40話 行ってらっしゃい。そして新しい旅路へ
よろしくお願い致します。
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世界の存亡を賭けた戦い──『審判の決戦』
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俺は心の中でその言葉を反芻しながら、じっとフォリーの方へと視線を送り続けていた。
「戦いに勝利すれば、黒の精霊はやがて白い姿へとその姿を戻し、白の精霊となる。そしてこの世界は再び、その存続を認められる事となり、審判の時は終結を迎える──だが、敗北を喫すれば……」
ゴクリと唾を飲み込む俺……。
「黒の精霊は『滅ぼす者』を創り、生み出し、それにより『滅びの時』が始まる──」
彼女は視線を落とし、小さくため息をついた。
「そして今、現にそれは始まりを見せている。世界が滅びゆく前兆が……」
「うぅ……」
俺は思わず喉を鳴らした。
その後、しばらくの間ふたり共、互いに思考を続けるかのような無言の時が流れる。
やがて部屋の奥から、ミナとミオが姿を現した。
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「ごめんね~、お待たせ」
「お二人共、冷めない内にどうぞ」
そう言いながらミナとミオが、それぞれ手にしていた紅茶とデザートのような物をテーブルの上に並べる。
そして並べ終えると、そのままふたり共に席に着いた。
それを待つようにして、フォリーがニコッと微笑みながら声を掛ける。
「それでは、お茶でも頂く事にしようか」
「え? う、うん……」
俺は考え事をしながら、紅茶に口をつけた。
次にデザートへと手を伸ばし、口の中へと入れる。そして味わう為にそれを思いっきり噛み締めた。
げ、げふっ……こ、これはっ!?
次の瞬間、口の中いっぱいに広がるおぞましき違和感の甘味と酸味! 俺の舌の上で弾けるように奏でられる、狂気の味のコンチェルト!!
げげっ、うっげええぇぇーーっ! ま、不味いっ!! これってトマトだ! そうだ、すっかり忘れてたっ!
思わずその味に絶句した俺は、口を押さえながら大げさにうつ向いてしまった。
そんな俺の姿を見て、ミナが少し引いたような表情を浮かべながら言ってくる。
「……へ、へえ~、そんな悶絶する程、大好きなんだ。ねぇ、美味しい?」
俺は涙声で答える。
「ぐふっ、ううっ……は、はい。と、とっても美味しゅうございます……ゴホッ、ゲホッ、ゲホッ!!」
「あははっ、そんな泣いて喜ばなくても。でも、良かったねーーっ」
──んなわきゃねぇだろっ!!
『うんっ、とっても良かったよ~! ああ、美味しい。もう本当に幸せ……』
いや、ホントに何なんだよっ、このやり取りは! どう考えても理不尽!……俺って、可哀想過ぎるっ!!
『アル、本当にありがとう……ね?』
ぐふっ……ま、まあ、いいか。それに今は、こんな事をしている場合じゃないしな。
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「ところでフォリー、さっきの話の続きなんだけど、滅びの時が始まってるという事は、その審判の決戦ってのが既に行われた。それで今回、それに敗れた。そういう見解でいいのかな?」
──さっきからずっと、気になってた事だ。
フォリーは飲んでいた紅茶のカップをテーブルの上へと置き、そして答えた。
「それは……すまない。実際のところ、私にも良く分からないのだ。私は風の大精霊の守護する者となって、百数十年経つが、その間に一度だけ審判の決戦を経験した事がある。当時は私も『守護する者』として、それに立ち合った……まあ、その時のそれは、何とか勝利を納める事ができ、今の我々が存続している訳なのだが……」
フォリーが話す話の内容を確認しながら、俺は改めて彼女の姿を凝視する。
その端正に整った顔は、やはりとても美しく、そして若い。
それなのに、百数十年って……。
『うーん、やっぱエルフって凄いよな。特にハイエルフだっけ、フォリーって今、一体いくつ何だろ?』
『ダメだよ、アル。女性に年齢を聞くだなんて、そんなのすっごく失礼な事なんだからっ!』
ノエルが叱るように言ってくる。
いや、年齢を聞くのが失礼だとか、デリカシーがないだとか、もうそんな範疇とっくに超えちゃってると思うんですけど…。
そんな事を考えていると、フォリーが続けて話し出した。
