195話 操り糸を断ち切って
よろしくお願い致します。
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一心不乱に、ただ泣き叫ぶだけとなってしまった翡翠色のツインテールの少女。
「テラや、どうした! 一体どうしてしまったのじゃ? テラ! テラマテルや!!」
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(オーサ──)
自分の自我や意思とは関係なく、わんわんと泣き叫ぶテラ自身の耳に、オーサの必死の呼び掛けが聞こえてくる。
それに何とか答えようと試みるが、今現状に於いて、泣き叫んでいるもうひとつの“レイという名の意識”によって──
おそらく今のテラマテルの身体は、支配されてしまっているのだろう。
声を出そうと身体を動かそうと、テラマテルという意識。その全ての指令となるものは届かず、全く身体はいう事を聞かない。
──が、それでもテラは足掻く。
(だって、自分の意識というものが“自分という存在”なのだから──)
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すると、泣き叫んでいたツインテールの少女が、突然泣く事を止めた。
「オーサ。テラに異常が発生。現状“レイ”と呼称する意識の発生によって、今のテラの身体には、ふたつの意識があると分析す──」
その言葉が途中で切れると、テラは上を向き、再び号泣した。
「まま──び……びえええええええぇぇーーんっ!!」
そして、また──
「よってオーサ。テラは現状、突発的不安定な状況下に陥っていると推測される。なので──」
言葉は再び途切れ──
「びええええええぇぇーーんっ!! まま、まま、まま──」
ツインテールの少女は泣く。
「これより、非常事態が起こり得る確率が高いと予測される。オーサ、気を付けて。イオをお願いする──いけない。レイの意識が強まってい──」
「──まま、まま、まま、まま、まま、まま、まま、まま、ままあああああああああああっ!!」
ただ泣き叫ぶだけのテラと、置かれた状況の自己分析を冷静かつ的確に説明するテラ。
それが交互に入れ替わる。
最早その姿は、意識が混濁された異常者の様だった。
「おおぉ! この光景は……テラや……お主の身に、一体どの様な事が起こったというのだ……」
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やがて、不意に目まぐるしい様相だったテラマテルが、竜の幼体を抱き締めたまま、突然動かなくなった。
「キュイ?」
小さな竜が心配そうに少女の顔を覗き込む。
それに反応し、ツインテールの少女が、自身の腕の中にある竜の金色の瞳を見つめ返していた。
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「テ、テラ……?」
呟くオーサの方へと、彼女は振り向く。
「オーサ。地の大精霊が、ママが何処にもいない。これからテラは……テラはどうすれば……そうだ。イオとウィルを守らなければ……だけど、どうやって……どうやって守ればいい? その方法がテラには分からない。だって──」
そこには今まで見た事ない弱々しい姿となった、テラマテルの姿がオーサの目に映るのだった。
「だって、ママはもういない──」
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「テラ。お主……」
自身がすべき行動の為の、“手段”を見失っている存在。
弱き心の持ち主。言い換えるのなら幼子の様な存在。
そう。それは、さながら操り手を失った操り人形の様に──
「……テラ……」
愕然とする老婆オーサ。
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──ガチャ、ギギイィ……
「──!!」
突然、部屋の扉が開かれる音に、オーサは咄嗟に振り向く。
続いてギシッギシッと床が軋む音と共に、ある者が姿を現した。
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「地の大精霊、『守護する者』とその保護者、鉄と技巧の民。ドワーフのオーサだな?」
漆黒の鎧に、赤黒い髪の屈強そうな男。
右手には長槍を手にしていた。
「で、そのふたつに分けた長い髪の少女。その腕の中にあるのが変化した『守護竜』の様だな」
「主は何者じゃ?」
男はギロリとオーサへ視線を向ける。
「俺は黒の魔導士アノニムの従者。名をオルデガという。此度は我が主人、アノニムの状況に不具合が生じ、それにより俺が代役を担ってここへとやってきた。目的は言わずとも分かるだろう?」
オーサの老いた小さな身体に、戦慄が走る。
(──い、如何! 今のテラマテルでは……!!)
