56話 狂い出した歯車
よろしくお願い致します。
──聖都クラリティ。そう呼称される街の中に、王城と水の大精霊の精霊石が奉納された水の神殿がある。
今、この聖都クラリティの城門前に広がる平原には、先程到着したノースデイ王国の援軍と共に、残ったティーシーズ教国の軍勢が、最終防衛の陣を敷いて待機中の状態にあった。とはいえど、決して万全の態勢とは言い難い状況だ。
直ぐに援軍を繰り出すと伝えていた、ノースデイ王国のラウリィ王が、援軍を出し惜しみ、今となってようやく到着したその軍勢も、援軍という形だけの微々たる少数の軍勢だった。
ティーシーズ教国の主力となる教国軍と神官戦士の軍勢のほとんどは、城塞都市ヨルダムの救援に出払ってしまっている。そう、聖都を守るには防衛する軍勢の数が圧倒的に足らないのだ。
もしも、仮にこの場へと敵の軍勢が押し寄せてきたのならば、とてもではないが、防ぎきれない。それが音に聞こえた勇猛なミッドガ・ダルの軍勢なら尚更の事だ。
全ての命運は、先刻に城塞都市ヨルダムに向け、出陣したティーシーズ教国軍と神官戦士の軍勢に懸かっている。そんな緊張感が張り詰めたこの陣中に、つい先程出陣した軍勢からの早馬の伝言があり、我が軍が僅かながらも優勢で敵勢力を押し返している。そう報告を受けたばかりだった。
─────
「うむ、状況は把握した。我々としても敵兵、一兵たり共、ここを通さぬ所存。ウィリアム軍団長にその旨、よろしく伝えてくれ」
「はっ、それでは失礼します!」
副軍団長の立場である男が、報告を終え、この場を去るその伝達兵を見送りながら、傍らに立つ兵士に声を掛ける。
「……このまま何事も起きねば良いのだがな」
そしてその男は、何気に後方にあるクラリティの城門へと目を向ける。その時、何かの異変を感じた。
「何だ? あれは……」
それは、聖都クラリティの至る所から立ち昇る炎の黒煙の姿だった。その光景が目に入ってくるのと同時に、僅かながらも聞き取れる、クラリティ内からの剣を打ち合う音と争乱の怒声──
「まさか、聖都内で戦闘が始まっている……?」
副軍団長の男が、確認するように再び、城門へと目をやる。しかしそれは、やはり固く閉ざされたままだった。
(仮に戦闘が始まっているとして、一体、どうやって入り込んだというのだ!……とにかく、今は考えている時ではない!)
そう考える副軍団長の周りの者も、異変に気付いたらしく、皆、振り返っていた。
「聖都クラリティが敵の襲撃を受けている! 全軍クラリティに向け、引き返せ! 我らが聖都を守るのだ!!」
副軍団長が放つ号令の声に、ティーシーズ護衛の軍勢は馬の踵を返し、一斉に駆け出そうとする。そんな時、この軍勢へと疾風のように迫ってくるひとつの騎馬の集団が目に入ってきた。
その先頭を駈るのは、金色の髪の美しいエルフ。風の大精霊を『守護する者』ハイエルフのフォステリア。その人だった──
「……おお、風の大精霊を『守護する者』フォステリア様、何故ゆえに?」
「我らはこの異変を先に予測し、引き返してきた! これより聖都クラリティ内へと入り、中の争乱に対応する! そなた達も全面からくるであろう、敵の防衛の為の軍勢をある程度残し、我々の後に続いてくれ!」
フォステリアはそう言い放ち、聖都に戻ろうとする軍勢の横をすり抜け、誰よりも早くクラリティの城門へと向かう。だが、やはりそれは固く閉ざされたままだ。
(こうなれば、多少の損害もやむを得まい……)
そう考えた彼女は、疾走する馬上で静かに目を閉じ、魔法の詠唱を唱え始める。
「──猛る火の精霊、炎の魔人よ! 我が召喚に応じ、その業火の力を我に示せ!」
カッと目を見開き、遠く離れた城門へと、手を突き出すフォステリア。それと同時に彼女の上空に巨大な炎の塊が宙を浮くように出現する。やがて、それは大きな炎の巨人の姿を象った。
フォステリアは突き出した手をそのままに、炎の巨人に対して号令の声を上げる。
「行け! エフリート。城門に向かって突貫だ!」
『──御意、仰せのままに。我が主よ』
そしてそれは宙を飛ぶ炎の大きな礫となって、巨大な弓矢のように城門に向かって飛んで行く。
やがて爆音が轟き、煙を上げながら、城門に大きな穴が空いたのが確認できた。
その穴から聖都内へと、フォステリアを始めとする引き返してきた軍勢が入って行く。
「今だ! 我々も後に続け!」
副軍団長の上げるその声に、いくらかの軍勢を残して、副軍団長を含む多数の軍勢が、次々と空いた穴を潜り抜け城内へと入って行った。
─────
(早く神殿へ。セシルとユーリィの元へと向かわねば……)
フォステリアは聖都内を神殿へと向けて馬を走らす。かなりひとり突出してきたので、後に続く者の姿は既に、見受けられなくなってしまっていた。
そして先に進むに連れ、思わず目を塞ぎたくなるような凄惨な光景が、辺りに広がっていた。
「これは……何て、惨いんだ」
ありとあらゆる建物が破壊され、火を放たれ燃え上がっている。周囲には兵士、一般人関係なく無数の人間が惨たらしく惨殺され、その骸を晒していた。
吐き気を催すようなこの光景を目の当たりにし、フォステリアの中で焦燥感が増していく。