「異変を感じてから、私は我が主、風の大精霊様と共に色々と模索を試みていたが、今回は審判の決戦が行われた形跡がない……いや、そもそも代表者すら、選ばれた痕跡が見当たらないのだ」
「だったら何故、今、滅びの時が?」
少し間が空き、フォリーが答える。
「それは……私の憶測でしかないが、零の精霊が、他の四大精霊と同じように『自我』を持ったのではないかと……そして黒となったそれは、審判の決戦すら認めず、自らの意思でこの世界を再び創造し直す為に、滅びの時を起こし、世界を無に帰そうとしている……私は、そう考察している」
「………」
俺だけじゃなく、ミナとミオ、ふたりも神妙な面持ちで話に聞き入っている。
しばらく静寂の時が続き、紅茶を口に運ぶカップの立てる音だけが、部屋の中に響いた。
そんな空気に耐えられなかったのか、ミナが突然として、俺に質問する声を上げてきた。
「そういえばデュオ、あんたさ、これから先、何処へ向かうとか、そんな事もう決めてんの?」
ギクッ──さすがは爆走娘。痛い所を突いてきやがる。でも実際に、まだそれに対しては明確に何も決めてはなかった。
「私は本来なら火の大精霊の所へ向かおうとしてたんだけど……だから、向かうとしたらノースデイ王国か、次に近い水の大精霊がいるティーシーズ教国のどっちかかな?」
その俺の言葉に、フォリーは待っていたかのように間に入ってきた。
「デュオ、もしも行く先がはっきりと決まっていないのならば、まずはティーシーズ教国にへと向かいたいのだが……」
「それは全然、構わないけど、どうして? 何か理由が?」
彼女は軽く天井を見上げ、そして続ける。
「大陸最北の地。ティーシーズ教国とノースデイ王国との隣接している辺境の地に、現在、『ミッドガ・ダル戦国』なる新生国がある。数年前まではザナック王国と呼ばれた国があった領地だ。近年、ミッドガ・ダル戦団と称する、いわば傭兵の集団によって、その国は攻め滅ぼされ、それらが勝手にミッドガ・ダル戦国、そう宣言し、謳っているだけの国……だが、同時に今や、その動向が予断を許さない最も恐るべき存在となった国でもある」
ミッドガ・ダル戦国……か。
「その国にひとり、気になる人物がいるのだ……そして、その人物と思われる者を最近、このアストレイアの地で見た」
「!?」
「ここ最近になって姿を現したその者は、ミッドガ・ダルの王の側にいつも付き従っているという……頭を全てを覆い隠す、漆黒の鉄仮面を常に被り、黒衣を身に纏ったその姿は、『黒の魔導士』とも称されている……その者の姿を、私はこの地で見た。馬を駈り、何処かへ走り去る姿を……そしてその直後だった。尋常ではない強大な“負の力”をお感じになられた我が主が、私を祭壇の元へとお呼びになったのは……その後の出来事はデュオ、そなたも知っての通りだ……」
………。
“黒の魔導士”──初めて聞くな。でも、一体何なんだろう? その呼び名の響きに、何かすっごく嫌な胸騒ぎがする……。
俺はフォリーに訊ねる。
「その黒の魔導士が、ティーシーズ教国と何か関わりが?」
彼女は頷きながら答える。
「ああ、今、ミッドガ・ダル戦国はティーシーズ教国と戦時中なのだ。そんな折にミッドガ・ダル戦国王の側に常にいる筈のその者の姿が、このアストレイア王国にあったから、私は不審に感じたのだ。黒の魔導士……奴が『滅びの時』の鍵を握っていると、私は確信している。そんな奴の姿が風の大精霊が失われた今、ティーシーズ教国に迫っているのは最早、間違いない。我が主を……その目的を果たした奴の次の目的は──」
俺は少しの戦慄を感じながら答えた。
「ティーシーズ教国にある、水の大精霊の消滅か……」
そして目を閉じて一度、深呼吸をした。
すーーっ、はぁーーっ。
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「よしっ、分かった。フォリー、ティーシーズ教国へと向かおう。水の大精霊がいるという神殿へ!」
俺達は力強く頷き合うのであった。
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……ん? そういえば、何か忘れてるような気が……はっ、ノエル! 何か、妙に静かだなって思ってたらっ。
『おいっ、ノエル! お前、ちゃんと起きてんだろな?』
『……すーーっ、すーーっ……ん、んんっ……ほへ?』
うん、これって、やっぱり確実に寝てましたね──って、こんにゃろ!
