55話 黒の魔導士アノニム
よろしくお願い致します。
俺はアノニムに対して、もう一度声を上げる。
「私の事を待っていたって言うのか? だったら、そいつらは関係ないだろ! とにかくふたりを離せ!」
『その前に、お前の名を問おう』
「私の名前は、デュオ・エタニティだ」
『聞き届けた、デュオ・エタニティ。その名、覚えておこう』
アノニムの言葉が終わるのと同時に、奴がふたりを縛り付ける力を解放したのか、浮いていたカレンとソニアの身体が、地面に落下する。
俺は咄嗟に駆け出し、左右の腕で、それぞれ彼女達を受け止めた。直ぐにアノニムと一旦、距離を取る為、カレンとソニアを抱え込んだまま後方へと跳んだ。
そしてふたりをそっと地面へと降ろす。二人共に力を使い果たしたのか、獣人化が解かれ、人の姿と戻っていた。
やがて、ふたりは目を開け、俺の姿を確認したようだった。
─────
「やっぱあんたか……きてくれたんだ」
「黒い剣士、すまない。私はお前達にあんな酷い事をしたというのに……」
カレンとソニア。ふたりは苦しそうに、そして悲しそうな声で、そう俺に話し掛けてきた。
「もういいさ。これがお前達が見つけて選んだ答えなんだろう? だったら、私のそれともう同じだ」
「……ありがと……」
「すまない……」
目に涙を滲ませ、そう呟くふたりに、俺は微笑みながら無言で頷き、そして立ち上がった。
『良かった、ふたり共、無事で……これで、クマさんもひと安心だね』
『ああ、そんじゃ、次は俺の目的の番だ』
ノエルにそう答えた俺は、再び魔剣を構え黒の魔導士アノニムと対峙する。
─────
「私もお前に凄く会いたかったんだ。色々と聞きたい事があるけど、まず、お前が『滅ぼす者』なのか?」
『………』
その問いに奴は無言で答えない。
「それじゃあ、質問を変えるよ。何故、直ぐに水の大精霊がいる聖都クラリティに向かわず、ここで、一体何をしてたんだ?」
その問い掛けにも答えないアノニムに対して、俺は少し激しい口調で質問を続けた。
「そもそも、なんでこんな回りくどいっていうか、時間を掛けてるんだ!? 『滅ぼす者』が『滅びの時』を起こして、世界を何もない無に返す。私が考え想像してたその行為は、もっとこう、抗う事ができない圧倒的な力が、一瞬にして全世界に広がってゆく──そんな驚異的なものだと考えていたんだけど!?」
アノニムの黒い仮面の目のような部分が、俺の事を見据えているように感じる。
「もし意図的にそうしてるのなら、何かそうする理由があるのか? 一体、お前は何を考えているんだ!!」
『………』
やがて、沈黙を通していたアノニムのその黒い仮面から、無機質な声が発せられる。
『私がこの場所に留まっている理由は三つある。その内ひとつは、私が遣わした『滅びの時』の尖兵、イニティウム。その存在を討ち滅ぼした強大な力を持つ者が、この地にくる気配を感じたからだ。それはすなわち、異質の力を持つ者、デュオ・エタニティ。お前の姿を一度、この目で見てみたかった。そしてふたつめ。それは今、この世界の現状を観察し、考察しているのだ──人間、全ての生ある者を含め、次に新たな世界を創造する時。その時に、何が必要で何が必要でないのかを──』
そのアノニムの答えを聞き、俺は思わず、嘲笑の笑みを洩らす。
「なんだよ、やっぱり、お前が『滅ぼす者』じゃないか」
『──さて、それはどうだろうな。取りあえず、私の三つめの目的。その為の仕上げをそろそろ始める事としよう』
そう言うとアノニムは、右手を広げて前方の地面である床に向けた。
『さあ、『滅びの時』二番手の尖兵、セクンドゥスよ。我の呼び掛けに応じ、その姿を現せ──』
アノニムが発する無機質な声に反応するかのように、奴が向けた床にバチッバチッと音を立てながら空間に黒い色となる歪みが生じる。
そしてその黒い歪みは次第に大きく広がっていった。周囲の空気が重く感じ、同時に、ミシッミシッと聞き覚えのある空気が軋む音。
これは、この音は、風の祭壇で戦ったあの黒い巨人、イニティウムの時と同じ──音だ!
