42話 水の巫女
よろしくお願い致します。
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ドガラ、ドガラと複数の馬蹄の音が響き渡り、砂塵が舞い上がる。
広い大草原の中、先を急ぐように疾走する数十体の騎馬の姿があった。その疾走する複数の騎馬に守られるように囲まれながら、中央を走る馬車の姿も確認できる。
そしてそれらは、何かから逃げるように、ただ疾走し続けていた。
そんな中、一体の騎馬が、後方から先頭を走る隊長と思われる風貌の男の元へと駆け寄る。
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「報告します! 獣人とおぼしき者の姿が六体、多数の魔獣を率いて、我らが後方へと迫って来ております!」
「……承知した」
隊長風の男がそれに答える。
すると、次にその直ぐ左後方を走っていた神官戦士が、馬上から彼に向かい声を上げた。
「クライド様、追手に獣人の姿があるのであれば、おそらく、このまま逃げ切る事は敵いますまい。であれば、我々は直ぐに引き返し、奴らを向かい討つべきかと思われますが?」
クライドと呼ばれた男は、振り向き答える。
「確かにお前の言う通りだ。こうなれば、せめて我らが女神の象徴たる水の巫女、その御方だけでも無事に神殿へと送り届けねばならん」
そう言うとクライドは腰の剣を引き抜き、後方を剣で差しながら、大声で号令の声を上げた。
「我が勇敢なる水の女神の神官戦士達よ! 今こそ、その力を示す時、我らが後方に迫る邪悪なる者共を討ち払い、その身に代えてでも、必ずや水の巫女を守り抜くのだ! 我らに慈愛と祝福の女神、アクアヴィテのご加護が共に在らん事を!」
──“応!!”──
号令を受けた神官戦士達が次々と踵を返し、後方の敵へと向かって馬を駆る。クライドはその姿を目にやりながら馬車の方へと近付いて行った。
そして中にいる人物へと話し掛ける。
「水の巫女、セシル殿」
「はい、神官戦士長様」
馬車の中から聞こえてくる、若く凛とした女性の声。
「追ってくる敵に獣人らしき姿を確認しました。故に我らはそれに対し、全力を以て対処する所存です。三名の護衛を付けます。内、ひとりは貴女が最も信頼されている人物です。その者達と共に、この場より速やかにお逃げ下さい。ご無事である事を心よりお祈り致しております」
「……ありがとうございます。クライド様。貴方もどうかご無事で……女神アクアヴィテのご加護が貴方と共に在りますよう……」
水の巫女、セシルと呼ばれた女性の祈るような声が、馬車の中から響いてきた。
「……それでは」
クライドはそう呟きの声を漏らして、馬車の傍らで並走している馬上の青年に声を掛ける。
「ではユーリィ、セシル殿の事、よろしく頼んだぞ。お前の大切な人なんだろう? 何があっても必ず守り抜いてみせてくれ」
クライドのその声に、まだ真新しい神官戦士の鎧を身に付けたプラチナブロンドの髪を持つ青年が答えた。
「はい、承知致しております。セシルは絶対に僕が守ります。昔に約束して自分の心にそう誓いを立てているで……クライド様もどうかお気を付け下さい」
彼の返事にクライドは得心したかのように無言で頷く。そして馬車の隣を並走する他二名の神官戦士にも声を掛けた。
「ニコライとゴルドー。この若いふたりの事、守ってやってくれ。また再び、聖都クラリティにて再会しよう」
ニコライとゴルドーと呼ばれたふたりの神官戦士が、畏まって返事を返す。
「はっ、承知致しました!」
「クライド様も、どうか御武運を!」
クライドはその声に対しても無言で頷き、再度馬車の方へと目をやるとそのまま馬の踵を返し、後方の敵影目指して馬を繰り出す。
そして神官戦士長クライド、彼の姿も見えなくなった。
それを見届けた神官戦士のひとり、ニコライが、ユーリィと言う名の青年に馬上から声を掛ける。