◇◇◇
そして翌朝、集落の門の前に、俺達はいた。
辺りには以前ほど強くは感じ取れないが、再び吹き始めた頬を撫でるようなやさしい、穏やかな風……僅かながらも、その風を感じる事ができた。
やはりフォリーの言うように、風の大精霊の力が全て失われた訳ではないのかも知れない。
そんな中、俺達を見送りにミナとミオ。そしてエルフの族長の姿があった。
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「フォリー様、どうか、お気を付けて行って下さい」
「ご無事であたし達、家族の家にお帰りになって下さいね」
「ああ、勿論、絶対に……約束だ」
名残惜しそうに抱擁し合う三人。そしてミナとミオが、そっとフォリーの頬に口付けをする。
「「どうぞ、行ってらっしゃいませ。フォステリア様。ご無事をお祈りしています」」
綺麗に重なるふたりの声。
「ああ、行ってくる。そして必ず……だから、ふたり共、元気で待っていてくれ」
そしてフォリーと別れを終えたふたりが、今度はこちらへと向かってきた。
まず、ミナが俺に声を掛けてくる。
「……あのさ、あの……デュオ。お別れに、あんたもあたし達ふたりの事、ギュッとしてくれない?」
「ああ、いいよ」
真っ赤になって呟くミナに対し、そう答えながら、俺は身を屈めてミナとミオ、ふたりをそっと腕の中へと抱き締めた。
そしてふたりは、俺の頬にも軽くキスをしてくる。
……くすぐったい……くすっ。
思わず微笑する。そんな俺の顔を見て、ミナとミオもニッコリと笑顔を見せてくれた。
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「デュオさんも僕達の大事な家族なんですから、きっと、無事にこの場所へと帰ってきて下さい」
「そうだよっ、絶対に帰ってきなさいよ! 約束なんだから!」
「……うん、ありがとう。ミナ、ミオ。俺、いや……私、とっても嬉しく思うよ。必ず帰ってくるから……」
『……ぐすっ、私もすっごく嬉しいよ。ミナ、ミオも元気でね……』
ノエルも別れの言葉を言う。
「フォステリア様、旅のご無事を祈っております。どうか大精霊のご加護が共に在らん事を……」
「ああ、ありがとう。族長も達者でな。ミナとミオの事、よろしく頼む」
エルフの族長に、そう返事を返すフォリー。
俺とフォリーはそれぞれの馬に跨がった。そして次の目的地へと出発する。
そんな俺達ふたりに、ミナが大きく手を振りながら大声で叫んだ。
「デュオ、もうあんたの事、名前で呼ばないからっ!」
そしてミナ、ミオ。ふたり元気な声で同時に叫ぶ。
「「行ってらっしゃい! お母さん!! お姉ちゃん!!」」
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俺とノエル、そしてフォリー。俺達、三人は次の目的地、ティーシーズ教国へと馬を走らせる。
周囲には微弱ながらも、頬を撫でるやさしい風が、ずっと吹き続けていた。
俺の心の中に沸々と込み上げてくる新しい冒険への探究心。思わず、あの『台詞』が言いたくなって、身体がウズウズしてしまう。
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ううっ、駄目だっ! とてもじゃないが、我慢できそうにない! もうノエルにどれだけ突っ込まれようが、フォリーに白い目で見られようが、知ったこっちゃない!……要は俺は今、猛烈にあの台詞を大声で叫びたいのだっ!
──だから!
『……え? 言っちゃうんだ、あの台詞……』
──だ、だからっ!
「どうしたんだ、デュオ? さっきから、そわそわして……どうかしたのか?」
──だ、だ、だからっ!! だーーっ! い、いっくぞぉおおおおおおおお!!
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「さあ、いざ行かん! 新しい未知なる冒険へ!!」
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──どやあああああああああっ!!
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………。
次の瞬間、ヒョォォォウっと音を立て、冗談のような一陣のつむじ風が俺の前を横切った──
「………」
……さすが風の大精霊様。その姿を失っても俺に対して、尚も突っ込んでくる余力を残しているとは……全く恐れ入る。
『あっ、ついに言っちゃったね? きっと、フォリーさん、唖然として固まってるんじゃないのかな?』
『ぐふっ……うっせーよ! どうせこの台詞はくさいっすよ……ぐすん……もうお願いだから、そっとしておいて……』
『あ~あ、拗ねちゃった……よしよし元気出してね、アル、その内きっと良い事あるから。……おぉ、よしよし……』
『……あの、だから、ほっといてくんない?』
『え? なんで? こんなに心配して上げてんのに……ぷっ、くすっ……』
『……やっぱ楽しんでるだけじゃねぇかっ!』
『なははっ、やっぱりばれちゃった? ごめんごめん』
こんな馬鹿なやり取りをしている俺達の耳に、遅れて届いてくる、フォリーの生真面目な声色の言葉が……。
「……ふむ。デュオ、先程の言葉。この私の心に深く感じ入ったぞ。凄く感銘深い、実に良い言葉だ。例えるのなら、『カッコいい名台詞』といった所か」
………。
『『……カッコいい……のか??』』
俺とノエルの念話の声が、頭の中で見事にハモるのだった。
「ん? 何か私、まずい事でも口にしてしまったのか? 何なんだ、この妙な空気の流れは……」
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……ごめんなさい、フォリー。おそらくそれは全て、俺の責任でございます。