192話 脳内ディスピュート
今回は物語の都合上、171話 負の連鎖。その続きとなる展開の話となります。
あらかじめご了承下さいませ。
それでは改めて今回もよろしくお願い致します。
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◇◇◇
──我が名は仮名。地の『守護竜』ウィル・ダモス。汝が“魂”、“存在”それを貰い受けにきた──
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年齢も定かではない複数の男女、それに雑音が入り交じった無機質な音とも感じる声が、明確な“言葉”となって辺りに響く。
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ここは“生命ある者”。それが直接干渉を不可とされた空間。
アースティアとなる世界に於いて、常世、幽世と“定義”付けられた場所。
──精霊界。
そこに、唯一現世。アースティアと繋がり、地の大精霊の所在地、桃源郷を覆い隠す為に施されていた“迷いの森”が、今や妖しく蠢く“魔性の森“へと、変貌を遂げたのだった。
その所業を行ったのは、今、ここに在り、先程の言葉を発した黒い法衣を纏う鉄仮面の姿──
黒の魔導士、仮名。そう呼称される存在。
───
アノニムの頭部を覆う黒い鉄の仮面──
その目に位置する歪な形状の紋章が、真っ赤な光を宿し、妖しく揺らめく。
───
『……成る程。『滅びの時』──それを成さんが為、ようやくわしの所にきよったのじゃな……ならば、最早わしは定められた“理”。それに従うのみよ──』
横たわった巨体から、力なく首だけを上げ、頭を黒の魔導士の方へと向ける金色の古代竜。
『さあ、汝が望まんとするもの。それを、今ここで成すがよい』
一言そう呟くと、金色の竜は頭を地面に着け、再び目を閉じるのだった。
『フフッ、潔し。それでこそ定められた“理”に沿う者、本来の姿。汝が存在は、やがて他の三つとひとつとなり、この世界に“無からの再生”の恩恵をもたらす新たな“存在”へと変わるのだ』
黒の魔導士は目を閉じた竜の頭へと近付いていく。
そんな時──
『──!!』
『………!?』
その前に何者かが立ち塞がった。
感じた気配に、金色の竜はまたもや目をゆっくりと開けていく。
───
『さて、ここを訪れた私の目的は、地の『守護竜』。その“魂と存在”を貰い受けるのが目的となるものだ。だが、地の大精霊。これはどういった戯れのつもりだ?『滅びの時』は既に発動した。汝は気を触れでもしたか?』
アノニムが浸入する事によって、彼の者が放つ、溢れんばかりの“負”となる霊気に触れ、迷いの森は瞬く間に狂った空間と化してしまった。
真っ赤な空と、ユラユラとのたうつ様に蠢く真っ黒な木々、その複数の影。
そんな変貌を遂げてしまった空間の中。衰弱し、地面に伏せる様に横たわった黄金の古代竜の目に映る光景。
その巨体の前に、まるでそれを守るが如く立ち塞がる、白く簡素なワンピース姿の、宙に浮くツインテールの小さな身体の少女。
そんな少女の周りには、彼女と全く同一の容姿と形状を象った無数の少女の群れが、付き従う天使の様に宙に浮いていた。
───
『黒の使者。今世の貴方は自らの“意思”を持った、言わばこの世界アースティアの定めれた“理”にそぐわぬ存在。だから、わたくしは懸ける事と致しました──』
地の少女テラが、黄金の光を纏ったツインテールの髪を、大きく強風で上空へとなびかせ、天に向かいスッと手を差し伸ばす。
同時に彼女の周囲に浮遊する無数の“地”達の虚ろな目に、一瞬だけ光が宿った。
次の瞬間。辺り一面から無機質な機械音が鳴り響き、彼女らの腕が未曾有の形状を象った様々な得物へと変形していく。
