196話 死にたくない。だから、ごめんね──
よろしくお願い致します。
◇◇◇
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もう、どれくらい馬を走らせたのだろう。
レオンの駆る馬を先頭に、俺達デュオとハイエルフのフォリー。竜人族の男の娘クリス。計四名が寡黙となって馬を疾走させていた。
目指す場所は、北西バラキアにあるコロッコ山。その近辺にあるとされているロロルという村だ。
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「むっ、見えたぞ。おそらくはあれがコロッコ山か。ふむ、中々荘厳な山のようだな」
先頭を駆るレオンが、馬上で前方を指し示す。
周囲を小高い山岳に囲われたバラキアと称される山脈。その山道の先に、成る程。一際大きな山の姿が見受けられた。
情報通りなら、その麓にテラが住んでいるコロッコ村がある筈だ──
『……テラちゃん……また会えるよね?』
思わず漏れてくるノエルの不安気な念話の声に、俺は答える。
『大丈夫だ。テラはあの時、俺達に“また会おう”って言ったんだ。だから、きっと会えるよ』
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地の大精霊はある事情により、今のこの世界に“テラはいない”──そう言っていた。
ほんの最近に彼女と出会い、彼女と一緒に貴重とも思える体験をした。にも関わらずだ。
“ある事情”──俺達デュオと別れたテラ。あれから彼女に一体何が起こったというのか?
フォリーからその事実を聞いてから、とても信じられず、その事ばかりがまとわり付くように、俺の頭の中で疑問となって、常に渦巻いていた。
だが、その“答え”は、ひょんな出会いで得られる事となる。
いや。今考えれば、必然的だったのかも知れない。
それは、ガーナハットの街を出立してから、幾ばくかの時間が経過した時だった。
◇◇◇
「おや、あれは?……どうやら馬車のようだ」
「ふむ、そのようだな。かなり急いでいるようにも見受けられるが──」
フォリーのその言葉に、彼女の前を駆っていたレオンが答える。
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前を見ると、少し遠くとなる前方から、凄い勢いでこちらへと向かって来る馬車の姿が確認できた。
馬の足を顧みない無謀とも思える走り様に、俺の中に嫌な予感が生じる。
「レオン?」
「うむ、確かに気になるな。呼び止めてみるか」
俺の声にレオンがそう答えたのだった。
───
「そこの一行、暫し待たれよ!」
馬車の前に馬を乗り出したレオンが、そう声を上げる。
それに応じ、ヒヒンッと馬の嘶く声と共に、車輪が大きく軋む音が辺りに響いた。
やがて停止する馬車。その元に俺達は近付いて行く。
まず、少し怯えているようにも見える馬車の御者に、レオンは声を掛ける。
「急いでいるところ、呼び止めて申し訳ない。我らは冒険者となる者だ。一行は、かなり先を急いでいる様相だが、何かあったのか? 我らができる事であれば、いくらか力になれると思うが?」
その問いに、御者は堰を切った勢いで話し始めた。
「は、はいっ! わたくしはオーラント商工会の使用人でございます!……じ、実は先日、首都インテラルラ領内にある我が主家。オーラント商工会前にてある惨事が起こったのです!……主人ドルマンがリーザお嬢様によって殺され、リーザお嬢様は首を刎ねられた……そ、そうだ! わたくしはおかしくなったアンナ奥様をっ!──ああ! “あれ”が……“執行の妖精”がっ──!!」
話すうちに、更に取り乱す御者。それを嗜めるようにレオンが声を上げる。
「まずは落ち着け! そのような者は、今ここにはいない。全てお前の妄想だ!」
「……ああ……そして妖精も奥様に首を刎ねられて──あぁぁ……あああああああああああああっ!!」
「落ち着け!──むうっ」
レオンの言葉も、全く受け付けない御者の男は、もはや狂ったように頭を抱え込み、身をよじる。
「──精神を司る精霊スプライトよ。汝が奏でる静寂なる鼓動の音にて、彼の精神に癒しを与えたまえ──」
苦しむ御者の身体に、浮かぶ小さな魔法陣。
