46話 それぞれの思い
よろしくお願い致します。
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カレンの所へと走り去るソニアの姿を横目で見ながら、フォリーが俺の所へと近付いて来た。
「デュオ、追わなくていいのか? 遠目で見ていたが、奴は人狼のように見えたのだが……」
「うん、別にいい。わざと逃がしたから」
「……?」
俺の言葉に、少しキョトンとするフォリー。
「それよりも無事で良かった。フォリー、あのダンって奴は?」
そう聞くと、彼女は少し笑みを浮かべながら話し始めた。
「ああ、それなんだがな、ははっ、凄かったぞ! 只者ではないと感じてはいたが、まさか熊に変化するとは思わなかった」
へっ? 熊? 獣人といっても、よりによって熊の獣人とは。
『あはははっ、熊の獣人って、二足歩行の熊。うん、全くもって普通の熊だね。全然違和感がない。もしかしたら、案外可愛いかったのかも……ぷっ、くすっ、あは、あはははっ!』
ノエルさん。ツボに入ったのか知らんけど。あんた、ちょっと笑い過ぎです。
「で、その後は?」
「うん? ああ、さすがにその怪力に少々手こずったが、最終的に腕の一本へし折ってやったら、キャンキャン悲鳴を上げて逃げ出して行ったよ」
そう平然と言いながら、ニコッと笑みを浮かべるフォリー。その美しい笑顔はとても素敵だけど。
……な、何気に惨い。そしてフォリーさん。貴女も容赦が半端ないです……ノエルのトマト好きといい、俺の周りの女性陣は皆、怖い。
『ぷっ、あははははっ! 熊なのにキャンキャンだって、く、熊なのに……くくっ、あはははっ、あ~あ、可笑しい!』
さっきからずっとツボに入りっぱなしのノエルさん……いや、だから、あんたは笑い過ぎだってば─って、まあ、いいか。
「まあ、とにかく、お互い無事で良かった」
「ああ、全くその通りだ」
俺とフォリーはお互いの無事を喜び合う。そんな時、対面となったフォリーの後方に、少女を抱き抱えた若者の姿が視界に入った。
げげっ、やばっ! すっかり忘れてた!
プラチナブロンドの髮をしたその若者が、少し困惑した様子で俺達に話し掛けてきた。
「すみません。僕達を助けてくれた……で、いいんですよね?」
その声を聞いた俺達は、馬からそれぞれ降りる。そしてなるべく不安を与えないように、やさしい口調で答えた。
「ごめん、君達の事、おざなりにしちゃって。私はデュオ・エタニティ、そして彼女が仲間のフォステリア。私達ふたりはアストレイア王国から、水の大精霊がいる神殿に向かっている途中なんだ」
俺のその言葉に合わせて、隣にいるフォリーも、彼に向かって軽く会釈をする。
「それでちょうど、君達が襲われているのを目撃したって訳なんだけど……だけど、ごめん。力及ばず、ふたりの人達を助けてやる事ができなくて……」
すると、若者に抱き抱えられている少女が口を開いた。
「そんな事ありません。私達の事を助けて下さり、本当にありがとうございました。それと、どうかそんなに御自分をお責めにならないで下さい……あの勇敢な神官戦士のおふたりには、私もとても申し訳なく思っています……」
そう、力なく話す少女。
透き通るような水色の長い髪を、左右両耳の上辺りから編み込み、それを下へと流している。清楚で可憐、そして何処か儚げな、そんな雰囲気の美しい少女。身体には白い法衣のような服を纏っていた。そしてその表情は青ざめて、少し辛そうにしている。俺はそう感じた。
一方、彼女を大事そうに抱き抱えている戦士風の若者の方は、白みがかった金髪を短く切り揃えていた。鼻筋の通った端正な顔立ちをしている。そして誠実で真面目そうな人柄を感じさせた。身体にはまだ真新しい白い色の鎧を身に付けている。年齢は若く、十代後半といったところだろうか。