そしてその黒い歪みに、黒い色の電撃のようなものが迸った!
押し潰されるような重く感じる空気の中、やがて、それは姿を現し始める。
大きく膨れ上がった黒い歪みから、まず、巨人な美しい顔の女の頭が、にゅっと飛び出してきた。そして次に自身の手なのだろう。その大きな両手で、歪みの入り口をこじ開けるようにして広げながら、身体を力任せににじり出てこようとしている。
やがて、黒い歪みから徐々に顕になっていくその姿。
長い白髪に灰色の肌の美しい女性の上半身。しかし、やはりその形状は異形だった。
それぞれ形状の異なる六本の腕を持ち、その下半身は蛇のような形状をしていた。そして何よりとにかく巨大だ。高さだけで十メートルは優に超えている。まるで竜のようだった。
やがて、全身を出現し終えた巨大な灰色の異形の怪物は、大きくとぐろを巻きながら、瞳のない真っ赤な目で俺の事を見下ろしていた。
─ミシッミシッ──また、空気が軋む。
「………」
そのあまりに異常なその姿と、流れる重い空気に、俺はしばらく呆然と動けずにいた。
すると、灰色の肌をした異形の怪物の一本の腕が、アノニムの元へと下ろされていく。その差し出された手のひらに奴は飛び乗り、その怪物の腕は宙へと上がっていった。
怪物の手のひらの上のアノニムが、俺を見下ろしながら言う。
『異質の力を持つ者、デュオ・エタニティ。聖都クラリティの水の神殿にて、再び会う事としよう──』
「!!」
その声を聞き、俺ははっと我に返る。
しまった! ここで奴を逃がす訳にはいかない!!
「待てっ、行かせない! お前はここで倒すっ!!」
俺は魔剣を振り上げながら、一気にアノニムに向けて大きく跳躍し、奴に斬り掛かろうとする!
そこへ怪物の腕の一本が、横殴りに向かってきた! その形状はまるで鎌のようだ!
「──ちっ、くそっ!」
俺は咄嗟にその腕の鎌の方に魔剣を振り下ろした! ガァィィン、という激しい金属音と共に、宙を跳んでいた俺の身体は、後ろへと弾き飛ばされた!
その勢いに耐えながらも、俺は空中で宙返りをして体勢を立て直し、床へと着地する。
それと同時に壁が破壊される轟音が轟いた!
「──何っ!?」
その音がした方向に目を向けると、壁が崩れ落ち、大きな大穴が空いている。そして既にアノニムと巨大な怪物の姿は消えていた。
─────
確か、ここは三階の筈、くそっ、もう奴は……。
俺は破壊された場所へと移動し、そこから外へと顔を覗かせた。
「な、何だと……!?」
『ア、アル!』
─────
城塞都市ヨルダム。その三階の高さと同じ高さの外の空間に、アノニムはいた──
奴は怪物の手のひらに立ち、呟くように言う。
『──例えば、この名高き城塞都市。本来ならば今回の戦の勝利者が、次の新たな主として大いに利用するのであろうが、消え行くこの世界には最早、意味のない必要なき物。そしてこの城塞都市の破壊と消滅こそが、私がこの場所に留まった最後の三つめの理由──さあ、今からこれを『無』に帰そうか』
……どうする? 俺、このまま奴らと戦うか? でも、それじゃ──
『アル、このままじゃ、カレンとソニアが! それにクマさんも!』
……くっ!
「ええい! くっそおぉぉーーっ!!」
俺は振り返ってカレンとソニアの元に駆け寄り、そして荷物を運ぶようにして彼女達、ふたりをそれぞれ右腕と左腕に抱え込みながら、ダンの元へと走って行くのだった。