……この声は──
そんな時、不意にフォリーの口から精霊魔法が紡ぎ出されたのだった。
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しばらくして平静を取り戻した御者の男が、自分はオーラント家の執事を努める者だと名乗った。
そして再び説明を始める。
「二日前の事です。その日、首都インテラルラにて、年に一度の商工大議会が執り行われる期日でした。そして、その準備を行っていたわたくし達の前で、オーラント商工会主人。ドルマンのご息女でもあり、一人娘でもあるリーザお嬢様が、突然黒い魔物を率いる死神のような者に変貌したのでございます……それが全ての悪夢となる出来事の始まりでした。やがて現れる執行の妖精──“殲滅のテラマテル”……」
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オーラント家の執事だった男は語る──
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オーラント家の一人娘。リーザが突然、何者かに取り憑かれ、自身の父親であるドルマンを殺害した事。
その後、少女リーザがまるで死神を連想させる存在へと変貌し、同時に“黒い者”となる魔物が多数出現した事。
それを鎮めるため、地の大精霊が遣わした『守護する者』、テラマテルが現れた事。
姿を顕にしたテラマテル。俗にいう“殲滅のテラマテル”が、未曾有となる武装を用いて、瞬く間に俗称通りそれを殲滅、鎮圧した事。
そして“断罪”となる処刑として、悪しき者に取り憑かれ、後に本来の自分を取り戻した少女。リーザの首を刎ねた事。
最後に、“罪”の意義をテラマテルに問うたリーザの母親アンナ。テラマテルの口から出たその答えを聞き、それにより気が触れたアンナの手によって、執行の代理人。『守護する者』、テラマテルの首もまた、刎ねられるに至った事──
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「その後、アンナ奥様は完全に正気を失われました。今は舌を噛み切らないよう処置をし、拘束状態として馬車の中においでです。あと二名の女中が共におります。今はガーナハットの街に、病んだ精神の治療を施す名医がいるとの事で……つまりは早急にその街に向け、馬車を走らせていた次第でございます」
「ふむ、成る程。状況は把握した」
「うっわあああ~~……噂には聞いとったけど、地の大精霊『守護する者』……ハンパないな。さすが殲滅。エグいわ……」
「その奥方、アンナだったか。取りあえずは私が診ようか?」
「──え? よいのですかっ!」
「ああ、勿論。私は医学による治療はできないが、精神の精霊。スプライトの力を行使できるのでな。上手く効果を得られるか、保証はできないが……」
「い、いいえ! そんな事……是非お願い致します!」
───
俺達デュオの頭の中に飛び交う様々な声……。
だが、どれも俺達ふたりには、何ひとつ明確に取れなかった。
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『あのテラが……魔物に取り憑かれただけの少女。しかも正気に戻ったはずの女の子の──』
『首を刎ねた──』
『しかも、テラ自身首を刎ねられただなんて……』
『それで今、テラちゃんはいないって事……なの?』
俺とノエルが愕然と、念話による会話を続ける。
『ああ、それは詳しくは分からない。だけど……テラマテル……一体、彼女は──』
『嘘でしょ? それにあんなに純粋そうな子が、そんな事をするなんて……やっぱりテラちゃん。あなたは──』
『『──“人形”──?』』
俺とノエルはただ、ただ……呆然とした気持ちに捉われる。
─────
──テラと、でおはトモダチ。
不意に思い浮かぶツインテールのあどけない少女。
その顔は変わらずの無表情だったが、瞳だけは感情がある者のような光を湛えていた。
──アリガトウ。
記憶の中の実際の彼女は、虚ろ気な表情でその言葉を言ったが、今、思い浮かぶテラの表情は、やはりなぜだか笑って見えた。
─────
……そうだ! テラは俺の事を友達と言ってくれた。そんな彼女のことを俺が信じないでどうする!?