「では、ユーリィ。我らもこのまま、聖都クラリティへ急ぐとするぞ」
「はい、よろしくお願いします」
そして聖都目指し、速度を速める馬車と三体の騎馬。
そんな中、ユーリィが馬車の窓の近くに馬を寄せた。すると、それを待っていたかのように水色の長い髪を持つ可憐な少女が、窓から美しい顔を覗かせる。
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「セシル、平気か?」
「うん、ユーリィ、私は大丈夫。あなたの方こそ、絶対に無茶はしないでね。無事で……きっと約束よ……」
ユーリィは不安そうな表情を浮かべ、見つめてくる彼女に対し、微笑みながら答えた。
「うん、約束だ。必ず無事で水の神殿に……いや、僕達ふたりの家に帰ろう──」
◇◇◇
「即ち、そうだな。水の大精霊を慈愛と祝福の女神として崇めている。我々、エルフの一族が我が主、風の大精霊の存在を悠久の時の始祖シルフィーヌとして崇めるのと同じように。そしてその信者達が集い、今のティーシーズ王家を支えている、いわば信者達の宗教国家。それがティーシーズ教国なんだ」
「へぇ~、じゃあ、信心深い人達が集まった国なんだ。でも、とんだ災難だな、そんな国が戦争に巻き込まれるなんて」
「……まあ、戦争というものは、相手方の事情など介せぬ残酷なものだからな。それに彼のティーシーズ教国の生い立ちには、遺恨を残す何かのいわくがあるそうなのだ。私も詳しくは知らないのだが……」
「……何か色々と複雑そうだな」
ハイエルフのフォリーが、馬上でそう説明する。
その声を聞きながら、彼女の横を並走する俺、デュオの姿があった。
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今現在、俺達はアストレイア王国から国境を越えて、ティーシーズ教国へと入り、水の神殿があるという聖都に向かい馬を走らせている。
エルフの集落から出立してから、今日でちょうど二日目。幸い、まだ大きなトラブルに見舞われる事もなく、取りあえずは順調といったところかな。
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「ところでフォリー、聖都って、到着するのに後、どれくらい?」
「……そうだな、このまま何もなければ後、二日といったところか」
そのフォリーが放つ言葉を耳にした瞬間。俺の、デュオの表情がどんよりと曇る。
げげっ、あの不気味な鼓動を感じてから、意気込んで突っ走って来たものの、まだまだ結構掛かるんだな。ちょっと気が滅入ってきた─っていうか正直飽きた。
食事だって、初日に食べたミナの弁当以来、質素な携帯食ばっかだし。ああ、ミナの弁当、ホントに美味かったなぁ~。
……はあ、どっかでゆっくりしたい。
『あうう~、私、ちょっと疲れちゃった。どっか街の宿でゆっくりしたいなぁ……』
ノエルのぼやく声が頭の中に響いてくる。どうやら、彼女も俺と同意見のようだ。
─っていうか、ノエル。お前が疲れる訳ないでしょっ!?
そんな俺の様子を見て、フォリーが苦笑いを浮かべながら話し掛けてくる。
「ふふっ、やれやれ、仕方がないな。まあ、速度を早めた事で予定より大分距離を縮めている。それに馬にも少し無理をさせてしまっているしな。なので、今日は何処か、付近の街で宿でもとる事としようか」
その思いがけない提示の言葉に、俺は満面の笑みで答える。
「──やった! さすがはフォリー、私達のやさしいお母ちゃん! 将来大出世してメチャクチャ親孝行するから!」
『ほんとフォリーさん、私も愛してまーすっ! くふふ、ご飯ご飯っ~♪』
「……誰がお母ちゃんだ!!……ふふっ、でも、まあデュオ、そなたはやはり面白いな」
フォリーが軽く微笑みを浮かべる。
「そしてとても不思議だ……」
……??