『フッ、愚かな。無駄に抗うか?──だが、いつもとは異なるその行動によって、事の“行き着く先”に、どの様な変化が生じるのか……』
黒の魔導士はブワッとマントを翻し、右手を前へと突き出した。
その手に持つは、黒い光に煌めく長槍の様な形状をした光の剣。
──“罪枷の審器エクスピアシオン”。
『実に興味深い。今まで創造されてきた世界に於いて、絶対にあり得ないこの境遇。生じるのは果たして是が非か。それを知るが為に、さあ──』
多数の未知なる武器を具現化させ、もはや兵器となった少女の集団を従える地の大精霊。その少女の手に、黄金の光の鎌が出現する。
『定めれた理となる“運命”。今回、わたくしはそれに“足掻いてみせる”! その為に、さあ──』
両者は真正面からぶつかり合った。
まず──
宙を舞う多数の機械仕掛けの天使。ツインテールの少女の群れが、それぞれ武器となった腕から、アノニムに向けて魔弾の一斉掃射を行った。
黒の魔導士に迫る豪雨の様な魔力の弾丸──
その状況下、アノニムは咄嗟に審器を持たない手。即ち左手のひらを前へと突き出した。
瞬間、アノニムに触れようと瞬速で接近していた弾丸の嵐が、黒い蒸気の様なものとなって、全て蒸発する様に消滅する。
刹那、黒い夜霧の如き波動の尾を引きながら、黒の魔導士アノニムはその左手を横へと振り払った。
漆黒の衝動が迸る──
赤い空を分断する黒い閃光。
それにより、複数の機械仕掛けとなる天使。その何体かがバラバラに切り裂かれ、血を伴わない残骸となって地面に落ちていく。
やがて、両者の距離は縮まり、振り上げられる互いの武器。
“黒光の審器”と“黄金の断罪の鎌”──
──そして、
“穿つ”──!!!
───
『『見届けよう! その未来を──!』』
◇◇◇
───
ジュッと音を立て、先程までは小さな炎を灯していた朽ち木が、黒い炭となって崩れ落ちる。
「………」
そこへ何者かが、新たな薪となる朽ち木を放り込んだ。
勿論、既に炎は消えているので薪が直ぐに燃える筈もなく、新たな炎が発生する訳でなかったが、その者はそんな事は気にせず、それから同じ行為を五回ほど繰り返した。
次に長槍を手に取り、放り込まれた複数の朽ち木が入り組んで塊となった物に、穂先を静かに触れさせる。
「黒炎──」
その者が抑揚のない声でそう言葉を発すると、槍の鋭い先端から黒い炎がボゥッと発生し、それはくべた複数の朽ち木に、瞬く間に赤い炎となって燃え広がった。
そんな炎の様子に、長槍を手にした者──
漆黒の鎧に、後ろへ撫で付けた赤黒い髪。
だが、その顔にはかつての仮面は見当たらなかった。
意志の強そうな光を湛えた瞳。
齢を重ねた、まさに勇将といった風貌。
──オルデガ・トラエクス。
その名の男は地面に腰を下ろすと、片膝を立て、もう片方は前へと投げ出す。
そして一度天を仰ぐのだった。
────
かつての『滅ぼす者』の三番手の尖兵であり、今は黒の魔導士アノニムの従者でもある彼の存在の騎士。
“黒炎”──先程の力は、アノニムにより授かり受け取った“特殊能力”だ。
そう、オルデガ。彼もまた人間となる存在に戻る事はできたが、黒の魔導士によって力を与えられ、変貌した“特殊な人間”。
──異端なる存在へと、その身を変えられたのだった。
───
「さて……」
オルデガはそう漏らすと、辺りを見回した。
確認できる山岳地帯の薄暗い風景。
時は既に夜となっていた。
(黒の魔導士が精霊界に向かうと、俺に伝えてから丸一日経つ……)
そう、今朝。黒の魔導士アノニムはオルデガを伴ってこの地へと“移動”してきた。
目指すは地の大精霊と、その『守護竜』が住まうといわれる“桃源郷”。その空間が迷いの森によって隠匿されていると伝えられる幻の地。
(俺はそう考えていたのだがな……違ったか……)
ロッズ・デイク自治国。
その領内にあるバラキア山脈のひとつ、コロッコ山と呼ばれる山岳地帯だった。
今はこの場所にいる。
何故この場所なのか?
