっ、セ、セシル……」
「──ユーリィ! ユーリィィ!!」
僕はもう一度セシルの方へと目をやる。彼女は相変わらず涙を流しながら、僕の名前を叫び続けている。そしてその後ろでは両腕を組み、仁王立ちしている、エリゴル様の姿が──
……何故、エリゴル様は……あのお人は、僕達の事を助けてくれないのだろう……?
僕の頭にふとそんな疑問が過った──
──────────
隣で無言で立っていた男が、組んでいた両腕をゆっくりと下ろした。司祭システィナは、彼の様子が変わったのを感じ取り、静かに声を掛ける。
「……遂に動かれるのですか?」
その問い掛けに隣で立っていた男、エリゴルは答えない。
「いくら遠い過去の事とはいえ私達、ティーシーズ教国の祖先達が貴方達に行った非情な仕打ち、その大きな大罪は、今となった現在でも、貴方の中で決して許される事ではないのでしょう。私達、ティーシーズ王家の血筋を引く者は、全て貴方達によって滅ばされる運命にある。その事も充分に存じております……そして私自身も覚悟をしています。ですが、どうかお願いです。ユーリィは、あの子だけは……どうか、セシルの為にも……」
「………」
続けて訴え掛けるように声を上げるシスティナに、エリゴルは無言のまま、ゆっくりとセシルの方へと近付いて行った。
その時──
突然、この神殿の祭壇である扉が、音を立てて打ち開かれ、中へとひとりの人物が姿を現した。
それは金色の髪の美しいエルフだった。彼女は右手に青白い光を放つレイピアを手にし、その右肩の上方に半透明に輝く風の上位精霊、風の女騎士を従えていた。
─────
「ユーリィ、セシル。どうにかまだ無事のようだな……ふう、取りあえずは安堵したぞ。戦場に獣人の姿が少なく見受けられたので、もしやと思って引き返してきたのだが──」
そう言いながら、美しくも勇ましい姿のエルフは、ぐるりと周囲を見回す。
「──どうやら、正解だったようだ」
「「フォステリアさん!」」
その姿を見て、ユーリィとセシルが同時に彼女の名を大声で呼んだ。
その隙を突き、片膝を床に着き、剣で身体を支えていたユーリィに向けて、対峙していた狼の獣人が、止めを刺そうと飛び掛かってきた。
「くっ──しまった!!」
──もう間に合わない。ユーリィがそう思ったその時。
「──疾風の刃!」
フォステリアが声を上げるのと同時に、風の女騎士の振り下ろす腕から、音速の見えない刃が放たれる。そしてそれは、飛び掛かり、今にも剣を振り下ろそうとしていた獣人の右腕を切断し、剣ごと吹き飛ばした。
「──があぁぁっ!!」
血が流れ出る腕を押さえ付けながら、その場に両膝を着き、崩れ落ちる獣人。
その光景とフォステリアの持つ力に気圧され、戦闘中だった獣人達と神官戦士達は一時、その行為を中断する。その間にも祭壇の開かれた扉から、味方となる救援の教国兵士達が続々と駆け付けてきた。
見ればその中に、いつの間に舞い戻ってきたのか、神官兵士の長であるクライドの姿も見受けられた。おそらくは聖都クラリティに戻る際に、その旨をフォステリアが耳打ちをしたのであろう。あの戦場となる場を放棄してでもこの神殿を守る。その事を最優先とする神官戦士の長たる彼らしい判断だ。
やがて、駆け付けてきた彼らは、エリゴルを中心にそれらを取り囲むような形を取る。戦い傷付いた神官戦士戦士達やユーリィはその外側へ。そして、残された獣人達はエリゴルと同じその中へと。
だが、セシルと司祭システィナだけは、未だまだ、その囲いの中に取り残されたままだった。
そんな中、セシルはひとりの神官戦士の姿をした男によって掴まれた腕を、必死になって振りほどこうとしている。
「お願い、お願い! 離してっ!」
セシルが放つ叫び声に反応するように、やがて、その神官戦士の格好をしていた男が、身を震わせながらその姿を獣人へと変化させる。
「……そ、そんな……」
そう呟くセシルの隣に、エリゴルが近付いてきた。そしてそっと、彼女の目を見つめる。
「………」
無言で見つめ続けるその姿を確認して、フォステリアが、エリゴルに対し声を上げる。
「水の大精霊を『守護する者』エリゴル殿……この事態を招いたのは、やはり貴方なのだな? いや、エリゴル殿、おそらくは貴方が獣人の王」
「………」
フォステリアの言葉にエリゴル。彼は何も言わず、彼女の方へと目をやる。
「獣人の王、エリゴル。お前達の目的は、己が野望が破れた教国への復讐か!?」
その彼女の言葉を耳にした途端、無表情に徹していたエリゴルという名の男の顔が、怒りで打ち震え、憤怒の形相と変えた。
次の瞬間、怒りの表情を浮かべたまま、エリゴルが高らかに笑い声を上げる。
「──ふっ、ふははははははっ!!」
そしてピタリと笑い声を止め、獣のような猛々しい目で、周囲を見据えるように目を巡らした。最後に再び、フォステリアへと鋭い視線を向ける。
「この所業が、我が野望が破れた為の復讐だとっ!!」
まさに猛獣が放つ怒りの咆哮だった。そしてエリゴルは怒りを鎮めるように、言葉を続ける。
「お前達、今の教国が知る我らとの因縁と成り立ちは、都合良く偽って語り継がれているだけに過ぎぬ」
そう言うとエリゴルは少し顔を上に向け、遠くを見るような眼差しで、前世の自身が体験した彼の意識の中にある記憶という名の、すなわち『真実』──
──それを静かに語り始めた。