すると、彼女は急に神妙な面持ちで、馬上から問い掛けてきた。
「デュオ、気に触ったのならば謝る。言いたくないのならば、別に答えなくてもいい。前からずっと気になっていたのだが……」
「えっ、フォリー、急に何?」
「……そなたに、別のそなた以外の思念のようなものを感じるのだが、何か事情があるのか? もしもそれで悩む事でもあるのならば、私は何か力になれれば良いと、そう考えているのだが……」
俺はその言葉に驚き、ただ、彼女を見つめた。
さすがは風の大精霊を『守護する者』……その洞察力はただ者じゃないってか。
『アル、どうするの? もうフォリーさんには私達の事、残さず全部話しちゃう?』
ノエルが俺に問い掛けてくる。
………。
『いや、俺は……俺という存在は、未だ確立されてない。今の俺はデュオ・エタニティだ。だから……』
───
「ありがとう、フォリー。でもそれは多分、この魔剣から感じる意識のようなものだと思う。この剣は私と契約してそれなりに長い付き合いなんだ。それにその強力な力でいつも助けて貰ってばかりだ。とても大切に感じてる。だから、そんな風に感じるんじゃないなかな?……大丈夫。何も心配する事なんてないから」
そんな俺の言葉に、フォリーはじっと俺の目を見返してくる。そして──
「そうか。いや、私も今まで長く生きてきた経験上、そなたに感じた類いの者達を、過去に見知った事があったから。失った我が子や親、兄弟、家族。または恋人など。自らの大切な存在を失ってでも尚、自身の想いを思念として引き継ぐ者達の事を……」
「………」
「デュオ、そなたにとって、その漆黒の剣の存在が、如何に大きなものなのかが良く分かる。今までに見たどの者よりも、その思念が大きく輝いているように感じるのだ。そうか、大切に思っているのだな。まるでひとつの身体にふたつの心が存在しているようだ……」
『フォリーさん……』
俺は呟くノエルの声を耳にしながら、フォリーに対して静かに微笑みながら頷いた。
………。
やっぱりフォリーは凄い。いつかは正直に話すべきなのかも知れないな。
そして、走る馬の鞍上で何気に空の風景に目をやりながら、ひとり、思いを巡らす。
───
俺の今のこの身体、デュオの身体はノエルから借りているだけに過ぎない。彼女の精神はこの身体の中に存在しているので、身体を返す事はおそらく可能だろう。
俺はこの世界での自身の『目的』。それを達成する事ができれば、それからはノエルが探し続け、そしてその帰りをずっと待っている、『アル』と言う名の人物を探し出そうと考えている。
──彼が、まだ生きて帰ってくる。そう、彼女が信じている限りは……。
そしてもしも、その人物を見付け出す事ができたのなら、俺はその時にノエルに借りていたこの身体を、返そうと考えていた。
そう、多分、それが彼女にとって、一番幸せになる事だと思えるから。
ただ──
『まあ、その時、俺はメチャクチャに寂しく感じるんだろうな……』
思わず心の中で、言葉として呟いてしまっていた……。
『ん? どうかした。アル?』
………。
『いいや、何でもないよ。ちょっとした独り言』
───
バカだな俺って。こんな事、今、考えたってしょうがないのに。
『……私は寂しくなんてないよ、アルが……ううん……』
『ノエル……?』
『『あなた』が、一緒にいてくれてるから。だから、これからもよろしくね。私の魔剣さん!』
……ノエル。
───
『ああ、こちらこそ、改めてよろしくなっ!』
俺は平手に拳を打ち付け、ノエルの元気な念話の声に負けないくらい、元気な声で頭の中でそう答えた。
もしも、その時が来て、それでも彼女がそれを望んでくれるのなら、このままずっとデュオ・エタニティという存在のままでいるのも、それはそれで良いのかも知れないな。
──そう考えてしまう俺がいた。
そんな時。
「うん? あれは……」
俺の隣で馬を走らせていたフォリーが、急にその足を止めた。
「フォリー、どうかした?」
俺も馬の足を止め、彼女に声を掛ける。
「……馬蹄の音が聞こえる。あと、剣撃の音も……」
目を閉じたフォリーが、聞き耳を立てるようにしながら呟く。そしてすっと目を開き、俺に対して目配せをした。
「デュオ、あっちだ!」
そう言い放ち、彼女はその方向へと馬を飛ばす──俺も慌ててそれに続いた。
やがて、ひとつの林を抜けたその先に……遠く離れた場所。そこに走る馬車と三体の騎馬、それを追うようにして迫るあれは──獣?
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「あれはおそらく魔獣だ! 毒吐瀉鳥、鷲獅子もいるな、どうやら襲われているようだ。デュオ、助けるぞ!」
「はいよ、了解!」
答えた俺は、自身の背中に手を伸ばし、そして魔剣を手に取った。