今度はその若者の方が、話し掛けてくる。
「デュオさん。フォステリアさん。お二方には感謝しています。僕達を救って頂き、本当にありがとうございました。僕はユーリィ・コスタンツァって言います。彼女の方はセシル・フォルトゥナータ」
その自己紹介の言葉を受け、セシルと呼ばれた少女が、ユーリィと名乗った若者の腕の中で笑顔を作る。やはりその笑顔もどこか辛そうに感じた。それを察するようにユーリィが俺達に問い掛けてくる。
「あの、申し訳ありませんが、お二方は治癒魔法の方はご使用できますか?」
そう言うと、彼はチラリと自身の腕の中にあるセシルの方へと一度、目をやる。
「先程の魔獣の襲撃で、セシルが脚に怪我を負ってしまったんです。辛そうなので早く治療してあげたいのですが……」
ああ、それで彼女はあんなに辛そうな感じだったのか。治療魔法は以前、神官のアンデットから吸収済みで、おそらくは使えるとは思うけど。俺の、デュオのこの身体は、傷を負っても魔剣の力によって即座に修復、再生される。いわばほぼ不死身といって差し支えのない身体。なので、今まで俺はその治癒魔法なるものを未だに使用した事がなかった……でも、まあ、何とかなるだろ……。
「私が怪我の状態を見よう。悪いが、少し彼女を下へと降ろしてくれ」
俺が言うより早くフォリーが口を開いた。その声に応じて、ユーリィがセシルをそっと地面へと降ろす。
「あ……うっ!」
セシルが小さく呻き声を上げる。
「セシル、大丈夫か!」
「う、うん。大丈夫……ごめんなさい……」
ユーリィの上げる大きな声に、力なく頷く彼女。
フォリーは早速、その傷の状態を確認する。
「……思っていたより、かなり酷いな。骨まではいってないようだが……良く我慢したものだ。酷く痛むだろう? よし、直ぐに治癒を施す。もうしばらくの間我慢してくれ」
「……はい……ありがとう……ございます」
「これは私が施す治癒魔法と同時に、精霊の恩恵も借り受けた方が良さそうだな。では──水の精霊オンディーヌよ! 我が呼び掛けに応え、その癒しの力を以て彼の者の傷を癒したまえ!」
そして現れる、青く輝く半透明な乙女の姿をした小さな精霊。
『承知致しました。主様、どうぞお任せを──』
青い光を放ちながら水の精霊による治癒が施され始める。それと同じくフォリーは、自らも治癒魔法を同時に発動し、治癒行動に集中し始める。
その様子をしばらくの間見ていたユーリィが、不意に声を上げた。
「ありがとうございます。セシルの事、よろしくお願い致します」
フォリーにそう声を掛け、彼は立ち上がる。
「すみませんが、僕は自分達の事を守ってくれた、ニコライさんとゴルドーさんの所に行ってきます……」
フォリーはそれを見送りながら答える。
「……ああ、彼女の事は任せておいてくれ」
倒れている戦士の内、まずはそのひとりの元へと向かうユーリィ。その彼の所へと俺は近付いて行った。
ユーリィは倒れている戦士の所で屈み込み、その亡骸を抱えようとしている。
「私も手伝うよ」
そうユーリィに、後ろから声を掛けた。
「はい、デュオさん。それではお願い致します。では、このまま馬車の所まで……」
やがて、俺達はふたりの戦士の亡骸を、傾いた馬車の上に並んで仰向けに寝かせる。
ユーリィが無言でふたりの両手を胸元で組ませ、そしてやさしく目元に触れ、その瞼を閉じさせた……最後に彼はふたりの組んだ両手に、そっと自分の手を添える。
「……すみません、ごめんなさい。ニコライさん、ゴルドーさん……後で必ず、迎えに……」
ふたりの事を見つめながら、呻くように、そう呟いた。
「身近な人を失うのは、悲しい事だ……」