(獣人の姿が少なかったのが、ずっと引っ掛かっていたのだが。これはやはり奴らの仕業か? でもならば、一体どうやって……とにかく、まずは神殿へと急がないと)
─────
その時だった。
不意に前方から、二体の獣のような影が、フォステリアに向かって飛び掛かってきた。その一体の攻撃を、咄嗟に腰から抜き取ったレイピアで受け流し、逆にその腕に鋭利なレイピアの尖端を突き立てた。もう一体の攻撃は、馬上で身を捻りながらかわし、その身体の横腹に蹴りを入れ、吹き飛ばす。
それら二体の獣のような者は、地面に膝を着く事なく着地し、こちらへと顔を向けてきた。それは、それぞれ狼と豹の頭を持つ獣人だった。
「!!……やはり、お前達、獣人の仕業か? しかし、どうやってこの都市内に……ま、まさか!」
声を上げるフォステリアに向かい、獣人の一体が手に持つ剣を振り上げながら、再び襲い掛かる。そこへ後から遅れてやってきた味方の兵士達が、割って入ってきた。
「フォステリア様、ここは我々が引き受けます! 貴方様は一刻も早く、巫女様の元へ!」
獣人の剣を受け止めた兵士が、大きく叫ぶ。見れば周囲からは何体かの複数の獣人が、この場へとその姿を現す。そこへ続々と続いてくる味方のティーシーズ教国兵士達。
「すまん、ここはそなた達に任せる」
そう言いながら、フォステリアは後ろを振り向かず、再び馬を走らせた。
「おそらく、私の予測が正しければ──頼む! 間に合ってくれ!」
決死の思いを抱きながら、彼女は水の神殿へ向けて馬を走らせる。だが──
─────
(くっ、全く世の中というものは、実に思い通りにならんものだ……)
ヒヒイィンと馬が嘶き、前足を大きく振り上げながら立ち止まる。その彼女の前に姿を現した、様々な姿をした数体の獣人達。
およそ五体程の獣人達は、それぞれの得物を振りかざしながら、フォステリアへとにじり寄ってきた。
「………」
フォステリアはその獣人達を目で捉えながら、レイピアを構え、馬上で魔法の詠唱を始めた。
「勇ましき風の乙女エアリアル! 我が前に姿を現し、我が傍らに在れ!」
その呼び掛けに応じ、小型の竜巻と共に姿を現す、半透明な身体の麗しい姿の女騎士。
『御意、我が主。仰せのままに──』
召喚を終え、彼女の右上へと風の上位精霊風の女騎士を待機させたフォステリアが、馬上で手に持つ精霊の刺突剣、グロリアスを大きく構え直す。そして鋭い視線を前方の獣人達に向けた。
彼女の持つレイピアが、青白い光を放ち始める。
「確か、命を奪わず敵の無力化だったな? デュオ、そなたのその考えに、なるべく沿うようにはするつもりだ」
フォステリアの言葉の終わらぬ内に、獣人の一体が、彼女に飛び掛かってきた。
「風の刃、放て──!」
『──御意』
フォステリアの号令により、宙に浮く白銀の女騎士の振り下ろす右腕から、見えない音速の疾風の刃が放たれた。
それを受けた獣人の右腕が切断され、血を撒き散らしながら吹き飛んでいく。
その様子に、他の獣人達は一瞬たじろぐ。
フォステリアはレイピア、『グロリアス』を獣人達へと突き付ける。
「命までは奪わない。だが、その他の保証は一切しない。私は己が信ずる信念、それを邪魔する者に対して決して容赦はしない──私はデュオ、彼女程甘くはない! それなりの覚悟で掛かってくるのだな!」
◇◇◇
「……はあ、はあ……くっ……」
ユーリィと言う名の青年。彼は今、水の神殿で、一体の狼の姿をした獣人と戦っていた。
剣術の鍛練を日々こなし、それなりに剣の腕に自信はあったつもりだったが、相手となる獣人と剣を交える度に身体に受ける傷はその数を増やし、息は上がっていく。最早、力量の差は歴然であった。
それでも彼は戦わねばならなかった。
「セシルを守るんだ!」
ユーリィはそう大声で叫びながら、上へと跳び、自身の渾身となる一撃を、その獣人に対して振り下ろし、叩き込んだ。
しかし、それでさえも獣人の持つ剣で軽く受け止められ、逆に反撃となる蹴りを、腹に食らわされてしまう。
「──ぐっ、がああ!!」
その強力な力によって、後ろの柱に身体を打ち付けられる……それでも舞い上がる土埃の中、彼、ユーリィは、激痛に耐えながらも立ち上がろうと試みる。だが、力が入らず、片膝を地面に着き、剣を杖代わりにしてその身が倒れるのを何とか凌いだ。
─────
「ユーリィ! ユーリィ!──ユーリィィィ!!」
後方から、セシルの悲痛な叫び声が聞こえてくる。
ユーリィはその声に反応し、何とか振り返る。
こちらへと手を伸ばし、涙を流す彼女は、今にもユーリィの元へと駆け出そうとしている。だが、ひとりの神官戦士によって、肩と左腕を捕まれ、その行為を阻止されていた。
その直ぐ後ろで両腕を組み、無言で立っている水の大精霊の『守護する者』エリゴル。彼の隣には悲壮な面持ちで顔をうつ向かせている、セシルとユーリィの親代わりでもある司祭システィナの姿も確認できた。
「………」
苦痛と困惑で軽く思考を麻痺してしまっているユーリィは、その頭でぼんやりと考えていた──
(……何故だ。何故、こんな事になってしまったんだ……?)