オルデガという男の言葉に、今の全ての状況を悟ったオーサは、テラマテルへと声を上げた。
「テラ! お主はその竜の幼体と共に、直ぐにここから逃げるのじゃ!」
そして彼女の前へと、男から遮る様に移動する。
「オーサは? それにイオを放っては行けない」
オーサは後ろを振り向かず、テラマテルに言い聞かす様に声を上げる。
「心配は不要じゃ。どうやら幸いにも“黒の使者”は今、こちらにはきていない様じゃからの。こやつひとりならば、この老骨ひとりにて、何とかなりそうじゃて。さあ、イオの事はわしが命に代えても必ず守ってみせるでの。ならば、テラマテル! 早く行くのじゃ! 地の『守護竜』を、奴らに絶対に渡してはならん!!」
「逃げ切れるとでも思っているのか?」
長槍を構え、オーサへと一歩踏み出す黒い戦士オルデガ。
「でもオーサ。テラ、何処に逃げれば。何処に向かえばいいか分からない。最早どうやったらいいのかさえも──」
「自身で考え、判断し、そして──逃げろ!!」
小柄な老婆からの一喝。
「地の大精霊『守護する者』、テラマテル! 今はアースティアに無き、お主の主は、“お前という存在”に事を託された。ならば、テラマテルよ。今のお主がすべき事は、地の『守護竜』を護る事じゃ! さあ、行け!!」
そう声を上げるオーサの小さな後ろ姿に、テラは立ち上がり腕の中にある竜の幼体を見つめた。
「キュイ?」
その視線に小首を傾げる黄色い小さな竜。
「……肯定──した!!」
瞬間、テラマテルは振り返り、勢いよく走り出す。
「それでよい。テラよ。今は何も分からずとも、まず“行動を起こさねば、何も生じぬ”。さあテラマテルよ! 繋がれた糸を断ち切った意思よ! 今は操られた操り人形ではなく、自らの“意思”で動くのだ!」
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「自らの“心”で──」
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テラマテルの姿が、オルデガの前から消えようとする。
「老人。邪魔だ!」
前に踏み出し、長槍を大きく振りかぶる。
そして必殺となる突きを放った。
──ガギイィンッ!
「何っ──!」
激しい金属音が鳴り響き、オルデガの放った槍を往なしたオーサが、茶色の法衣を翻しながら宙返りをし、後方へと跳んだ。
そして着地する。
「……その俊敏な動き。お前は本当にドワーフなる者か? ドワーフとは、もっと鈍重なる者だと聞いていたが?」
地に膝を着いた老婆が、自身の両手に持つ得物を口元に寄せ、それにペロリと舌を這わせる。
「ふひゃはははっ、悪かったねぇ~。ドワーフよろしくごつい戦斧じゃなく、わしの得物が、暗殺御用達のククリでのう?」
「──ふっ、ふははははっ! 『守護する者』の保護者。そのドワーフなる者が、戦士や闘士といった類いの者ではなく、まさかの暗殺者だったとはな!」
オルデガのその言葉に、両手にククリを持ったオーサが、ユラリとした動作で立ち上がった。
「ふひゃ、ひゃはははっ、まあ、そういう事じゃ。鉄と技巧の民、ドワーフ全般が戦士という考え自体が、主らの勝手な思い込みというものじゃて。さてさて、どうじゃのう。アサシンのドワーフ。意外と感じたかえ? じゃが、驚くのはまだ早いぞ。例えば──そうじゃの。こんなのはどうじゃ?」
その言葉が終わると同時に、オーサは法衣の下から、何か瓶の様な物を取り出し、中身を周囲にぶち撒けた。
おそらくは黄緑色い液体。それが飛散し、接した床からは、なんらかの気体の様なものが発生し、やがてそれは、部屋の中いっぱいに広がる緑色の濃霧となった。
「人為的に作られた霧だと! これはもしや──!」
濃い霧の中。オルデガは透かさず長槍を構える。
「鋼生成──『斬』。数、弐!」
そう、老婆オーサが口にした。
──バキンッバキンッ!
瞬間。割れる様な金属音と共にオルデガの頭上に、突然、先端が鋭く尖った薄い鉄の板が出現する。
その数ふたつ。
「──な、何だと!?」
そして自身に向かい、立て続けに落下してくるそれを、オルデガはひとつは長槍で弾き、もうひとつは後ろに跳んでかわす。
「鋼生成──『斬』。数、参!」
──バキンバキンバキン!
「くっ!!」
最早、霧で視界は遮られ、濃霧の空間となる奥からは、再び響く声。
そして今度は三連続で鉄の板が降り注ぐ。
ドカッドカッドカッと順に鉄の板が、床目掛けて落ちてきた。
オルデガは長槍で防ぎ、跳んで床を転げ回る。
そして最後の三つめを辛うじてかわした。
「──ぬうぅっ!?」
そこへ間髪入れずに、両手に短刀を振りかざした茶色の法衣。オーサが、オルデガ目掛けて突攻を仕掛ける。
──ガギイィィンッ!