そもそも──
伝承はどうあれ、事実。ロッズ・デイクの“何処”にその地が在るのか?
それは“誰も知らない”。
そう、おそらく今は地の大精霊を『守護する者』、テラマテルという“存在”以外は──
逆に言うと黒の魔導士にとって、“何処”という疑問はあまり意味を成さなかったのではあるが──
(そういえば、『守護する者』、テラマテル。彼の者が暮らしている農村がこの辺りにあると言っていたな。確か、コロッコ山のロロル村。だったか……?)
オルデガがそう考えていると、例によって目前の上空でバチッバチッという音と共に、青白い稲妻を迸らせながら、黒い球体が不意に姿を出現させた。
(ようやくのご帰還か……)
そしてそこから黒の魔導士が姿を現す。
───
「だいぶ苦戦した様だな。かなりの時間を費やしている。それで、事は上手くいったのか?」
球体は消滅し、アノニムはフワリと地に足を着ける。
『ああ、結論から言えば“失敗”だ。地の『守護竜』を逃されたのでな。まさかあの場に於いて逃す事ができるとは……正直、侮っていた。さて、どの様な用法を用いたか?』
仮面から発せられる、最早聞き慣れた異音の様な声。
「そう、なのか? で、地の大精霊の方は?」
オルデガの問いに、黒の魔導士アノニムは右手を突き出し、そして下に向けて手を開く。
その手からバラバラに砕け散った黄色い水晶の破片が、ばら撒かれる様に落ちていった。
『それは問題ない。この通り、“処理”済みだ──』
アノニムの仮面。その紋章の光が妖しく揺らめく。
『だが、逃された『守護竜』ウィル・ダモス。その存在の確保を即急に行ねばならん。迅速にだ。準備が整い次第、直ぐに出発するぞ。オルデガ』
珍しく急くアノニムに、オルデガは声を上げる。
「暫し待ってくれ。出発と言っても場所は分かっているのか? それにアノニム殿。そなたの身体は自身が考えている以上に傷付いている様に俺は見えるぞ」
そう。羽織ったマントでよくは確認できないが、事実アノニムの身体は、今、大きく傷付いているのだろう。
その証拠に黒の魔導士の足元には、身体から流れ落ちる鮮血で血溜まりができていたのだ。
「フッ、私はどういった“存在意義”と関わり合いを持つ者だと思う。“創造”──命ある者の復活は成し得ぬが、新しく創り出す事はできる。今のこの私の身体は借り物だ。今回の戦いに於いて大きく傷付いてしまったが、配慮不要。私は今の身体を“癒し、回復させている”のではない。傷付いて不能になった箇所を“創造”しているのだ』
今更ながらにオルデガは戦慄を覚える。
「アノニム……そなたは一体……」
『それに場所は分かっている。地の『守護竜』。それが逃された場所は、おそらく『守護する者』、テラマテルの元だ』
アノニムを見上げなからオルデガが答える。
「という事はやはり桃源郷に於いて、テラマテルは参戦していなかったのだな? 陽動が上手く功を成したか」
『だが、“次”のテラマテルがくる。人格再形成まで幾ばくも時間は残ってはいまい。考えられる代替え身体は、地の大精霊が現世に実質干渉不可になった今、おそらくはあそこだろう』
それを聞き、オルデガは立ち上がった。
「テラマテルが住んでいるというロロル村だな?」
「ああ、十中八九間違いないだろう。そしておそらく何らかの形で地の『守護竜』がその者の傍にいる筈だ。さあ、この私の身体。不具合箇所が完全に新生され次第、即刻ロロルに向かう。オルデガ。準備をしておけ』
「……ああ、了解した」
何か急いでいる様にも感じるアノニムの様相に疑問を感じながらも、オルデガはそれに応じた。
『ひとりとなり、身体を完全体にする事に集中する。しばらくここを離れるが、終了次第この場に戻る。オルデガは準備が済んだのならば、この場にて待機だ』
そして黒の魔導士は、山岳地帯の深い森林。その奥へと姿を消すのだった。
