49話 獣人と黒の魔導士
よろしくお願い致します。
ティーシーズ教国の北方、その山岳地帯の山間に、小規模の砦の姿が見受けられた。
中には並んだ複数の兵舍も確認できる。ただ、掲げる旗は全くなく、どの国に属している勢力なのかも不明だ。また砦内の様子も、まるで無人かのように静寂に包まれていた。
そんな砦の入り口、門の前に、三体の騎馬の姿が──
左右の馬上には漆黒の鎧で身を固めた兵士。そしてその中央の馬上に、頭全てを黒い鉄仮面で覆い隠し、黒衣を纏った魔導士のような人物の姿があった。
その前の元へと、馬蹄の音を立てながら、複数の騎馬が集まってくる。その数六体、彼らは馬から降り、魔導士の前へと歩み寄ってきた。どうやら、獣人達のようだ。
─────
「アノニム殿、私は今回の奪還作戦の任を任され、指揮を執ったバルドゥと申す。遺憾ながら、今回の作戦は失敗に終わった」
先頭に立つ隻眼の白髪の男が、そう声を放った。その声に黒い姿の魔導士が答える。
『承知した』
複数の声が交じった無機質を感じさせる声が、その黒い仮面から発せられた。
「……いつ聞いても、気味の悪い声」
「しーっ、静かにしろ、聞こえてしまうぞ、カレン……」
そう小さな声で囁き合うソニアとカレンの姿も、その中にあった。そしてその最後方で、面白くなさそうにしかめっ面をしているダンの姿も確認できる。
「して、次に我らが成すべき行動を、我らが王より、何か伺っておいでか?」
バルドゥが魔導士に問い掛ける。
『今からそなた達の王に、その考えを尋ねるとしよう。その時にまた呼び出す。それまでこの砦内にて身体を休めるといい』
そう言って魔導士が手を上げると、音を立てて砦の門が開いた。やがて、砦内へと消えていく黒い魔導士。
残された獣人達、六人は黒い兵士によって、ひとつの天幕へと案内された。その案内した兵士の姿が天幕からいなくなるのと同時に、ダンがドカッと音を立てながら、その場に座り込む。
「はあ~、今回は全く貧乏くじだったぜぇ~」
そう言いながら、自身の左腕をさすっている。傷口は見当たらないが、どうやら何らかの傷を負っているようだ。
その様子を目にしたバルドゥが、口を開く。
「ダンとカレン、ソニアは思わぬ誤算だったな。まさか、そんな強者が現れるとは……な」
「ホント、その通りだよ~、バルドゥのおじさん。まっ、色々あって、私もソニアちゃんも無事で済んだんだけどね」
それに無言で、相槌を打つソニア。
「………」
──────────
ティーシーズ教国から、援軍の要請交渉の使者として、ノースデイ王国に水の巫女が向かう。
その情報を知り得た我が王が、水の巫女の奪取を私に御命じになられた。何故ならば、その水の巫女こそが、我が一族の親愛なる姫君。その生まれ変わりとなる転生者だからだ。
そしてその時、私は巫女を守る護衛の戦士を迎撃する者と、水の巫女を追い、奪取する者、それぞれ二手に分かれさせた。
迎撃する者は、私と古き時から、幾度もの戦場を共にした私の部下であり、戦友でもあるガスパーとファビオの二名。
一方、巫女の奪取に向かわせたのは、最近となって我らと合流を果たした、生き延びた獣人の一族、その若い戦士、ダン、カレンとソニアの三人だ。だが、彼の者達は、残された獣人族の中でも最も優れた身体能力の持ち主と聞き及んでいる。また、実際に私は自らの目で、彼らの持つ力を確認した。彼らならば充分に任せられる事ができるだろう。そう考えての判断だった。
やがて、我ら三人に向かってくる、敵であるティーシーズ教国の神官戦士達。その数、およそ30人。
引き連れてきた、精神操作を施した魔獣の全てを、ダン達、三人の方へと戦力として付けさせた我ら三人は、迅速に事を終らせる為、最初から獣人化し、一方的に、敵となる神官戦士達を蹂躙、殲滅した。
ちなみに捕捉ではあるが、私とファビオが、獣人としては希少な虎の姿を持つ大柄な獣人。そしてガスパーはしなやかな身体を持つ黒豹の獣人だ。
そして事を終えた、私達三人は、目的である水の巫女が乗る馬車へと向かい、馬を走らせる。
やがて、広がる草原の中、視界の中に目的となる馬車の姿を、遠くに捉える事ができた。だが、それと同時に我々は、信じられない光景を目の当たりにした。
──辺りに散らばる魔獣のバラバラになった肉片や死骸の数々。
「ガスパー! ファビオ! 一旦、身を隠せ!!」
そう声を上げながら、私自身も近くの大きな岩陰に、馬ごとその身を潜める。続いてガスパーら、ふたりもこの場へとやってきた。そして同様に岩陰に隠れる。
その状態となってようやく私は、岩陰から顔を覗かせ、辺りの様子を確認した。我々獣人は人のそれより何倍もの優れた視力を持つ。
遠く離れた馬車の方に目を凝らすと、白い獣人と化したソニアが、ひとりの黒いマントを着けた剣士と対峙している様子が伺えた。
その遠く離れた後方で、倒れている人影は……あれは、カレンなのだろうか?