再度打ち重なる剣撃音。
オルデガが放たれたククリを打ち払うと同時に、オーサの身体へと回し蹴りを見舞った。
しかし、それは空振りに終わり、宙返りをしながらスタンッと茶色いアサシンが着地する。
「在らざる物から、在る物へと変換。そして生成──ふっ、はははははっ! 正直驚いた。まさかその様な芸当までできようとはな。確か“錬金術”だったか?」
オーサは両のククリを、一度大きく横へと振り払うと、またヌラリと立ち上がる。
「ほう。よく知ってるじゃないか? ちなみにこの部屋を濃霧の空間へと変えたのに、使用した液体は『万物融解液』と呼ばれる物での。それによって、大気の成分中に存在する金属たる要素。微量に含まれる金属微粒子で多種多様の鉄を生成している訳じゃ──」
そして、ニタァとしわくちゃの顔に笑みを浮かべた。
「アースティアに於いて魔力を要とせず、生じる変化と反応だけで“在らざる物”を“在る物”へと変換し、構築、生成する術──錬金術。そう、わしは暗殺者でもあり、同時に錬金術士でもあるのじゃ。まあ、もっとも錬金術はその名の通り、あらゆる鉄を精錬する。即ち“物を造る”術。あながち我ら鉄と技巧の民、ドワーフとは縁が深い術となろう。そう意外でもなかろうが。主もそうは思わぬか?」
「そう……かも知れぬな……」
そう応じ、オルデガは長槍をグルグルと一度回転させると、ピタッと制止させる様に構えた。
「お前、いや貴様は何者だ?『守護する者』の同居者とは聞いていたが、ただのドワーフではあるまい?」
それにドワーフの老婆は答える。
「ただのドワーフじゃよ。職種はかなり特異だがねぇ。まあ、他によそのドワーフ達と違う点があるとすれば、わし。“オーサ・バロッサ”が、本来ならば、地の大精霊を『守護する者』に選ばれるべき存在だった。ただそれだけの事じゃよ」
「ふっ、成る程。得心した。では──」
オルデガは構えた長槍の穂先をオーサへと向けた。
そして疾走する。
「参る!」
「魔鉱生成──『壁』!」
ほぼ同時に発動したオーサの錬金術。
彼女の前方を囲う様に魔鉱の黒光りする壁が構築され、鈍い音と共に、オルデガの長槍の一撃は防がれてしまうのだった。
──ギイイィィィンッ!──ィィン──
魔鉱の壁に穂先が食い込み、動きが止まるオルデガ。
「ぬうっ!」
「硫化鉱生成──『烈』!」
続くオーサの錬金術。そして。
オルデガの足元が目映い閃光を発し始める。
「むっ、しまった!!」
瞬間、オルデガの足元から爆発が生じた。
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部屋中に立ち込める煙と、濃い緑色の霧。そしてむせかえる様な硫黄の匂い。
やがて、部屋の視界は緩やかに鮮明となっていく。
そして、次にオーサの視界に映った光景。
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「──ぐっ、があっ!……な、なんじゃ……これは……?」
それは──
自分の横腹辺りを貫いているオルデガが持つ穂先。そこから伸びる様に突き出た黒い刃先だったのだ。
──“自分が刺されている”──
そう明確に自覚するオーサに、急速に激痛が走ってくる。
「がはっ!──ぐうっ、ぐぬぬっ……!」
老婆は血を吐き出し、傷口を睨み付けながら唸った。
ズブリと槍の黒い切っ先が引き抜かれる。
「ぐっ、ぐぬぬ……主こそ只者ではないな……主は、一体“何者”じゃ……?」
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「ぬんっ!」という掛け声の元、オルデガの動きを止めていた魔鉱の壁が、バラバラに砕かれる。
顕になるオルデガの精悍な顔と光を湛えた目。
「確かに俺は尋常ではない力を与えられた、最早この世界の理にそぐわない。そんな存在なのかも知れん」
オルデガはオーサに近付き、まず両足首の腱を、長槍を振るい切断した。
「ぐっ!──ぐああああああああぁぁっ!!」
それにより床に伏すオーサ。
「例え他が俺の存在をどう定義付けようと、俺は“人間”──」
次に拳を打ち付け、老婆の両腕の骨を砕く。
「ぐうっ、ぐおおおおおおおぉぉっ!!」
「俺はオルデガ。オルデガ・トラエクスという一個の“人間”だ──!!」
最後に。
破壊した椅子の足で、尖った先端の杭を作る。
そしてそれを、オーサの既にできた横腹の傷口目掛けて打ち込み、床へと縫い付けた。
老婆の口の中には近くにあった小さい布地を含ませ、上から口元を更に大きい布地でぐるぐる巻きにする。
オーサは既に身動きする気配すら感じない。だが、微かだが動いているので、まだ死んだ訳ではなさそうだ。
「さて──」
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そう漏らすと、オルデガはテラマテルが立ち去った方へと視線を向けるのだった。