屈んでいるユーリィに、俺はそう声を掛けた。
「……はい。悲しく、そしてとても辛いです……ニコライさんには、奥さんとまだ幼いふたりの子供がいます。休日には街の市場に、家族四人で出掛けているのを僕はよく見掛けました。とても仲の良い家族……僕にはそう思えました……」
「ユーリィ……」
「ゴルドーさんには少しお歳の召した母上がいらして、確か、大病を患っていて……街の医療所に母上を背負って足繁く通うゴルドーさんの姿を、僕はよく見掛けました……」
そう話すユーリィの目から大粒の涙が溢れ出し、そして頬を伝って下へと落ちていく。
「ニコライさんもゴルドーさんも、きっと心残りだったと思います。さぞかし無念だったと! どれだけ生きて、家族の元に帰りたかった事かと! デュオさん。僕はどう言えばいいのでしょうか? 街でふたりの帰りを待ち詫びている家族に、知人の人達に、どう声を掛けたら良いのでしょうか!?……もう、胸が張り裂けそうで、何も言葉が思い浮かばない……」
『……ユーリィ』
ノエルの悲しそうな声が、頭に小さく響く。
………。
ガックリと馬車の床に膝を落とし、慟哭するユーリィの姿を見て、俺は考える。
家族との再会を果たせず、無念の死を遂げたふたりの戦士。その帰りを待つ残された家族達や知人達。そしてその事が叶わなかった事を、大いに嘆くユーリィと言う名の若者。
あの白い狼の獣人、ソニアもカレンの事を死んだと思い込み、その心を復讐と怒り、『負の感情』でどす黒く色を染めていた。そして言った。人間の事を邪悪な存在だと……その報いを受けるべきだと……。
ユーリィはまだ、ふたりの元でうずくまっている。
……悲しみが怒りに変わり、復讐が報復を呼ぶ……この忌まわしい負の感情の連鎖を作り出しているのは、狂った争いの場なのか、それとも、その負という感情を持つ人間自身の所業なのか……。
黒の精霊は『滅ぼす者』を創り出して『滅びの時』を起こし、世界を消滅させ、新たな世界を創造し直すという。
もしも、創り直される新しい世界に、負の感情の連鎖がない可能性があるとするのなら……今、俺がしようとしている目的の為の行動は、果たして間違いがないと言えるのだろうか?
─────
『……アル、今、何を考えてるの?』
『ん? ノエル、お前はどうなんだ?』
『……そうだね』
………。
『多分、あなたと同じ事』
『……そっか。なあ、ノエル』
『うん、なあに?』
『俺、何だか分からなくなってきた……何が良くて、何が悪いのかが……』
『うん、そうだね。確かにその答えはとっても難しいと思う……でもね、私にはひとつだけ、はっきりと分かっている事がある』
『え、それは?』
『それは……』
ノエルのはじけるような眩しい笑顔が、俺の頭の中に思い浮かんだ。その彼女が、俺に向かって口を開く。
『それは……そんな事で悩むのが、アルらしくないって事! やっぱり、アルは真っ直ぐに突き進んで行かなきゃ! ね、そうでしょ?』
『……そうか、やっぱそうだよな。とにかく、今は前へと進もう。何だか元気出た。いつもありがとな、ノエル』
『ううん、私の方こそ、いつも一緒にいてくれてありがとう。それに……ふふっ、私もたまには役に立っとかないとね……それよりもアル、今は……』
『ああ、そうだな』
俺はうずくまっているユーリィの肩に、そっと、そしてやさしく手を添えるのだった。
◇◇◇
「カレン! 無事かっ、返事をしてくれ!!」
地面に倒れているカレンの元へと馬から降り、駆け出すソニア。
以前、高くひとつに束ねていた長い赤毛の髪は、獣人化によってほどけ、その赤髪は腰の辺りにまで達していた。
その髪を振り乱しながら、必死になってカレンの元まで走り寄る。
「カレン!!」