もう一方、あの姿は獣人化したダンが、もうひとりの金色の髪をした剣士に敗れ、左腕を抱えながら馬を走らせ、敗走している。
私はもう一度、ソニアの方へと目をやった。
黒い歪な形状の剣を持つ小柄な剣士は、獣人化したソニアの放つ目にも止まらぬ連続攻撃を、いとも容易くかわし続けている。そしてその剣士自身は、一度たりともその手に持つ漆黒の剣を、ソニアに対して振るう事はなかったのだ。
まさに信じられない光景だった。如何に実戦は初めてのカレンといえど、残された獣人の一族の中では白狼と呼ばれ、その名を一族の中で轟かせた猛者でもある。そんな強い力を持つ強者、ソニアが、まるで赤子のようにあしらわれていた。
─────
「馬鹿な、信じられん。あ奴は一体、何者……いや、一体、何なんだ!?」
「どうすんだ! おやっさん、あのままじゃ、ソニアが殺られちまうっ!!」
ガスパーが私に訴えかけてくる。
「待てっ、ガスパー、落ち着け、仮に我らがあそこに行って、例え、三人掛かりであの剣士に掛かった所で、おそらくは無駄に犬死にするだけだ!」
私はあの黒い剣を持つ剣士を、凝視したまま言葉を続ける。
「それに……あ奴はソニアを殺したりはしないだろうよ」
そう、殺すつもりならば、とっくに殺している筈なのだ。
やがて、その言葉通りに獣人化を解き、人の姿となったソニアが、馬に跨がりその場を離れ、倒れているカレンの元へと向かっているようだった。
─────
「取りあえずは、これで一安心ですな。それで、これからどうするおつもりで?」
今度はファビオが、そう問い掛けてくる。
「うむ……口惜しいが、今回は姫様奪還は見送る。我々は後少し、この場で待機し、奴らの姿が消えてから他の三人と合流する事としよう」
そして合流を果たした我々六名は、我らが王に、結果の報告と今後の指示を仰ぐ為、その連絡となる手段を唯一持つ者。黒の魔導士、アノニム。その者が滞在しているミッドガ・ダル戦国の陣営を訪れたのだった。
──────────
「……それにしてもよ、あのアノニムって野郎、どうも胡散臭え。いつも真っ黒な仮面被ってて、顔も分かんねぇしよ。それになんつたってあの声、何か色んな声が交じってて、男か女かも分かりゃしねぇ─ったく気色の悪い」
床にあぐらをかいたダンが、何気なく天井を見上げながら、そう悪態をついた。
「あはははっ、ダンなんかにそんなに言われるようじゃ、さすがの黒の魔導士も可哀想になってくるねーっ」
カレンが笑いながら、ダンの事をからかう。
「何だとっ! このくそアマ! てめぇなんぞ、いつもふざけてキャンキャン吠えてるだけの能天気オオカミ女だろうがっ!!」
ダンが立ち上がり、カレンに食って掛かる。
「な、何よ! あんただって、ただ女の尻を追っかけ回すしか能のないスケベ脳筋クマ野郎でしょーがっ!!」
そう答えながら、カレンも拳を振り上げる。
その様子を見ていた大男のファビオが、細目である自分の目を一段と細めながら、ふたりの事を止めるように声を掛けた。
「ふたり共、いい加減それくらいで痴話喧嘩はやめておけ。見ているこっちまで恥ずかしくなってくる」
そのファビオが口に出した言葉に、ふたりが大声を上げた。
「なんで、そうなるんじゃあーーっ!!」
と、カレンが。
「ファビオのおっさん! あんた耳がイカれてんのかっ!?」
と、ダンがそれぞれ抗議の声を上げている。
今度はその様子を見て、ソニアが手を顔に当てながら、呆れたように声を漏らした。
「はあ~、ったく、いつもいつも……もういっその事、ふたり共、その首に首輪でも付けて、鎖で繋いでおこうか?……となると、私がふたりの事を見なくてはいけなくなる……首輪を鎖で繋がれたふたり。狼と熊を散歩に連れて行く私……うむ。却下だ!」
そんな騒がしい部下。兼、仲間である皆の姿を眺めながら、バルドゥは再び、思いを巡らす。
(……確かにあのアノニムという者は危険だ、油断がならぬ。絶対に信用すべきではない……王はどうお考えになっておられるのか……)
──────────
──その時は突然やってきた。
数百年前、忌々しき人間によって、我らが一族に施された封印から放たれるその時が!
目映い下界の光に思わず目を閉じる。それと同時に頭の中に甦ってくる当時の忌まわしき記憶。
そして封印を解かれて、初めて視界に入ったもの……それが黒の魔導士、アノニムだった。
黒の魔導士は、下界に再び舞い戻った我々、獣人の一族に向けて、その黒い鉄仮面から無機質な声を発してきた。
─────
『私は名もなき、黒の者。私がお前達の封印を解いた。そしてお前達が王と仰いでいる王となる者も、その姫君も、既に転生という象を成して、この世界に復活を遂げている。さあ、その身に受けた屈辱と無念の思いを、大いなる復讐という名の力に変え、その力を以て存分に振るい、全てを滅ぼすがいい。もうその時は既に始まっている』
黒の魔導士が発するその言葉と共に、私自身の身体に、負という名の感情が注ぎ込まれていく。抗う事さえできぬ、禍々しい力の元となる感情。
……そうだ。我らを破滅に追いやった憎き人間共を、殲滅せねば……全ては敬愛なる、我らが王と姫君の為に……奴らに復讐という名の死の洗礼を!
──憎悪の念が私の身体を支配する。
黒の魔導士、その黒い鉄仮面の目の辺りと思われる部分が赤く、そして怪しく発光する。それにより、さらに注ぎ込まれる負の感情。
『それで良い。全ての人間を滅ぼし、さらに生ある全ての者、そして己が身さえも──全て消し去り無に帰せ!』
そしてこれは幻覚なのか……黒の魔導士。その仮面の口元が大きく裂け、まるで歪に笑っているかのように見えた──
─────
『──何も存在する事のない無の世界へ──』