そんな後ろ姿を、ただ見送る事しかオルデガはできなかった。
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「……アノニム。何かあったのか……?」
─────
山岳の奥、生い茂る森林の中。黒の魔導士アノニムはひとり立っていた。
覆われ隠された鉄の仮面の中。彼の者の“人間”としての素顔の目は、今、静かに閉じている。
身体破損箇所の創造の為だ。
思考をその行為に集中する為、全神経を研ぎ澄ます──
やがて、アノニムの思考の空間が現実から切り離され、真っ白となった。
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『──うふふっ、ダメだよー、黒い人。そんなに慌ててやってちゃ、それじゃ、なにひとつ、ちゃ~んとできないんだよ~』
突然、思考の白い空間の中。女の幼子の声が響く。
──あ、あぁ──
──お、お前は──
『あっ、え~っと、それからね。うぃるのおじちゃんはちっちゃくして、もうひとりのあたしのとこに送っといたよ~。だって、おじちゃんと“いお”ちゃんだけは、絶対に大切にするって決めたんだもんっ──ね?』
──そうか、お前だったのか?──
『それとね。前からずーっと言いたかったの。黒い人、きみ。ちょっとがんばりすぎだよ。あたし、心配だな~。あんまり無理しないでね。だって、“きみはあたし”なんだから──』
──やめろっ!──
『え~、なんで? 間違ってなんてないよ~』
──やめろっ! やめろっ!──
『い~や、やーめな~~い。くすっ、うふふ、“きみはあたし”──』
──やめろっ! やめろっ! やめろっ!──
『だ・か・ら~、“きみはあたし”──』
──やめろっ! やめろっ! やめろっ! やめろっ! やめろっ! やめろっ!!──
『うふ、ふふふっ、“あたしはきみ”──』
──やめろっ! やめろっ! やめろっ! やめろっ! やめろっ! やめろっ! やめろっ! やめろっ! やめろっ! やめろおおおぉぉ!!──
真っ白な空間で、白いワンピースを纏った灰色の髪の幼女が、無邪気に笑う。
『あたしもきみも、お~んなじ“レイ”だよ──』
──やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!──
─────
『……はぁはぁはぁはぁはぁ……』
黒の魔導士アノニムは思考の空間を切り離す事により、今は現実世界へと戻っていた。
苦しそうに大木にもたれ掛かり、借り物である人間の身体の乱れた呼吸を整える。
『……はぁはぁはぁ──』
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──きみはあたし──
『違うっ!』
──あたしはきみ──
『違うっ違うっ!』
──きみもあたしも“レイ”──
『違うっ違うっ違うっ!!』
──きみは“レイ”──
『私は黒の使者だ!!』
──黒の使者じゃない。きみは“レイ”──
『私はレイではない!!』
──ん~ん。きみは“レイ”──
『私は……俺はレイなんかじゃない!!』
──ふふ、あたしもきみも“レイ”。でも──
『俺はレイなんかじゃない!!』
──たとえね。最初は同じ“レイ”から始まってもね──
『“俺”は“俺”だ!!』
──今は違う“レイ”なのかもね──
やがて、幻聴の様だった幼子の声は消え入る。
──それじゃ、またね。もうひとつのあたし──
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『ぐ、ぐぅうぅぅ──レ、レェェイイイイィィィィ──!!』
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黒い鉄仮面。そこから怨嗟となる声が、苦々しげに漏れた。