『ノエル。信じよう』
『──え?』
『テラ。いや『守護する者』、テラマテルは、フォリーが説明してくれたように……地の大精霊が語ったように……機械仕掛けの人形なのかも知れない』
『アル……』
『だけど、彼女には必ず“心”が存在している。ノエルだって、そう思うだろ?』
『うん。私もそう思う』
『だから、余計な疑念に捉われず、今はテラの事だけを信じよう。な?』
『──うんっ!』
─────
そしていくらかの時間が経過し、フォリーの精霊魔法によって、朧気ながら意識を取り戻したアンナ。
「おおっ! 奥様。お気付きになられたのですね!」
「ああ、一時はどうなることかと……」
「本当に良かったです。奥様……」
「ふむ。思いの他効果はあったようだな。最初一見した時。精神はズタズタに引き裂かれたような状態で、もはや精霊スプライトの力を以てしても回復は難しいと感じたが……まあ、彼女の意思が思いの他強かったのだろう」
歓喜の声を上げるオーラント家の使用人達。
そんな三人に、フォリーはそう言葉を添えた。
「貴女様のおかげです! 本当にありがとうございました! このご恩は後で後程オーラント商工会の正当な報酬としてお支払い致します。是非貴女様のお名前をお聞かせ下さい」
「心遣いは不要だ。私は私ができる事をしようと思っただけだ。そしてそれを実践した。ただそれだけの事──」
「そ、そんな……それでは私達の気が済みません! せめてこの場でご用意できる金銭を報酬としてお受け取り下さい!」
食い下がる執事に。
「いらないよ。それにまだ彼女の精神状態は完全に正常となった訳ではないだろうからな。そうだな、これより本来通りに、ガーナハットの医者の元に赴き、正当な診察と医療を受けるべきだろう。そして時間を掛けてゆっくりと治していくのだな。“心”を──」
「……はい。ありがとうございます。本当に……ありがとう……ございます……」
フォリーのその言葉に、執事は感涙にむせ、女中二人は静かに涙を流す。
そんな状況下、俺はひとりの女性へと目を向けた。
──アンナという女性。
今は拘束も解かれ、舌を噛み切る防止の処置も外されている。
馬車の外。手頃な岩に腰掛け、うつ向き佇む女性。その姿は憔悴し切っているようにも見えた。
そんな女性の両隣りに座るそれぞれの女中が、心配そうな面持ちで見守る中。やがて、アンナが口を開いた。
───
「……私は生きていていいのでしょうか……?」
「何が言いたい?」
両腕を組み立っていたレオンが、傍らの木に背を預けながら、彼女にそう問い掛ける。
「……執行者……テラマテル。彼女は罪を枷られた者。その断罪の時。人の人格や境遇、それに至るまでの経緯。それら全ての要素を一切否定し、関する事はない。そう言っていました」
「………」
レオンが片目だけを開け、切れ長の目で彼女を見据える。
「そして私の娘、リーザは罪を枷られて死にました。そう、罪は人の“自我”ではなく、“存在”にある。その定義の元に──」
レオンの鋭い視線を、虚ろ気な目で見返しながらアンナは続ける。
「我が娘の命を奪った“ツインテールの少女を私は殺した”──そう、私も罪を枷られた、断罪されるべき者なのです」
「成る程。で、お前は何を求む? 望むのならば、俺が命を絶ってやらなくもないぞ」
───
「──な、何を言っているのだ!?」
「ホ、ホンマや! それ、冗談としても笑えへんでっ!」
『え? レオンさん。一体どうして……』
レオンの突然の言葉に、フォリーとクリスが驚き、ノエルが愕然とする。
確かに──
だが、レオンハルトという男は、意味を成す事しかしない。俺はそう確信している。
「ふむ……人の理を犯し、罪を枷られた者。それを無き者とした者が、新たに人の理を犯した者として罪が枷られる。それが“復讐”──延々と途切れることのない負の連鎖だ」
「はい。そして罪を枷られた者は、断罪されなければならない……だけど、今の私は生きている」
「ああ、お前が殺したのが“人間”ではないからな」
「けれど、“罪”は同じ“罪”。私は断罪を受けなければいけない……」
レオンがゆっくりとアンナの方へと顔を向ける。
両目で彼女を見据えながら──
「で、結論は出たのか?」
すると、今まで悲壮感を漂わせていたアンナの表情が、ふわりと和らいだ。
「貴方は“自我”と“心”は同じだと考えますか?」
その問いに、レオンは腰にあるハバキリの柄に手を添える。そして──
──チンッ
煌めく刀身をチラリと覗かせ、一度音を鳴らした。
「“否”だ。自我は心にあらず──」
そしてアンナは涙を溢しながら、静かに微笑む。
「はい。私もそう思います。私は……私は、まだ死にたくはない。だって──」
そして両隣に座って泣いていた女中二人の肩を引き寄せるように抱く。
次に執事の顔を見ながら、大きく頷いた。
「まだ私の事を想ってくれる人達がいる。それに主人が目指していた“志”を、途中で放っておく訳にはいかない。今の私にはすべきことがある。だから──」
「そうか……」
レオンも僅かに口元を緩めた。
「だから、ごめんね──」
アンナは空に向かって囁く。
「リーザ──」
◇◇◇
「ふむ。あそこに農村らしき小さな集落が見受けられるな。あれがロロルか?」
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レオンの声に一同は視線を送る。
大きな山の麓にひっそりと佇むような集落の影。
「ああ、おそらく間違いないだろう。だが、『守護する者』、テラマテル。彼女は今、いないかも知れないが……」
「そうなん? せやけど、テラマテルは機械仕掛けの人形なんやろ? とにかく行ってみないと、なんも分からへんで。早よ行こ?」
続くフォリーとクリスの声に、俺達も続けて声を上げた。
「よし、みんな行こう!」
『うん。テラちゃんに会いに……』
───
──テラ。待ってろよ!
───
やがて、俺達は目的地に辿り着いたのだった。