その元まで辿り着いたソニアは、仰向けになったカレンの胸に屈み込んで、自身の耳を押し当てる。
トクントクンと耳に届いてくる命の鼓動……それを確認した途端、彼女は涙を浮かべながら、カレンの頭を自身の胸の中へと抱き締めた。
「……カレン」
それに気付いたカレンが、やがて、ゆっくりとその目を開く。
「……ソニア、ちゃん?……えへへ、あいつの言った通りだ。私の事を迎えに来てくれたんだね……」
「ああ、良く生きていてくれた……」
「……任務、失敗しちゃったね」
ソニアはカレンを抱き締める力を、ギュッと強める。
「私は何かに捕らわれていたようだったが……今はもうそんな事、どうだっていい。カレンさえ生きていてくれれば、そんな事どうだって……」
すると、カレンはソニアの腕の中からそっと抜け出し、そして彼女の頭をやさしく撫でる。
「私だってソニアちゃんが生きていてくれて嬉しいよ─って、ううん、違うな……」
「カレン?」
カレンはソニアに対して、ニッコリと笑顔を向けた。
「私とソニアちゃんがちゃんと生きて、こうやって、また一緒にいられてる事が嬉しい!」
ソニアは涙を滲ませながら、笑顔を返す。
「カレン……」
しばらくふたりは互いの無事を喜び合い、慈しむようにしてお互いを抱き締め合った。そして
「カレン、私はもう、分からなくなってしまった……」
抱き締め合ったまま、そう問い掛けてくるソニアに対し、カレンは少しおどけた口調で答える。
「ん? 何がかな~? 迷える我が妹ソニアよ。何か悩み事があるのなら、この偉大なる姉、カレンさんに何でも尋ねるが良いぞ」
そのふざけた口調に、少しの苦笑いを浮かべるソニア。
「カレン、私は、私達は生まれてきてから、ずっと部族の教えに従ってきた。人間という存在は、その昔、我々獣人の一族を裏切り、滅亡にまで追いやった邪悪な者だと、そして私達が討ち果たすべき憎い敵となる者だと……それが生まれてきてからの、私の存在意義と目的となるもの……そして私にとってそれが全てだった」
「………」
「だが、あの黒い剣士、彼女はこの私の考えを、自分の都合のいい了見だと言った……そして私の攻撃をかわすだけで一切、手を出す事はなかった。殺そうと思えばおそらく簡単に殺せた筈なのに……人間は邪悪なる者。あの黒い剣士もおそらくは人間だ。奴も私達の敵となる向こう側の存在の者。なのに……あの黒い剣士と出会って、あいつが私達の倒すべき敵なのか、私にはもう分からなくなってしまったんだ……」
その言葉を耳にしたカレンは、ゆっくりとソニアと身体を離す。そして彼女の両肩へと自身の手を乗せた。
「よし、では迷える我が妹に私がひとつだけ助言を与えよう─って、偉そうに言っちゃってるけど、私も、もう何がなんだか、分かんなくなってしまってんだよね……それでも、ひとつだけ確かなのは、黒い剣士。彼女はあいつの事を私達は殺そうとしたのにも関わらず、私達の事を見逃してくれた。そしてそのおかげで私はこうやって、ソニアちゃんともう一度生きて会う事ができた……だから、少なく共、あいつは私達が倒すべき敵なんかじゃないと思う」
「カレン?」
「それに、幼い頃から刷り込まれるように教わってきた一族の教えの事も、私達にとって、それが全てでなんかじゃないんだって思えてきたんだ……だから、もうそれに縛られる事なく、これから私達ふたりは自分で考えて、自身の意思で進んで行こう。多分、そこから何かが見出だせるんじゃないかな?」
カレンはそう言って、ソニアの両肩に乗せた手に力を込める。
そんな彼女に、ソニアも笑顔で答えた。
「ふふっ、さすがは我が偉大なる姉君だ。少し自分が成すべき事が分かったような気がする……」
「そっか」
その答えを受け、カレンは自らの手のひらに拳を打ち据えた。
「──ならば、良しっ!」